第4話。催眠術師クレア爆誕!
カノンを預かって二日が経った。
私達は予定通りに遠回りをし、道無き森の中を進んでいる。
カノンは放っておくと勝手に違う方向に進もうとするので、その度にスリッパで頭を叩いて言う事を聞かせた。体罰をしているようで気分は良くなかったが、どうせ短い付き合いだからと私は割り切る事にした。
「むむむ! クレア卿、また矢印です!」
そしてカノンの暴走にさえ気をつけていれば道に迷う心配は無かった。薄暗い森の中でも目立つようにか、所々に木に矢印が赤い塗料で書かれていた。
塗料を薄めて使ったのだろう。何年も前に書かれた物のように薄くかすれてしまっているが、矢印の下には小さく今日の日付も書いてある。
打ち合わせには無かったが、私達が迷わないようにバリス卿が先回りして書いておいたのだろう。少々わざとらしい気もするが、随分と気の利く男になったものだ。うんうん。
「間違いない、ナイトウォーカーからの招待状だ。『俺は逃げも隠れもしない、この先でお前を待っているぞ』という強い意思を感じるな」
「やはりそうでしたか! 敵ながらなんと殊勝な心掛け! まさに私の好敵手に相応しい相手です!」
私がそれっぽく補足すると、カノンは簡単に騙された。「ジー」ミサキは明らかに目印を怪しんでいる目付きだが、今は言いたくない私の事情を察しているのか直接的には文句を言ってこない。
「カノンさん……私、重くないですか……」
「はっはっは! なんのこれしき! 私がナインさんの骨を折ってしまったのですから、これぐらいは当然というもの!」
そしてこの二日間、ナインはずっとカノンに背負われていた。あの不幸な事故……事故? 自業自得……? ううん……ギリギリ私のせい? なのか? まあとにかく出血多量と肋骨の骨折で、しばらくまともに歩けない程の重症を負ってしまった。
ナインの動向を見ていると、暗殺技術はあんなに凄いのに一族の序列は九位だった理由を察してしまう。時々私に背負ってほしそうな目でじーっと訴えてくるが、もちろん無視だ無視。
「さて、そろそろ日が暮れるな。今日はこの辺りで水と安全を確保してキャンプしよう」
「はい!」「了解です!」
「今日こそお姉さまと同衾……ハァハァ」
「ナイン。お前は今日もテントの外だ」
「そんなー!」
今日は月の無い夜だった。
交代の時間になったので、私はテントから出てミサキと見張りを交代する。
「おやすみなさい、クレア様」
「ああ、おやすみ。また明日」
ミサキの姿がテントの中に消えていく。
ちなみにカノンもテントの中で寝ているので、とても狭い。
「グオオオ〜……! フゴゴゴォ〜……!」
それとイビキもうるさかった。
「スゥ……スゥ……」
テントの外には寝袋に詰めたナインが転がっていて、寝息を立てている。私は起こさぬように静かに歩いて焚き火の前に腰を下ろした。見張り番として周囲の警戒はしつつ、パチパチと爆ぜる焚き火を眺める。
「ふぅ……」
深夜の一人になるこの時間は、割と嫌いではない。ミサキを拾うまでは一人でやっていたからか、仄かな懐かしさと落ち着きさえ覚える。
「色々、あったな……」
揺らぐ火を見つめながら、とりとめのない事を考える。
今日の事。明日の事。昨日の事。カノンの事。「スゥ……スゥ……ハァ」カノンはどうしてあんなんなのだろう。心肺蘇生法の正しい手順を知っていたり食事マナーは意外なほど上品だったりと教養の高さが見て取れるので、脳に障害があるわけではなさそうだ。馬鹿にも色々あるが、彼女の場合は何か決定的なものが一つ欠けているだけのような気がする。「スゥ……ハァ……スゥ……ハァ……」考え無しというより、目先の事しか考えられない……集中力が無い……いや、逆に高すぎるのか? それが災いして他の事が考えられず、先の予測が出来ない? だからAをすればBになるといった想像力が欠如して「ハァ……ハァ……クンカクンカ……ハァハァ……!」
