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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【英雄になれなかった誰かの話】
15/181

第13話。あの日、君が見せた輝きのように

 戦況は一進一退だったが、決して悪くはなかった。


 捕まった人狼達の受けた仕打ちに、人狼達は激昂していた。冷静で理知的だったあのレトリバでさえ怒りに吠え滾り、憎悪を持って巨腕を振るい数名の冒険者に重傷を負わせた。


 だが冒険者達も粘り強く戦った。レトリバを集中的に狙い、火矢を射り毒の武器を振るい人質の盾をチラつかせることで人狼達を相手に優勢を保っていた。


 その一方で、ミサキがこっそり作った火の手は刻一刻と広場の外にも回り始め、小さな山火事となりつつある。

 冒険者達も人質を背負って逃げることはできないため、アベル達の帰還を待たずに逃げるかどうかの判断を始めなければならない頃のはずだった。


 しかし、それの出現と共に全ての策が無駄になった。


 それは、夜空に突如として出現した。

 轟々と渦を巻く灼熱の球体。熱も音もなく上空の遥か高みに出現し、星空を飾り尽くすオーロラを連れて地上を真昼のように照らし出した。

 何の前触れもなく突然発生した異常事態を前に、人も人狼も争いの手が止まる。


「いったいよぉぉおおおお……!」


 異変は続く。夜空を彩る光のカーテンを、巨大な白銀の指がめくった。

 何だ、何が来るんだ。何が始まるんだ。


「どこの世界によぉおおおおお……!」


 虹色のカーテンの向こう側から現れた者は、甲冑姿の巨人だった。豪奢な金色の紋様が刻まれた純白の鎧に全身を包んでおり、素肌が露出している部分はない。巨大な盾と剣を装備しており、フルフェイスの兜には黒字で「NO.7 純潔」と刻まれていた。

 何よりも圧倒的なのはその大きさだ。レトリバと比べても人と虫ほどに大きさが違う。あまりに大きすぎて距離感が分からない。


「こんな第3話くらいでレイプされて処女じゃなくなるヒロインがいるんだぁあああアアアアア!? マミったってレベルじゃねえぞコラァアアアアアア!!」


 天地を震わせる怒声が轟いた。爆音による振動で木々が揺れ肌が小刻みに震えていた。あまりにも暴力的すぎる声量によって私の鼓膜は打ちのめされ、脳が揺さぶられた。


「人がせっかく紳士的に接してやりゃあ調子に乗りやがってえええええ! テンプレファンタジー世界の原住民どもがよおおおおおおおお!」


 信じられない。こんな事が本当に起こるのか。こんな、神話の世界の出来事が、目の前で起こるなんて。


「契約を更新しました。外来種番号七番の寿命の半分と引き換えに新たな力を与えます」


 その声を最後に、夜空の太陽は幻のように消えた。

 そして、それが消え去る刹那の瞬間、私は見た。


 獣を象る異形の四枚羽。炎のように色彩を変え続ける髪。夕日よりも紅く灯る憂いを帯びた瞳。

 美しい、などという言葉では遠く届かない。それは、あまりにも完成されすぎていた。生命が持つ温もりや親しみやすさなどを一片たりとも持ち合わせない、異次元の美貌を備えていた。

 女性の姿をしてはいたが、あれが私と同じ性別であるわけがない。同じ生物であるわけがない。あんなに美しく、恐ろしい生物がこの世にいるものか。


 ……きっと見間違いか幻覚だ。そうとも、あんなに距離があったのに姿形がはっきりと見えるはずがない。

 だが、もしもあれが本物の神だったとしたら……。


「殺す! 殺す殺す殺す殺す殺ぉおおおおおす! 犬コロどもに雑魚冒険者ども! お前ら男は一人残さず全員ブチ殺して糞と混ぜてやるぞおおおおお!」


 白騎士から再び響く怒声に意識を引き戻された。

 そうだ、これはアベルの声だ。だがこの豹変ぶりは何だ。ハスキが何かしたのか。あの巨人は何だ。今見た者は。まずいぞ、考えがまとまらない。


「ああ〜? 今更謝って許されると思ってんじゃねえぞぉ! この人でなしのクズどもがああああ! ネトラレ属性なんてねぇんだよおおお! 俺ァ公式も同人も純愛ラブラブセックスしか認めねえぞコラァアアア!」


