第9話。
今やこの地に星の光は届かない。数万人規模に増殖したゼノフィリア群が天地に密集し、鼠一匹這い出る隙間も無く閉ざされている。燃える家々が暗く閉塞的な空間を照らす唯一の光源となっていた。
ギルバードの囲いが解けた隙を突いて大勢の信者が逃走を図ったが、怪物的な身体能力を持つゼノフィリア達からは逃げ切れずに全員が肉の檻に連れ戻されてしまった。
「よくよく考えてみれば変ですわね。ブルーさんの能力は研究次第では不老不死を実現出来るかもしれませんのに、魔女狩り部隊との戦闘を想定した任務に就かせるなんて非合理的ですわ。もしかして彼女の能力は性転換や若返りに見せかけて、人体に深刻な影響を及ぼす欠陥があったのではないでしょうか。どう思われます、レッドさん?」
「ハーッ……ハーッ……! 知るか、ボケェ……!」
破壊してもすぐに後続が塞ぐ肉の壁を前に、あらゆる攻撃は無意味だった。魔女狩り部隊及び魔法少女戦隊残存兵による突破の試みは全て失敗し、彼らは切り札の全てと引き換えに徒労と絶望だけを得た。
「俺様がくたばる前に……あと千回はブッ殺してやるぜぇ……ハーッ……ハァーッ……」
その中でレッドだけが、まだ諦めずに抗い続けていた。壁となり立ち塞がるゼノフィリアを、彼女だけでもう何百人殺しただろうか。体力を使い果たし搾りカス程度の能力しか使えなくなっても、気力だけはまだ残っていた。
「ふふふ……ねえレッドさん。わたくし、あなただけは本当に警戒していましたのよ」
そんな彼女の奮戦を気にもかけずゼノフィリアは執拗に話しかけ続ける。
「んんっ……! んー! んー!」
彼女の足元には何十本もの腕に押さえつけられたイエローが這いつくばっていた。万が一にもレッドの弱体化を治せないように早々に捕獲され、口には謎の棒を突っ込まれて顔を紅潮させている。
「血液操作、それも自分だけでなく他人の血液ですら指一本触れずに操れるなんて、とても恐ろしい魔法ですわ。わたくしにとってはまさに天敵。もし本来のあなたと戦っていれば、瞬殺されていたでしょう。それがまさか……ふふっ、お可愛いこと」
血の海から伸びた巨大な指がレッドを弾いた。「ぐあっ!」その場に踏み止まる体力も無く、弾き飛ばされて無様に転がるレッド。そんな彼女をゼノフィリアが慈愛の微笑みで見下ろす。
「ふふふ……いけませんわね、これでは弱い者いじめですわ。わたくし、嗜虐趣味は無いつもりですの。ですがフェアな性格でもありますから、やられたならばやり返さなくては気が済みませんわ。これくらいはお目溢しくださいませ。うふ、うふふふふふ」
「さっきから何のつもりじゃ貴様ーっ! 殺すならそやつもワシらも一思いに殺せばよかろうが!」
魔法少女戦隊と敵対していたギルバードですら、一方的に嬲られるレッドを見るに見かねて苦言を呈した。万策尽きて生還は不可能と悟った今、もはや敵味方を区別する意味は無い。
「あら、殺せなんて悲しい事を仰らないで下さいまし。わたくし、こう見えて平和主義者ですのよ? 話し合いで解決可能な問題は話し合いで解決すべきですわ。そう思わなくて?」
「黙れーっ! 何が平和主義者じゃ! この邪悪な悪魔が!」
「邪悪……? この程度が?」
ゼノフィリアは口元を手で隠してクスクスと笑った。
「どうやら、ヒヨコお爺様は真に邪悪なる行為というものをご存知ない様子ですわね。教会に属しておりながら、そのお歳まで邪悪に触れる事なく知る機会にも恵まれなかったのでしょうか。……羨ましい、限りですわ」
