第2話。PTSD
魔法少女イノセントは死によって神格化されたと考えられる。
生きているならばいくらでも評判を落とし辱める事も出来ただろうが、死んでしまえばそれも困難である。逆に生前の逸話は面白おかしく誇張され、噂話には尾ひれがついて雪だるま式にエピソードが付け足されていき、やがては伝説へと昇華される。
ましてやイノセントは魅力的な謎に満ちている。彼女の生い立ちは何一つ明らかになっておらず、遺体さえ見つかっていないとなれば話は盛り放題だ。
その上イノセントは最悪のテロリストであると同時に、魔法使いや特権階級による支配構造を破壊した英雄的側面も持ち合わせている。それまで虐げられていた社会的弱者にとっては天の遣いにも感じただろう。宗教団体の誕生は起こるべくして起こった必然なのかもしれない。
魔法少女イノセント。
彼女は今や伝説となり、弱者の神として崇拝されている。
「いいかい、辛い事や嫌な事を思い出して苦しくなった時はね、大きな声で元気よくこの聖言を唱えるんだよ。マジカル! コミカル! クリティカル! ってね。ささ、恥ずかしがらずにやってごらん。こうやって目元にピースサインを作って笑顔でやるんだよ。中途半端が一番恥ずかしいからね」
「ピーじで……マジか……る、ゴミ、が……! ピギャアアアアアアアアアアア!!」
白目を剥いて悶絶するクレアさんの奇声が村中に響く。
間違いない。PTSDの症状だ。事故や戦争など悲惨な経験を得て心に傷を負ってしまった者は、日常に戻った後も癒えない心の傷に長く苦しみ続ける。
クレアさんもその一人なのだろう。彼女を冒険者なのではないかと一度は疑ったが、あの苦しみ様はとても演技とは思えない。疑いの余地なく病人だ。か弱い女性が苦しみ悶える姿は心地良いものではない。どのような形であれ、彼女に救いがもたらされる事を切実に願う。
「いいよいいよ、好きなだけ叫びなさいな。あんたを迷惑だなんて誰も思わないから、思いっきり叫んで嫌な気持ちを全部出しちまいな」
卵と牛乳だけの質素な朝食が終わり、アマンダさんの家で懸命なカウンセリングが始まっていた。先程まで他の信者達も入れ替わり立ち替わりクレアさんを心配そうに見守っていたが、仕事の時間が来た為にそれぞれ農作業や最寄りの鉱山へ出稼ぎに行っている。
クレアさんの症状を見るに会話は不可能なので、私はミサキさんにインタビューを試みる事にした。
《Q》突然すみません。魔法少女教団の取材を行っている者です。差し支えがなければ、あなたがこの村を訪ねた理由をお聞かせ下さい。
「えーっと、実は私は入団するつもりは無いんです。教団の方に勧誘を受けたクレア様の付き添いで来ました」
《Q》ミサキさんとクレアさんはどのような関係なのでしょうか。
「私達はアルデンヴェインで農業をしていました。クレア様が雇用主で私は従業員です」
《Q》アルデンヴェインから来たという事は、やはり【パレード】と関係があるのでしょうか。
「はい。クレア様は【パレード】が通過すると聞いて農園を売り払い、他の土地でやり直す事にしたのですが、その……悪い人に騙されてしまって……」
困ったように微笑みながら言葉を濁すミサキさん。
可能なら詳しく聞きたかったが、いくら何でも少女の口からクレアさんの身に何があったのかを具体的に聞くのは憚られる。全財産を騙し取られた上に強姦までされた女性の話を聞きたがるなど、私の品性に関わる問題だ。
それにアルデンヴェインでも魔法少女教団の強引な勧誘活動が行われていた事実は確認出来ている。今のところ不審な点は無い。十代半ばの少女が実は冒険者で、病人を利用して宗教団体に潜入しているなど……さすがに妄想が過ぎる。彼女もシロだろう。
それにしても、もっと多くの冒険者が私のように潜入していると予想していたのだが、どうやら新参者は私と彼女達の三人だけらしい。候補地では最も治安が良く支配体制も緩いこの国が本命だと睨んだのだが、私以外に潜入者が居ないとなれば少しばかり不安になる。