「ってコラ」
いつの間にか寝袋が私の太ももに顔を埋めていた。
蹴り飛ばそうかと思ったが、今回はうっとおしさよりも感心が僅かに上回った。彼女が芋虫のように這って近付く姿が見えていたのに、私はそれを脅威と認識出来なかったからだ。
これも暗殺者の技術なのだろう。私には覚えられなかったが、先生も似たような技を見せてくれた。世界一怖くて優しい人だった。先生の怖さに比べたら、今まで見てきた怪物なんて大した相手じゃない。
それはともかく、やっぱりコイツは蹴っ飛ばそう。えい。
「キャイン!」
私に蹴られたナインが転がる。一応怪我人なので、蹴るというよりつま先で軽く押し転がした。
「まったく……私を襲いたいなら、いくらでも手段はあるだろうに」
実のところ、私はナインを強く警戒している。強すぎる情愛は人から理性を奪い、容易く狂わせるからだ。
アイさんがそうなってしまったように。
ナインが私に向ける好意が狂気に変わらない保証は無い。敵に回せば勝ち目が無い以上、なるべく早く縁を切るか私への興味を失わせたいのだが……。
「襲うだなんてとんでもありません! 私はむしろ襲われたい派なんです!」
うん、その情報別に要らない。
「それにこう見えても私は尽くすタイプですから、お姉さまが嫌がるような事は決してしませんとも。ふふん」
何だそのドヤ顔は?
たった今セクハラされたばかりなんだが?
「まったく、お姉さまは私を何だと思っているのですか」
「クール系暗殺者キャラが光の速さでブッ壊れた、色ボケ変態ストーカーだけど……」
「そんな! これでも私、一族最年少にして数々の暗殺奥義を使いこなすミステリアスな美少女キャラで売っていたのに……!」
自分で美少女とか言う? まあそうなんだけど……。
それはさておきキャラ作りは重要だな。舐められない為に、可愛がられる為に、畏怖させる為に、人は社会で生きる上で仮面を被って使い分けなくてはならない。確かこれを……ペルソナと呼ぶんだったか? 心理学にはあまり詳しくない。
キャラ作りと言えば、明日はいよいよ変装したバリス卿との対面だ。聖骸騎士の秘蔵の品々を用いた奇跡のショーを見せると息巻いていたので、若干楽しみでもある。
……カノンがボコボコにされて騎士の道を断たれるであろう事は、私には関係が無い事だ。考えないようにしよう。
「そういえば聞こうと思っていたんだが、影に短剣を刺してカノンの動きを止めた技があっただろ? あれって何にでも使えるのか?」
「影穿ち、ですね。実はあれはただの催眠術です。影を縫い止められて動けないと相手に思い込ませているだけですので、言葉が通じない異国人や動物には効きません」
「催眠術まで使えるのか……。まさか私にかけて惚れさせようとかしないだろうな」
「誓ってそんな無粋な事はしません! それに私の催眠術は万能ではなく、思い込みが強く精神が未熟な単細胞にしか効かないのです」
「カノンのような?」
「そうなのですが、ストレートに言いますね……。ですが、もしかすると彼女にはお姉さまも催眠術が使えるかもしれません。初心者向けのやり方を教えますので、お姉さまも催眠術を覚えられてみませんか?」
そう言われるとちょっと興味が出てきた。
糞サーカスのせいで催眠術には良い印象が無かったが、人生は一生勉強だ。新しい技術を習得する機会があるなら逃したくない。
「やってみたい。教えてくれ」
「はい! 喜んで!」
ナインはモゾモゾと寝袋から出てくると、穴が空いた硬貨に紐を結んで私に手渡した。