その目も。その隠した口元も。ゼノフィリアは微塵も笑ってなどいなかった。口調こそ穏やかではあれど、その胸の内より確かに滲む激情がギルバードを怯ませる。
「真に邪悪なる行為とは『尊厳の破壊』ですわ。死や暴力は尊厳破壊を実現する手段の一つに過ぎません。豚と一緒に飼育する、近親交配を繰り返させて奇形の一族を作る、言語を含む文化的教育の廃止、悪事に加担させて魂を穢す、などなど……。命と時間と莫大な労力を消費してようやく成り立つ人間一人の人生を無惨に踏み躙り凌辱する。これに勝る邪悪はこの世に存在しません。怪物だの悪魔だのと言っても……ただの戦勝国の一領主だったわたくしのお父様に比べれば、まるで聖人ですわ」
血の海に押し付けられていたイエローの真下から、ゴポゴポと音を立てて白い巨石が湧き上がった。巨石は滑らかで光沢があり、上部にはやや凹凸がある。同様の巨石が次々と血の海から生え、弧を描いて隙間無く並んだ時、イエローは自分を乗せた巨石の正体を理解して小さな悲鳴を漏らした。
「ひぃ」
それは人間の歯だった。イエローが怯えた目線を上げると、彼女の頭上には肉の塊から生える白い巨石群が並んでいた。彼女を納めた入れ歯形状の口が頬を釣り上げて笑う。
「でも今にして思えば、お父様はきっと人を愛しておられました。極めて邪悪で歪な愛でしたが、お父様は人の絶望を、苦痛を、自身に向けられる憎悪ですらも愛しておられました……わたくしと同じように」
「メス豚のくせに俺様より先に死ぬんじゃねえーっ!」
レッドの背中に血の翼が咲いた。出血が推進力となり、鮮血の軌跡を描きながらレッドが猛烈な勢いでイエローを目指す。決死の形相で仲間に伸ばしたその手の指は全て折れていた。
「あら、意外と仲間思いでしたのね、レッドさん。ほらほら、あ〜ん」
見せつけるように大口を開くゼノフィリア。その口に飛び込んだレッドの腕がイエローを抱き止める。「レッド君……」「死んでも諦めんじゃねぇメス豚」ガチンと歯が閉じ、噛み切られたレッドの両足首が外に落ちた。閉じた歯列から少女達の血がドロドロと溢れる。
「美しい友情の味がしますわ。次からは火を通してから頂きたいですわね」
二人の命は一滴も逃さぬとばかりに、分厚い唇が閉じた。
「咀嚼はお待ち下さいまし。二人を先に殺すのは早計ですわ。ヒヨコお爺様が切り札を隠しているかもしれませんもの。まずは対策その3、酸欠による事故死を試すべきですわ」
ゼノフィリアが提案する。
「わたくしからも一言よろしいですか? 二人の能力を取り込みたいお気持ちは分かりますが、いくら何でも残酷ですわ。レッドさんはともかくイエローさんはわたくしの大切なお友達です。見逃して差し上げるべきではなくて?」
別のゼノフィリアが忠言する。
「ああイノセント様! あれほど待ち焦がれましたのに、どうして最後までわたくしの前には現れて下さりませんでしたの!? あなたがお父様に罰を与えて下さらなかったから、わたくしはこんな悪魔にこの身を捧げてまでお父様を……お父様を!」
さらに別のゼノフィリアが嘆く。
「あらあらあらあら! 見て下さいまし! 肉塊一歩手前のお二人がわたくしの口の中でキスをして触れ合い慰め合い性的興奮を高めて延命しておりますわ! わたくしの唾液と二人の百合汁が混ざり合って……ああ! 何だかわたくしも参加しているようで、いけない気持ちになってしまいますわーっ!」
また別のゼノフィリアが興奮する。
「それにしても偽物が多くて嫌になりますわ。万が一ということがありますので一応回収しておきますが、どう考えても教祖様が持っている物が本物でしてよ」