「ところで取材って何ですか?」
《A》私はいわゆる異教徒と呼ばれる方々に興味がありまして、彼らがどんな活動を行っているのかを実際に見せてもらっています。
「でもそれって、怪しまれないですか? 教会に通報するつもりなんじゃないか、って」
《A》たしかに最初は通報が目的なのではと怪しまれました。しかし現地への出入りは目隠しした状態で教徒の方に案内してもらい、私が書いたメモにも目を通してもらうという条件で信用を頂いています。
そう、私は無理に怪しい動きをする必要は無い。こうして取材ごっこをして時間を潰しながら本命の到着を待てばいい。後は私が合図を送れば、外の仲間が本国に鳥を飛ばしてくれる手筈となっている。
それにしても気になるのはディーン国の軍事侵攻だ。このタイミングで事を起こしたのは偶然だろうか。例の情報を手に入れた者が私達だけとは考えられない以上、最悪の可能性を考慮して本国に連絡を送る必要がある。
午前中、アマンダさんは魔法少女教団の教義をクレアさんに懸命に教えようとしていたが、事あるごとにクレアさんが発症するので、講義は難航したまま昼食の時間になってしまった。昼食は妙に薄く平べったい焼いたパンだ。
私にはやや物足りないが、無料で提供してくれている食べ物に対して文句を言えるほど厚かましくはない。
「日々の恵みをイノセント様に感謝して……トリック・バイ・トリート」
「トリック・バイ・トリート!」
「うー……あー……」
教団特有の掛け声を元気よく返すミサキさんとは対照的に、クレアさんは亡者のようにモソモソと食事を始めてしまった。
「あら偉いじゃないあんた! 食事は生きる意思の源だからね! その調子でたくさん食べな! おばちゃんの分も食べていいからね!」
アマンダさんはクレアさんの良い所を探して力押しで褒めている。悩める信者を導く指導者というよりも、やはりお節介な親戚のおばちゃんにしか見えない。
そういえば彼らの話によれば、魔法少女教団には明確な上下関係は無いらしい。
以前の教団はもっと規模が大きく大々的な組織的活動を各国で行っていたのだが、教祖を始めとした幹部勢が魔女狩り部隊によって一年前に処刑された為、現在まで組織体制の再編成が進んでいないようだ。
散り散りになって逃げた有象無象の教徒達が各地で寄り集まって宗教団体ごっこをしている、というのが歯に衣着せぬ実態だろう。
この村に教会や礼拝堂といった宗教的な施設は無い。丸太を組んで建てた似たり寄ったりの民家があるだけで、イノセントの像や聖書といった象徴的な物品も見当たらなかった。
おそらくは教会の異端狩りを警戒して、証拠物品を持たないようにしているのだろう。賢いことだ。
「人間、何にもしてないと嫌な事ばっかり考えるからね! 無理やりでも頭と体を動かすんだよ!」
先ほどからお邪魔しているアマンダさんの家は、他以上に質素な作りだ。家具もほぼ無ければ部屋も一室のみ。さらにはまるで人を避けるように近隣の民家とは離れており、一人暮らしを前提とした広さになっている。彼女の年齢で家族が居ないのは……いや、深くは聞くまい。この村に住んでいる信者達は、外の社会に溶け込めているライトな信者層と違って様々な理由を抱えている。
「はい、これが今日のお仕事だからね! おばちゃんと一緒に裁縫するよ! おばちゃんと同じように手を動かせば簡単だからね!」
アマンダさんは断裁済みの白い布生地をテーブルの上に並べた。どうやらやり方を変えて、午後からは彼女達にも例の裁縫をやらせるようだ。ある儀式に必要な量が残り十数着で何とか間に合いそうだと聞いたので、やはり数日中に本命はここに到着するに違いない。
「裁縫……はい……それなら……」
皆が心配そうに見守る中、クレアさんは意外なほど器用に裁縫をこなしていた。真っ白い生地を滑るように針と糸がスルスルと潜り抜けていく。
「あらやだ! 心配してたけど、あなた上手じゃないの! きっと良い奥さんになるよ!」
