第6話。私の生命線
マリアの必死な叫びが通じたのか、信者達は悲鳴を上げて一斉に逃げ始めた。すでに日が暮れた薄暗がりの中、彼らは篝火が導く下山道を目指して押し寄せていく。
「テメェら! …………やがれ!」
レッドが何かを怒鳴っていたが、喧騒に飲まれて聞こえない。その隣で拘束されているマリアもまだ何かを必死に叫んでいる。こちらもよく聞き取れないが、おそらくは逃げろとまだ叫び続けているのだろう。
「脳ミソに…………をブチ込…………か!」
再びレッドが何かを怒鳴りながら、マリアの顔面に拳を叩き込んだ。……こんな邪教の幹部がどうなろうと関係無いし、わざわざ見ていたいものではない。私もミサキと共に信者に紛れて逃げなくては。
「クレア様……」
しかし問題が発生した。ミサキが申し訳なさそうな顔で私を見上げてくる。
「おい!?」
ミサキはこんな時だというのに、食べ物をくれただけの老婆に肩を貸していた。しかもアマンダさんまでその隣でオタオタしている。
馬鹿なのか!? そんな連中なんか放っておけ! 人を助ける資格があるのは、自分が助かる保証がある人間だけだろ!? 人狼の森やゾンビの時に何も学ばなかったのか!?
「クソッ!」
だが今はミサキと揉める時間さえ惜しい。すでに信者達はどんどん逃げ出しており、ステージ前には私達だけが取り残されている。私はミサキの反対側に回り、老婆に肩を貸した。軽いな……。チクショウ!
「ごめんなさいねえ。ワシのせいで、あんたらみたいな若い子が……」
本当にな! 後で私にもモチョモチョ焼き奢れよ!
「ハッハァ! そんな老い先短えババアを助けて残るたぁ、少しは骨のあるバカが居るじゃねえか!」
しかし早くもレッドに目を付けられてしまった。野蛮で暴力的な奴がゴキゲンそうに肩をいからせて、ノシノシとこっちに向かってくる。
クソッ、どうする! どうすれば見逃してもらえる! この手のタイプへの正解は何だ……!
「クレア様、おばあちゃんをお願いします」
焦り迷う私に比べ、ミサキの判断は一瞬だった。ミサキは私に老婆を預けると、「あっ、あのっ!」ニヤニヤと不快に笑うレッドの足元に素早く跪いた。
「魔女狩り部隊が来るって本当ですか!? お願いします! 助けて下さい魔法少女様!」
そうか! 連中の建前に乗っかるのか! 魔女狩り部隊と潰し合わせるには最適解だ! さすが私の生命線!
「ハッハァー! 立場をわきまえてる奴は嫌いじゃねえぜぇー! だがよぉ〜? 俺様にお願いするにしちゃあ、ちょーっと頭が高えんじゃねえかぁ?」
レッドが足を上げてミサキの頭を軽く踏んだ。
「失礼しました、魔法少女様。どうかご無礼をお許し下さい……」
ミサキは僅かに声を震わせながら、踏み付けられるまま徐々に頭を下げて土下座した。ミサキの顔が完全に地面につく。レッドは満足そうにグリグリとミサキの頭を足で踏みにじった。ミサキは顔を土に押し付けられながらも、健気に黙って耐えていた。
怒りで頭が茹で上がりそうだ。ミサキは奴隷だった。売れ残っていた。ミサキがどれだけ辛い思いをしてきたか知っているのかお前は。今でも夜中に時々うなされるんだぞ。ミサキはお前のような奴が踏んでいい奴じゃない。こんな状況で見ず知らずの他人を助けようとするような奴なんだぞ。私みたいな偽善者とは違う、本物の善人なんだ。
それを、踏んだな。
「ハッ! そこまでお願いされちゃあ仕方ねぇなぁ! 魔法少女教団の! リョナレッド様が! 可愛い信者達の為に魔女狩り部隊をブッ殺してやる! これでいいんだよなぁ、ブルー!」
「ええ、プラン通りです。彼らには証人になってもらわなくてはなりませんので、優先的に保護して下さい」
「こいつらを守ってやんのは構わねえけどよぉ」
レッドが私を見た。睨み返してやりたかったが、私はミサキの努力を無駄にしない為にもすぐに目を伏せた。
「この女が気に食わねえ目をしてやがる」
次は私の番か、上等だ。ミサキだけにあんな思いはさせない。私だって何でもやってやる。素っ裸で靴でも舐めてやろうか。
「レッド、時間がありません。魔女狩り部隊との交戦に備えて下さい」
「数合わせの雑魚は隅っこでビビってろ。こういう女を這いつくばらせてギャン泣きさせんの……が……」
「どうしましたレッド……レッド!?」
「ヒッ!?」
異変を感じて目線を上げると、レッドの胸から異物が生えていた。血に濡れた刃が。
彼女の背後には黒い影が揺らめく。見ようとしても焦点が合わず、常にボヤけ続けて距離感が全く掴めない。レッドの膝がガクガクと震えた。
「一度だけ言う」
レッドの胸を貫く刃がゴリリと半回転して引き抜かれた。噴水じみた勢いでその胸から鮮血が噴き出す。力無くレッドが倒れ伏し、その背中からは人体の保有量を遥かに超える大量の血液が噴き出して赤い雨が降った。この声は……ナインか!
