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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【嵐のような災害が何もかも破壊する話】
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第6話。ゲームオーバー

 アクセルは幼い頃から心に怒りを燻らせていた。

 この世界の在り方そのものに対する怒りである。


 アクセルが引き取られた孤児院は、その時にはすでに国からの支援を打ち切られていた。身寄りの無い子供を変態趣味の富豪に売った金でようやく経営が成り立つ有り様で、裏では人間養殖場と揶揄されていた。当時の院長は子供達には慕われる優しいお婆さんで、アクセルは彼女を本当の母親のように思っていた。

 だが彼女は罪悪感に耐えかねて首を吊った。心が弱かったからだ。


 アクセルには密かに兄と慕っていた男がいた。彼は聖骸騎士であり、強さと優しさを兼ね備えた理想の人物だった。彼は経営者を失った孤児院の為に、一度は国から打ち切られた補助金を再び引っ張ってくる手腕も持ち合わせていた。

 だが彼は帰らぬ人となった。強さが足りなかったからだ。


 誰のせいでもない。神さまがこの世界をそう作った。

 草をウサギが食べ、ウサギをキツネが食べ、キツネをオオカミが食べる事と何も変わらない。弱者が食われ、勝者が腹を満たす。世界の始まりから終わりまで決して変わらない、当たり前で残酷なクソッタレのルール。


 その全てにアクセルは怒っていた。

 だからこそ強くなりたかった。このルールに抗ってやろうと思った。自分が誰よりも強くなった上で、弱者を踏みつけるのではなく手を差し伸べる人間になりたかった。それが彼が密かに抱いていた夢だった。


 しかし夢の前には、いつだって現実が立ちはだかる。


「は?」


 アクセルは瞬き一回の間に、見知らぬ場所に飛ばされていた。


 つい先程まで惜しみなく地上を照らしていた太陽はどこにも見えない。その代わりに緑色の光を放つ不気味な月が夜空に浮かんでいる。

 周囲には荒れ果てた沼地が広がっており、糞便に酷似した泥土にアクセルの足首が沈み込んでいく。人肌を思わせる生温かさを感じると共に、吐き気を催す腐敗臭が彼の鼻腔に潜り込んで強烈な不快感を与えた。


 あれ程まで地上に満ち溢れていた【パレード】達は一体も居ない。エリーは当然、【ガイド】の姿も無い。アクセルの目の前には3m四方の錆びた鉄の檻だけがあった。


 その中に一匹の醜い肉塊が詰め込まれ、耳障りな鳴き声をあげていた。


「ギュイイイイイイイイイイイ!」

《痛いぃぃぃ……苦じぃいいい……》


 肉塊の下半身は芋虫に酷似しており、ブヨブヨに肥大した白い肉から赤子のような短く小さい足が何本も生えていた。腰から上には乳房を寄せ集めて人間の形を無理やり作ったような上半身が生えている。そして皮膚病に侵されているのか全身にフジツボ大のイボがビッシリと生えており、常に黄色い膿をビュウビュウと噴いていた。


 そして肉塊の頭には、エリーの朗らかな笑顔が描かれた仮面が取り付けられていた。


「…………なんだよ、これ」


 呆然とするアクセルをよそに、肉塊はけたたましく鳴き喚く。


「ギュイイイイイイイイイイイ!」

《助けでぇ……助げでぇぇぇ……》


 仮面の側部から見える肉塊の頭部は腐敗していた。肉は腐り皮膚は爛れ、ヘドロのような体液をジクジクと垂れ流す、虫の苗床と化している。まばらに残った髪が惨めさに拍車をかけているが、その色や長さは確かにエリーと一致していた。下アゴは喉の肉ごと抉り取られていて、大きく裂けた裂傷部分からは壊死した紫色の舌が蠢いていた。