 白騎士は音もなく地上に降り立った。神々しいばかりの大剣を何度も振るい、足元を突き刺した。

 吠え滾る白騎士に対し、その動作は奇妙なくらいに静かだった。あの巨大な剣が風を切る音も、木々を薙ぎ払う音も聞こえてこない。目と耳が得られる情報の齟齬に現実感が著しく損なわれた。


「ああ!? 殺してません〜……じゃ、ねえぇだろがぁ! 中古品に価値なんてねえんだよ! せっかくボーナスステージでイケメンに生まれ変わって、モテモテハーレム生活を満喫しようと思っていたのによおお!」


 あの白騎士の足元で何が起こっているんだ。

 誰もが白騎士を見上げ、その動向に視線を囚われていた。


「大体、タイミングもおかしいんだよ! 力が欲しいか云々をやんのは、普通はピンチになった瞬間だろうが!? ベヘリットでも、もうちょい空気読むぞコラァ! もしくは都合よく新たな力に覚醒しろや! 何を手遅れになってから呼び出しに応じてパワーアップしてくれてやがんだぁ!? しかも対価がデカすぎんだよ! QBかテメェは! 死ね! 死ね! どいつもこいつも死んじまえ! 何が純潔だ! 何が色欲だぁ!? クソ女神にクソ世界が! 30年以上も童貞だからってバカにしやがってよおおおお!」


 白騎士は甲冑の隙間から桃色の蒸気を噴出させながら足元を激しく踏みしだいた。やはり音も振動もない。

 ひとしきり暴れた後、白騎士はこちらを向いた。


「やめだやめだやめだぁあああああ! もう我慢なんかしてられるかぁあああ! やりたいことやってみたかったこと、ぜえええんぶやってやるぞおおおお! まずは雑魚狩りからだああああ!」


 白騎士の外観に変化が現れた。

 赤く太い縄が白騎士の甲冑に巻きつき奇妙な縛り方を見せる。

 盾は波打ちながら完全に近い円形へと変化し、質感も鋼からゴムへと変わった。

 一方で剣は太みのある円柱形へと変わると、先端が握り拳状に膨らんで小刻みな振動を始めた。剣も盾も桃色に染まっていく。


「なぁ……あれって、アレじゃね……?」


「ああ。どう見てもアレだよな……」


「うわぁ……でっかいなぁ……」


 冒険者達が何やら騒いでいるが、私にも男性固有のアレにしか見えない。しかし盾の方はよく分からない。

 いつの間にか額にあった純潔の文字は消え、燃えるような赤い文字で「色欲」と書かれていた。

 両足の付け根に正の字が出現して、その数が増していく。それと同様に『お前がママになるんだよ』『イタイイタイなのであった』『校長以外校長じゃないの』など意味の分からない文言も現れ、落書きのように巨人の全身に刻まれていく。