他のゼノフィリアは村中に散らばった魔法クレヨンの贋作を面倒そうに拾い集めていた。
「んもう、わたくし達ったら何ですの? せっかくわたくしがお話ししているのですから、お静かに願いますわ」
むーっと頬を膨らませて不満気に怒るゼノフィリア。
「同じ自分でも下手に増えると差異が出てきますわね。役割分担をしなければならないから、必然的にこうなってしまうのでしょうか。安定性は今後の課題にするとして、そろそろ本題に移りましょう」
「きゃっ……!」
囚われの身なりに息を殺して気配を隠していたマリアが、ゼノフィリアの眼前に丁重に運ばれた。レッドに殴られて腫れた彼女の頬が痛々しく目を引く。彼女が大切に抱えていた魔法クレヨンは何本もの手に奪われてゼノフィリアに渡った。
「トリック・バイ・トリート。トリック・バイ・トリート。……ふふふ、やはりわたくしには使えませんか。もしかしたらとは思いましたが、やはりイノセント様にしか聖杖は使えないのでしょうか、教祖様?」
「……当然です。少なくとも、正しい心を持たない者に聖杖が力をお貸しになられる事はありません」
「あら、そうでしたの。ではきっとこの場には、あなたの言う正しい心を持つ方が居られましたのね」
「ヒメサマヲマモレー」
耳に届いた小さく甲高い声にマリアが固まった。クレアが遠くへ蹴り飛ばしたはずの落書き兵士はあっさりと見つけ出され、今やゼノフィリアの手の内にある。もはや言い逃れは通じなかった。
「わたくしと取り引きをいたしましょう、教祖様。これを作り出した方をわたくしに引き渡して頂けませんか? その代わりに信者全員の安全保証と、イエローの血を使った怪我の治療をお約束いたしますわ」
「ならぬ! ならぬぞーっ! そやつは魔杖の適合者を取り込んでイノセントの力を手に入れる腹づもりじゃーっ! 悪魔にイノセントの力を渡してはならぬ!」
「あら、無粋なヒヨコお爺様ですこと。横槍はご遠慮願いますわ」
血の海から湧いた大量のゼノフィリアが、魔女狩り部隊を女体の渦で飲み込んだ。どれだけもがいても刺しても斬りつけてもゼノフィリアはさえずり笑い、次から次へと絡み付いて彼らを下へ下へと引き摺り込んでいく。奈落の底から響く新兵達の絶叫がマリアの耳にこびり付いた。
「では、お返事をお聞かせ願いますわ」
「……お断りします」
マリアはゼノフィリアの申し出を拒んだ。その小さな覚悟を支える細い両足は震えていた。
「あなたにイノセント様のお力を渡しはしません。どうぞ拷問でも尊厳の破壊でも好きにおやりなさい。父が耐えたのですから、娘である私も耐えてご覧に見せます」
「まあ素敵。信念に己を捧げられる方はお美しいですわ」
取りつく島もなく断られたにも関わらず、まるでプレゼントを受け取った少女のようにゼノフィリアは喜んだ。
「ご期待に応えられず申し訳ありませんが、お父様と違ってわたくしは平和主義者ですの。拷問や尊厳破壊なんてもってのほかですわ。と、こ、ろ、で」
ゼノフィリアは人差し指を唇の前で立てて、いたずらっぽく首を傾げた。
「レッドさんと揉めた方々がお見えになられませんわねぇ? 逃げた方は一人残らず捕まえましたので、村のどこかへ隠れていらっしゃるのでしょうか」
「それは……」
毅然としていたマリアの言葉が詰まり、その頬を冷や汗が伝う。
「ふふ、ふふふ、うふふふふふ。お可愛いこと。素直に教えて下さって、わたくし嬉しいですわ。やはり何事も話し合いによる平和的解決が一番ですわね」
