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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【生まれてくるべきではなかった誰かの話】
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第5話。愚か者だけが夢を見る

 私は不安を抱えながらも他愛もない話を一方的に続けながら彼女と町を歩き回りました。しかしながら手がかりらしき手がかりは得られず、怪しげな人物も発見できません。そしてやがて日も傾いてきた頃には私と彼女は海辺へと辿り着いていました。


 この町を覆う赤い霧は当然のように海側にも出現し、水平線を塞ぎ潰していました。

 曇天のわずかな切れ目から射し込む夕日が海の色を茜色に染め、赤い霧が放つ閉塞的な空気を和らげてくれています。


 私はサクサクと砂を踏み、波打ち際へと近づいてみました。

 穏やかな波が砂浜を撫でるように広がったかと思うと、砂粒を引き込みながら海へと返っていき、そしてまた新たな波が砂浜へ。

 私が生まれる前から繰り返され、私が死んだ後も変わらぬであろう光景を前に、ざわめいていた心は穏やかさを取り戻してきました。


「海は好きですか?」


(フルフル)


 首を横に振る彼女の髪を海風が撫でました。黒く長く美しい髪が顔にかかると、彼女はそれを片手で払いました。それにしても素晴らしい胸ですね。


「そうですか。私は好きですよ。ここではないどこか遠くの世界に繋がっていると想像すると、ロマンを感じます」


「……」


「見たこともない世界が、この先に必ずある。そこにはどんな風景があって、どんな物があって、どんな人たちがいるのでしょう。自分の想像を超えるものがあると考えるだけで、お恥ずかしながら心が浮き立ってしまうのですよ」


 私は籠手を外して波打ち際に屈み込み、その波を掬いました。


「しかし不思議なものですね。鮮やかに煌めく海の色も、こうして手に掬ってみると、その宝石のような美しさを失ってしまいます」


「……」


「どれほど素晴らしく美しいものであっても、いざ手に入れてしまうと、その輝きを失ってしまうということは往々にしてよくある話です。…私の夢のように」


「……」


「もしかすると、夢は夢、空想は空想のままであった方が、幸せなのかもしれません」


「……」


「私は時々、思うのですよ。もしかしたら神は、人がその生涯で手に入れられるものを最初にお決めになられているのかもしれないと。その範囲を超えて手を伸ばす者には、罰を与えられるのかもしれないと」

 

「……」


「身の程を弁えない愚か者が、欲張ったばかりに罰を受ける寓話は古今東西にたくさんあります。身の程を知り、自分の身の丈に合った幸福で我慢しなさいという教訓が込められているのですね」


「……」


「ですが私は、ただ足るを知る賢者ではなく夢見る愚か者でありたいと思いました。そうして幾多の幸運に恵まれた結果…こうして今も騎士というものをやっています。望んでいた形とは、少し違いましたけどね」


 相変わらず、ユカリさんの反応はイマイチですね。空回りしているようですし、ちょっと自分のことばかり話しすぎた気もします。

 では切り口を変えてみましょうか。


「実は、あのメンバーのリーダーは私なのですよ」


「!?」


「あ、ようやく私を見てくれましたね」


 下ばかりを見ていたユカリさんが、初めて顔を上げて私と目を合わせてくれました。嬉しいものですね。自分に興味を持ってもらえるということは。


「意外だったでしょう? 一番若い私が、貴族や熟練の騎士を率いているなんて。ははは」


(コク)


「うちの組織は成果主義の上に人事異動が頻繁にあるので、私のような若輩者でもリーダーを任されることがあるのですよ」


 ここまでウルグン卿からの合図は無し。

 彼女に不審な動きは見当たらず、ですか。周囲にウルグン卿以外の尾行者や監視者も無し、と。

 釣りは空振りに終わってしまったようですね。


 成果が得られなかったことは残念ですが、私はここに至って本能の声を無視できなくなってきました。

 第六感とも呼ばれる感覚が、戦場で生き延びるためのセンスが、いまやその声をますます大きく張り上げ、繰り返し私に警告するのです。


 もしも彼女が本当にシロだったのなら、私は事件解決の唯一の機会を絞め潰してしまったのではないか。


 その疑念は不安へ、不安から確信へと変わりつつありました。もしも選ぶべき選択肢を間違えてしまったのなら、手管を変えなくてはなりません。


「ユカリさん、私はあなたに謝罪しなくてはなりません」


「?」


「私はあなたのことを、罠だと疑っていました。豊満な胸の美女の姿で目標を誘い、記憶や人格を操る類の精神魔術を仕掛けるのだと」


「……」


「他にも予想していた可能性はいくつかあります。しかし、あのハエを見て考えを変えました。治癒力が上がるわけではない。死体を操るわけでもない。擬似的な不死能力の類ではなく、ただ死なない。意識を失えない。恐らくですが、あれが虫ではなく人であったなら、耐え難い苦痛に曝され続けるのではないですか。……頭部を失っても」


(コク)


