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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【嵐のような災害が何もかも破壊する話】
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第8話。記憶凌辱

「7歳の誕生日おめでとう、エリザベス」


「パ〜パ〜? エリーってよんでっていったでしょー?」


「おっと、ごめんごめん」


「もー!」


「ほらほら、せっかくの誕生日なんだから怒らないの」


 今日はエリーの7歳の誕生日だった。何度も別居と同居を繰り返していた彼女の両親がこの日だけは喧嘩もせず、二人揃って仲良く誕生日を祝ってくれた。エリーの記憶にある限り最も幸せな日だった。


「まったくこの子の怒りんぼさんは、誰に似たのかしらねぇ」


「うーん、パパかなぁ」


「ええっ? パパがエリーを怒ったことなんて一度もないだろう?」


「でもよくママに怒ってるもん」


「うっ」


「そうねぇ、パパはイジワルよねぇ」


「おいおい……今日くらい勘弁してくれよ」


 親子三人が向かい合って座る食卓には、たくさんの美味しそうな料理が並んでいた。庶民の生活水準ではとても用意できるようなご馳走ではないが、エリーの父親は聖骸騎士になる前は貴族の次男であったため、実家を頼れば年に一度の贅沢を叶える事くらいは出来た。


「さ、誕生日のプレゼントだよ、エリー」


「わあー! パパ大好きー!」


 父親が差し出すウサギのぬいぐるみを抱いて、エリーは満面の笑顔を見せた。

 エリーの頭を撫でる優しい父。エリーの肩を抱く美しい母。暖かい家。美味しいご飯。ふわふわのぬいぐるみ。エリーの小さな世界は、溢れんばかりの幸福で満たされていた。





「笑ってる」「笑ってるネ?」「笑顔が一番だネ」





「パパー! こわいよー!」


 エリーが9歳になった頃のある日の夜。彼女が住んでいる村が野盗の襲撃を受けた。それまで死や暴力とは無縁の優しい世界で生きてきた子供が初めて体験した恐怖の夜だった。

 暗闇の彼方から悲鳴と猿叫が刻一刻と迫る中、エリーの父は穏やかに微笑んで彼女の頭を撫でた。


「エリー。お家に鍵を掛けて、ママと一緒に隠れていなさい。あんな連中、パパがすぐに追い払うからね」


「ヤダァー! パパー! いっちゃヤーダー!」


 泣きわめくエリーを彼女の母が優しく抱きしめた。


「大丈夫よ、エリー。パパは今日までいろんな怪物と戦ってきた強い強い聖骸騎士だもの。悪い人が百人襲ってきてもパパが絶対に勝つわ」


「グスッ……ほんとう?」


「ああ、本当だよ。パパが今から悪い奴らをやっつけてくるから、エリーはママと静かにお留守番できるね?」


「うん!」


 エリーの父は彼女の返事に満足そうな微笑みを返すと、剣を掴んで家から飛び出した。その一瞬にエリーが見た父の横顔には、今日まで彼が娘には一度も見せなかった勇猛さと精悍さが力強くみなぎっていた。少女が生まれて初めて見る、戦う男の顔だった。


 そしてエリーの父は強かった。


 聖骸騎士の名に恥じぬ圧倒的な武力を持って野盗達を宣言通りに叩きのめした。20人以上の野盗達が死屍累々と倒れ伏すも死者は無し。軒並み手足の骨を折られて悶絶し、苦悶の声を上げて地面をのたうち回るのみである。


「貴様らに更生の機会を与えてくださった神に感謝せよ。普段なら一人残らず首を刎ねておるところだが、娘の教育に悪いのでな」


 悪党共を鎧袖一触に蹴散らしてそう言い放った父の勇姿は、エリーの心に憧憬となって焼き付いた。悪を打ち砕き、家族を守り、村人から感謝される父の姿は、少女にとって紛れもなく世界一のヒーローだった。