「マリア様を虐めないで!」
どこからか投げ付けられた石がゼノフォビアの頭にコツンと当たった。
「何が平和的解決よ! この偽善者!」
投石者は演劇でイノセント役を演じていた少女だった。「偽善、者……」ゼノフィリアは石の当たった箇所をさすり、浴びせられた言葉を噛み締める。不死身の怪物にとって取るに足らないダメージだったその一投は、彼女のプライドをこそ大いに傷付けていた。
「偽善者……偽善者……。ふふふ、悪魔や怪物呼ばわりは、まあ、能力の見た目上、仕方ありませんが? いくら何でも偽善者呼ばわりは……こう、割と、案外、結構……キ、ますわね。まがりなりにもわたくし、魔女狩り部隊からあなた方を助けてあげた立場ですのに。ふふ、ふふふ、うふふふふ……!」
かろうじて笑顔のままで怒りを抑え込むゼノフィリア。その頬をヒクヒクと痙攣させながら、彼女は投げ付けられた石を拾った。
「エゴに満ちた正義感で人を傷付けるようなお子様には教育が必要ですわね。心の底から暴力が嫌いになるよう、その性根を丁寧に丹念に矯正して差し上げますわ」
そして少女を狙って石が投げ返された時、マリアは少女を庇うように飛び出した。
一方その頃、抜け道から無事に外へと逃れたクレア一行は、偵察から戻ったナインと合流していた。
「報告は以上です」
「ご苦労。おかげで状況が分かった。それにしてもゼノフォビアの亜種、ゼノフィリアか……」
「ご存知なのですか、お姉さま?」
「ああ、ゼノフォビアとは少しだけ縁があってな。何体か人狼と暮らしている眷属を知っている。命令されない限りは温厚で人を襲ったりはしない奴らだったが、人間が眷属になると話が変わるのかもな。人は力を手に入れれば使わずにはいられない生き物だ」
私のように、と言いかけた口をクレアはつぐんだ。手に入れた力を使わずにはいられなかったという点において、彼女も同類である。
「どうなされますお姉さま? とても殺せる相手には見えませんが……」
「この手の増殖タイプへの対処法はいくつかあるが、今の手持ちで戦うのは無理だな。仕方ない……死ぬほど嫌だが……」
「あんた、何を迷ってんだい。こんな所でグズグズしてないで、さっさとお逃げよ」
クレアが嫌々ながらナインに最終手段を持ちかけようとした矢先、何かを思い詰めた様子のアマンダがクレアに詰め寄った。
「あの妙な女の子達が出てきてゴタゴタしていた時に聖女様から聞いたよ。あんた、本当は聖女様に雇われた冒険者なんだってね。聖女様から聖杖を預かって、こっそりと次の持ち主に引き渡す手筈だったんだろう?」
「え? ええっ!? いや、えと、冒険者だけど、えっと、何の話?」
急な問い詰めに困惑するクレア。当然ながら彼女はそんな依頼など受けた覚えは無い。マリアとも今日が初対面である。事の真相を知ってか知らずか、アマンダはふっと笑った。
「別れの挨拶さ。こんなおばちゃんとお婆ちゃんを連れて逃げられやしないだろう? だからおばちゃんとはここでお別れさ。悪いねぇ、お婆ちゃん」
「ふぉふぉ。オババも十分に生きたわい。心残りがあるとすれば……死ぬ前にもう一度、イノセント様のお姿を拝みたかったのぉ」
「待て、勝手に話を進めるな……!」
「じゃ、これはあんたに任せたよ」
アマンダはそれまで大切に抱えていた預かり物を押し付けるようにクレアに渡した。それを受け取ったクレアの目が驚きに見開く。
「模造品じゃなかったのか!?」
その手触り、その重み、自分の血が循環しているような感覚。もはや疑いの余地は無い。魔法少女教団が奉り続けてきた正真正銘の本物である。