アマンダさんも嬉しそうだ。
「はあ……どうも……」
相変わらずクレアさんは浮かない顔だが、そこはかとなく嬉しそうに見える。私は彼女を不憫に思った。せめて顔に傷が無く人並みの胸さえあれば、過去を忘れて幸せになる道もあっただろうに。
「ええと……うんと……」
一方でミサキさんは悪戦苦闘していた。
「あんたは……うん、最初は誰でもこんなもんさね!」
「すみません……せっかくの生地を台無しにしちゃうかもしれません……」
「いいのいいの! そんな高いものじゃないから、練習だと思いなさいな!」
ミサキさんはお世辞にも上手とは言い難いが、伸びしろがあるのは良い事だ。
「んしょ……んしょ……」
「ん……んん……?」
二人はアマンダさんに褒められながら手を動かしていたが、完成に近付くにつれてクレアさんが段々と怪訝な表情を見せるようになってきた。
「すみません、今作ってるこの服って……?」
「あれ、言ってなかったかい?」
アマンダさんはタンスの中に仕舞っていた完成品を取り出して、二人の目の前で広げた。
「イノセント様の聖衣を模した特別な服だよ」
かつてイノセントが纏っていたと言われる、無垢なる輝きを放つ純白のドレス……を低予算で再現してみましたというコンセプトを感じる服だった。
しかし生地は安っぽくとも丁寧に作られているのは見て分かる。実物を見ていない私がクオリティに言及するのは失礼な話だったか。
「祭りの日には男女関係無く全員でこれを着て、歌ったり踊ったりするのさ」
男もこれを着るのか……まさか私も?
想像していた邪教の儀式とは何か違うが、男がこれを着て踊るなど非常に邪悪で冒涜的な行為だ。30歳以上の女性が着るのも同罪、いや、20代でもキツいものがある……。
「き、る? うた、う?」
「そうさ。イノセント様の活躍を讃える演劇もやるんだよ。国内に散らばる信者だけじゃなくて、他の国からも熱心な信者がたくさん集まってくるだろうねぇ」
ブスリ。クレアさんの針が彼女自身の指を貫いた。私とミサキさんが同時にギョッとする。赤い雫が針を伝い、白い生地にジワジワと滲んだ。
「あたしも子供の頃はねぇ、おとぎ話に出てくる魔法少女に憧れて魔法少女ごっこをしてたもんだよ。自分だけの必殺技を考えたり、悪い敵の設定を考えてみたり、世界一可愛いコスチュームを描いてみたりしてねぇ。それがまさか本当に実在するなんてねぇ」
「ホンギャラバンピャアアアアアアア!」
クレアさんが白目を剥いて発作を起こした。指よりも心の方が痛いのだろうか。
「なんかおばちゃん分かってきたよ。さてはあんたも子供の頃に魔法少女ごっこしてたね?」
「ピイッ!?」
クレアさんがビクンと痙攣した。
「それをからかわれたり馬鹿にされたりしたんだろ? だからイノセント様の話を聞くとそれを思い出しちまうんだろう?」
「ユピピーッ!」
現在進行形でからかわれている気がするが、アマンダさん自身も魔法少女を信仰しているので悪意は無いのだろう。
「でもね、どこの誰に馬鹿にされたとしても恥ずかしがる必要なんて無いんだよ。それがあんたの一番純粋な夢なんだからね」
「ウウー……!」
「クレア様、ステイッステイッ」
唸っている……。クレアさんはついに人語を忘れてしまったようだ……。
「それにね、実在したんだよ魔法少女は。イノセント様は戦いに疲れてお休みになられているけどね、いずれ第二第三の魔法少女が現れてくれるに決まっているじゃないか。だからそれを見つけるために聖女様が聖杖を持って来てくれるんだよ。もしかしたら、あんたがイノセント様の後を継げるかもしれないねぇ」
出たな【聖杖】。正式名称は不明であり、魔法少女イノセントが残したと言われる三つの遺品の一つ。教会が回収した【聖衣】や所在不明の【聖槌】と並ぶ魔導兵器。教団幹部が魔女狩り部隊の拷問を受けてなおも隠し抜いた、魔法少女教団のシンボル。
それを持つ異教の巫女がここに来る。
魔法少女イノセントの力を継ぐ、次世代の魔法少女を探す為に。