「逃がさねえぞ! 男は一人残らず殺す!」


 白騎士の頭上にゴム製の盾と同じものが10個以上も出現した。次の瞬間には風船のように膨張し、円柱形の巨大な気球となった。


「てめえら原始人はウホウホ言いながら俺を持ち上げてりゃよかったんだよぉおおおおお!」


 巨人の号令に従い、気球は後方部から桃色の蒸気を噴出しながら、質量を感じさせない軽快な速度で私達の上空を通過した。

 そしてその数秒後には軌道を急激に変え、地面に対して垂直に落下し突き刺さった。


 着弾地点は木々に隠れて見えない。

 だがその方角からは、桃色の液体が次々と空に放出されていく。まるで滝を逆さにしたようだ。

 放出された液体は空中で霧へと姿を変え、その一帯を包み込んだ。

 森の出口の方角だ。これでもう逃げ場はなくなった。あの霧を吸い込めばどうなるかは、想像に難くない。


 白騎士は次々と気球を射出してくる。

 半分は森を囲むように四方に散っていくが、残りは上空で停滞して桃色の蒸気を撒き散らし始めた。


 そこから次々と何かが落ちてきた。綿毛のようにゆっくり落ちてくるものもあれば、勢いよく落下して木々の枝を折り地上に激突したものもあった。


 まばらに降り立ったそれが、ぎこちなく手足を動かせて立ち上がった。


 彼らは人の形をしていた。髪の毛があり、手足があり、顔があった。

 だがその肌は布やビニール、あるいは何らかの樹脂で構成されていた。限りなく人間に近い精巧な造形を持つものもいれば、表面に目鼻が描かれただけの粗末なものもいた。

 陸に釣り上げられた魚のように口をぽっかりと開き、関節の節目には縫い目があった。

 彼らは人形だった。全てが女性の姿を模していた。


 彼らは実に個性豊かだった。服を着ている者も、着ていない者もいる。何の素材で作られでいるのか見当もつかない奇妙で奇抜な服ばかりだ。

 頭と胸がほぼ同じ大きさのグラマラスな体型のものがいれば、幼児サイズのやつもいる。髪型やその色も統一性といったものがなく、赤青緑紫白黒といとまがない。

 武器らしきものを所持しているやつは少ないが、何一つ安心はできない。

 恐怖と生理的嫌悪感が私の動揺を誘う。


「女は絶対に殺すな! 特にあの激萌えケモミミっ娘だ! 女は捕まえて……ええと……とりあえず無傷のまま俺の前に連れてこい! 触手はそれからだ!」




挿絵(By みてみん)




 不気味な人形達が激しく手足をくねらせて迫ってくる。人体ではあり得ない方向に関節を曲げ、頭を前後左右に振って迫ってくる。彼らは皆笑顔だった。

 アンタバカァ、トゥットゥルー、ンナァー、ゲンキダヨ。

 人形達は甲高い声で人の言葉を真似て鳴いていた。


 そのおぞましさに冒険者達も人狼も後ずさった。

 その結果、レトリバに足の骨を折られた冒険者が一番最初の犠牲者となった。


 人形達は数体がかりで彼を地面に押さえつけると、接吻するように彼の唇を口で塞いだ。

 彼は手持ちのナイフで抵抗したが、安っぽい粗雑な人形が一体破裂しただけで、樹脂製の精巧な人形は胸や頭を切り裂かれても平然と動き続けていた。


 唇を塞がれた彼は激しく痙攣したかと思うと、腹部が服の上からでもはっきりと分かるほど異様な膨張を見せた。

 彼の◾️◾️から血と共に細長い何かが数本噴き出した。◾️◾️と糞便に汚れ◾️◾️を撒き散らして暴れ回るそれは、異様に長い人形の舌だった。

 次は◾️◾️が飛び出した。彼の◾️◾️から飛び出してきた舌が、串刺しにした◾️◾️を先端に飾り付けたまま長く長く伸びて蠢き踊っている。


 その様子は男の上で一塊となった人形達の姿と相まって、邪悪なカタツムリが次の獲物を探しているように見えた。


 嫌だ。こんな死に方は絶対に嫌だ。


 空からは次々と人形達が降り注いでくる。緩慢に、あるいは高速で。一様に笑顔を浮かべて両腕を広げている。次々と絶叫が上がった。


「どうだぁ? 怖いだろぉ? キモいだろぉ? ……俺だって泣きてえよ! ダッチワイフ兵ってなんだよ!? ゼノフォビアの下位互換じゃねえか! な、ん、で、俺の深層心理からはこんなのしか出てこねえんだよ!? 無限の剣とか八匹の火竜とか出てこいやクソッタレがあああ! アンリミテッドダッチワイフズってかぁ!? ふざきんな! 死ね! ハチミツよこせ!」


 悪夢のような光景に私の精神はもう限界だった。理性がどうにかなりそうだった。今すぐ叫びながらこの場を去りたかった。


「クッ、クッ、クレア様!? 何ですかあれ! 何ですかあれ!? 何か変な人形がたくさん、たくさんこっちに集まってきますよぉぉ!?」


 振り向くと、ミサキの背後に安っぽい人形が迫っていた。


「私が分かるわけないだろうがぁ!」


 私はミサキの手を引き背後に庇った。

 迫り来る人形の腹を槍で突き刺す。人形は傷口から空気が漏れ出て皮だけになり、動かなくなった。

 呆けている場合じゃない。生き延びるために最善の道を探さなくては。だが、そんな道、どこに。


「くそっくそっ! 何だってんだ!」


 もう、どうしようもない。

 すでに状況は私が収められる範囲を逸脱している。人狼と冒険者と人形が入り乱れて狂乱状態だ。戦う者、逃げる者、殺される者、怒声と悲鳴に火と煙と血と死体。

 この狂気の祭典を前に、私の出来る事なんてない。


 先程から土砂崩れのような音と地響きが近づいてきている。散発的な人形の襲撃とは明らかに違う。何十何百という個体が一群となってこちらに迫ってきている音だ。止める手段はなく、飲み込まれれば命はない。


