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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【生まれてくるべきではなかった誰かの話】
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第2話。呪われた町

 港町ジェルジェ。

 ナーロッパ地方西部、スタト王国の端に位置する田舎町。人口は1000人にも満たず、町の広さは3㎢程度。主な産業は漁業であり、他の港との中継地としては殆ど利用されないために宿泊施設も乏しい。

 言ってしまえば運送業者以外誰も行かない辺境なのだが、いつからか妙な噂が流れ始めた。


 曰く、ジェルジェに行って帰って来た者がいない。


 これが単なる噂話として収まらず、事実として行方不明者の捜索依頼が増え続けていたため、その依頼を受けた冒険者組合がジェルジェの調査を行なった。


 その最初の調査の結果は、新たな行方不明者を四名生み出しただけであった。依頼を受けた四人が経験不足だったとはいえ、たった一名の帰還者もいなかった事実は他の冒険者たちを及び腰にさせた。


 しかし、多少の実績を持つ冒険者三名が行なった二度目の調査は多少の進展があった。

 ジェルジェ全域が赤い霧に覆われていることを確認した彼らは警戒し、猟犬に先行させたのだ。

 その結果、赤い霧に入って数十秒後に猟犬の声が聞こえなくなったため、危険を感じた冒険者たちは猟犬の回収を諦めて報告に戻った。

 二度目の調査において、ジェルジェが異常な状態に置かれていることが正式に確認できたのである。


 考えられる可能性として真っ先に挙げられたものが、違法魔術師による異常空間の作成だった。

 一般階級の者が魔術を学ぶことを禁じられた昨今ではあるが、取り締まりの目をすり抜けて違法に研究を続ける者が後を絶たない。その挙句に重大な事故を発生させる事件が各国で定期的に起こっていたため、今回もその一端であると判断されたのである。


 それならば内部へ侵入して元凶である魔術師を取り抑えれば解決するだろう。冒険者組合はそう結論を出したが、事態はそこでしばらくの停滞を見せた。

 その頃にはジェルジェの噂は広まりすぎていたのである。ベテランでさえ避ける危険な仕事を受ける冒険者はおらず、報奨金もまた安すぎた。


 しかしながら、国土の安全保障に関わる問題を放置するわけにもいかない。紆余曲折の議論や責任転嫁と各種手続きを経た結果、ジェルジェの件は聖骸教会の管轄となり、教会に忠誠を誓い違法魔術師の逮捕を担う聖骸騎士が少数精鋭にて事態の収束を目指すこととなった。


 つまり、我々ラインバルト隊である。




「キ、キュリオ卿、報告書の出だしはこれでどうだろうか」


「ふーむ、悪くはありませんが、紆余曲折の部分は削った方がよいでしょう。少しばかり不満が透けて見えていますからな」


「こ、これは申し訳ない」


「はは、しかしその気持ちはわかりますよバリス卿。こんな仕事は早めに終わらせて、また後で一杯やりましょう」


 私ことバリス・グランバッハは途中まで作成していた報告書をしまった。

 我ら聖骸騎士は今、大通りに面した一軒の民家にて四人がけのテーブルを囲んでいた。少しばかり掃除が行き届いていないようだが、あまり気にはならない。平民の家などいずれもこんなものだろう。


 席に着いた者はキュリオ卿、ビステル卿、ソル卿、そして私である。我々五人分には椅子が一つ足りなかったために、配属されたばかりである私が席を譲ろうとしたのだが、ウルグン卿はそれを断って家の外へと見張りに出た。

