第6話。今日も一日クレア様
クレア様が聖骸騎士のお二方に事情を説明したところ、魔術師との司法取引を含めて協力してもらえる事になりました。違法魔術師が免罪と引き換えに国や教会に雇われる司法取引が行われる事は、決して珍しくはないそうです。
幸いにも魔術師を引き渡した町はアルデンヴェインから一日圏内にありましたので、ゴート卿様の同行の元に私達はさっそく馬車で現地へと向かいました。ゴート卿様によれば、その町で収監施設として使われそうな場所は一件だけだそうです。
「私達は常設の収監施設を持ちません。しかし職務上どうしても一時的な収監施設が必要になる場合がありますので、その際は公的あるいは民間の設備を借りたり、過去にあまりよくない用途で使用された施設を再利用したりしています」
「あまりよくない用途って何ですか?」
「ろくでもない事をやらかす奴は、どこの国のどこの組織にも必ず居るって事だ。個人でやったのか組織でやったのかの違いはあるだろうが、察してやってくれ」
クレア様の補足で、人を監禁できる場所が過去にどういった用途で使われたのか何となく察しがつきました。教会が決して温厚な組織ではないという事を、すでに私は知っています。
「そうしてくれると助かります。悪事に限らず、善良で敬虔な信者には知られたくないような行為も、時には必要となりますから」
そして着いた先は、町外れの丘にしんみりと佇む石造りの小さな円塔でした。高さは10mも無いように見えます。老朽化が進んでいるのか外観は草やツタに覆われていて外階段も無く、ボロボロに錆びて変色した鉄の扉がありました。塔の上の方はちょっと崩れていて、一羽のフクロウが飛び回っていました。
「もう使われなくなった大昔の監視塔を再利用した留置所です。この町で魔術師が拘留されているとすれば、ここなのですが……」
「もう一ヶ月以上も前の話だからな。せめてどこかの壁を崩して脱獄でもしてくれていれば、まだ生きている可能性は残っているんだが」
「スンスン……臭いぞ。山盛りの糞の匂いだ。まだ新しい」
馬車が塔に近付くと、ハスキさんが顔をしかめました。
「ならまだ生きているかもしれない。降りよう」
私達は馬車を降りて、錆びた鉄扉に近付きました。鉄扉は後から取り付けたと思われる新しめのかんぬきと錠前でガッチリと施錠されています。
「声がする。静かに」
クレア様の言う通りに耳をすませると、女性の声が鉄扉の向こう側から微かに聞こえてきました。
「ぢぐじょおぉ〜……死ぬかぁ、死んでたまるがぁぁ〜……! あたし様はごんなどころで死んでいい凡才じゃねぇんだぁ〜……!」
この世の全てを呪っているかのような声でした。
「やった。思ったより元気そうだぞ」
なのにクレア様はちょっと嬉しそうです。
絶対恨まれていると思うのですが、素直に協力してもらえるのでしょうか。
「おい! 囚人番号4771番! そろそろ反省したか!」
クレア様はテキトーな番号を呼んで鉄扉をガンガンと叩きました。「特にそういった番号の割り振りはありませんが……」ゴート卿様の指摘が入りますが、クレア様は無視して鉄扉を叩き続けます。
「うぇぇ……まーたこの夢だよぉ……。もうヤダァ……出られたと思ったら目が覚めて連れ戻されるの、もうヤ〜ダァ〜……」
魔術師はシクシクと泣き始めました。
「精神的に弱っているようだな、とりあえず開けてやろう。ゴート卿、ここの鍵は?」
「おそらく前任者が持ったままですね」
「悠長に鍵を借りに行くわけにもいかないので、悪いが無理やり開けさせてもらうぞ。こう見えても鍵開けは得意なんだ、私。この程度の鍵なら3分もあれば十分だな」
得意気にフフンと胸を張るクレア様の後ろに人影がシュタッと降り立ったかと思うと、カキンと金属音が鳴りました。
「開きました。お姉さま」
ナインさんです。今日も神出鬼没のナインさんは、一瞬で外した錠前を手のひらに乗せてクレア様に差し出しました。
「うん……ご苦労」
クレア様はちょっぴりシュンとして錠前を受け取りました。きっと見せ場が欲しかったのでしょう。クレア様が時々見せるこういう地の部分は、とても可愛らしいと思います。