「どうすれば、いいんだ……」


 逃げるしかない。だが何処へ。

 まだ広場には多くの冒険者と人狼がいるが、彼らから離れて囲まれでもしたら終わりだ。

 さらに、森の出口はもう封鎖されている。

 あの白騎士が自分を中心にして全方位に気球を飛ばし続けていたからだ。東西南北の全ては桃色のガスで塞がれただろう。

 あの巨大気球を直接私達目掛けて撃ち込んでくれていた方が、まだ楽な死に方ができたかもしれない。


「クレア様……」


 私はミサキを見た。ミサキも私を見ていた。


「……君だけなら捕まっても殺されないと思う」


「えっ」


「辱めを受けるのは間違いないと思うが、そういう覚悟は奴隷になった時に終わっているだろう。ならきっと耐えられる」


「クレア様は、他の人狼の方々はどうなるんですか」


「なるようになるしかない。私も抵抗して生き延びる努力はするつもりだ。だからここで「嫌です」


「まだ最後まで言ってないだろう。ミサキ」


「嫌です嫌です! 私はクレア様から絶対に離れません! 私一人だけ生き延びて何の意味があるんですか! 私だって頑張ります! 戦います! 一緒に戦わせてください!」


 あ、これ自分の意見を絶対曲げないモードだ。

 短い付き合いだったけど、こいつ本当に頑固だなぁ。


「そうか……なら、背中は任せたぞ」


「はっ、はい! 任されましたっ! 頑張りますっ!」


 これしか言えなかった。私は駄目な先生だなぁ。

 ファイティングポーズをとって構えるミサキに苦笑しながら、私はナイフを渡した。

 長年使い続けているやつだ。大事にしてくれよ。


「うわぁああああああああ!」


「バケモノ、バケモノだぁあああ!」


「もうダメだ! おしまいだぁあああ!」


 絶叫が次々と上がった。

 広場を囲む木々が押し倒され、異形の軍勢が広場になだれ込んできた。


 今度は人型でさえなかった。樹木や獣や鳥や虫の姿に似ていた。だが似ているだけだ。どれもこれも目玉を強調した悪趣味なデザインに作り直されていた。

 くそったれ、いつの間にこんな奴らを出したんだ。


 奴らは広場へ入り込むと二手に分かれて広場の外周を囲い始めた。最悪だ。一人も逃さないつもりか。

 包囲される前に逃げたくても、外周から次々と押し寄せる人形のせいで動くに動けない。

 頼みの綱であるレトリバは冒険者が動揺した隙に人質の鎖を破壊して回っていたが、同時に複数の人形に襲われ背中に張り付かれていた。

 シバが泣きながらそれを引き剥がそうとしている。


 敵は徹底的にやるつもりだ。

 樹木タイプの奴らは根っこを使ってタコのような動きで這い回り、あっという間に広場の外周を包囲した。奴らの体は血のような樹液で潤っており、火を恐れる気配さえない。10mを超える個体もいるのに、なんだこの足の速さは。


 包囲網に外側から入り込もうとしてきた人形達が、次々と怪物樹木の枝に突き刺されて引き裂かれていく。

 四肢をバラバラにされても人形はまだ動いていたが、枝のオブジェとなった身では何もできないようだった。……ん?