「何故、魔法クレヨンがここに……」
「言ったろ? あの時に聖女様からお預かりしたのさ。それと、あんたにだけ伝えてくれと頼まれている言付けもあるんだ。あんたがこの聖杖を渡す相手にも伝えてほしいんだとさ。耳をお貸しよ」
アマンダはクレアの耳元に顔を寄せると、彼女にだけかろうじて聞き取れる小声で何事かを呟いた。
「…………そうか」
その短い伝言を聞き届けたクレアは少しばかり顔を伏せて思考を巡らせた。取捨選択の時である。リスクとリターンを清算し、彼女は手札に加えたカードを次々と消していく。そうして最後にただ一枚のカードが手元に残った時、彼女は顔を上げた。
(先生。ファイラさん。ごめんなさい。私はもう一度だけ間違いを犯します)
もう迷いは無い。自分に出来る最善を尽くすだけである。今までのように、そして、これからのように。
「ミサキ。ナイン。頼みがある」
クレアの表情を見た二人の少女は総毛立った。二人はクレアの眼光に気押されると同時に、二人揃って全く同じ確信を抱いた。
「あっ……はい!」
「……何なりと!」
すなわち、クレア・ディスモーメントの揺るぎない勝利への確信である。
「私は今からバカをやってくる。何も聞かずにアマンダさんと婆さんを連れて先に帰ってくれ。くれぐれも、絶対に、絶対の絶対に振り返らないでくれ。私は、明日も私を続けていたい」
「分かりました、クレア様」
「お約束します、お姉さま」
少女二人に思うところはあれど、クレアの身を案ずる必要も何かを問う必要も無い。すでに勝利は確定しているのだから。
「頼んだぞ。もうゴチャゴチャと考えるのはやめだ。悪い奴をシンプルにぶちのめしてくる」
クレアはアマンダがまだ頭に乗せていたお面を手に取り、仲間達に背を向けた。そして異教徒の代表者が自分に向けて最後に残したメッセージを一人反芻する。助けて、とは一言も言われなかった。
(私達が持ち帰ってしまった聖杖をお返しします。どうかお元気で)
マリアからの伝言は、たったこれだけだった。
「聖女、様……?」
少女は自分を抱きしめるマリアを見上げた。投石を頭に受けて流れ出したマリアの血が、少女の顔にポタポタと垂れる。
「まあ! 申し訳ありません! イエローさんから絞り出した血で今すぐお怪我を治して差し上げますわね」
「いいえ、結構です。偽善者の施しは必要ありません」
駆け寄ろうとしたゼノフィリアの足がピタリと止まった。
「この子の言う通り、平和主義者を自称しながらも理由を用いて暴力を正当化するあなたは偽善者です。どうぞ私を殺して、ご自分が偽善者であると証明しなさい」
「ふふ、ふふふふふ。お優しいこと。わたくし、やはりあなたが好きですわ」
挑発されたにも関わらず、ゼノフィリアは逆に上機嫌になった。彼女は血液を圧縮して一本の槍を作り上げる。
「この子を庇う為に怒りの矛先をご自分に向けようとされておりますのね、ご立派ですわ。あなたを殺したくはありませんが……こう見えてわたくし、空気は読める方ですの。殉教者になられることをお望みならば、叶えて差し上げます。せっかくですから、教祖様お一人の命と引き換えに他の教徒達の身の安全も保証いたしますわ」
「……それはお優しいこと、ですね」
マリアは少女を抱き止めていた腕を離すと、ふらつきながらもゼノフィリアに向き直った。頭から流れる血が白い修道服に赤く滲む。
(お父さん。私は、頑張りましたよね……)
彼女には満足感があった。