「お姉さまに触れるな」
極寒の殺意が吹き荒れた。あまりの寒さに四肢がこわばり歯がカタカタと震える。吹雪の幻覚すら見えるようだ。「ヒィーッ!?」アマンダさんが腰を抜かして倒れた。
以前ナインは『殺しに関しては自信がある』と言っていたが、それが如何に謙虚な発言だったかを実感する。普段の変態行動で忘れていたが、これがナインの本性だった。いや違う、本性は残念変態ストーカーだから、こっちはええと、ええと……何だろ!?
「よりにもよってレッドの心臓を……!」「どっ、どーすんのブルー!? こっちの主力がいきなり死んじゃったわよ!?」「あらまあ、困りましたわね」「ブルー! レッドの蘇生を試みて下さい!」「ブルーは君だよ!? ボクはイエロー!」「わたくしからもお願いしますわ。レッドさんを助けてあげて下さいまし」
目に見えて動揺する変態戦隊。威張り散らしていただけあって、奴らの中でもレッドは実力者だったらしい。最初に負けた奴が四天王最弱じゃないパターンもあるもんだな……。
「お姉さま、今のうちにお逃げ下さい」
しかし、これで変態戦隊とは完全に敵対してしまった。エメスの時のように片方を味方にして潰し合わせる作戦はもう無理だ。ミサキの努力は無駄になって、両方に狙われる立場になってしまった。
「助かった! ありがとう!」
だがそれとこれとは別問題だ。私達を守ってくれたナインの善意を間違いにしてはならない。……ちょっとスッキリしたしな!
「ミサキ! アマンダさんを!」
「はい!」
私とミサキは老婆とアマンダさんを連れて逃げ出した。私達の後ろにはナインが立って変態戦隊を牽制してくれている。
「ねえどうすんのブルー!」「……作戦を継続します。レッドの死によって作戦の成功率が60%にまで低下しましたが、まだ許容範囲内です」「死なないでレッド君! ボクが絶対助けるから!」「背後から心臓を一突きなんて恐ろしいですわね。わたくしではとても敵いませんわ。今のは何者でしたの?」「ん……はぁ……んちゅっ……」「魔女狩り部隊の動きじゃなかったわよ! こんなの聞いてないんだけど!?」「幹部より姉の護衛を優先した言動から察するに……」
突如、眩い光が私達を照らし出した。光源は信者達が向かった下山道の方角だ。我先にと逃げ出していた信者達の悲鳴がここまで聞こえてきた。
「お姉さま、新手です」
眩しさを堪えて目を細めながら確認してみると、銀色に光り輝く巨大な十字架が天に向かって荘厳にそびえ立っていた。その根本で威光に晒され右往左往する異教徒達が妙に小さく哀れに見える。
もう魔女狩り部隊の魔法使いが動いたのか!? くそっ、いくら何でも状況の変化が早すぎる!
「ふぉっふぉっふぉっ、急くな急くな。夜中に大勢で走り回っては転んで怪我するぞい」
老人特有のしわがれ声。それでいて信者達の喧騒をものともせずにねじ伏せ、穏やかな口調でありながら大音量で山々に響き渡る。
「そう怯えずともよい。儂らは少しばかり話を聞きたいだけじゃて。神に誓って他には何もしやせんとも。じゃから、おとなしく全員その場に座ってはくれんかのう」
老人はまるで子供に優しく語りかけるような声色で投降を促している。だが欺瞞だ。こいつらが異端を見逃がすはずが無い。従えば片っ端から火炙りにされるだろう。
そして信者達が従った場合、必然的に私達が目立ってしまう。ナインは奇襲特化だから強いのであって、死を恐れぬ魔女狩り部隊から私達を守り切るのは不可能だ……! どうする、どうする……っ!
