第11話。楽園崩壊
私が陣頭指揮を執り、悪党達と暴虐の限りを尽くし始めてから三日後。ワールドリウムは予測を遥かに上回る速度で堕落へと向かっていた。
「キヒヒヒヒ、今日も盛り上がってるねぇ〜! さーあどんどん堕落してみよっかぁ〜!」
その最たる物が貧富の差だ。
今や城塞都市内の主要施設は、出入り口に24時間立ち続けるプレイヤー達によって完全封鎖され続けている。おそらくメインアバターとは異なる封鎖専用のアバター……言わばサブアバターのようなものを用意したのだろう。微動だにしない彼らによって、私達の『遊び』に乗ったプレイヤー以外は新たな装備や道具の購入が事実上不可能となり、ワールドリウム内の通貨は無価値となった。
「貧乏な人たち、増えましたね……クレア様……」
「そうだな。だが、まだまだ良い装備を身に付けているプレイヤーの方が多い。もしかしたらあちら側の世界の通貨で装備の取り引きを行う者が出てきたのだろう。賢い敵は最善手を指してくれるから読みやすくて助かる」
装備を揃えられない下位プレイヤーは外に出れば怪生物に襲われて死ぬため、城塞都市に留まらざるを得ない。何しろ教会さえ封鎖されているのだ。幽霊状態になって封鎖を抜けて教会内部で蘇生しても出られない。必然的に都市内にはボロ布を着た幽霊と半裸の下位プレイヤーが増え始めた。
そして無限にあったはずの供給が途絶えた結果、協調する彼らの美徳は醜悪な環境を作り始めた。
下位プレイヤー全体の乞食化である。
良い装備を持っているプレイヤーが都市に入った途端に、見すぼらしい格好の下位プレイヤーが殺到するようになった。行儀良く列を成して店に並んでいたかつての面影は微塵も無く、何か一つでも他者から恵みを貰おうと厚かましく我先に押し寄せて道を塞ぐ。彼らに同情して一人にでも何かを与えたプレイヤーは他の乞食にも延々と付きまとわれて身動きが取れなくなるため、終わりの無い施しに嫌気が差して誰も何も恵まなくなった。当然ながら恵んでもらった乞食もまだまだ貰い足りないので、貴重な財産を他の乞食に分け与えるはずもない。
私達の文化では見慣れた格差社会の誕生だ。
この状況をさらに加速させるべく、痴女の一味であるプレイヤーキラー達……PK勢は、乞食化していないプレイヤーを優先的に襲った。それも必ず殺すわけではなく、『どれだけショボくても標的が身に付けている装備を差し出したなら見逃がせ』という私の指示を徹底して守っている。
この『見逃し料』を差し出せば助かるという情報がプレイヤー間に広まったおかげで、私達は格差社会に連なる最悪の文化をまた一つ生み出せた。
プレイヤー間における資産の奪い合いである。
1、潤沢な装備を持ち統率の取れたPK勢が上位プレイヤーを狙う。
2、上位プレイヤーは負けて全てを失うリスクを避けて、愛用の装備を差し出して見逃してもらう。
3、差し出した分の補充や次の見逃し料の保険の為に、上位プレイヤーが自分より弱いプレイヤーを襲って装備を奪う。
4、彼らに奪われたプレイヤーは、さらに自分より弱いプレイヤーを狙う。
この一連の流れにより、協力し合う彼らの文化とは真逆の、私達が慣れ親しんだ弱肉強食型社会の基盤が固まりつつあった。
特に初心者は悲惨だった。初心者は必ず最低限の装備とアイテムを持ってこの世界にやってくる。そのスタート地点付近には大量の詐欺師が常に待ち伏せていて、何も知らない初心者を言葉巧みに騙しては外に連れ出して殺し、全てを奪い取って幽霊にした。
「幽霊になった彼らでも、専用の能力があればプレイヤー同士で会話が可能みたいだね。だから次は他のお友達が『可哀想に。僕が生き返らせてあげるよ。でも生き返るには特別なアイテムを買うお金がいるんだ』って優しく近付いて、彼らの世界での金銭取引を持ち掛ける……かぁ。クレアさんは面白い事を考えるね」