「あなたはそれを、身をもって証明しようとしました。いえ、証明してくれたのです。それを、私は信じることができなかった」


「……」


「ですから、ここに全てを懺悔します」


「……?」


 私は彼女の前に膝を突き、頭を下げました。


「私は、とても酷いことをしました。可憐な淑女方の、その華奢な細喉を全力で締め付けるなど、騎士として、いえそれ以前に男として、ましてや人間として最低の行為です」


「神に誓って、私は嗜虐趣味の持ち主ではありません。ですが、自分が抑えられなかったのです。貴方の美しい肌に触れ、その温もりを腕に抱き、芳しき香りを鼻から吸い込んだ時、私は冷静な判断ができなくなりました。心の奥底から湧き上がる抗いがたき衝動が私の理性を鈍らせ、獣のごとき蛮行に私を走らせたのです」


「私はここに告白します。私はあの時確かに、貴方を壊してみたいと思いました。どこまで耐えられるのか見てみたい。神秘的な美女が私に屈する姿を見てみたい。初雪のごときあの美貌に、決して癒えぬ傷を私の手で与えてみたい。この美女を私の物にした証が欲しいと」


「恐ろしいことです。私は今日までこのような衝動に駆られたことは一度たりともありません。内なるケダモノの声など、聞いたことはなかったのです」


 私が顔を上げると、彼女は困惑した顔で私を見下ろしていました。


「だからこそ、ここに誓います。私はこの先、獣の衝動に決して屈さぬと。この身が引き裂かれようとも、騎士の誇りと信念を二度と手放さぬと。貴方を信じ、何が起ころうとも貴方の味方を貫くと」


 私は悲しみに憂うその目を真っ直ぐ見上げ、力強く断言しました。


「だから、どうかもう一度私を信じ頼ってはくれないでしょうか。私に貴方を救う機会を与えてくれないでしょうか。私はそのために、この町に来たのです。どうか、この手を取ってはもらえないでしょうか」


 私は右手を差し出しました。


「……」


 しばしの沈黙。

 海風が彼女の髪を乱しますが、彼女はそれを押さえようとはしませんでした。私の手を見つめ、諦観と倦怠が込められたような息をひとつ、漏らしました。


(コク)


 私の誠意は通じなかったかと諦めかけましたが、彼女は頷き私の手を取ってくれました。しかし私はその手の温もりに喜びと共に罪悪感を覚えます。こういった手法は何度繰り返しても慣れるものではないですね。


 それでも私は笑顔を作りました。


「私を信じてくれてありがとうございます。この剣に賭けて貴方の信頼を守り抜きましょう」


 あ、しまった。海水で手がベタついたままでした。カッコつけたつもりが、ちょっと失敗してしまいましたね。




 浜辺から戻ると、すぐそこにバリス卿がいました。


「あ、か、帰りが遅かったの、で、その……」


「ははは。心配をかけてしまい、申し訳ありません」


 もしかすると、恥ずかしいところを見られてしまったかもしれませんね。


「残念ながら、収穫はあまりありませんでした。そちらはどうでしたか?」


「……」


「バリス卿?」


「あ、な、何か」


「こちらはあまり有用な情報は得られませんでした。強いて言えば、彼女が証言していたとおりにこの町では誰も死ぬことができないことが確認できたくらいです。ビステル卿は戻られましたか?」


「い、いや、まだだ。あ、キュリオ卿は、町の責任者に会いに行った」


「ひとまず日も暮れますし、宿に戻りましょうか。眠ることはできないかもしれませんが、目を閉じて横になるだけでも体力は回復しますよ」


「う、うむ。あ、あの、ソル卿……」


 バリス卿は何かを言いたげに、私とユカリさんを交互に見ています。


「はい。どうされました?」


「……」


「バリス卿?」


「す、すまぬ。何でも、ないのだ」


 とてもそうは見えませんが……あっ。


「ああ! そうでした! 彼女の部屋を取るのを忘れていましたね! すみません、これは不手際でした」


「な、なら我々が……」


「そうですね、二部屋のうち片方を譲りましょうか。バリス卿はビステル卿と共に部屋でお休みください。今日は私たち三人が交互に見張りを務めますから」


「あ……う、うむ」


 あ、もう一つ忘れていたことがありましたね。これだけは日が沈む前に是非ともやっておかないと。

 よし、なるべく自然に話題を誘導しましょう。


「ところでユカリさん、馬は好きですか?」


「?」


「私は好きですよ」


 あんな大きな胸が揺れると思うとロマンを感じます。

 自分の想像を超えるバストがあると思うだけで心が浮き立ってしまうのです。

 不思議なものですね。是非一度手に掬ってみたい!


「あ、あの、ソル卿? 突然何を……?」


「おっとすみません。今自分の心に潜むケダモノと戦っていました。ははは」


「は、はぁ」


 それにしても、私の鉄のごとき理性を揺さぶるとは恐ろしい胸です。間違えました。恐ろしい町です。


 神よ、どうか私がユカリさんの胸ばかり見ていることがバレませんように。そして他の仲間たちにおっぱい卿と呼ばれませんように。


 でも、それはそれとしてユカリさんは馬に乗せます。

 これは騎士として、いいえ男としての義務ですから。


 せっかく神より与えられた一度きりの人生です。仕事中とはいえど、せっかくなら思い残すことのないように楽しみたいものですよね。

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