半ば諦めかけていた奇跡が起きて長年の夢が叶っただけでなく、聖杖を狙う者達が勝手に潰し合ってくれた間に、こんな血生臭い殺し合いの世界からあの方を逃がせた。この時間稼ぎも多少は役に立てただろう。犠牲になった父や信者達にも、これでようやく顔向けができる。
「やだ……聖女様、やだぁ!」
マリアが納得し死を受け入れたにも関わらず、庇った少女がマリアの前に飛び出してきた。半泣きで聖杖のレプリカを構え、「トリック・バイ・トリート! トリック・バイ・トリート!」何の役にも立たない呪文を繰り返し唱える。
「は……?」
これにはマリアだけでなくゼノフィリア達も予想外だった。しばらく呆気に取られていたが「……ふ、ふふふ」やがてゼノフィリアは口元を隠して笑い始めた。
「……ふ、ふふふ、うふふふふふ」「ふふふふ」「ふふ」「ふふふふふ」「ふふっ」「ふふふふふ……!」「ふふふふふ!」
嘲笑は全方位を取り囲む他の個体にも次々と伝播し、大合唱となって降り注ぐ。彼女達の目には、泣きながら奇跡に縋る惨めで哀れな少女が写っていた。
「ふっ、ふふふ……! 無様を通り越して滑稽ですわ。まさか命乞いでも神への祈りでもなく、魔法の呪文に縋るなんて……! ふふっ、流石に予想外ですわ。ねえ、偽物の杖を持つ、偽物のイノセント様? その呪文で、ふふふ……いったいどのような偽物の奇跡を起こされるおつもりですの? ああ、いけませんわ。今日は心を鬼にすると決めましたのに、そんな健気で愛おしい反抗をされるなんて……! わたくし、わざと負けて差し上げたくなってしまいます……ふふっ」
ゼノフィリアの笑顔は、心からの喜びと溢れんばかりの善意に輝いていた。
「トリック・バイ・トリート……! トリック・バイ・トリート……!」
「ですが……ふふ、世の中は子供のヒーローごっこに付き合ってあげる優しい人ばかりではないと教えて差し上げるのもまた教育。心苦しいですが、悪の目は幼いうちに矯正しなくてはなりませんわね」
ゼノフィリアが血の槍を高々と掲げた。脈打つ槍の穂先が彼女の血液を吸い上げ、ボコボコと泡立ちながら歪な巨大化を遂げる。その大きさは家一軒をゆうに超え、その色と質感は少女が投げた石と同質に変化していた。ゼノフィリアが槍を傾ける。
「教育その一、石を投げられた人の痛みを知りましょう、ですわ」
巨石が降る。嫌になる程のスローモーションで少女に迫る。ゼノフィリアは彼女達を一思いに潰したりはせず、落下速度を緩めて彼女達に反省の時間を与えていた。少女達の後方では秘密の抜け道を発見したゼノフィリア達がアマンダの家に群がっていく。
「わあああああああ! トリック・バイ・トリート! トリック・バイ・トリート! トリック・バイ・トリート!」
半狂乱となり無意味な呪文を繰り返し唱える少女。彼女の背後ではマリアが必死の懇願を叫んでいるが、ゼノフィリアはにこやかに微笑むばかりで聞き届ける様子は無い。巨石は彼女達を挽き肉に変えるべく覆い被さり、恐怖に抗えずに少女が目を閉じた。震える少女の世界が暗闇に閉ざされると、絶望と諦めが岩よりも先に少女を押し潰した。
「トリック・バイ・トリートッ、トリック・バイ・トリートッ、トリック……バイ………………」
「トリート」
誰かの唇が魔法の呪文の続きを紡いだ。
光が満ちる。風が吹き荒れる。大気が震える。毛むくじゃらの巨大な拳が少女の背後から飛び出してすぐ側を通過し、巨石を木っ端微塵に打ち砕く。熱く大きく優しい獣の手が少女とマリアを抱き寄せ、降り注ぐ岩の破片から二人を庇った。少女が毛深い腕の持ち主を見上げる。少女達を庇った者は、実物そっくりに描かれたクレヨン製のゴリラだった。