サイコパスはこの上なく爽やかに笑う。
だが今の私にこの男を責める権利は無い。
「被害者救済ビジネスって名前はどうかな? 僕とクレアさんが始めたビジネスでお友達の皆が喜んでくれるなんて……僕は幸せだなぁ」
騙された初心者は嫌気が差して二度と来なくなるか、自分も騙す側に回るかの二択だろう。詐欺の被害者を更なる地の底へ引き摺り込む手法を考えたのは確かに私だが、今後この手口がサイコパスに悪用される事を考えると気が重い。
「人はね、誰でも一生に一度は自分の願いを叶える権利を持って生まれてくるんだ。あいつを殺したい、あの娘と恋人になりたい、誰もが知る有名人になりたい……。でも、そんなささやかな願いは、理性とか法律とか保身なんてくだらない足枷に囚われてしまっている……。だからその足枷を壊して願いを叶えるお手伝いができるなんて……僕は幸せだなぁ」
「相変わらず頭ハッピーだねぇ、キヒヒヒヒ! またあたし様にも儲け話紹介してよぉ〜」
ピュアルンの話では、犯罪者三人衆の中でこの男だけが何も見返りを要求せずに無償で協力してくれたらしい。だが、こんな奴の親切には絶対裏があるに決まっている。
「貴重な体験ができた上に、クレアさんに貸しを作れるなんて……ああ、僕はなんて幸せなんだ……」
勝手にほざいていろ。私はいざとなれば何でもやる。
特に今の私は機嫌が悪いからな。下手な動きをしたらすぐにお前も殺してやるぞ。
そして、プレイヤーだけでなく運営者も私達の『遊び方』を肯定した。その最たる例がラブリー・キッチンだ。
「あちしは世界中から飢えを無くしたいんでちゅ。いつか世界中の人々がお腹いっぱい美味しいものを食べられる世の中を作るのが、あちしの夢でちゅ」
そう語っていたラブリー・キッチンには他の二名と違って複雑な役割を頼んではいない。ただ自由に暴れてもらっただけだ。
それだけだが、彼は化け物じみて強かった。
元々は強力なプレイヤーへの対抗手段としてピュアルンに探してもらった戦闘担当者だ。私達以外で彼に出会った者はプレイヤーも怪生物も巨大ボスも等しく食材となった。
特製の調理器具でどんな硬そうな獲物でも解体するし、敵の特殊攻撃は炎だろうが雷だろうが吹雪だろうが彼の口内に吸い込まれるし、身体に多少の穴が空いた程度なら血の代わりに脂が湧き出てきて傷口をすぐに塞ぐ。我が目を疑う光景だったが、切り落とされた自分の手を丸呑みして傷口から新たな手を生やす姿も見た。
そんな殺人鬼の姿がヴィランとして魅力的だったのだろう。
あんなに……あんなに可愛い生き物で溢れていたワールドリウムは、明らかに彼をモチーフとした敵や醜悪な容姿をした怪物で溢れかえるようになってしまった。殺人鬼が望んだように、怪物とプレイヤーに身体の中身が実装されるオマケ付きだ。彼と命懸けの鬼ごっこをして別の遊びを始めるプレイヤーの姿さえ見られるようになった。
ちなみにピュアルンと二人の悪党によれば奴の作る料理は普通に美味いらしいが、どんな病気があるか知れたものではないので私達は口をつけていない。
「運営者からの攻撃、無くてよかったですね……クレア様」
「そうだな。だが元からクズ三人衆は生贄だ。運営者からの報復に備えた私達の身代わりとして使い潰すつもりだった犯罪者共だ。その報復自体が無かったのはやや肩透かしだが、生きている間はどこまでも利用させてもらう。可能なら用済みになった時の処分の手間も省きたいものだな」
「えっと、あの……クレア様? あの人達……犯罪者かもしれませんが……私達の味方ですよ? ピュアルンさんが呼びかけて、こんな危ない場所にせっかく来てくれた方々なのに……」
「信用できるものか。それにどうせあいつらは極悪人だ。死んでも誰も困らない。いや、死ぬべきだ」
「クレア様……」
ミサキは珍しく口ごもって何も言わなくなった。
私が正しいからだ。
……そうだろう?
