第5話。終わり無きスクリーム
クレアがこの依頼を引き受ける30年前の出来事である。
深夜、ある古城に超遠距離砲撃が飛来した。
距離も次元も超えたその一撃は着弾の瞬間に強く激しく輝き、一瞬の静寂を置いて目標を灼熱のドームで包み込んだ。日の出の如く地平線が赤々と照らされ、巨大なキノコ雲が上がる。古城は一瞬にして蒸発し、灼熱の波動が大地を舐め広がって死と炎の世界へ飲み込んでいく。凄まじい轟音が響き渡り、天地が揺れた。
何名もの魔法使いが協力して作り出した、圧倒的な破壊力の一撃だった。
「着弾を確認しました! 血の一滴も残さず完全に消滅したはずです! この奇襲に全てを込めた私たちの勝利です!」
千里眼を持つ観測手の女性が作戦の成功を告げると、息を呑んで見守っていた彼女の仲間たちも次々と歓喜に沸いた。
「やったぜ! あの外道についに引導を渡せたな!」
「見ているか友よ! 君の仇は我らが取ったぞ!」
「ザマァ見なよ! ゲス野郎!」
長く続いた【老いた竜の黄昏】と呼ばれた時代が終わり、新たに【魔法使いの夜明け】と名付けられた時代の黄金期。力に溺れた魔法使いたちが歴史の玉座を奪い合い、自由と破壊の限りを尽くした時代。
「グッグッグ……! わざわざ遠くからご苦労な事だ。それほど俺様と会う事が怖かったか? しかしこの俺様を一度は殺すとは見事見事」
「うわぁ!?」
「この声はまさか……!」
「どこだ!? 姿を見せろ! どうやってこの隔離空間に!?」
組織的な破壊活動を行う魔法使いの一団には、必ず王が居た。自らを人の上位種族と驕り高ぶり、凶悪なユニーク能力を用いて欲望の限りを尽くす魔法使いさえも逆らえぬ、絶対的な統率者。魔法使いたちの王、魔王。
「グッグッグ……! お前たち、『この奇襲で殺せなかったらどうしよう』と恐怖していただろう」
その中に、全人類の敵とまで呼ばれた最悪の魔王が居た。その名を【終わり無きスクリーム】。
「まっ、魔法が! 魔法が使えない!」
「俺もだ! どうしてこんなっ……!」
「誰か戦える人はいないの!?」
「逃げろーっ! こいつとまともに戦うなーっ!」
「何をそれほど狼狽える? たかが魔法が使えなくなっただけではないか。グッグッグ……魔法に頼り切ったお前らの恐怖は、どいつもこいつも同じだなぁ。『ある日突然魔法が使えなくなったらどうしよう』だろぉ? 俺様が叶えてやったぞ! 喜べ!」
暗闇が世界を覆い、魔法使いたちの視界が唐突に失われた。
「キャアアアアアッ!?」
「落ち着けこれはただの幻覚だ!」
「グッグッグ……! これがただの演出だと思うか?」
暗闇の中、スクリームの声が響く。
「だがお前は、『自分の目が見えなくなったのならどうしよう』と恐れただろう? その恐怖が、演出を真実に変える。頭で理解出来ていても、本能には誰も逆らえない」
「ヒィッ!?」
怯える観測手の肩に手が置かれた。赤く爛れた肌と六本目の指を持つその手には大小無数の目玉が生えており、加虐の愉悦に笑っていた。
「だがそれでは寒いからなぁ〜? 逆に目を閉じられなくしてやろう」
彼の言葉通り、その場の誰もが目を閉じられなくなっていた。目蓋が縫われたように固まり、瞬きさえも許されない。
空は血に溶けた巨大な眼球群で満ちた。錆びた鉄釘の大地が無限に広がる。激しい嘔吐感を引き起こす腐敗臭が大気に溢れる。ここは魔王の世界。終わり無き苦痛が続く永遠の地獄。
「さあ歓迎会だ! 二度と閉じぬその目で見続けろ!」
業火が次々と噴き上がり、絶対者の姿を赤々と照らし出す。人間の皮で作られたローブをまとい、全身に無数の目が生えた異形の男。両腕を広げ、高々と笑う無敗の魔王。彼と戦って生還した者は一人も居ない。
「死ぬ事すら許されず、永遠に壊され続ける自分自身をなぁ!」
世界に絶叫が満ちた。暗闇の中から凄まじい数の亡者たちが現れ、四方から怒涛の勢いで魔法使いたちに這い寄った。血の涙を流し、顎も外れんばかりに絶叫する彼らの身体は、人間の原型を留めない程に破壊の限りを尽くされていた。彼らを炎が包み込み、一際凄まじい絶叫が上がる。
亡者たちの首には、内側に棘の生えた鉄の首枷が食い込んでいた。その首枷から伸びる鎖を辿り、炎の中より悪鬼の軍勢が次々と現れる。家畜のように亡者を引き回す大鬼、身の毛もよだつ拷問器具の数々を手にした小鬼、石の肌と翼を持つガーゴイルが飛び回り、三つの頭を持つ巨大な猛犬が高らかに吠えた。
「神の助けは期待するだけ無駄だぞ! グハハハハァ!」
