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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【悪の侵蝕者が完全勝利する話】
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最終話。プロメテウスの宴

 神話では、始まりの男女は誘惑の蛇に唆されて世界樹に登り知恵の実を食べた。それによって善悪の知識を得てしまった為に楽園を追放されたと語られている。


 では、善悪の区別が付かない社会こそが楽園なのか?


(お腹いっぱい食べて食べて、いつか誰かに食べられること。それが生き物の最高の幸せなんでちゅよ)


 ラブリー・キッチンの言葉を思い出す。あの時はイカれた殺人鬼の妄言だと思ったが、意外と的を得た発言だったのかもしれない。


 善悪の区別が付かない社会とは、すなわち彼の言う獣の社会だ。本能のままに襲い喰らい、犯し、自由気ままに生きて死に、他者の糧となる。しかしこれは神が全ての生物に許した行為なので悪ではない。


 ではこの場合の悪とは何か。

 それは神の定めたルールに背く行為だ。


 つまり、襲わない、強姦しない、規則に縛られた人生を送り、死後は誰の糧にもならない。獣の社会とは正反対を征く人類社会そのものだ。


 だが人類社会の根幹には、疑いようのない他者への思い遣りが有る。『可哀想だから喰わない』『相手が嫌がるから犯さない』『他者に迷惑をかけないように規則を守る』『獣に喰われる辱めから死者の尊厳を守る為に埋葬する』など、どれもこれも他者へ寄り添う心から生まれた、人類社会では『人の善』とされているものだ。獣の社会を理想とする『神の善』とは真っ向から対立する。


 こうなってしまった理由は、知恵の実が『自分で善悪を決められるようになる』知恵を与える実だったからだろう。

 神が定めた善悪の判別が出来るようになるわけではなく、善悪の基準そのものを自分の意思で決められるようになる禁断の実だ。実を口にする前から善悪の区別そのものが出来ていなければ、『知恵の実を食べてはいけない』という認識を持てるはずがない。


 だからこそ、それを食べてしまった始まりの男女は神の定めた善悪に異議を唱えて楽園を追い出されたのだろう。最初の反抗は服を着た事だったか。馬鹿で間抜けなご先祖様だ。嫌いじゃない。


 そして、自他の善悪を識った上でなお『悪』を選ぶ。これこそが『悪意』であり、誘惑の蛇から始まりの男女に感染した原初の情報災害だ。知恵の実を口にした結果ではなく、知恵の実を食べるなという神の命令に背いて『悪』を為す『意思』を持った時点ですでに手遅れだった。人類の歴史は、悪意の発症から始まっていた。


 私がワールドリウムに解き放った罪業の火は、今この瞬間も異常な速度で燃え広がっている。


 悪意に感染した彼らの世界は今後どうなるだろう。

 その炎で全てを焼き尽くす滅亡の宴へ向かうか。別の異次元に攻め込んで悪意をさらに感染拡大させるか。多大な犠牲の果てに悪意を克服して元の平和な社会を取り戻せるか。

 ……神ですら人類から悪意を切除できなかったのだから、そう簡単にはいかないだろう。


 ただいずれにしても、ワールドリウムから距離を置いた私からでは観測しようが無い。消化不良だが、心配するだけ無駄だと割り切ろう。少なくとも、こんな危険な世界とは手を切ってくれると信じたいものだ。






「ふぅーん、面白いねぇ。あの三人は自分が悪い事をしているなんて思ってないから、悪意の感染源はどうしてもクレアっちになるわけだねぇ。クレアっちは誘惑の蛇の正体って知ってる? あっちの世界の千年後にはクレアっちも悪魔扱いされているかもねぇ」


 酒場で円形テーブル席に通された後、店員待ちの手持ち無沙汰にそんな話をしていたら、隣のピュアルンに愉快そうに笑われた。


「訂正しなさい。お姉さまは悪魔ではなく大天使です」


 ピュアルンの背後を取り、その頬を短剣の腹でペチペチと叩くナイン。悪魔でも天使でもなく、普通の人間なんだけど私……。


「大天使なら結局誘惑の蛇じゃん。それとも異端神話に出てくる、人類に火と戦争をもたらした巨人族の神かなぁ?」


 ピュアルンは今ではすっかりナインの脅迫に慣れてしまい、刃物を突き付けられた程度では動じなくなった。でもその短剣ってたしか毒塗ってあるから気を付けろよ。


「おいクレア、何でも食べていいのか?」


「もちろんだ。祝勝会……にはまだ気が早いが、仕事に一区切りがついたお祝いだからな。メニューはミサキに読んでもらってくれ」


「私も知らないお料理がたくさんありますから、どんなお料理なのか一緒に店員さんに聞いてみましょうか。ねっ、ハスキちゃん」


 ミサキがにこやかに話しかけると、ハスキは俯いて顔を赤らめた。


「う……うん。ミ、サキ…………ちゃ…………」


 あれ!? 知らない間になんか二人のイベントが進んでる!?


