第10話。嵐を呼ぶ! 勇者カノンと仮面の冒険者!
エリーは信じられない思いで目の前の光景を眺めていた。絶望的だった状況が、何もかも吹き飛ばす嵐のような乱入者によって破壊されていく。
「あああああああああ!」「やめてやめてやめてえええ!」「こんなの耐えられない!」「嫌ああああああああ!」「何よ精神攻撃なんてスリッパラッパーッ!?」「ゆるしてゆるしてゆるしてゆるして」
不死身の狂人達が悶え苦しんでいる。スリッパが刺さったブラウン管からは火花が噴き出し、映像乱れるモニターの中で涙と鼻水を垂れ流して泣き喚いていた。
「やめろって言ってンだろテメェよおおおお!」
【エンターテイナー】の反撃!
「むんっ!」
しかしカノンはカッコいいポーズを決めている!
《呪ってやるぞおおおおお!》
ビルド・ザ・スクリームが発動!
「ギャアアアアアアア!」
【エンターテイナー】は絶叫した!
「アタクシに何をしたああああ!」
別の【エンターテイナー】の強襲!
「とうっ!」
しかしカノンはイカしたポーズを決めている!
《このひとでなし共があああああ!》
ビルド・ザ・スクリームが発動!
「もうやめてえええええええ!」
【エンターテイナー】は絶叫した!
「輝く筋肉! デデッデー! 無敵のパワー! ダダッダー! カノンカノンカノンー! 正義の叫びだ! ビルド・ザ・スクリームー!」
馬男の頭の上では複数人の【ガイド】がステージを設営しており、勇者カノンのテーマ(作詞・とある女冒険者)をエンドレスで演奏している。
「何なのよごれえええええええ!?」
「継承魔法スクリーム。相手の恐怖を現実化する凄まじい魔法だ。相手が強大な存在であればあるほどに、その効力もまた必然的に強大になる。【トップランナー】達もすでに説得済みだ。悪いが進路は変えさせてもらった」
「お願い! アタクシを正気に戻さないでええええ!」
「かつては善人だったお前だからこそ、良心の呵責に耐えられないか。だがその苦しみは、お前が捨てたお前だけの苦しみだ。大切にするといい」
泣きながら足元に擦り寄ってくる【エンターテイナー】を、女冒険者は邪魔そうに蹴飛ばした。
スクリームからカノンへ受け継がれた(意図的かどうかは不明)魔法(呪いの可能性あり)は、人が心の奥底に抱えた恐怖を具現化する。そして『正気を取り戻す』事こそ、不死身の狂人が心に秘めた唯一無二にして最大の恐怖だった。
「エリザベス・バートレイとアクセルだな」
絶叫する狂人達をよそに、女冒険者が馬男の口から飛び降りて少年少女に歩み寄ってきた。エリーはまだ呆然としていながらも、何とか頷く。一方でアクセルはまだ白目を剥いて痙攣していた。
「今朝、捜索依頼が私の元に届いた。危うく手遅れになる寸前だったようだが、お前達がこいつらの悪趣味なシナリオに乗らずに粘ってくれたおかげで間に合った。よく頑張ったな」
抑揚が少ない為に冷たく聞こえがちな声だったが、彼女なりの気遣いはエリーに伝わった。恐怖と思い出の陵辱で凍てついていた心にじんわりと温もりが沁みていく。
「諦めるな……って、言われた……から……。私も……自分の命は……自分の判断に賭けようと思って……」
「ああ、数日前に一度会ったな。あの時は他人だったが、どうやら少なからず縁があったようだ」
「縁って……捜索依頼? まさかママから……?」
「お前の父の同僚にあたるバリス卿からだ。私も彼と同様にビステル卿には世話になった。『私に似て不器用な娘を頼む』と遺書にも書かれていたしな」
突然出てきた父の名にエリーは目を丸くした。
「遺書!? 遺書って!? それとパパを、ビステル・バートレイを知ってるのね!? やっぱりあなた、アベルを負かしてジェルジェを消滅させた女冒険者の……!」
「察しがいいな。だが他言は避けてくれ。一介の冒険者の名前が売れるとロクな目に遭わない。話が聞きたいならば、ここを出てからにしよう」
女冒険者はピクピクと痙攣しているアクセルの前に屈み込んだ。「酷いな……。あいつらにやられたのか……」冒険者がアクセルにかけた言葉に、エリーの目が泳ぐ。
「聞こえるか、救助に来た。医者に連れて行ってやる。死ぬんじゃないぞ」