「やる気あんのかテメェらぁああ! もっと頭数出せ増やせ増やせ! 戦いは数だよアニキィィ!」


 散発的に降ってきていた人形の数が桁違いに増加した。それだけじゃない。何十体もの個体が巨石じみた一塊となり、加速度的に速度を増しながら地表に次々と落ちてくる。私達の頭上にも。

 逃げなくては、だが逃げた所で……。


「いっくぞぉおおおお! お前らぁああああー!」


 異形の影が蠢く闇の中に、一つの赤い光が灯った。

 灯火は伝播するように、次々とその数を増していく。

 赤い光は怪物達の目玉だった。何百何千という夥しい数の目が赤い輝きを帯び、暗闇を埋め尽くしていく。

 それと今の声は、まさか。


「突撃だぁあああああ!」


 地表から巨木が飛び立った。何本も、何本も。根元から大量の血液を噴射して信じがたい速度で空を飛び、人形の塊に次々と突き刺さっていく。深く、深く。


「ブッ壊せぇえええええー!」


 夜空に血の花が咲いた。人形の塊が爆ぜ、頭と手足が飛び散る。この光景は現実なのか。

 上空にブチ撒けられた血液は、まるで意思を持つかのように広場を避け、人形達の破片を飲み込みながら四方に分散していく。


 広場を囲み始めていた火の手は、降り注いだ大量の血液によって瞬時に鎮火された。

 いや、それだけじゃない。血を浴びた樹木の様子がおかしい。ガタガタと震え始め……うわっ!? 次々と目玉が生え始めた!

 こいつらこうやって増えていくのか!? 怖ッ!


 わずかに落ちてきた破片や、塊に飲まれなかった人形達が上空で不自然に停止した。空中で小刻みな上下運動を繰り返す人形に異形の影が這い寄る。

 蜘蛛だ。人狼級の大きさを持つ大蜘蛛達が私達の頭上に網を張り巡らせ、落下して来る人形を次々と絡め取って噛み砕いていた。


 網の向こうに見える空には、巨大な鳥が何十羽も飛んでいた。羽ばたく度に撒き散らされる羽毛が意思を持つように縦横無尽に夜空を舞い、赤い軌跡を描いて人形達を切り刻んでいた。


 地上に意識を戻すと、広場に入り込んで来る人形達は随分と少なくなっていた。

 あの怪物達が敷いた包囲網が私達を守っている。

 時折、包囲網を抜けて来る人形もいたが、冒険者達が数人がかりで始末していた。


 怪我人達にも怪物が集っていた。


 一つ目の巨大蚊が、毒に苦しむ人狼から毒血を吸い出している。歩き回る赤いアロエは、自分の葉を千切ってドーベルとジャックに差し出していた。

 複眼を持つ蛇が、腕の骨を折った冒険者に巻きついて固定具となっている。無数の赤蟻が、酷い裂傷を負った冒険者の傷口に噛みつき、傷口を縫って出血を止めている。

 先ほど人形に体の中を掻き回されて死んだ冒険者は、注射器みたいな蜂に刺されたかと思うと、元気に動き出して素手で人形達を引き裂いていた。……って、待て待て! それ治療とは何か違うだろ! 別の問題が生まれてないか!?


 何だ、この怪物達は。なぜ私達に味方しているんだ。

 人も人狼も、誰も彼もが困惑していた。


「おーい! オレだぁー!」


 怪生物達の中心から、見覚えのある獣人の少女が手を振っている。

 ハスキだ! あいつ! 生きてた! 無事だった!


「じいちゃん! みんなは! ?無事か!」


「ハスキ!? あなたこそ無事だったのですか!?」


 ハスキの手には、スレイが持っていた赤い刀が握られている。奪ったのか。だがこの怪物達と何の関係が。


「こいつらのことなら心配するな! 作ったのはスレイだけど今はオレがこいつらの長だ! オレの言うことなら何でも聞くぞ!」


「おお、それは素晴らしい。ということは、少なくとも剣聖スレイには勝てたのですね」


「もちろんだ! オレは誇り高き人狼だからな! あの二人は……よかった、まだ生きているな!」


「ハスキさん! よくご無事で!」


 ハスキが高々と腕を掲げて私に笑いかけてきた。

 ひとまずこっちも片手を上げて応答する。

 次々と起こる異常事態に頭がついていけないが、これだけの戦力があれば逃げ切ることができるかもしれない。


「クレア、ミサキ、あいつを倒す方法を教えてほしい」


「は?」


「えっ?」


 だがハスキは白騎士を剣先で指した。

 ……いやいやいやいや!