「みんな逃げろーっ! 異端狩りだーっ! マリア様のお言葉を忘れるなーっ! 逃げろ! 逃げろーっ!」
私の焦りをよそに、信者の一人が声を張り上げた。この声は祭りで何度か見かけた子連れの父親だ。
「そうだ逃げろーっ!」「従えば誰も助からないぞーっ!」「逃げろーっ!」「異端狩りだーっ!」「マリア様にだけ従えーっ!」「バラバラに逃げろーっ!」
必死の叫びが連鎖する。信者達は蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。こちらに戻ってくる者や、村の中に逃げ込んで行く者もかなり多い。
助かった……。これなら私達も信者に紛れて逃げ切れる目がある。
「プランが決定しました。魔女狩り部隊から逃れるのは不可能です。よって、信者達に紛れて魔女狩り部隊と交戦、敵戦力を無力化した後に離脱します」「ん……はぁ……んんっ……」「グリーンは引き続き幹部と聖杖の確保をお願いします」「お任せ下さいまし」「ぷはぁっ……ねえ、誰かボクを罵ってくれないかな? もっと興奮しないとレッド君を助けられないかも……」「気持ち悪いから嫌」「んんっ……!」「そのまま死んで下さいまし」「あんっ……!」「ともかくピンクは信者を数人ほど洗脳して手駒にして下さい。敵魔法使いの能力を暴く捨て駒にします」「分かったわ」
こいつら人の命を何だと思って……!
……いや、私も人の事は言えない。信者達の犠牲を利用して逃げようとしているから連中の同類だ。それに変態戦隊が暴れてくれれば、その分だけ逃げるチャンスが生まれる。
「でもそれで大丈夫なの? あいつらすぐ逃げちゃうわよ?」
「前述の通り、逃走は不可能です。彼らはこの狩り場の中を右往左往するしかありません」
真昼かと錯覚するほど強烈な光が浴びせられた。先程とは比べ物にならない光量だ。あの巨大十字架が周囲一帯を山ごと取り囲むように何十本と乱立し、過剰な光で容赦無く私達を貫いている。
「おお、おお、なんと嘆かわしや……。話を聞くだけと言うておるのに逃げ出すとは、さぞや後ろめたい罪があるのじゃろうなぁ……。じゃが、罪を抱えて生きるのは辛かろうて」
経験上、老人の魔法使いは強い。肉体は衰えていても、先生と同じ時代を生き延びているだけはあった。今回もすでに変態戦隊とは役者の違いを感じる。やはり魔女狩り部隊が最大の難関か……!
「なればこそ、この儂がお主らの罪を清算してやろう。礼は不要ぞ。罪人も異端も等しく救うが儂らのお役目。お主らが極楽に行けるよう、共に祈ろうぞ」
どうする。武器は無い。魔法クレヨンも奪われた。逃げ道も無く、足手まといを二人も抱えている。
「一人たりとも逃がすでないぞ。殺生も厳禁じゃ。如何な異端とて、公正な裁きを受ける権利はある。片っ端から捕らえて両足をへし折れぃ」
両陣営に魔法使いがおり、どちらとも敵対。こちらの唯一にして最大の戦力はナインだが、両勢力と戦うにはあまりにも……。
「お姉さま、私にお任せ下さい。指揮官を殺して敵を引き付けます。その隙に離脱を」
私の焦りを察したのか、ナインが作戦を提案してきた。
だが魔女狩り部隊の隊長格がホルローグを襲撃した金ピカと同格だとすると、流石にナインでも力不足だ。
「勝算は」
「問題ありません」
「黒だな。それくらい私にも分かる。私は私の為に死ぬ奴が一番嫌いだ」
「申し訳ありません……」
魔法使いには常識が通じない。首を切り落としても殺せるとは限らない。いくら優れた暗殺者でも相性が悪い。それは本人も分かっているのだろう。しかし他に打つ手があるかと言われると……。
「クレア様、こっちです! 私に着いてきて下さい!」
振り向いてみると、アマンダさんを支えながらもミサキは迷いの無い目で私をじっと見つめていた。敵に聞かれては困る話があるのだろう。ミサキはそれ以上もう何も言わない。
だがそれで十分だ。
「分かった、急ごう! 婆さんは私の背中へ!」
ミサキの判断なら命を預けられる。
なにせ今まで何度も助けられてきた……私の生命線だからな!