第4話。ワールドリウム
私達の同行がよほど嬉しいのか、半裸男はとにかく元気に走り回っていた。落ち着きの無い彼を追って村落の北側から出ると、村落の近くに大量のファンシー生物が徘徊している動物ふれあい天国……じゃなくて……えっと、なんかそーゆー場所があった。多分危険。でもまだ縄張り内じゃないからセーフ。あ、半裸男が突っ込んでった。いいなあ。
「クレア様……? あの、よだれが……それとお顔……」
ミサキがなぜか私の口元を布きれでフキフキしている。気のせいだとは思うが、気のせいか私の思考能力が極端に低下している気がする。なんて恐ろしい精神攻撃を使う敵なんだ。今はまだ三種族だけだが、この現象を放置しておくと何百種類という怪生物が発生して……くれる……に違いない……。こんなものが世界中に広がってしまったら……ふへへ………………。
「って、ダメー!」
私は自分の頬をパァーンと引っ叩いた。ジンジンと頬に響く痛みが理性を呼び戻し、ぬるま湯に浸っていた脳を叩き起こす。
「よしやるぞ! 絶対やるぞ! やってやるぞ! 私はこいつらをブッ殺す! 一匹残らず絶対殺す! 絶滅させる! どれだけ可愛くてもこいつらは侵略者だ! 敵は殺す! 悪は殺す! 絶対殺す! 駆逐してやる!」
危なかった。最近ヌルい仕事が続いていたから気が緩んでいたようだ。こんなんだから私は半人前なんだ。可愛かろうが何だろうが、こいつらをこの世界から一匹残さず消し去らなくてはならない。それが私の仕事だ。
「クレア様……」「お前……」「男前のネーチャン……」
自分の顔を叩いてせっかくやる気を出した私を、三人は何とも言えない顔で見ていた。仲間に向かって何だその目は。言いたい事があればハッキリ言え。
「お姉さまのレア顔……ごちそうさまでしたぁ!」
なんか嫌な奴の嫌な台詞も聞こえた。もうぜんぶイヤ。こんな奴みたいにキャラ崩壊したくない。帰ってきて私の威厳。
「で、あいつはオレ達をここに連れてきてどうしたいんだ。罠か?」
「罠ではないみたいですよ? だってあの人も襲われてますから」
小娘二人は露骨に私から目を逸らし、ゆるかわふれあいコーナーの一角を指差した。その先では私達を先導してきた半裸男が怪生物の袋叩きに遭っており、さらにそのすぐ先には半裸男にソックリな死体が転がっていた。
「あの死体は、おそらくあいつが前回死んだ時の死体だろうな。しかし本人が生き返っているのに、なぜ死体が消えないんだ?」
前後左右から怪生物の体当たりをボヨンベチンと受け続けていた半裸男は、やがてバタリと倒れて動かなくなった。そしてすぐ側に半透明の幽霊男が出現する。ここまでは予想通りだ。
「あ、最初からあった方の死体が消えましたよ」
ミサキの言う通り、今の今まで転がっていた死体が消えていた。その代わりに石の槍や木の盾や謎の丸太、妙にキラキラ光る何かが散らばっている。どれも先程までは無かった物だ。怪生物達をすり抜けた幽霊男は、こちらを見ながら無念そうにそれらの前で立ち尽くしている。
「どうやら彼はあれらを拾いたいようだ。心を鬼にして怪生物の駆除を手伝ってやろう」
「あいよ、適材適所といくか。露払いは俺に任せな」
「間違っても突っ込まないでくれ。奴らの縄張りを意識して、一匹ずつ数を減らしていこう」
「慎重でいいねぇ。俺達ゃ死んでも神サマにお祈りして生き返らせてもらうってわけにゃいかねえからな」
「私達の神にも、ここの神の慈悲深さを分けてもらいたいものだな」
「違えねえ! ガハハハ!」
山賊男は両手に斧を持って豪快に笑った。魔女狩り部隊に聞かれたらその場で粛清されそうな会話だ。
しかし、もしも祈るだけで死者が生き返るような世界なら、この世はあっという間に人口過密のすし詰め状態になっていただろう。ジェルジェやパレードを思うに、『不可逆の死』というルールを設けた私達の神は、辛辣に見えて意外と慈悲深いのかもしれない。
