第2話。英雄と冒険者
【パレード】の予告から6日後。不運にもその進路と重なってしまった各国の混乱は、ひとまずの落ち着きを取り戻しつつあった。
国土を直線上に破壊されるとはいえ、国民が避難する時間は予告によって十分に与えられている。天変地異や疫病といった回避不可能な天災や、国土も国民も徹底的に蹂躙し尽くされる戦災に比べれば、まだ良心的な災害と呼べるだろう。
不幸中の幸いにも、今回の進路は各国の首都を外れている。大小いくつかの都市は大行進に巻き込まれて消滅するが、各国の政府はそれらを『最小限の犠牲』と妥協して切り捨てる判断を下した。土地を捨てさせられる国民達から非難はあったが、最終的には渋々と従うしかなかった。
元より他の選択肢など無い。阻止不可能な【パレード】には無干渉を徹底し、代わりに混乱に乗じて悪さを企むであろう隣国や反社勢力の警戒に軍事的リソースを割くという政府の判断は、苦肉の策でありながら現実的な最善の策でもあった。
しかしいつの時代にも、命知らず達は存在する。
彼らは誰に号令を掛けられるでもなく、【パレード】の最初の被害を受ける西端の町、アルデンヴェインに集結した。
各国が【パレード】に掛けた莫大な懸賞金を狙う冒険者。
不老不死の秘密を解き明かそうと企てる魔術師。
無駄と知りつつも【パレード】への抵抗を試みる有志。
消え行く町の絵を一枚でも多く残そうと粘る画家。
怖いもの見たさの野次馬。
行くあての無い避難民を勧誘する魔法少女教団。
当日ギリギリまで営業を続ける商売人。
その上、住み慣れた故郷との別れを惜しむ住民達も未だ多く残っている。かつてない規模の来客が町に新たな活気を生み出し、これまでさほど注目を浴びた事の無い田舎町は異様な興奮と緊張感に彩られていた。それはさながら燃え尽きるロウソクの最後の輝きのように、死を目前にした町そのものが己の死に花を咲かせようとしているようにも見えた。
そして祭りの熱狂は、英雄アベルの来訪によって夕刻に最高潮を迎える。
「皆さん、聞いて下さい」
アベルが演説の場に選んだ教会には、聖堂に収まりきらない人数の聴衆が殺到していた。しかしアベルの声は如何なるスキルの恩恵か、教会に入りきらなかった聴衆の末端にも鮮明に届く。
「この日この町に集まった皆さんには、一人一人に異なる思惑があるでしょう。お金や名声が欲しい人も居れば、義憤に燃える人も居ます。もしかしたら、興味本位で来た人も居るかもしれません」
人類史が記す限り【パレード】を打倒した英雄は居ない。
だが英雄アベルなら? あの【ゼノフォビア】を倒した国家の守護神、無敵の英雄アベルなら? 聴衆の期待は否が応でも高まっていく。
「それでも皆さんは、自分の意思でここに来ました。誰に命令されるでもなく、迫り来る死の嵐の前に自分の意思で立っています。そんな事が出来るのは、もしも可能なら【パレード】を止めたいという思いが、多かれ少なかれ皆さんの心に有るからではないでしょうか」
アベルが一度言葉を切ると、多くの聴衆が頷きを返した。いつの間にか聴衆のざわめきは静まりかえり、私語を交わす者は居なくなっていた。誰もが知らず知らずのうちに拳を握り、アベルの次の言葉を待つ。英雄の声を聞くだけで彼らの胸は高鳴り、身体中を血よりも熱い何かが巡り始めた。
「そして僕もまた、皆さんと志を同じくする一人です! 僕は王命に背き、皆さんと共に戦う為にここへ来ました!」
その一言で、聴衆は歓喜に湧いた。怒涛の歓声に教会が揺れる。町が沸き立つ。かつてない興奮と熱気が噴火する。
英雄が来た。王命に背いてまで、この町を救いに来た。俺達と共に戦う為に来てくれた。人々は一斉に拳を突き上げた。
「今この時だけは! 僕は自分の立場を忘れます! 英雄ではなく、皆さんと思いを共にするただ一人の人間として! 皆さんと共にこの災害に立ち向かいたいと思います! どうか皆さんの力と! 勇気を! 僕に貸して下さい!」