「催眠術のコツは、相手に小さな要求から受け入れさせて、心の扉を少しずつ開けていくことです。最初は『このコインを見て』『私の目を見て』『深呼吸して』などといった、簡単な指示に連続して相手に従ってもらうのです」
「ふむふむ」
「その次は意識しなければ気付けない身体の反応を利用します。例えば呼吸や瞬き、痒み、体の重さといった、普段は意識しないものを相手に意識させて誘導します。これによって、相手の身体がこちらの命令通りに痒くなったり重くなったりしていると誤認させる事が出来れば、催眠術の導入は成功です」
「なるほどな。何となく理屈は分かった気がする」
「では試しに私にやってみましょう。糸で垂らしたその硬貨をゆっくりと横に揺らしながら、私に簡単な命令を出してください」
一瞬、このやり取りそのものが私への催眠術導入なのではないかという疑いが頭をよぎったが、ナインならこんな遠回りな事をする必要は無いだろう。ここは彼女の善意を信じよう。
「それじゃあまずは……この硬貨を見ろ」
「見ろですって? そんなの当然じゃないですか、私たちは恋人同士なんですから」
ナインは服を脱ぎ始めた。
「うわぁーっ!?」
「さあお姉さま、デイリー百合ックスの時間ですよ。今日も私をメチャクチャにして下さい」
そしてあっという間に全裸になり、私に絡み付いてくる。
「まさか私にこんな才能が!? いや違う! 恋人とか脱げなんてワード一言も使ってないぞ!? お前さては催眠にかかった振りをして私を襲う気だな!?」
こんな奴を信じるんじゃなかった! チクショウ!
「催眠? バカバカしい話ですね、そんなのかかるわけないじゃないですか。催眠術になんて絶対負けないんだから!」
「ふざけんなこの性犯罪者! やめろ私の服に手をかけるな! これ以上はマジでブッ殺すぞ!」
「あの〜クレア様? うるさくて眠れないんですが……」
テントからミサキが出てきた。「あっ」そして私達を見て固まる。ナインはもちろん全裸だし、私もいつの間にか下着が見える程度まで脱がされていた。
「…………」
ミサキはそのまましばらく真顔で固まっていたが……。
「……………………」
一言も喋らないまま、テントの中へ戻って行った。
「待て! 待て待て! これは誤解だ! 私はノーマルだし、この変質者とは何でも……このっ……! 何でもないっ!」
「キャイン!」
しがみついてくる変態をやっとの思いで押し退け、転がるようにテントの前に辿り着く。
「ミサキ!」
「わっ、私、何も見てませんから! もし見てたとしても、多分夢ですから! 夢だったって事にしますから!」
ミサキはテントのジッパーを内側からガッチリ押さえて開けてくれない。
「だから誤解! 誤解なんだって! あれはただの催眠術だって!」
「さっ、催眠術!? 催眠術なら誤解どころか正解じゃないですか! そんな特殊なプレイをするなんて不潔です! クレア様のエッチ!」
「違う違う! 違うんだよ! とにかく落ち着いて、顔を合わせて話し合おう! な!」
「やーです! そうやって私も催眠術でエロエロにするつもりなんですね! ナインさんみたいに!」
「あいつがエロエロなのは元からだ!」
「前々から何かおかしいと思ってたんです! 人でも怪物でもクレア様すぐ手懐けて言う事聞かせちゃうし! 妙にモテると思ったら、やっぱりそーゆー事だったんですね!」
「違うよ!? それに子供の頃は真逆だったんだってば!」
ああもうめんどくさい!
思春期のミサキに変態を近付けるんじゃなかった!
「こうなるからチーム内に恋愛を持ち込むのは絶対に駄目なんだ! チクショー!」
私の心からの叫びが、草木も眠る夜の森にコダマしていく。
今回は敵すら居ないのに、私達のチームワークはすでにボロボロだった……。