私達が怪生物を駆除していると、村落に駆け込んで行った幽霊男が半裸男になって戻ってきた。また教会で生き返らせてもらったのだろう。「!」彼は何やら興奮した様子で、私達の周囲をグルグルと走り始めた。まるで子供のように落ち着きが無い奴だ。……いや、もしかすると本当に子供なのかもしれない。
何にしても今邪魔をされたら困る。その場で待てという意味を込めて彼の前に両手を広げて立つと、素直に彼は静止した。やはり意思の疎通は可能なようだ。あらためて観察してみると、あれだけ走り回って汗も掻かなければ息も乱れていない。顔は相変わらず無表情だ。
彼を傷付けても、きっと血は出ないだろう。彼もまた怪生物と同類だ。おそらくはこの世界の住民は全てこうなのだろう。血も死も無い、偽りの優しい世界……か。
「クレア様。あの人……不思議な強さです」
私が半裸男の相手をしている間に、山賊男が20匹くらい居た怪生物を早くも半数くらいに減らしていた。ハスキがウーと唸る。
「なんだあれ」
二人が訝しむのも無理はない。彼の戦い方はとても奇妙だった。
まず、ずかずかと怪生物の縄張りに踏み込んでいく。そうなれば当然、怪生物は彼に向かって突進していく。しかし山賊男が何かを唱え
怪生物は途中で興味を失くしたように足を止めて明後日の方角に歩き出すので、その背中に山賊男が斧を振り下ろす。この繰り返しだった。
見た目と違って本職は魔術師……あるいは呪術師なのかもしれない。ナインが見せた相手の気を逸らす技術に近いが、ナインと会うより前にどこかで見た事がある能力のような気もする。
それにしても意外な助っ人が居たものだ。この依頼を受けた冒険者は私だけのはずだが、
怪生物の駆除が終わると、半裸男は散らばった物品へと一直線に駆け寄っていった。拾い集めたわけでもないのに、彼の足元で物品が次々と消えていく。かと思えば、消えた石の槍と木の盾が彼の手元にいきなり出現した。
「!」
彼は嬉しそうにその場をグルグル回り出したかと思うと、今度は村落へと走り出した。「おい、自分の死体はいいのか?」思わず声をかけたが、彼は自分の死体を放ったらかしにして村落へ駆け込んでいく。どうやら自分の死体はどうでもいいらしい。あるいはこの死体もしばらくすれば消えるのだろう。
「追うぞ。今から村落がまた発展するはずだ」
「はい」「おう!」
彼を追って村落へと戻ると、彼はすぐに見つかった。彼は村落の入り口付近で、住民と向かい合って棒立ちしている。私達には認知できない何らかの方法で対話をしているのだろう。
「あれ? こんな場所に馬小屋なんてありましたっけ?」
ミサキが言う通り、先程まで存在していなかった馬小屋が村落の入り口付近に出現していた。
「これが今回の発展だ。怪生物から逃げられるように、移動手段を造ってもらったんだろう。さしずめあの丸太や光る何かは引き換え券か」
「変わった言い回しするねぇ、男前のネーチャン。作った、じゃなくて作ってもらった、か。そりゃ誰にだい」
「この世界を管理・運営している黒幕だ」
「それはあの男じゃねえんだな?」
山賊男が指差す先で、半裸男は手当たり次第に村落の住民と向かい合い始めた。今回の発展で馬を手に入れた彼は、次なる発展先を探しているのかもしれない。
「そうだ。彼は間違いなくキーマンだが黒幕ではなく、何らかの手段で彼を殺しても問題は解決しない」
「ふうん、詳しく聞きたいねえ」
「順を追って説明しよう。まずは疑問の確認からだ。ミサキ、シビライゼーションの謎は何がある? 謎や不自然な点を思いつく限り並べてくれ」
「謎と不自然な点、ですか……資料でも分からないことはたくさんありましたが……えっと……」
ミサキはキョロキョロと周囲を見渡し始めた。そしてうーんとしばらく考え込んだが、やがてたどたどしく答え始めた。
「とりあえず、自分で見た物だけ話しますね。えと、地形を無視する異界、根っこの無い草、場所ごとに流れる音楽……こちらの物だけ私達の世界に持ち出せない仕組み……血も骨も内臓も無くて透明になる可愛い生き物……内と外がお互い見えない家々……意思を感じない人々と、突然発生する施設……それと、あの人に関してはたくさんあるんですが……」