「おーい、店員のオネーチャン! とりあえずこっちに生三つと、オレンジジュースを五人分頼むぜー!」


「はーい! ただいまー!」


「あ、おい、勝手に決めるな。私は飲まないぞ」


 あの【パレード】の蹂躙から逃れた奇跡の町、アルデンヴェインの熱気はまだまだ収まりそうにない。

 数少ない酒場は朝も夜も無く盛り上がっていて、こうして私達が席に通されるまで一時間近くも待たされた。見れば先客達のテーブルにも料理が全然出されていないので、店員の手が回っていないのだろう。


 なお、嫌な予感がしたので先に厨房を覗いてみたところ……普通に店員が忙しそうに働いているだけだった。

 ちょっとだけ……ほんのちょっとだけラブリー・キッチンの登場を期待していたが……よく考えればあんなのがシャバに出てきたら一大事件だ。借りもあるし敵対はしたくないので、一生ワールドリウムに隔離されててほしい。


「それにしても報酬の件は残念でしたね、クレア様」


「まあな。だが今日はあくまでも報告だ。交渉はまた明日から進めよう」


 ワールドリウムから帰還した私達は事の顛末を組合に報告したが、残念ながら報酬は即時満額支払いとはいかなかった。


 一応、予想通りといえば予想通りなので仕方がない。シビライゼーションの完全消滅が達成条件だ。気長に衰退を待つ私のやり方では数ヶ月から数年はかかるだろう。

 しかしそれまで毎日貼り付くのも性に合わないし、報酬が支払われる前に最悪この国が戦争に負けて滅びる可能性もある。十年は遊んで暮らせる程の高額報酬だったが、値切られるのを覚悟で組合と災害対策課に管理の引き継ぎや報酬の一部支払い等を交渉しなくてはならない。


 それはそれとして、今は打ち上げだ。


 お疲れ様会的なものをやりたいというミサキの提案に全員が賛成した。私は酒を飲まない主義だし未成年も居るので気が進まなかったが……私を助けてくれた彼らに少しでも何かを返せるのなら、やらないわけにはいかない。


 それに私自身もかなり疲れたので、心身を休めたい。もう今日は心配事や小難しい事は考えずに美味しいものを食べて飲んで……また明日から頑張ろう。うん。


「ところでクレアっち、そこの干からびたモヤシみたいな二人って誰?」


「エリーとアクセルだ。私の後輩……になるのかな?」


 私達の使う円形テーブル席には、バリス卿の虐待……もとい、反省会から半ば強引に連れ出してきた家出少年少女も座らせている。


「二人共バリス卿に相当搾られたみたいだから、今日は遠慮せずに好きな物を食え。私の奢りだ」


「クレアパイセン、バンザーイ!」「バンザーイ!」


「センパイサイコー!」「きゅーせーしゅー!」


 反省会から解放されてすっかりテンションのおかしくなった少年少女は、泣きながら大喜びしている。あまりにも気の毒だったので連れてきたが、どうも【パレード】から救出した時より感謝されてるっぽいな……。


「よっと、悪ぃな黒髪の嬢ちゃん。ちょいと横に寄ってくれ」


「はい。どうぞ」


「よう、今回は世話になったな。男前のネーチャン。あんたの完全勝利だ」


 山賊男が椅子ごと私とミサキの間に割り込んで隣に座ってきた。


「すっげえ勉強になったぜ。強い弱いの物差しで物事を考えてた俺が馬鹿馬鹿しくなるっつーか、小さく思えるっつーか……とにかく、世の中にゃあんたみたいな想像も付かない超凄腕が居るって思い知ったぜ。感動もんだ」


「買い被り過ぎだ。私と同じ事など、誰にでも出来る」


「おいおい、マジで言ってる目だな……。あんたもうちょっと自分の評価を見直した方がいいぜ。誰にも出来ないから、あんたに依頼が回ってきたんじゃねえのかい? ベテランが全員尻尾巻いて逃げ出した中で、一人だけ引き受けた冒険者があんただろうが。十分バケモンだよ、あんたも」