 そこから鳴き声が放たれる度に、エリーの声がアクセルの頭の中に響く。


「ギュイイ! ギュイイイ! ギェェェェ!」

《助げでよぉう……アクセルゥ……!》


 アクセルは目を閉じ、耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。

 嘘だ。見てはいけない。聞いてはいけない。気付いてはいけない。考えてはいけない。認めてはいけない。


 こんなものが、彼女であるはずがない。


「ンマッ……な、なんてこと……!」


 いつの間にかアクセルの隣に居た【ガイド】が口を押さえた。


「エリザベスちゃんったら……笑顔を保っていられなかったんだワ! あれほど強く言ったのにィー! オオーン! オヨヨヨヨヨーン!」


 泣き崩れる【ガイド】が、アクセルに現実を突き付ける。


「エリー……? これが……?」


 愕然と立ち竦むアクセル。

 しかしここは【エリア・スマイル】。笑顔以外の表情は許されない。


「危ないアクセルちゃん! もうすぐ3分ヨ!」


 【ガイド】がアクセルの顔を掴み、「笑って! 笑うのよ! 笑わないとあなたもこうなっちゃうワ!」彼の頬を親指で無理やり押し上げて笑顔を作る。


「人生はネ! 笑っていないとダメなのヨ! どんなに辛い事があっても、前を向いて笑うノ! そうすればどんな嫌な事があっても耐えられるワ! オオオーン!」


 笑顔のままで滂沱の涙を流す【ガイド】。その様子を見て、アクセルの心にじわじわと実感が湧き上がってきた。


 エリーは醜い怪物になった。

 もうあの少女はどこにも居ない。


「ふざけんじゃねぇ……!」


 滲み寄る絶望と恐怖を、アクセルは静かなる怒りで塗り潰した。【ガイド】が首から下げた時計の鎖を乱暴に掴んで引き寄せ、腹の底から湧き上がる怒りを押し付けるように【ガイド】をの顔を至近距離で睨む。誰よりも怒りと付き合ってきた彼だからこそ、怒りが絶望にも恐怖にも勝る事を知っている。


「俺は言ったよな! エリーを連れて帰らせろって……! それができる場所に俺を連れて来たんじゃねえのかよお前は! 戻せ……戻せよ! 戻せるんだろ! エリーを元に戻せるんだよなぁ!?」


「ええ、もちろん戻せるワヨ」


 【ガイド】は何でもない事のようにさらっと言い切って、嬉しそうに頬を吊り上げた。


「人間を含めたあらゆる生き物にはね、設計図が体の中にあるノ。人には人の形、鳥には鳥の形、魚には魚の形を保つ為の設計図がネン。今のエリザベスちゃんはそれを失って人の形を保てなくなった状態なのヨン」


「じゃあ、それさえあればまた人間に戻せるんだな!?」


「えあ、そうヨ」


「それはどこにある! 誰が持ってる!」


「ウフン。それはネェ……コ〜コ」


 【ガイド】はアクセルの睾丸を優しく掴んだ。


「うっ!?」


 そしてアクセルの耳に熱い息を吹きかけて囁く。


「お精子にはねェ……人間の設計図が詰まってるのォ……。それを使えばァ……あの子の壊れた設計図を補完して元の姿に戻せるワァン……」


「つ、つまり?」


「ンもう! 察しが悪いわネェ! エリザベスちゃんにアクセルちゃんの精子を注いであげれば元に戻せるってコ・ト!」


「……は? 精子? つまり……俺が? アレと……?」


「ほらほら、笑顔笑顔」


 混乱するアクセルの頬を再び親指で押し上げて【ガイド】は微笑む。


「そうよネェ……あんな醜いバケモノ、気持ち悪くて触れないわよネェ……」


 そう言うと【ガイド】はアクセルの手を握った。顔中の穴から黒い粒がブブブと湧き出してアクセルの体を覆い始める。


「じゃ、帰りましょっか! 勝手にバケモノになった間抜けなエリザベスちゃんの事なんて忘れて、アクセルちゃんはアクセルちゃんの人生を謳歌しまショ!」


「ヴォオオオオオオン! ヴオオオオーン……!」

《やだぁ……置いていかないで……アクセルゥ……!》


 彼らを引き留めるように肉塊は泣き出した。笑顔の仮面の下からボタボタと涙を垂れ流し、檻に巨体を押し付けて惨めにすがりつく。


 その哀れな姿を見て、アクセルの覚悟が決まった。


「待てよ! やらねえなんて一言も言ってねえだろ! やればいいんだろ! やれば!」


 アクセルは【ガイド】を突き飛ばし、醜い肉塊と檻越しに向き合った。そしてズボンを下ろし、いわゆるひとつの努力を始める。すでに上半身は裸だったので、これで全裸になった。