女冒険者がペチペチとアクセルの頬を叩くと、「う……あ……?」彼は意識を取り戻した。まだ状況を把握していないようで、虚ろな目で女冒険者とエリーを見上げてくる。
エリーは何かを言いたげなアクセルから思いっきり顔を逸らした。
「聞けばソル卿が支援していた孤児院の出身らしいな。しばらく泳がせても帰ってくる様子が無いとバリス卿が心配していたぞ。何が何でも生きて帰って、後でたっぷり叱られろ」
アクセルは自分と聖骸騎士の関わりをエリーに隠していた。悪気があったわけではない。エリーの父親を死なせて自分だけ生還した聖骸騎士の小間使いだと思われたくなかった。
エリーにとって居心地の悪い実家に彼女を連れ帰る事が一番丸く収まる結果になるとは気付いていたが、『薄っぺらい言葉をかけるよりもエリーの気が済むまで家出に付き合ってあげた方が良いのではないか?』という若い判断に彼は流れてしまっていた。
「立てるか。撤収する」
「うん」
女冒険者が差し出した手をエリーが握る。しかしエリーにふと疑問が湧いた。
「でも、もう帰っちゃうの?」
「言いたい事は分かる。【パレード】は宝の山だからな。あの魔法を使って手土産を持って帰りたいんだろう? その気持ちは分かる」
顔が見えなくとも、兜の下で女冒険者が苦笑する気配がした。
「だがカノンも無敵ではない。この能力も必ず対策される。必ずだ。だから欲張らず今のうちに帰るぞ」
女冒険者がエリーを引っ張って立ち上がらせた。「アクセルを運ぼう。手を貸してくれ」「うん」そして二人でアクセルに肩を貸し、両側から支えて立ち上がらせた。
「いいって……俺、もう痛みも引いてきたから……」
「強がりは自分で歩けるようになってから言うんだな」
そして彼らはまだ足に力の入らないアクセルを馬顔の巨人の元へ運び、「悪いが帰りも送ってくれるか」女冒険者は穏やかに自分達を見守る巨人を見上げた。
「もちろんよ。私のお口の中にどうぞ」
まだまだカッコいいポーズを取り続けるカノンを口内に入れたままで彼が微笑んだ。
「ありがとう。【トップランナー】であるお前があらゆる障害を突破してくれたおかげで助かった。だが良かったのか? 先頭集団とこんなに差が開いてしまってはもう……」
「いいのよ。あんなレース、結局はただのお遊びだもの。自分同士でマウントを取り合うなんて不毛よね。そんな事より、久しぶりに人の助けになれて嬉しいわ。さ、乗ってちょうだい。帰りも気を抜かずにね」
女冒険者とアクセルが先に口内に入り、エリーが最後に巨人の唇へ足をかけた。しかしその足に異形のキリンがすり寄る。
「お願い! お願いよ! アタクシに罰をちょうだい!」
キリンの後ろにも【エンターテイナー】達が列を成して土下座していた。エリーはそれを複雑な思いで眺める。正直言ってもう彼らに関わりたくはなかった。
「自分がこんな酷い事をしたなんて耐えられないの! お願いだからあなたが思う最も苦しくて残酷な罰を教えて! アタクシが自分で自分にそれを執行するからぁあああ!」
エリーは少し足を止めて自分の胸の内を探ってみたが、泣き叫ぶ彼らに抱いている感情は恨みよりも哀れみが強かった。この狂人達のバックボーンなど別に知りたくもないが、これまでの言動から彼らが決して幸福ではない事だけは分かる。不老不死を極め、人知を超えた力を手に入れている彼らだからこそ、正気を失ってしまう程の苦しみがあったのだろう。
そして彼らが罰を求める気持ちも分かる。
自分もそうだった。父に対して決して許されない事をした。だから【エリア・スマイル】の経験は、自分が犯した罪と釣り合うだけの罰がようやく与えられたとさえ感じた。
「じゃあ……」
だからエリーは、彼らの望み通りに罰を与える事にした。
「捕まっている他の人達を助けてあげて」
ひれ伏していた【エンターテイナー】達が一様に顔を上げた。「やるわ。必ず。全員助ける」その顔は狂気に歪んでいたこれまでとは一線を画しており、揺るぎない意志と覚悟が瞳に宿っていた。
「ほう」
女冒険者が感心の声を漏らす。
「カノン、もう少しだけ頑張れるか。危険は承知だが、ギリギリまでこいつらを手伝ってやってほしい」
「はっはっは! お任せください! ドワォ!」
カノンは空を飛ぶポーズで馬男の口内から飛び出した!