「彼に関しては後ほど話そう。まずはそれ以外の謎に対する私の見解から説明する」
私が半裸男を追って歩き始めると、仲間達は私に追従してくれた。半裸男は目につく者全員と対話する勢いで誰かれ構わず捕まえては棒立ちになったり、家の中に入ってすぐ出てきたりを繰り返している。
「結論から言おう。この現場は異界であり、ここにあるモノ全ては人工物だ。土も草木も施設も生物も私達の世界由来の物品は一つもなく、外部で製造された完成品を何者かが投入している。最初から完成品なのでそこに至るまでの過程が無いのは当然だ。生物には生まれ育ち子孫を残す機能が無く、文明は素材に創意工夫を重ねて成長する歴史が無い」
昨日の夜、家出二人組を引き渡した際にゴート卿から聞いた話が参考になった。一から自作するより完成品を使った方が効率が良い。その通りだ。
ならばつまり今回の黒幕は効率を気にしている。無限の時間とリソースを持つ相手ではないということだ。
「調査員がこの世界の生物に疑惑を抱いたのも当然だ。自由意志の有無を生物と非生物の判断基準にするならば、怪生物も住民も生物ではない。調査員の推測通り彼らはゴーレムで、与えられた命令に従ってのみ行動する……プログラムが仕込まれている」
ん? プログラム? 自信満々に言い切ってしまったが、プログラムなんて単語は聞いたこと無いぞ。どこで知ったんだったか……まあいいか、今は重要じゃない。続きを話そう。
「この現場は私達の世界に設置されているから、もちろん私達の世界と現場は繋がっている。しかし完成品を投入するためには、あちら側とも現場は繋がっていなくてはならない。あちら側が異空間か異星か異世界かは不明だが、暫定的にあちらの世界と呼ぶ」
私は一旦足を止め、ミサキとハスキの手を取って重ね合わせた。そしてその上からさらに自分の手を重ねる。
「これがこの現場の正体だ。一番上にある私の手があちらの世界、一番下にあるハスキの手が私達の世界。そしてその両者に挟まれたミサキの手がこの現場だ。ここは二つの世界を繋ぐ狭間にあり……二つの世界が決して交わらないように、持ち出し禁止のルールを設けている」
「なるほどな、筋は通ってるように聞こえるぜ。ならその持ち出し禁止のルールとやらはどうやって通してるんだい。見えない関所でもあって、持ち物検査でもされてんのかい」
「その解釈で結構だ。そこは重要ではない。それよりも考えるべきは『どうやったか』ではなく『どうしてそれをやる必要があったのか』だ」
私は山賊男の目を見て答えた。心なしか、荒くれにしか見えない彼が僅かに怯んだ気がする。
「そしてそれも答えよう。正解は『別世界からの病気や危険生物の侵入を阻止するため』だ。この現場に持ち込んだ物を元の世界に持って帰るのはいいが、もう片方の世界産の物品を持ち帰ろうとすると消される。外来種の侵入リスクを抑えつつ現場に最低限の干渉をするために、あちらの世界でも間違いなく同じルールが適応されているだろう」
未知の病気や生物を恐れる黒幕、か。つまりエメスと違って間違いなく実体を持つ相手だ。ならば殺せる。
私は二人から手を離して半裸男の姿を探した。彼は剣の看板が出ている店から出てきて、盾の看板が出ている店に入っていく所だった。私は彼の後を追って盾の店の前へ向かったが、やはり外から中は見えない。屋内と屋外が互いに観測不能になっている理由はまだ不明だ。
「彼は今、この店で買い物をしている。封鎖隊が遭遇した時から私達と会うまで下着しか持っていなかった彼が、何らかの手段でこの世界の通貨をどこかで入手している。あの自分の死体から回収したか……あるいは怪生物を倒した『ご褒美』として飼い主から貰ったかのどちらかだろう」
私が話している間に、盾の看板の店から半裸男が出てきた。「!」そして私達に気付くとこちらに走ってきて、「!」何も無い場所から出した三人分の木刀と木製の丸盾を、私達の目の前に置いた。やはり買い物をしたか……しかしこれを私達に?