 誰かに言われずとも必要な役割を率先して行うのがウルグン卿のようだ。無口な方ではあるが、私も彼を見習いたいものだ。


「それで、ゴート卿に関してはどう説明するのだ」


「そこはほら、誤魔化しちゃいましょうか。ゴート卿の名誉を傷つけるわけにもいかないでしょう? 事件が解決したら外で合流できますよきっと」


「ソル卿は甘すぎる。与えられた職務を全うできぬ者に聖骸騎士を名乗る資格があるものか」


「も、申し訳なく……」


「そこでなぜバリス卿が謝るのだ。それとも卿には後ろめたい理由がおありか」


「い、いえ私には決してそのような……」


「まあまあ、この話はまた後にしましょう。せっかく我々を家に招いてくれた彼女に失礼ですよ」


 コト、コト。私たちの前に、水の入ったコップが置かれていく。その手から視線が離せない。細く、しなやかで、白く、美しい指だった。


「失礼します」


 囁くような声と共に彼女が少しばかり腰を屈め、テーブルの端から私の前に身を乗り出した。私の前にコップを置く、ただそれだけの仕草に胸の鼓動が高鳴る。

 年季の入った古いテーブルに黒い毛先がそっと触れた。彼女の姿勢に合わせて机上を撫でる黒髪が、滑らかに流れ弛み広がる。

 その一本一本が黒漆にも似た深い黒色に彩られていた。その上で絹糸の光沢と細さを併せ持つため、彼女の流麗な長髪は密度の薄い先端に近づくにつれて透明感を増していく。

 あれは一体、どのような肌触りなのであろう。


「こ、これはどうも……」


 私は軽く会釈しつつ彼女の顔を盗み見た。


 夜の空を思い出してほしい。無限の闇の中で淡く輝く星々の光を。決して手の届かぬ遥か彼方の煌めきを。

 それが彼女の瞳だ。神秘の空がそこにあった。

 泣いているのだろうか。彼女は微かに潤うその瞳を物憂げに伏せ、誰とも目を合わせようとはしない。

 その陰鬱な所作は彼女が抱える底知れぬ哀しみを訴えかけるようで、抗いがたき魅了となって私を惹きつけた。


 歳のほどは何歳なのだろう。確実に私より若いと思うのだが、そう断言できぬ雰囲気が彼女にはある。

 彼女を見ていると懐かしい感覚を思い出す。そうだ、これは今は遠き少年時代、自分よりもずっと年上の女性に対して感じたあの胸の昂りではないか……。


「バリス卿! 聞いておるのか!」


「あ、な、何か」


「何かではない! 呆けておるのか!?」


「も、申し訳ない。つい……」


「おっと、失礼」


 慌てた私がコップを手に取り口を近づけようとすると、隣のキュリオ卿が片手でそれを遮った。


「あ、なぜ?」


「それがわからんから、卿は呆けていると言っているのだ!」


「ははは、仕方ないですよ。こんな美人、滅多にお目にかかれませんからね」


「だからと言って浮かれてよいものではない! 我々は遊びに来たわけではないのだぞ!」


「コホン。それは確かにビステル卿の仰る通りですな。うん、その通り。その通りなので話を戻したいのですが、よいでしょうか」


「ふん」


「ええ、そうしましょうか」


「も、申し訳ない。今後気を付けますゆえ……」


「それでは本題に入りましょうか。ユカリ殿、あなたはこの町の異常について、何かご存知なのですね」


「はい。おそらく誰よりも……この町について詳しいと思います……」


 彼女の口から吐息が漏れた。ただの空気でさえもあの桜色の唇を通り出でると、その温もりまでもが目に見えるような錯覚に陥る。


「この町に入った者は誰も出られないこと……全ての原因が魔術師によって引き起こされたこと……全員が悪夢のような7日間を繰り返していること……全てを知っています……。まず1日目は人々の理性がわずかに弱まり暴力的な……」


「待たれよ! い、今なんと!?」


「落ち着かれよバリス卿。まだ彼女の話の途中ですぞ」


「し、しかし! 彼女の話が事実ならば、我々はいきなり核心に辿り着いたということになりませぬか!?」


「ああ、事実ならば、な」


 ビステル卿の言葉と共に剣呑な雰囲気が漂う。

 私はここに至り、誰もコップに口をつけない理由をようやく理解できた。

 そうだ、ここはすでに敵地なのだ。死地なのだ。戦場の真っ只中なのだ。何があってもおかしくはない。食べ物に毒を混ぜられる程度のことくらい、予想して然るべきことである。