アベルが聴衆に頭を下げると、万雷の拍手が降り注いだ。アベルの名を呼ぶ大合唱のコールが繰り返し続き、人々は熱に促されるままに拳を何度も何度も突き上げる。感涙に咽び泣く者さえも居た。彼らの心は、英雄アベルによって間違いなく一つになっていた。
しかし現場には不審な動きをする者も居た。
そのうちの二人が、聴衆の末端で傍聴していたフルフェイスの重騎士と、スーツを着た金髪の女性である。彼女らは集まった人々と握手を交わし始めたアベルに背を向け、人混みを逆走して喧騒から離れていく。それもまるで陽の当たる場所を避けるように、大通りを外れて仄暗い路地を選んでいた。
「待ちなさい。聖骸騎士の鎧よね、それ」
背後からの声に二人の足が止まる。
「【パレード】に対して聖骸騎士の干渉は禁止されているはずよ。教会に聞いたから間違いないわ。それに随分とデカいけど、そんなサイズの鎧を着る聖骸騎士なんて、この国にはもう居ないはずよ。あんた何者? 兜を脱いで顔を見せなさい」
薄暗がりに姿を隠す二人とは対照的に、夕陽に照らされた一人の少女が路地の入り口に居た。年齢は15歳前後。セミロングの髪に白いベレー帽を被り、腰に当てた手とツリ目が気の強さを表していた。部分的に急所を隠す胸当てと呼ばれる軽装の鎧を着ており、背中には体躯に不釣り合いな大剣を背負っている。
「…………」
騎士は振り返ろうともせず無言のまま足を止めていたが、金髪の女性は振り向いた。「若いな。勘は良いが不用心だ」彼女の顔は逆光現象により少女からハッキリとは見えない。
「怪しい人物を見つけても一人では追うな。消されるぞ」
「あっそ。やってみれば?」
少女が背中の剣に手を掛けた。「まさかこの狭い路地で、そんな大剣を振り回せると思っているのか?」しかし金髪の女性が機先を制す。
「だからそれを確かめてやろうってんじゃない」
そして少女も退かない。女性を睨みつけて更なる敵意を剥き出しにする。
「やめておけ、人殺しの経験は無いだろう。足が震えているぞ」
「ハァ!? 震えているわけないでしょ!?」
少女は視線を落として自分の足を確認した。やはり震えてなどいない。「フン。それ見なさい」勝ち誇るような笑みを浮かべて上げた少女の顔に、ベチンとスリッパが当たった。
「敵から目を離すな。これでもう三回目のアドバイスだ。私が何らかの悪事を企んでいるなら、何も言わずにお前を殺しているとは思わないか」
「……うっさいわね。説教でもするつもり? そっちこそ私の質問に答えなさいよ」
少女は剣から手を離さず、苦々しい顔で女性を睨み付けた。頑なに態度を崩さない少女に対し、金髪の女性は敵意を受け流すように淡々と答える。
「別に名乗る程の者じゃない。どこにでも居るただの冒険者だ。そしてこれは確かに聖骸騎士の鎧だが、別に盗んだわけじゃない。こいつはこれを着ていないとまともな日常生活が送れないから、特例で正式に貸してもらっている。それより、お前も【パレード】に乗り込むつもりか?」
「だったら何? あんたに関係あるわけ?」
「ひたすら走りっぱなしになるぞ。バテたら踏み潰されて終わりだ。出発前にその剣は置いていけ。鎧も着るな、せめて可能な限り身軽になれ」
「ハァ? そんなんでどう戦うってのよ? だいたいそっちだってガチガチに鎧着てるじゃない」
「不死身の怪物と剣で戦う状況になった時点で終わりだ。戦いを避ける事に全力を尽くせ。それに私達は乗り込むつもりは無い。別の方法で【パレード】の進路をずらせないか試してみるつもりだ」
「ふーん。せっかく英雄アベルが指揮を取るってのに、あんた達は参加しないわけ?」
「ああ、やめておく。それで上手くいってもアベルの手柄。自分の判断では動けず、失敗したら無駄死にだ。自分の命は他人ではなく自分に賭けたい。私は兵士ではなく冒険者だからな」