空から奇妙なオブジェが落とされ、鉄釘の大地に突き刺さった。
それは肉の樹木だった。鋭く尖った枝という枝に、翼の生えた美しき男女が串刺しにされている。ダルマにされて尻から頭まで貫かれた彼らはまだ生きており、悶えながら涙と血の糞尿を垂れ流していた。
「今日は記念すべき俺様の十回目の復活記念日だ! お前たちが想像する限りの恐怖を! 俺様が叶えてやろう!」
魔法使いたちは絶叫していた。彼ら魔法使いに無名のやられ役などいない。一人一人が超常の力を持ち、世界情勢すら書き換えられる名の知られたゲームチェンジャーである。
だがそんな超人達でさえも、魔王スクリームの前では赤子に等しかった。
「グハハハハァ! 泣き喚け! 無様に命乞いしろ! 俺様の機嫌が良ければ助けてやるかもしれんぞ!」
スクリームは他者の心を読み、その恐怖を現実に変える特異な能力を持っていた。より多くの人々が彼を強く恐怖するほどに、その能力は際限無く力を増していく。彼の恐怖がその名と共に数万人規模に広がってしまった今となっては、蘇生も瞬間移動も敵能力の無効化も容易いものであった。幻術と話術の組み合わせにより、彼が実現したい恐怖を相手に想像させる手管にも長けていた。
「俺様に不可能は無い! 全人類に俺様の恐怖を刻んでやろう! 歴史も! 宗教も! 書き換えてやるぞ! 俺様を未来永劫に恐れ続けるようになぁ!」
彼の能力は長年の謎とされていた。彼と戦って生還した者は居ないのだが、不自然な程に目撃情報は多いのである。殺されたかと思えばすぐ生き返り、敵対した魔法使いと同じ魔法を使い、凄惨な拷問ショーを始めたかと思えば、拷問を受けて死んだ一般人を何故か全員蘇らせて逃す。
あまりにも多彩な能力と、一般人には慈悲を与えて崇拝者を増やそうとしているようにも見える動きから、彼は魔法使いではなく竜の生き残りなのではないかという噂さえあった。
「永遠に続く絶叫を聞かせろ! グハハハハハハハァ!」
全人類の敗北も、すでに時間の問題となりつつあった。
しかし無敵と思われた魔王にも天敵が存在した。
この日からわずか半月後、彼は人生初の敗北を経験する。不敗の魔王に屈辱と、それを上回る恐怖を与えた忌々しい土地の名は【ホルローグ】。
全てを見通すと豪語していた百の眼が、何も見えなかった。敵の姿も能力も見えず、誰に何をされているのかも分からぬまま蓄えた恐怖が消えていく。彼はなす術なく敗走に甘んじるしかなかった。
そしてこのたった一敗が、更なる敗北を呼び寄せた。
密かに彼を監視していたテレパシストが彼の特性に気付き、全人類の記憶から魔王スクリームの記憶を消し去ったのである。
そこへ殺し屋ジークが襲撃した。
(おのれ……おのれぇぇえええ……! 俺様は必ず復活してやるぞ……! テレパシストのお前やホルローグの卑怯者が死に、俺様への対抗手段がこの世から消え去ってからなぁ……!)
スクリームはジークの存在を認識すら出来ずに殺されたが、テレパシストによって弱点を突かれた事は理解していた。だからこその遺言であり、決してただの捨て台詞などではない。
(そう……。その二つ名の通り、やっぱり簡単には終わらないのね……)
そして、この討伐の立役者であるアリシアと言う名のテレパシストは、死後に彼が放った極めて邪悪な幻術を読み取ってしまっていた。
ホルローグの守護者の力を借りて、あらゆる書物や媒体から彼の名を消し去り、彼の存在した痕跡はナイトウォーカーという架空の怪物の仕業に仕立てたが、それでも彼が二度と復活しない保証は無い。
彼女はすでに与えられてしまっていた。彼女が消えた未来で復活し、彼女が守り続けていた全てを残虐に蹂躙する恐ろしい復讐者の幻影を。
彼女は悩んだ。スクリームの能力や対抗手段を後世に伝える事が出来ない。彼の情報を伝える事は、その復活の手助けに他ならないからだ。自身の能力で恐怖心は抑えているが、こうして悩み、想像を巡らせ、不安を感じる行為でさえも、彼の不吉な遺言に近付いていく行為だと感じた。
スクリームに関する自分の記憶も消す賭けに出るか否かを悩んだ末に、彼女は未来予知能力を持つと噂される大樹の魔法使いを訪ねた。そして預言者が告げた不可避の未来は一つ。
《終わり無きスクリームは、必ず復活する》
予言された魔王の復活日は、30年後の今日。
場所はランスベルグ市郊外の森。
つまりはクレアとバリスが計画した三文芝居の予定日と、その予定地である。