「パパすごいすごーい! せかいいちつよーい!」


 興奮するエリーの小さな胸の内は、父への尊敬と誇らしさで満たされていた。いつかは自分も父のようになりたい。彼女の将来の夢はこの日に生まれた。





「笑ってる」「笑ってるネ?」「笑顔が一番だネ」





「仕事仕事って! 言い訳ばっかりしないでよ!」


 エリーの15歳の誕生日から一ヶ月が経ったある日、久しぶりに父が彼女を訪ねてきた。

 エリーはこの日をよく覚えている。この日は天気が悪く、小雨がパラパラと降っていた。地面は泥でぬかるんでいて、彼女の父は傘も差さずに玄関の前に立っていた。彼は家の中には入ろうとせず、脱いだ上着で包んだ何かを大切そうに抱えていた。


「パパがそんなんだから! 全ッ然お家に帰ってこないから! ママが他の男の人と結婚しちゃったじゃない!」


「エリー……」


 剥き出しの感情をぶつけてくる娘に対し、彼女の父は何も言い返さずに悲しそうに眉をひそめた。

 かつて親子三人で住んでいた家も、今では彼の元妻とその再婚相手がエリーと共に住んでいる。親権をかつての妻に譲った彼が娘に会える日は、年に一度の娘の誕生日だけだった。


「……ほら、エリー。誕生日プレゼントだよ。ウサギさんのぬいぐるみ、好きだっただろう? 遅くなって悪かったね。これで機嫌を直してくれないかな……?」


 エリーの父は弱々しく微笑むと、上着で雨から守っていたウサギのぬいぐるみを取り出した。若干濡れてはいたものの、純白で汚れ一つ無い綺麗なぬいぐるみだった。

 エリーはそれを父の手から受け取ったものの、怒りに身を震わせた。


「あたしの誕生日なんてもう一ヶ月も前に終わったの! 終わり終わり終わったの! そもそも毎年毎年おんなじようなぬいぐるみなんて、バカにしないでよ! もう子供じゃないの! こんなゴミ貰っても、嬉しくもなんともないんだから!」


 エリーはウサギのぬいぐるみを大きく振りかざして、泥でぬかるんだ地面に思い切り叩き付けた。汚れ一つ無い純白のぬいぐるみは、一瞬で汚泥にまみれた茶色のゴミになった。

 エリーの父はそれを見て悲しそうな顔をしたが、感情的にならずに娘と接する努力を諦めなかった。


「エリー、どうか落ち着いて聞いてほしい。パパはこれから恐ろしい場所に行くんだ。もしかしたら会えるのはこれが最後になるかもしれない」


「だから何!? 今までだって一年に一度しか会いに来なかったじゃない! 11歳の誕生日からずっとよ!? それがゼロになるだけでしょ!? そんなこといちいち言いに来ないでよ!」


「エリー……」


 父は娘の頬へ濡れた手を差し出した。娘が夜中に泣いた時も、愛犬が死んでしまって泣いた時も、パパとのお別れが嫌だと泣いた時も、彼は娘が泣き止むまで頬を撫でて涙を拭った。彼は口下手で不器用な男だったが、娘を心の底から愛していた。


「気安く触らないでよ! 気持ち悪い!」


 しかし伸ばされた父の手をエリーは払いのける。


「パパなんて大っ嫌い! 勝手にどこでも行って勝手に死んじゃえ! もう二度と会いに来ないで!」


 乱暴にそう言い放って彼女はドアを閉めた。

 彼女の父はしばらくその場で項垂れていたが、やがて泥に汚れたウサギのぬいぐるみを拾い上げた。汚れた部分を上着で拭うも、汚らしい茶色に変色した色はもう元には戻らない。

 それでも彼はぬいぐるみを捨てようとはせず、大事そうに抱えたまま背中を丸めてトボトボと雨の中へ消えていった。




(ああああああああああああああああああああ!!)