一方でPK勢を率いるクイーン・ミランダには、PKと並列して重要な仕事を頼んでいた。徹底した搾取型社会の構築だ。
女王は数人の上位プレイヤーと数十人の中堅プレイヤー、そして圧倒的大多数の下位プレイヤーを抱えていた。彼らにはそれぞれ強さと貢献度に見合った組織内での地位を与えており、支配力と発言力に直結する地位を奪い合う競争型の昇進制度を設けていた。
もちろん、上の者が下の者を使い捨ての道具として扱う文化も輸出済みだ。かつては平等を尊んだ彼らも、今では下の者を虐待し使い捨てる喜びに目覚めている。PKにおける乞食・幽霊プレイヤーの大量動員がそれだ。
1、どこにでも行けて誰からも攻撃されない幽霊プレイヤー達が偵察役として各地を巡回する。
2、冒険をする強プレイヤーを発見次第、幽霊プレイヤーが本部に報告する。
3、大量の乞食プレイヤーを引き連れたハンター役が現場へ急行し、消耗した強プレイヤーを狙う。
4、大量の乞食プレイヤーを肉の盾として特攻させ、リソースを消費した強プレイヤーをハンター役が狩る。
5、狩りの終了後、幽霊になった下位プレイヤーを教会で蘇生させて僅かな報酬を恵む。活躍が少なかった者は殺して幽霊にし、偵察役をやらせる。
ゾンビアタックと私が命名したこの手口は猛威を振るった。PK勢が教会の蘇生を独占しているからこそ使える手口だ。
さらにこれだけでは飽き足りず、私と女王は胸糞の悪くなる文化を次々とワールドリウムにもたらした。いずれも搾取型社会に連なる最悪の文化だ。
下位プレイヤーに殺し合いをさせて皆で金品を賭ける『コロシアム』。下位に落ちたプレイヤーの売買を行う『奴隷市場』。私達に非協力的な強プレイヤーを捕らえて下位プレイヤーに私刑を行わせる『処刑場』。
そして『戦争』。
PK勢に対抗すべく、いくつものプレイヤー組織が誕生した。反PK勢とでも呼ぶべき彼らは最初のうちは力を合わせてPK勢へ立ち向かう姿勢を見せていたものの、所詮は個々の寄せ集め。下位プレイヤーの使い捨てを前提とした私の戦術に勝てるはずもなく、順調に負けを積み重ねた。
そんな哀れな彼らの為に、私は味方の振りをしてPK勢の戦術と組織体制を横流ししてやった。初めは忌避感を覚えていた彼らも、誰か一人がPK勢の模倣を始めると次々と皆が堕落していった。
協調を重んじる彼らの特性を、私からはここでも悪用させてもらったというわけだ。もはや反PK勢でも何でもない。新たなPK組織の誕生だ。
彼らは競争を知ってしまった。PK勢へ対抗するという行為そのものが、勝ち負けの快楽を知る第一歩だった。もう平等な社会は誰も作れない。共生型社会はここに敗北し、悪と悪が永遠に殺し合う社会が始まる。
歴史は文明ではなく、文化が作る。
ワールドリウムは彼らの世界の歴史ではなく、私達の世界の歴史をなぞり始めた。
強者が弱者を欲望のままに虐げ痛めつける、苦痛と悦楽に満ちた罪業の世界だ。クイーン・ミランダへの報酬はワールドリウムの支配権だが、こんな世界になった今でも彼女には魅力的なのだろうか。
いや、こんな世界でもまだまだ私達の世界の醜悪さにはほど遠い。この程度では子供のお遊びだ。まだ足りない。もっとだ。もっともっと私は『悪』を為せる……。
「あの……大丈夫ですか? クレア様……」
ミサキは私の心の機微に敏感だ。特にこの作戦を始めてからの、私の機嫌の悪さに気づいているのだろう。
「問題無い。自分の性根の悪さに嫌気が差していただけだ」
「嘘つけ。クレアお前、ずっと酷い顔してるぞ。こーゆーのはお前に向いてないんだから、もうやめろ」
「私も同意見です。お姉さまの活躍で、作戦はもう十分に軌道に乗りました。新規参入者の断絶と下層民の死滅によって、もはやワールドリウムは放っておいても自壊するでしょう。どうかご自愛ください」
「男前のネーチャンよ。あんた、ちょっと気が緩んでた最初の頃の方が強そうだったぜ。今は痛々しくて見てらんねえよ。悪い事は言わねえから、一言だけ『忘れたい』と言いな。肩の荷を降ろしてやるぜ」
ちょっと強がっただけなのに全方位から反論が飛んできた。反論……反論か。私を気にかけてくれる仲間が間違っているはずがない。だからおかしいのは私の方だ。
これは多分……私は今、危険域にいるな。自分ではまだまだ大丈夫だと思っているが、かなり危ない状況なのかもしれない。やはり私は……リーダーには向いていない。
「そうか……」
私はいつの間にかすっかり凝り固まってしまっていた眉間を揉みほぐした。どうやらここ数日、無意識にずっと力を入れっぱなしだったらしい。余計な事を考えるせいで夜も寝付きにくかったので、身体にも疲れが溜まっている。……潮時だな。