「えっと、逃げる方法の間違いではないんですよね?」


「逃げ道はない。森は全てあの煙に囲まれた。こいつらを何体か煙の中に入らせたが、全身から血を吹いて死んだ。土の中もあの液が染み込んでドロドロだ。道は前にしかない」


「だからと言って、いくら何でもあれは無理だろ……」


「無理? それは本当か? ちゃんと考えたのか?」


 ハスキが私に詰め寄る。こいつ、近くで見ると傷だらけだ。むせ返るほど濃密な血の匂いもする。

 あの二人に相当痛めつけられたな。


「ならあれは何だ。なぜあいつはあんなに余裕がない。あれは敵の奥の手じゃないのか。追い詰められたから使ったんじゃないのか」


「いや、しかしな……」


「オレはお前たちの言う通りに戦ったぞ。そしてあの二人を叩きのめして勝ってきた。敵は信じられないほど強かったけど、それでも一度は勝てたんだ」


「それはよかったけどな……」


「オレはまだ戦える! それにお前の同族も二度と殺したりなんかしない! だから頼む!」


 ハスキは私の肩を強く掴み揺さぶった。

 やめろ、バカ。お前の力で掴むと痛いんだって。


「もう一度教えてくれ! 自分より強い敵に勝つ方法を! できないことをやってみせる方法を! 不可能に挑むのが冒険者なんだろ! なあ!」


 無理だ。冗談じゃない。

 私は真っ直ぐすぎるハスキの眼から逃げるように顔を背け、周囲を見渡した。

 怒り狂う巨大な白騎士。逃げ場を塞ぐ桃色のガス。空から無尽蔵に降り注ぐ人形。ハスキが連れてきた大量の怪生物。集まってきた人狼達に、こちらの様子を伺う冒険者達。


 めちゃくちゃだ。もう私のような一冒険者に何とかできる範囲を逸脱している。多少の知恵や工夫なんて、この状況で何かの役に立つとは思えない。

 戦力が増えたとはいえ、無敵のあいつに勝てる可能性なんて確実にゼロだ、ゼロなんだよ。


「クレア様」


「……なんだよ」


「手、痛くないですか」


 ミサキが私の手をそっと握った。

 そこでようやく私は、無意識に拳を強く握り締めていた事に気付く。

 力を抜き、ミサキと顔を向かい合わせた。

 ミサキが微笑む。




「次は、クレア様が諦めない番ですよ」




 ミサキの眼。夜明け前の空と同じ色の瞳。

 かつて私は、そこに奈落を見たと思った。

 だが、それは間違いだった。私が見たものは狂気の闇などではない。


 あれは、絶望と戦う者の顔だった。

 いっそ諦めた方が楽だっただろう。この世の地獄を見てきたはずだ。幾度も期待を裏切られ、心を弄ばれ、自らの全てを否定され、殺されるのを待つだけの時間に浸されては、誰だって。


 だが彼女は、それを選ばなかった。

 今だから分かる。

 ミサキは誰よりも必死で、命乞いをし泣き縋りたくなる気持ちを抑えて、他の奴隷とは違う言葉と行動で、私の興味をほんの僅かでも惹こうとしていたんだ。


 あの日私が見たものは、地獄の底で星よりも遠い希望に手を伸ばし続ける人間だけが放てる光。


 この世で最も尊い光だった。




 そっか、次は私か。

 じゃあ仕方ないな、もうちょっとだけ頑張らないと。


「……わかった。まずは奴らと戦った時の話を聞かせろ、ハスキ」


「ああ、ああ! もちろんだ!」


「クレア様! 何か考えがあるんですね!」


「それを今から三人で考える! あの無敵の英雄様を叩きのめして全員で生き延びる方法をだ!」


「はい、頑張ります! 一緒に戦いましょう、ハスキさん!」


「ああ! 戦闘はオレに任せろ! まだまだ戦えるぞ! 誇り高き人狼の強さを見せてやる!」


 ミサキだけじゃない。ハスキだって自分より強い人狼を殺しまくった無敵の英雄に戦いを挑んだ。

 他の人狼達も、冒険者達も、怪物達も、誰も諦めていない。疲労に軋む体に鞭打って、無限に降り注ぐ人形と戦い続けている。


 だから次は、私がその輝きを見せる番だ。

 そういうことなんだろ、ミサキ。

いずみんさんからもらった女神様の挿絵






挿絵(By みてみん)








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