 だから半年後、父の元同僚を名乗る男がエリーの家を訪れた時も彼女は邪険に扱った。母との会話を聞くに彼も聖骸騎士だったらしいが、彼女は自分の家庭を壊した父の仕事を憎んでいた。当然ながらその同僚も同罪である。男がどれだけエリーに父への手紙を書いてほしいと頼んでも、エリーは決して首を縦には振らず迷惑そうに拒絶した。


(違うの! 本当はそんなこと思ってないの! 寂しかっただけなの! パパとママとあたしの家で、ママがパパ以外の男の人と幸せそうにしてるのが嫌だっただけなの! 本当はずっとずっと謝りたかったの!)


 そしてエリーの父は二度と帰って来なかった。

 以前に来た父の元同僚が、病的に痩せた男を連れて父の戦死を伝えに来た時、彼女は自分が取り返しのつかない過ちを犯したことを知った。


(死ねなんて言ってごめんなさい! 二度と会いに来ないでなんて言ってごめんなさい! 大嫌いなんて言ってごめんなさい! せっかくのプレゼントをゴミだなんて言ってごめんなさい!)


 その場で彼女は家を飛び出した。

 死んだ人間を生き返らせてほしいなんて贅沢は言わない。けれど死んだ人間と会話する方法くらいならばあるはずだ。広く世界を旅する冒険者なら何か知っているかもしれない。


 彼女はその一心だけで冒険者になった。

 そうしなければ、もう生きていけなかった。


 アクセルと出会ったのは、そのすぐ矢先のことである。右も左も分からない駆け出しの冒険者である彼女にアクセルは声をかけ「笑ってない」「笑ってないネ?」「笑顔が一番なのにネ」「笑わないと危ないヨ」「【エンターテイナー】が来るヨ」「もう来ているヨ」







「7歳の誕生日おめでとう、エリザベス」


「パ〜パ〜? エリーってよんでっていったでしょー?」


「おっと、ごめんごめん」


「もー!」


「ほらほら、せっかくの誕生日なんだから怒らないの」


 今日はエリーの7歳の誕生日だった。彼女の家は貧乏で、父は仕事をしていなかった。彼は毎日生ゴミを漁り、卑屈な愛想笑いを浮かべて惨めに物乞いをしている。一方で母は性病に冒された売春婦であり、知らない男の子供を孕んでいた。


「まったくこの子の淫乱は誰に似たのかしらねぇ」


「ママ? いんらんってなに?」


「ええっ? パパがエリーを犯したことなんて一度もないだろう?」


「パパ? おかすって?」


「うっ」


「そうねぇ、パパはゴキブリよねぇ」


「おいおい……殺してやろうかこの糞喰い売女が」


 親子三人が向かい合って座る地べたには、たくさんの残飯が並んでいた。腐って虫が湧き、吐き気を催す悪臭を撒き散らすご馳走である。エリーの両親はその生ゴミに犬のように顔を突っ込んでグチャグチャと咀嚼していた。


「さ、誕生日のプレゼントだよ、エリー」


「えっ……えっ?」


 父親が差し出す腐ったネズミの死骸を見て、エリーは困惑した。エリーの尻を撫でる卑しい父。一心不乱に残飯を貪る醜い母。焼け落ちた廃墟のお家。虫の湧いたご飯とネズミの死体。エリーの小さな世界は不幸で満たされていた。




「笑って」「笑って」「笑っテ?」




「パパー! こわいよー!」


 エリーが9歳になった頃のある日の夜。彼女が住んでいる村が野盗の襲撃を受けた。そしてエリーの母が陵辱の限りを尽くされている真っ最中に、エリーの父は妻を弄んでいる野盗の靴を舐めて命乞いをしていた。