「ありがたき幸せ!」
一方でナインさんはクレア様にお礼を言われて嬉しそうでした。
「うん……じゃあ、開けよっか……」
クレア様が重く軋む鉄扉を開けると、嗅ぎ慣れた臭いが溢れ出してきました。ハスキさんが言う糞尿の臭いだけではなく、檻の中で毎日嗅がされた死と絶望の臭いです。
「大丈夫か、お前」
嫌な事を思い出した私の変化に気付いたのか、ハスキさんが私の手を握ってくれました。
「ええ、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
「嘘つけ」
私の作り笑いをハスキさんはすぐに否定しました。そして私の手をグイッと引いて鉄扉から引き離します。
「おい、クレア。臭いからオレ達は外で待ってるぞ」
「分かった。こっちは任せろ」
「え、あの、私は」
「お前はこっちだ」
塔の中に入っていく三人を尻目に、私はハスキさんに強引に手を引かれて馬車の中に戻りました。ハスキさんは服の下に隠した尻尾の膨らみを隠す為に、馬車の中でも常にリュックを背負って座ります。
隣に座る私の手を、ハスキさんはまだ離してくれません。
「仲間を頼れっていつも言ってるだろ」
「はい……お気遣いありがとうございます、ハスキさん」
「いい加減にその話し方もやめろ。オレとお前は仲間で歳も同じなのに、距離を置かれているみたいでイライラする」
「すみません……でも私はすごい田舎の出身なので、普段から敬語を使っていないと訛っちゃって、何言ってるのか分からないって怒られるんです……」
「ならオレの呼び方だけでも直せ」
「えっと、じゃあ……ハスキちゃん?」
「んひっ」
ハスキさんが変な声を出してそっぽを向いてしまいました。ハスキさんはそのまましばらくあっちを向いていましたが、しばらく待つと平然とした顔でこっちに向き直りました。
「それはやめろ。なんか、くすぐったい。お腹を撫でられてる気持ちになる」
「んーと……」
私はどうしようかちょっとだけ考えて、「ハスキちゃん?」やっぱり念のためもう一度呼んでみました。
「んひっ」
するとハスキさんはまた変な声を出して、私から顔を背けてしまいました。
そっか……ハスキさんは歳が近いお友達が居なかったから、こういうの慣れてないんですね……。
「スー……ハーッ……」
ハスキさんはあっちを向いたまましばらく深呼吸を繰り返していましたが、やがて私に向き直りました。しかし何やら顔が赤く緊張している面持ちで、時折視線を泳がせたり自分の手を噛んだり体をブルブルッと震わせたりと、挙動不審な様子を見せました。
「ミッ、ミミミ、ミ、ミ……」
さらにハスキさんは俯いてしまったかと思うと、頭の麦わら帽子を取って顔を隠してしまいました。帽子の端からはみ出したハスキさんのイヌミミが、ピコピコと小刻みに動いています。
「ミ、ミミ……ミ、ミサキ……ちゃん……」
そしてハスキさんは、小さな小さな声で私の名前を呼んでくれました。精一杯の勇気を振り絞ったその声を聞いて、私の心にパアァーッと晴れやかな光が差していきます。
「ハスキちゃん!」「いやー臭かった臭かった!」
馬車の幌がシャーッと開き、クレア様が顔を出しました。
「ほんっとに臭くて気持ち悪かった! 糞尿は一箇所にまとめられてたけど、とにかく虫がウジャウジャいてな! 臭くて気持ち悪いのなんの! カビやらキノコやらもグジュグジュ生えてんの! 臭くて臭くて、もう逆にテンション上げたくなるくらい臭過ぎた! あの魔術師、飼ってたフクロウに獲らせたネズミとかも生で食ってたみたいでさぁ! 寄生虫とか大丈夫かな? 何にしてもあんな不衛生な場所で交渉なんてやってられないから、まずは場所を移す事に……あれ? どうしたの、二人とも怖い顔して……まさか喧嘩してた?」
「クレア様」
「うん?」
「後でお話があります。デリカシーについて」
「なんで!? もしかして私に怒ってる!? あんな臭いとこに行ったのに!? マジで臭かったのに!?」
「お前、次にクサいって言ったら噛むぞ」
「ええー!?」
クレア様は、今日もクレア様でした。