「クレヨンの、ゴリラ……」
ゴリラはマッシブかつ身長は5mを軽く超えており、心なしかダンディな顔付きをしている。彼は少女の視線に気付くと格好つけて人参を葉巻のように咥え、口角を僅かに上げて不敵な笑みをニッと作った。そしてその巨大な手に少女とマリアを乗せて、二人を胸の高さに持ち上げる。さらに彼が腰を捻ると、それまで彼の巨体で隠されていた少女の視界が開けた。
白い、光の柱が立ち昇っている。
抜け道へ押し寄せたゼノフィリア達は悲鳴一つ残せず焼き尽くされていた。光の柱は血肉の天蓋を貫いて天へと昇り、波紋状に広がる神々しい光輪が空の怪物を焼き払って、人々の頭上に星空を取り戻していく。
そこに、彼女は居た。
「ごめんね、遅くなっちゃって。昔からよく遅刻しちゃうの、私」
マリアの耳は懐かしきその声を確かに聞いた。声によって他者を識別する彼女が聞き間違えるはずもない。あの頃から少しだけ大人びた、あの人の声だった。
「カッコ良かったよ。私の代わりに戦ってくれてありがとう、勇敢な魔法少女さん達」
「ああ……! あなたは、あなたは……!」
とうの昔に用を為さなくなったマリアの両目から涙が溢れた。彼女は何かを言おうとしたが、張り裂けんばかりの感動で胸が詰まり唇が震えて言葉にならない。せめて精一杯の感謝を伝えるべく、彼女は涙が流れるままに祈りを捧げた。
「おい、あれ……」「ああ……」「奇跡だわ……信じられない……」「あっ!? あの方は!」「しーっ! 静かにして!」「ごめんよ……パパは……ママになっちゃった……」「やったー!」
その光景を目の当たりにした信者達にも変化が起こった。三陣営の戦闘に巻き込まれて散々に痛め付けられていた彼らが活気を取り戻し、誰ともなく次々と立ち上がる。ある者は負傷者に肩を貸し、ある者は視力を奪われた者に希望を伝え、ある者は投げ捨てられた楽器を手に取った。聖歌隊メンバーが互いの顔を見合わせて頷く。一方でゼノフィリアは空気を読んで様子を見ていた。
「あとは私に任せて! パパーッとやっつけちゃうから!」
聖歌隊が歌い始めた主題歌をバックに、彼女はクルクルと回した魔法クレヨンをパシッと手に取って勇ましいポーズを決めた。どこからか放たれた七色の光が、ライブ会場めいて彼女を照らす。
「マジカル☆ラディカル☆フェスティバル! 一夜限りのリバイバル! 夢と正義の魔法少女、イノセント仮面! 黒歴史を力に変えて、ただいま復活!」
お面の下からパチコーン⭐︎とウインクが飛んだ。
「みんなをハッピーにする幸せの魔法、見せてあげるね!」
致命的に痛いツインテール。見栄を張って盛った胸。サイズが合わずピチピチになってしまったコスチューム。背中に生やしたクレヨンの翼。この期に及んで正体を隠す為に被った美少女のお面。ヤケクソ気味のテンション。少女を自称するには厳しい年齢と高身長。
セルフ尊厳破壊によって、クレア・ディスモーメントの人として大切な何かは木っ端微塵にブッ壊れてしまった。
第9話……【復活! 伝説の魔法少女!】
捨てたはずの過去が呼んでいる。
私はお前、お前は私。自分からは決して逃げられない。
へばりつく影が吠える。鏡写しの獣が囁く。
人間の真似事なんてもうやめろ。
強者に不純物は不要、力こそ全てだ。
キャラを捨て、尊厳を捨て、知性さえ捨てて強くなれ!
再放送の時間だ、魔法少女イノセント!
次回、【決勝! 銀河ぶっ飛び変人決定戦! この世で一番イカれたヤツは誰だ!】
ぶっちぎるぜ!