 ビステル卿の言う通り、私は呆けていたようだ……。


「私をお疑いになられるのは、仕方のないことだと思います……唐突にこのようなことを言われて、今までも多くの方が困惑なされました……」


「当然であろう。このような薄汚れた家に我々を誘い込んで何を企んでいるのだ、女」


「……」


 彼女が何も答えずに目を閉じると、その長いまつ毛が更に強調された。彼女の寝顔を見れる男は、素晴らしい幸運の持ち主に違いあるまい。


「私の言葉を信じられないのならば、行動で示しましょう……」


「ほう?」


「どなたか、私の首を刎ねてください」


「なんと!?」


「この町では、決して意識を失うことはありません。眠ることも死ぬことも許されないのです」


「ほおう、それは興味深い話だ。それを貴様が身をもって証明するというのだな」


「どうぞ、お好きなように……。信じていただけないのなら、今週は諦めます……」


「もう後には退けぬぞ、女」


 ビステル卿が椅子より立ち上がった。

 い、いかん。止めねば。だがビステル卿は恐ろしいし、何より誘ったのは彼女で……。


「まあまあ、お二人ともそう生き急がれては落馬しますよ。ははは」


「何なのだその例えは」


「はぁ……」


 ソル卿が二人の間に割って入った。よかった、これで何とか穏便に事が運びそうだ。

 ……いや、よくはない。なぜ私は動かなかったのだ。

 胸に下げた十字架を握る。

 主よ、臆病な私をお笑いになられますか。


「ふーむ、ならばこうしてはいかがですかな。彼女の話が本当ならば、失神することもないはず。よって、騎士として不本意ではあるが……ユカリ殿の首を絞め、落としてみるのです。わざわざ首を切り落として重要参考人を失う必要もありますまい」


「ふん、ならばキュリオ卿に任せる」


「いやはや、それが道理ではあるのですがな。私は二度と妻以外の女性の肌には触れぬと誓った身。申し訳ないがこの役割は辞退させていただきたい」


「ははは、あの奥方様もこれ以上の浮気はお許しになられませんでしたか」


「……コホン。その話は、ここまでということで」


 あ、な、なら私が……。


「なら私がやりますよ。なるべく優しく力を込めますので、痛かったり途中でやめてほしくなったらすぐに私の手を叩いてくださいね」


「はい……お願いします……」


 ……あ。い、いや、私が出しゃばる必要はなかったのだ。ソル卿は私と違って婦人の扱いの心得もあるようであるし、更に言えば私はあの輝くように白い肌に触れてみたいという下心を抱えていた。

 う、うむ、やはり私は余計なことをせず、末席を汚さぬことだけを考えよう。


「どうですか? ユカリさん、痛くはありませんか」


「……」


「では、もう少し力を込めますよ」


「…… …」


「今度はどうですか、無理はしないでくださいね」


「……」


 ソル卿は籠手を外し、背後から抱きつくような形で彼女の首を絞めていた。裸絞めと呼ばれる方法で、相手に苦痛を与えず意識を奪う適切な方法である。

 適切な方法なのだが……これではまるで、恋人を抱きしめながら愛を囁く夜のようではないか。

 私はいたたまれぬ気持ちになり、目を逸らした。


「平気ですか……では一旦失礼して、次は少し絞め方を変えますよ」


「……」


「どうですか、苦しいですよね。無理せずギブアップしてください」


「……」


「む……」


 居場所を失った私の視線は手にしたコップに注がれ、ゆらゆらと水面を漂う。


「ソル卿、そろそろ真面目にやってはいかがか。未だに落ちる気配もありませぬぞ」


「……」


「ソル卿、すでに3分は越えましたぞ」


「……」


「ソル卿!」


「ビステル卿。申し訳ないのですが、ひとつ頼まれごとを聞いていただけませんか」


「まさか今更代われとでも申すか!」


「いえ。彼女の呼吸を、確認してほしいのです」


「ふん、何を言い出すかと思えば……む」


「止まっているでしょう、完全に……!」


 ソル卿の額には玉粒のごとき汗が湧き出していた。更に腕を見れば、その鍛えられた筋肉には青筋立った血管が浮き出ている。

 首の絞め方も最初とは違う。あれでは首の血管のみならず気管までも絞めてしまい、まともに呼吸もできなくなるではないか!

 全力で絞めているのか!? それも何分も!? 信じられない! なぜそんな酷いことを!


「う、あ……あ、ああ……」


 私は見てしまった。

 騎士の剛力で喉を締め付けられたままの彼女の口元が、勝ち誇ったように微笑む様を。


 ほら、私の言ったとおりでしょう?


 聞こえるはずのない声を聞いて、私は二度と戻れぬ遠い遠い所へ来てしまったことを知った。



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