しかし空は飛べないのでキリンの首の上に腹から着地!
「頼んだぞ。私は先に二人を安全な場所に置いてくる」
「さあ行きましょうオカマ殿! たとえ火の中水の中虎の穴! 冥府魔道も恐るるに足らず! 我々には英霊スクリーム殿の加護があります! 総員我に続けーっ!」
「まあ素敵! とても頼もしいわ!」
《全身全霊でお前らを呪ってやるぞおおおおおおお!》
女冒険者の話を聞いているのかいないのか、何やら楽しそうに突撃していくカノン達を尻目に、「こっちもそろそろ出発しましょうか」馬男は冒険者達を口内に収めて口を閉じた。突然の暗闇に少年少女がややたじろぐ。
「【リジェクター】を誤魔化しながら向かうわ。ちょっぴり時間がかかるけど、もう少しの辛抱よ」
「助かる」
女冒険者が感謝の言葉を述べると、それっきり急に静かになった。もう馬男は移動し始めているのだろうが、振動も全く感じない。
「座っていろ。疲れているなら寝ていてもいい」
暗闇の中で聞こえた女冒険者の声に従い、エリーは素直に腰を下ろした。巨人の舌の上は唾液で湿っていて若干臭いが、ようやく休める。「ふぅ……」すぐ隣ではアクセルが同じように腰を下ろした気配があった。
それから数分間の沈黙。
今までずっと騒がしかったおかげで、この静けさがエリーの不安を逆に掻き立てる。本当に自分は助かったのだろうか? 冷静に考えると、あの環境もあの敵も救助隊も現実離れし過ぎている。今自分が見てきたものは本当に現実なのか? もしかすると自分も狂って幻覚を見ているのかもしれない。
限界を超えて麻痺していた恐怖心がじわじわと心を浸す。
所在なさげに馬男の舌の上を這っていたエリーの手が、隣で同じく不安を持て余していたアクセルの手に触れた。
「何よ?」「何だよ?」
暗闇で互いの顔は見えないが、何となく顔が向き合ったという感覚があった。
「用も無いのに気安く触らないでくれる?」「人の手を触ってきたのはお前だろ」
あれだけの事があっても変わらぬ相棒の態度に、少年少女はこれまでにない安心感を覚えた。
「何か言いたいことあるんでしょ。言えば」「お前こそ俺に言うことあるだろ」「別に。そっちが先に言いなさいよ」「じゃああるんだよな。俺もあるにはあるけど、お前が先に言えよ」「偉そうに命令してないで先に言いなさいよ」
一見険悪にも見える彼らの会話は、もう二度と帰れないと思っていた日常にまた戻る為の通過儀礼でもあった。
「ごめんな」
アクセルの唐突な謝罪にエリーは思わず口ごもった。
「何が?」「……いろいろ」「ふーん」
本当に伝えたい事こそ口に出せないもどかしさをエリーは知っている。だから彼女は自分から水を向けてやることにした。
「聖骸騎士との繋がりを隠してたこと?」
「それもある……」
「それともあたしを見捨てようとしたこと?」
「それも一応……」
「もしかしてあたしを殺そうとしたこと?」
「…………ごめん。俺、何もできなかった。お前が抵抗してくれなかったら、今頃俺はお前を……!」
急に泣き出しそうな声色になったアクセルの横腹を、エリーが肘で軽く小突いた。
「泣き言禁止」
「…………ごめん」
「何よその声、慰めてほしいわけ? あんたよりあたしの方がよっぽど酷い目に遭ったんだけど?」
「だよな……マジでごめん」
エリーは手探りでアクセルの胸ぐらを掴んで引き寄せた。暗闇で互いの顔は見えなくても、声でお互いの顔の位置は大体分かる。