「褒めているのかそれは」


「当ったり前だろ! 尊敬するぜ大将! もちろん報酬はあんたらの総取りでいい。俺ぁ何もしてねえからな」


「そうはいかない。後々に禍根を残さないように、きっちり分配すべきだ」


「だったら余計に受け取れねえよ。そもそも俺ぁ正式には依頼を引き受けてねえ事になってるからな」


「何?」


「分かるだろ? 忘れられちまうのさ、仕事を受けても。だから他の冒険者を手伝って分け前を貰うしかねえ。俺に感じる興味や違和感も忘れさせるから警戒されねえのが不幸中の幸いだがなぁ……。俺の呪いにも、免疫力とやらが働いてくれねえもんかねぇ……」


「見た目によらず、随分と生真面目だな。その能力ならいくらでも悪用出来るだろうに」


「ガハハハ! そうだろそうだろ! 弟達にもよく言われるんだぜ! 『兄ちゃんはクソ真面目だからいつも損してんだよ』ってな!」


「弟が居るのか?」


「…………」


 何気なく聞いただけなのに、それまでやかましく笑っていた山賊男が急に押し黙って硬直してしまった。

 今回の仕事とは無関係なので今まで話す機会が無かったが、彼が受けた呪いには心当たりが有る。その呪いの原因と効力について、せっかくだからこの機に確認してみようと思ったのだが……。


「おい、どうした? 大丈夫か?」


「そうだ……俺にはたしか、弟が居たんだ……」


「うわぁ!?」


 それまで上機嫌だった山賊男の目元にブワァッと涙が溢れ始めたのでビックリした。


「あんがとよ、男前のネーチャン! おかげで一つ過去を取り戻せたぜ……!」


「おっ、おおう!? だっ、代打! あとは任せた!」


「んあー?」


 ダバーと泣きながら両腕をガバッと広げて私に抱きついてきた山賊男をかろうじて振り払い、ちょうど隣に居たピュアルンを人身御供として押し付ける。


「あんがとよおおおおおおおお!」


 お、ナイスハグ。


「あぎゃあああああああ!? なんじゃごりゃああああああ!? 種付けプレスかぁー!? 臭っせえ! オッサン汗臭っせえええええ!」


「ふぅ……危うく万事休すだった」


「現在進行形であたし様が万事休してんだよゴルァアア!」


 クレームは受け付けない。私が正義だ!


「お姉さま……私、酔っちゃったみたいです……」


「うへぇぇぇ……」


 しかしピュアルンが自分から進んで私と位置を入れ替えたせいで、一番苦手な奴が自然と隣に来てしまった。おいこら、勝手に人にもたれかかるな。


「いやお前……そもそもまだ何も飲んでないだろ」


「お姉さまの手腕に心が酔ってしまったのです! そう、これこそまさに、心☆酔……!」


 上手い事を言ったつもりかこの変質者め!

 しかし今回はこの変態も役に立ってくれたのは事実。無碍に扱うわけにもいかない。テキトーに話を逸らして、さりげなく席を移動しよう……。


「やはり私の直感は正しかったのです! お姉さまこそ運命の人! 世界で最も強く美し「そっ、そーいえば! リューイチと会社作る話はどうなった!?」


 強引に割り込め私!


「リューイチが事業計画書の書き方が分からないと言い出してサボりましたので、頭に来て鉱山のブラック強制労働タコ部屋に二束三文で売り飛ばしてきました」


 リューイチ! 強く生きろよ!


「ねえねえ、二人ってセンパイの仲間なんでしょ? あたしと同い年くらいに見えるけど、いつからセンパイと組んでるの?」


「あいつがアベルをボコボコに殴った時からだな」


「私はその少し前にクレア様に買われてからですね」


「えっ!? センパイが買ったって……女の子を!? じゃあやっぱりセンパイって……キャー!」


 一方で小娘三人衆は、何やら誤解のある恋バナ?で盛り上がっている。


「…………」


 そしてアクセルは話に入れず、その横で一人あぶれていた。彼は何やら所在無さげにもぞもぞと小刻みに動いていたが、私と目が合うと卑屈な愛想笑いを浮かべた。


「あ……へへ……」


 …………しょーがないなぁー! もぉー! 私だってそんなフレンドリーな性格じゃないんだぞ!? もっとこう……悲しい過去を背負って憂いを秘めたクールな女冒険者のイメージなんだからな!