「はいはいご立派ご立派。それで? たった二人で何とかなると本気で思ってるの?」
「勝算は有る。少なくとも命を賭けられる程度には」
夕陽の傾きが路地にオレンジ色の光を運んだ。それまで暗がりに隠れていた女性の表情が浮き彫りになる。それは少女の予想を裏切って、彼女を見下しも敵視もしていない、どこまでも真剣な眼差しをしていた。
「その性格なら行くなと言っても行くだろう。だからもう一つだけ忠告をしておく。他の全ては諦めてもいいが、生還だけは諦めるな。どんな目に遭っても楽な死を選ばず、一分一秒でも辛く苦しい時間を引き延ばして生きる努力をしろ」
少女が知る限り、彼女とこれほど真剣に向き合う大人は居なかった。家出同然で実家を飛び出して当面の生活の為に冒険者登録に行った時など、居合わせた冒険者から娼婦になった方がいいと笑われさえもした。
「あの熱狂に流されず私を追ってきたお前は見所が有る。死ぬなよ」
しかし今目の前にいる女性は違う。英雄の勝ち馬に乗ろうともせず、たった二人であの狂気の災害に挑もうとしている彼女だからこそ、本気で少女と向き合ってくれていた。
「あんた、名前「ああーっ! いたいた! おおいエリー! エリーってば! お前勝手にどこ行ってたんだよ! 探したんだぜ! エリー!」
少女が女性の名を尋ねようとした時、駆け寄ってきた一人の少年が少女の肩を後ろからぐいっと引いた。
「気安く触るなって言ったばかりでしょ!? この変態アクセル!」
少女は振り向きざまに勢いをつけて少年の頬を引っ叩いた。パァーンと小気味良い音が鳴る。「痛って!?」少女と同じくらいの年齢の、髪を短く刈った少年は痛そうに頬を抑えた。
「お前すぐ人を殴るのやめろよな!?」
「ハァ!? 女の子に触ってビンタで許されるだけ有り難く思いなさいよ! 変態! セクハラ! エロ猿! って言うかそもそも気安くエリーって呼ぶなって言ったでしょ!」
「はいはい分かった分かった! 俺が悪かった! これでいいんだろ! だから落ち着けよエリザベス!」
「濁音が可愛くないから本名で呼ぶなっての!」
「じゃあ俺はお前をなんて呼べばいいんだよ!? そもそもお前が勝手にどっか行くからだろ!」
「ハァ!? 怪しい奴を見つけたから追うわよって言ったじゃない! アベルに夢中になって聞く耳持たなかったのはどこの誰よ!」
「あんな激アツスピーチでウオオーってならない奴なんて男じゃねーよ! そもそも怪しい奴なんてどこに居んだよ!」
「居るじゃない! すぐそこに! ほら!」
しかしエリーが前を指差した時、すでに路地から騎士も女冒険者も姿を消していた。
「居ねーじゃん」
「居たわよ! 金髪で顔に傷のある女冒険者と、聖骸騎士の鎧を着た身長200以上あるガチムチの騎士が! なんかこの鎧着てないと日常生活を送れないとか言ってたの!」
「強大なパワーを封印する鎧じゃねーか!? それ絶対悪い奴だろ! アベルに教えに行こうぜ! ついでに握手もしてもらってさぁ! 剣にサインもしてもらおうぜ!」
「ガキね」
「なんでだよ! 英雄アベルに協力して手柄立てて出世してビッグになろーぜ!」
「バカ、現実見なさいよ。実力も無いのに他人の力で上に行っても、すぐ落ちこぼれるだけよ。今の私達に必要なのは手柄じゃなくて実力なの。それくらい理解しなさいよね」
「じゃあアベルに協力して実力鍛えて、それで出世しよーぜ! それならいいだろ!」
「やめとくわ」
「なんでだよ! 英雄アベルの仲間になれるかもしれない、せっかくのチャンスなんだぞ!?」
「ハァ〜……あんたってほんっとに考え無しね」
エリーはこれ見よがしにため息をつくと、アクセルの顔に人差し指をビッと突き付けた。
「一つしかない命を簡単に他人に預けるつもり? あんたも冒険者なら、自分の命は自分に賭けなさいよ」