「……気を遣わせてしまってすまない。君達の忠告通り、ワールドリウムを一度離れよう」
私は本当に仲間に恵まれている。こうして私を気遣ってくれる仲間が居るから、まだ私は悪に染まりきらずに済んでいる。
「ええ〜!? もう終わりぃ〜!? これからが面白くなるトコじゃんよぉ〜!」
身近に悪に染まっている奴が一人居たが、元々犯罪者なのでまぁ……ノーカンで……。
「いいや、潮時だ。『まだ大丈夫は、もう危ない』。大昔からの格言だ。たった三日でこの有様なら、これ以上は私達の身の安全も保証できなくなる。一度帰るぞ」
「ちぇ〜」
不服そうにしながらも、ピュアルンは私に従うようだ。そういえば元々こいつは犯罪都市の治安の悪さに危険を覚えて夜逃げした身。危険を嗅ぎ取る能力はあるのだろう。今更だが本名を笑ってすまん。
「では早速だが撤収だ。ナイン、ガチク……悪党三人衆への伝言を頼む。理由は私の体調不良でも何でもいい。最後に『手伝ってくれてありがとう。この借りは必ず返す』と感謝の言葉を付け足してくれ」
「かしこまりましたぁ!」
嬉しそうに伝令に走ってくれるナイン。
「よっと」
人数分の大荷物を背負ってくれるハスキ。
「帰り道の先陣は任せな。結局、俺が役に立てるのはこれくらいしかなかったなぁ」
愛嬌のある笑顔を見せてくれる山賊男。
「クレア様……良かった……安心、しました……」
そしてミサキ……。少しだけ声が震えるミサキの顔を見るのは…………今は怖い。もしも泣かせてしまっていたら……私はしばらく立ち直れなくなる気がする。
「私は自分が間違った事をしたとは思っていない。これしか方法が無かったからだ。そして……異世界からの侵略者が、これほどまで脆いとは思わなかった」
だから私は、ミサキと目を合わせないようにして話を逸らした。
「断言するが、私は何らかの精神攻撃を誰からも受けてはいない。もちろんあの悪人達からもだ。だから私の調子が悪いのは誰のせいでもない。私自身が冷徹になり切れず、心のコントロールに失敗していただけの話だ。これは誰にでも起こりうる当たり前の精神的な病状だ。だが……何故、こんな事が起こる?」
しかし、話しているうちに頭の片隅で眠っていた嫌な予感が膨らんできた。もしかしたら私は、とんでもない過ちを犯したのかもしれない。
「考えてみれば、おかしいのは私達の方だ。何故私達の心は善悪の狭間に囚われる必要がある? 何故どちらか一方に偏り切らない? あの悪党三人衆にすら、私達を一度も裏切らず最後まで協力してくれる善性があった。一方で私が育て、ワールドリウムに撒き散らしたこれは……何だ?」
もしもこれが杞憂でなく、私の想像する通りであったならば、私は取り返しのつかない事をした。次元を越える相手に逆らわず、私たちの文化こそ上書きされるべきだった。
「一度気を許せば際限なく肥大化し、心身に異常な影響を与え、人から人へと見境なく感染する。これではまるで病気……いや、これこそまさに『情報災害』そのものだ」
情報災害。一度は失敗したと思われた攻撃だが……万が一、次元を越える文明にこの攻撃が成功してしまっていたのならば、これからあちらの世界で始まる事は……。
「私は今の今まで気付かなかった。これがあまりにも当たり前に私達の世界に蔓延していて、誰もが感染していたから。私達は常にこの情報災害に罹患していて、心の抵抗力が弱まってようやく症状が出てくるんだ。身体の病気と同じように」
「ほほー? 面白い事を考えるねぇ、クレアっち。ちなみに医学ではクレアっちの言う病気への抵抗力には、免疫力って名前が付けられているよぉ。私達が普段吸っている空気の中には病気の元がウヨウヨいて、免疫力が常にそれらを撃退しているって説だねぇ。その免疫力が肉体だけでなく、精神にも存在するって発想かなぁ」
「その通りだ。常にこの情報災害に晒されている私達は慢性的に罹患していて……同時に免疫力がある。その両者がぶつかり合う時が、私達が善悪の狭間で苦しむ時なんだ。だからこそ……この情報災害に対する免疫力を持たないワールドリウムの住民達はひとたまりもなかった。防げなかったんだ。私達の遥か未来を進む、彼らの超文明でも」
そして、もし何らかの媒介を通して私達の行為を知る者が居たならば、この恐るべき情報災害はワールドリウムに来てすらいない彼らにも感染してしまうだろう。絵でも写真でも文章でも、この情報災害はありとあらゆる手段で感染する。
「私達の文化にはこの情報災害が潜んでいた。次元の壁すら越えて触れる者全てに感染し、異世界の超文明ですら防げなかった神代の情報災害。その名は……」
「【悪意】だ」