「お姉ーさまー! 対文明最終兵器お姉ーさまー!」


 人の足にしがみ付くカスを苦労して……! 引きずり……! ああもう邪魔!「キャイン!」蹴り飛ばして! アクセルの隣へと移動する!


「あ……はは……なんか……サーセン……。えっと、俺、一発芸とかした方がいいっスかね……」


「お? 何か持ちネタがあるのか?」


「いや、特に……は、無いんスけど……」


「じゃあ提案すんなよ!」


「はい……マジでサーセンした……」


 委縮してますます小さくなるアクセル。ああもぉー!


「あっ、怒ってない! 怒ってないから! ツッコミだからこれ! なっ!」


 この私に気を遣わせるとは、中々やるな小僧! 今のうちに知らない人と話をする能力を少しは鍛えておけよ! 私も苦手だけど、情報収集能力に天地の差が出るからな!


 ……って事を言いたい! 言いたいんだけど! 今言うとアドバイスじゃなくて説教になっちゃうからなぁ〜……! んんー難しい!


「あ……今日はいい天気、っスね……」


「もっと他に話題あるだろお前!? エリーと普段どんな会話してんの!?」


「いや、エリーとはあんまり……」


 あっ。


「だ、だが共通の話題を探そうとした努力は偉いぞ! ナイスチャレンジ!」


「いや、なんか緊張しちゃって……サーセン……。あの、もし迷惑だったら、俺、すぐ帰るっスから……」


 めんどくさいなもおおおおおおー! さっきまで元気にバンザイしてたじゃんお前ー!


「待て待て! 私の権限でお前を給仕係に任命するから、勝手に帰るなよ! 出てきた料理を皆に均等に取り分ける名誉の役職だぞ! いいな! 最後まで居ないとダメだからな!」


「あ、それなら……やれそうっス!」


 ようやく笑顔を見せてくれたアクセル。

 まったく、手を焼かせやがって。だが前向きになってくれたようで何よりだ。

 ところで……なんで私こんな世話焼いてんだろなー! そもそもこれ私の慰労会的なアレじゃなかったっけ!? んっとにもー!


「お待たせしましたー!」


 そうこうしているうちに店員が飲み物を運んできた。「あたしこれー!」「ハスキちゃん、どんなのが食べたいですか?」「肉! あと辛い汁のやつ!」「おいおい嬢ちゃん達、野菜もちゃんと食わないとコイツみたいな大人になっちまうぞ」「この天才魔術師を何だと思ってやがんだコラァー!」わいわいと騒ぎながら店員に群がって注文を入れる仲間達。


 そんな感じで一通り注文を頼み終え、全員の手元に飲み物が行き渡った。「あざっス」しかし止める間も無く一人ゴクゴクと飲み始めるアクセル。あっ……。


「ちょっと! 何やってんのよこのバカ! 常識ってものを知らないわけ!?」


 それを見つけてしまったエリーが怒り出す。「へ? あ、えっ?」アクセルは事態を飲み込めていないようだ。


「いいんだ! 私が飲めって言ったんだ!」


 咄嗟に庇える私ナイス! 何でもそうだが、本来こうやって初心者には優しくしないとな! じゃないとワールドリウムみたいに殺伐した環境になるから!


 私はジョッキを手に取り、立ち上がった。


「えー、さてさて、本来ならこのタイミングで飲み会主催者の挨拶とかが入るわけだが……」


 覚えておけよ、という意図を持ってアクセルに目配せを送る。「サーセン……ッス……」しかしアクセルはまた消沈してしまった。違うって! 別に責めてないって!


「わ、け、だ、が!」


 仕方がないので私もジョッキを持ち上げて皆に見せつけるように口をつけた。げっ、苦い! しまったこれビールだ! もおおー! もおおおおおー!


「この通り私も喉が渇いていたし! そもそも私はマナーとか偉そうな長話とかが大嫌いだ! だから開始の挨拶は一言だけで終わらせる! 全員、手元の飲み物を持って……よし! じゃあ行くぞ! せーのっ!」


 ジョッキを掲げた私に続いて、仲間達が次々と掲げるジョッキが祝宴の始まりを告げる。


 この世界は異世界からの侵略者さえ返り討ちに遭うような地獄で、私達の神は製造物責任を取らない無責任なクソ野郎だが、今はただ祝おう。


「「「カンパーイ!!」」」




 醜悪な悪意に満ちた私達の地獄へ……カンパイ!









 おしまい。

以上です。ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました。

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