「まさかお礼のつもりか? 義理堅い奴だな」
私がそれらを拾うと、半裸男はその場をグルグルと回り始めた。私に続いてミサキとハスキも拾う。「あ、割と軽いですね」「手触りが違う。本物の木じゃないぞ」二人の感想に私も心の中で同意した。
そして半裸男は私達の前でまた棒立ちになった。
おそらく彼の方法で私達に話しかけているのだろうが……すまないな、私達にはそのメッセージを受け取る器官が備わっていないんだ。
「……この世界は、箱庭だ」
孤独な彼に抱いた仄かな哀れみの念を振り払うように、私は解説を続けた。
すぐ感情移入するのは私の欠点だ。下手に仲良くなるとまた後が辛くなる。彼もこの環境も私達の世界に存在してはいけない侵略者なのだから、消し去らなくてはならない。
「人工物の環境、意思を持たない作り物の人々、明確に区切られたエリア、倒せるようにも逃げられるようにも作られた敵、死ねない体、そして飼い主を喜ばせる芸をすれば与えられるご褒美……。ここはアクアリウムやテラリウムの大規模な同類であり、世界そのものを模した箱庭……【ワールドリウム】だ」
私はホルローグの魔女狩り部隊戦でエメスが作ってくれた、土の箱庭を思い出していた。規模とクオリティは違えど、この世界はあの箱庭と似ている。
「シビライゼーションは結果として私達の世界を侵蝕しているだけで、侵蝕そのものが目的ではない。ここの運営者にとって私達は敵としてすら認識されておらず、庭に野鳥が遊びに来たくらいの感覚なのだろう」
エメスの時のように、私は黒幕がこの話を聞いている事を計算に入れて話をしている。せっかく用意した環境が乱暴な客に壊される事を黒幕が嫌がるならば、その意図を広める私を生かして帰したくなるように。
「だから『マナー』を守っている間は排除されない。発見者や調査員はそれを怠ったから消された。倒してもいい怪生物以外への攻撃行為は控えるべきだ。私達は帰ってこの事実を伝えなくてはならない」
私が仮説を話している間に、半裸男はすぐ近くの教会へと駆け込んで行った。
「最後に、このワールドリウム内には特別な存在が居る」
急いで追う必要は無い。私は歩いて彼の背を追った。他の三人も私に続く。不可視の暗闇が歓迎する入り口を潜り、異界の教会へと足を踏み入れる。
「神を知覚し、自由意志と不死の身体を持ち、行動に見合う報酬を貰い、頭上には名札が付き、過程が省かれた世界で唯一成長する可能性を持つ者。この世界の主役である彼を、私はこう呼ぼうと思う」
その先には、聖堂で膝をつき女神像に祈る彼の姿があった。荘厳な音楽が流れ、清らかさを感じる光の波が彼を包む。
「【祈る者】。この世界では、彼だけが神に祈る。異界の神と、ただ一人の信者で完結する世界……それがシビライゼーションの正体だ」