「クソッ……クッソオオオ……!」


 しかし彼の決意とは裏腹に、肝心のモノは一向にやる気を出してくれない。


「なるべく実物を見ないように目を閉じて、かつての彼女の姿を思い出すといいワヨ。名前を呼んであげると、身体の方も騙されてくれるワ」


「うっせぇな! 終わるまで黙って引っ込んでろよ!」


「ンマァ怖い怖い。じゃあお邪魔虫は後ろで静かにしてるワネェー。ウフフ」


 【ガイド】は黒い粒を撒き散らしながら後ろに下がった。


「待ってろよエリー! 俺が絶対に元に戻してやるからな……!」


「ギュイイ! ギュイイイ! ギェェェェ!」

《助げで……助げでよぉう……アクセルゥ……!》


 醜く助けを求める肉塊に対し、アクセルは【ガイド】の助言を素直に聞き入れることにした。なるべく妄想の世界に入れるように強く目を閉じて彼女の姿を思い浮かべ、さらなる努力を始める。


「エリー……! エリー……!」


「ギュイイイ……ギュエエエ……」

《アクセル……アクセル……》


 やがて思い浮かべる妄想はエスカレートしていく。懸命な努力の甲斐もあって彼の身体は少しずつ騙され、反応を返してくれるようになっていった。


「エリー! ハァハァ……! エリー……!」


「アクセル?」


 妄想の中でエリーの胸と尻のボリュームがどんどん盛られていく。集中しているおかげか、肉塊が鳴かなくても彼女の声が頭ではなく耳から聞こえるようになった。身体に血が巡る。アクセルの息が荒くなり、ようやく臨戦体制が整った。


「アクセル、ねぇ、アクセルってば……えっ」


「エリー! ハァーッ……ハァーッ……! 待ってろよ! エリー! 今コイツでお前を「ちょっと! アクセル!?」


 幻聴ではなかった。アクセルの背後から聞き覚えのある少女の声が確かに聞こえた。アクセルの手の動きがピタリと止まる。彼の頬をひとすじの汗が滑り落ちた。アクセルは全裸のままで、恐る恐る首を捻って背後を振り返った。


 そこには、顔を青ざめてドン引きしているエリーが居た。


「あっ、あんた……ななな、なに、してんの……!?」


 彼女の隣では【ガイド】がニヤニヤと笑いながら、『ドッキリ大成功』と書かれた木製のプレートを掲げている。


「ヒュッ」


 アクセルの息が詰まった。エリーに負けず劣らず血の気が引いていき、口があんぐりと開く。エリーの無事に対する喜びは確かにあったが、人生最悪の場面に遭遇した絶望がそれを上回った。


(終わった)


 その言葉だけが、彼の頭の中で何度もリフレインする。彼が今日まで丁寧に築いてきた何かがたった今、確実に砕け散った。


「え……? 怪物になんであたしの顔の仮面が……? あんたが着けさせたの……よね? それはまだいいとして……よくないけど……なんであんたモロ出しなの? えっ? まっ、まさか、あれがあんたの好みってこと……は……? ヒッ!? つつつ、つまり、あんたは、あたしの代用品にしたあんな怪物と、セセセ、セッ、セッ、セッ……!」


 アクセルを見るエリーの目は完全に怯えきっていた。彼女の頬はヒクヒクと引きつり、指先はワナワナと震えてアクセルと肉塊を交互に指し示す。


 その間にもアクセルは一生懸命に考えを巡らせていたが、この状況を正当化する言い訳など何一つ出てこなかった。


「アッ……! ワッ……! ワァッ……!」


 もはや彼に出来る事はただ一つ。今にも泣き出しそうな顔で、イヤイヤと首を横に振る事だけである。


「来ないで! こっち来たら殺すからね!? 振り返ってヘンなモノ見せようとしても殺すから! あ、あたし本気よ? 本気で殺すからね? あんたもう敵だから、敵、敵だから……!」


 カタカタと震えながらも剣を構えるエリー。その切っ先は当然ながらアクセルに向けられている。「コレハチガウンデス……」アクセルは蚊の鳴くような声で精一杯の自己弁護を行うも、聞き届けられる余地はありそうにない。


 そんな修羅場は、【ガイド】がパンパンと手を叩く音で呆気なく終わった。


「ハイハイ! 3分経過ヨ! 二人とも笑顔を持続出来なかったからゲームオーバー! 残虐拷問タイム、スターットォウ!」


 【ガイド】がどこからか垂れ下がる紐を引っ張ると、金ダライが落ちてきてアクセルとエリーの頭に命中した。パカーンと小気味良い音が鳴る。


「ウォッ!」「イッタッ……!?」


 頭を押さえて悶絶する少年少女に向かって、【ガイド】はニッコリと微笑んだ。


「命拾いしたわネ。ここがチュートリアルで」

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