「エリー、服を全部脱いでママのように尻を差し出しなさい。パパはまだ死にたくないからね」


「ヤダァー! パパー! ママが! ママがぁー!」


 泣きわめくエリーの顔に彼女の父は渾身の鉄拳を叩き込んだ。衝撃でエリーはひっくり返り、鼻の骨と前歯が折れて顔中が血塗れになった。


「ウブッ……ゲフッ、ウゥー……!」


 痛みはあったが、エリーは父に殴られて少しだけ嬉しかった。それだけの事をしたとずっと後悔していた。父が許してくれなくてもいい。恨まれていてもいい。殴られても罵られてもいい。そうしてほしかった。彼女は罰を受けたかった。


「大丈夫よ、エリー。パパは今日まで負け続けてきた虫ケラだもの。娘を差し出してでも自分の命だけは助けてほしいのよ。だから笑って? 笑って?」


 野盗がエリーの母親の顔面に斧を振り下ろした。エリーの父は、媚びへつらった卑屈な笑みを浮かべた上目遣いでその様子をヘラヘラと見ていた。その父の頭に野盗が血塗れの斧を振り下ろす。父の頭も見事に割れた。


「笑って」「笑って」「笑っテ?」


 誰の声だろう。エリーの15歳の誕生日から一ヶ月が経ったある日、誰も訪ねて来なかった。この日は天気が悪く、小雨がポツポツと降っていた。地面は泥でぬかるんでいて、家の前には誰がいつ置いたのか分からない泥まみれのウサギのぬいぐるみが転がっていた。半年後も誰も訪ねてこなかったので、アクセルとも出会わなかった。アクセルと出会わなかったので【パレード】へも行かなか「7歳の誕生日おめでとう、エリザベス」


「パ〜パ〜? エリーってよんでっていったでしょー?」


「おっと、ごめんごめん」


「もー!」


「ほらほら、せっかくの誕生日なんだから怒らないの」


 今日はエリーの7歳の誕生日だった。父は野盗に殺されたので頭が真っ二つに割れていた。母は首から上が潰れていて、流産した⬛︎⬛︎をへその緒でズルズルと引きずりながら歩き回っていた。


「まったく子はこの子はこの子はこの子はこの子は」


「ママ……」


「ええっ? パパがエリーを犯したい一度くらいはいいだろう」


「パパ……」


「そうねぇ、パパは      」


「              。      」


「   、     」


「        。       !」


「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


「ウワハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 狂ったようにエリーの両親が笑い転げた。腐乱した父は虫の湧いた手を伸ばしてエリーの頬を撫でた。エリーはその手を払いのけたかったが、二度とそんなことはしないと心に決めていたので、気持ちの悪い父の手を受け入れた。燃える獣が泥だらけのウサギのぬいぐるみを咥えてトボトボと歩いている。「笑って」「笑って」「笑っテ?」「ねえアタクシ、妙なの居なかった?」「何かしら今の」


 すぐ隣では【ガイド】が透明な円筒形の容器の中に閉じ込められている。ミキサーに似た容器の下部には大きな刃が水平に取り付けられていて、蓋に取り付けられているホースからは糞便が内側に流れ込んできていた。燃える獣がエリーの母を犯している。【ガイド】が内側から必死に容器を叩いて叫んでいる。


「聞いてエリザベスちゃん! これは幻でもないけれど、本当に時間を遡っているわけじゃないの! 現在との連続性は無いのよ! だから笑顔! 笑顔を忘れちゃダメェエエエエエエエ!」


 エリーは無責任な【ガイド】に怒りさえ覚えた。

 笑えって? この状況で?


 容器の下部に取り付けられていた刃が水平に回転し始めた。「イヤァアアアアアア!」【ガイド】は高速で回転する刃に切り刻まれて液状となり糞便と混ざっていく。これで少年少女は案内人も逃げ道も失った。アクセルは笑顔のままでのたうち回っている。エリーの母が⬛︎⬛︎した⬛︎⬛︎がゲラゲラと笑いだす。


「はぁい、ゲェムオォバァアアアアアアアア」


 ブツン。エリーの世界が暗転し、それまで見ていた全てはブラウン管が映し出す闇の彼方に消え去った。

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