「ほんとあんたって最低よね。いきなり裸になるし、媚び売って自分だけ助かろうとするし、相談もなくあたしを殺そうとするし」
「だからごめんって……」
「その上、謝るだけで許してもらおうなんてムシが良すぎない?」
エリーは暗闇で誰にも顔が見られない事を確信した上で微笑んだ。
「でも、あたしの為に精一杯頑張ってくれたの知ってるから……ちょっとだけ、嬉しかったよ」
そして体と心に勢いをつけて、エリーはアクセルの顔の位置に唇を寄せる。
「ぶへっ!?」
しかし慣れない行為のためか、エリーは顔を寄せたつもりがアクセルの顔面に頭突きをお見舞いしてしまった。
「え!? あれ!? 顔そこ!?」
鼻を押さえて悶えるアクセルと、慌てふためくエリー。
「たしかに俺が悪いけどさぁ! いきなり殴ることないだろ!? 殴るならせめて殴るって言えよ! なんで一回優しい空気出したの!? 逆に怖えーよ!」
「違うの! 頭突きしたくてやったわけじゃなくて……!」
「じゃあ何をするつもりだったんだよ!」
「それは……その…………ん……何だっていいでしょ!?」
「頭突きしたお前もビックリしてるの何でだよ!?」
「知らない知らない! あんた絶対今すっごい大損したからね! もう絶対一生後悔するんだから! 絶対絶対!」
「何で!? 全然意味分かんねーんだけど!? 何で俺頭突きされて怒られて大損してんの!? その前にキンタマも蹴られてんだけど!? お前より俺の方がダメージ大きくない!?」
「ちょっと! 下ネタは言わない約束でしょ!? 変態! スケベ! エロアクセル!」
それからもギャーギャーと騒ぎ続ける少年少女を、女冒険者と【トップランナー】は微笑ましく見守っていた。
「それだけの元気があれば大丈夫そうだな」
苦笑する女冒険者にエリーが反応する。
「あ! そうだセンパイ! 名前教えて?」
「センパイ? 私か?」
「うん。覚えておきたいから。それと、ずっと気になってたんだけど、どうして聖骸騎士の兜を被ってるの?」
「ビルド・ザ・スクリームは聖骸騎士の鎧が持つ魔法耐性で無効化が可能だからだ。兜だけでも効果はある。名前を教えるのも別に構わないが……ちょっとだけ待ってくれ。到着まで残り何分だ?」
「あと2分で安全地帯よん」
女冒険者の質問に【トップランナー】が即答した。
「なら着いたら口を開ける前に教えてくれ」
暗闇の中でモソモソと女冒険者が動く気配があった。すぐに移動は終わったようだが、女冒険者がそれ以上何かをする気配は無い。謎の沈黙時間にエリーとアクセルは首をかしげる。
「着いたわ」
「よし、少しずつ口を開けてくれ」
【トップランナー】がゆっくりと口を開くと、少しずつ光が差し込んできた。二度と戻れないと思っていた地上の光。その逆光を背負い、女冒険者が立っていた。大災害【パレード】の進路を歴史上初めて変えた立役者が。
「最初に会ったあの路地裏でも言ったが、私は別に名乗る程の者じゃない。私はただの冒険者……」
女冒険者が兜を脱いだ。金色の髪が風になびき、僅かに飛び散った汗が輝く。彼女の口元はほんの少しだけ微笑みをたたえており、鷹の目にも似た射抜くような眼差しが少年少女を捉えた。
「クレア・ディスモーメントだ」
(よし! 決まった!)
クレアは心の中でガッツポーズをしていた。
こういうところである。