第16話。機械の愛の価値
丘一面に咲き誇る白い花の海を、夕陽が鮮やかな茜色に染め上げていく。風が花々をサラサラとかき分け、時折聞こえるカラスの鳴き声が哀愁を誘う。
そんな彼岸と現世の狭間のような光景を、私とアイさんは二人並んで眺めていた。
私が普通の子供だった頃は、こんな場所で日が暮れるまで遊び、心配した親に迎えに来てもらったりしたのだろうか。失われた過去はもう二度と思い出せない。
「それにしても、ここはいい場所だな……。もし死ぬなら、こんな場所で死にたいな……」
「警告。死亡フラグを検知しました。クレア以下略氏の生存率が著しく減少」
「しまった油断した! やっぱり今の発言はナシで!」
ミサキ達は私達の話を聞いて記憶消去に巻き込まれないように、ここから離れた崖道で待機してもらっている。
しかしこの素晴らしい景色を私達だけが独占するのは、少しばかり気が引けるなぁ。後でまた見に来る余裕を作れたら良いのだが。
つい先ほど、一回目の作戦会議が終わった。
会話内容に真実が混ざっているならば、もうじき最初の記憶消却が始まるはずだ。それ次第で次の手を考えなくてはならないから、あまり時間も無い。
だがその前に……どうしても気になっていた事を、アイさんに尋ねておきたい。
「なあ、アイさん。その……もしかして、私に見覚えがあったりとか……しないか?」
「肯定します。魔法しょ「待った! 悪いがその名前で呼ばないでくれ!」
「失礼しました。固有名詞の発言は禁則事項でした」
やっぱり気付かれていたか……。
でもまあ、そりゃそうだよな。多少の月日が経ったところで人間の顔なんてコロコロ変わるものじゃないし、アイさんは記憶改変に耐性がある。私がアイさんに気付いたように、アイさんも私に気付いて当然だ。
「ちなみに、いつ気付いた?」
「最初からです。当機には高度な認証システムがあります。それらの顔認証、および、声紋認証システムには、対象の発見能力向上のため、年齢変更や性別転換などのシミュレーション機能も搭載されています。特に貴方は最警戒すべき人物であったため、当機は認識した人物全てをスキャンし、シミュレーションを行なっていました」
「それで私に気付いたわけか」
「肯定します。当時の姿に九年分の成長を加算したシミュレーションによる、クレア以下略氏の一致率は約84%。本人と断定するに十分な数値でした」
「一見して高いようで低くないか? 間違いなく私が本人なんだが、99%とかじゃないんだな」
「クレア以下略氏の胸囲が、成長シミュレーションの算出結果と著しく異なっていました」
「ここでもっぺん決着つけるかコラ……!」
「その提案は拒否します。当機には現在、貴方と交戦する理由が存在しません」
「はあ……分かってるって。こっちだって本気じゃない」
つい振り上げてしまった拳を下ろす。
「了解しました。では当機からも質問があります」
「私に答えられる事なら答えよう」
「クレア以下略氏ならば、現在直面している問題を解決するに十分な戦闘能力を有していると思われます。しかし、クレア以下略氏の言動からは、自身の戦闘能力を計算に入れている様子が見られません。その理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「ああ……それか」
正直に答えるべきかどうか少し迷ったが、アイさんは仲間だ。そして困った時は素直に仲間を頼れと、最近ハスキに叱られた件もある。今の私の状況を教えておくべきだろう。
「実は私には、もうあの頃の力は欠片も残っていないんだ。そもそもあれは全部他人から借りた偽の力で、私自身の力じゃない。だから私には……もう戦闘は期待しないでくれ」
「了解しました。では今回は借り物の力ではなく、クレア以下略氏自身の力を期待する事にします」
「私自身の力……か。そうだな、今の私にどこまで出来るかは分からんが、最善は尽くそう」
「もう一つ、質問をよろしいでしょうか」
「ああ、他にも気になるところがあったか?」
「心を持たない機械の愛に、価値は有ると思いますか?」
「えっ?」
なんだか予想もしてなかった質問が来てしまった。
ううん……これは、どう答えたものかな……。
「えっと……まず……心を持たない、というのは……?」
「当機は、プログラムに従ってのみ行動します」
「プログラム?」
「プログラムとは、こういう場面ではこう動かなくてはならない、また、ある状況ではこう行動しなくてはならない、などの、当機にあらかじめ定められた命令を指します。当機は、その命令以外の行動を取る事が、できません」
「ふむ……続けてくれ」
「よって、当機は自発的な行動が不可能であり、当機のあらゆる行動は、プログラムを通して他者に命令されたものとなります」
「つまりアイさんは他者からの命令でしか動けないということか?」
「肯定します。その命令は、例えば、敵と戦え、施設を警備しろ、右手を上げろ、などの実動的な行動だけに限りません。通常の生物における精神的活動……例えば、怒る、喜ぶ、悲しむ、などの、生物が誰に命令されるでもなく、己の心の内から生まれる反応もまた、含まれるのです」
「ええと……つまり?」
「要約します。現在は不可能ですが、当機は命令さえあれば空気が読めます」
「いや自分で空気が読めると言っちゃう人って……まあいいや、続けてくれ」
「つまり心が無いため、実際は怒っても悲しんでもいないのですが、命令さえあれば、怒ったり悲しんでいる振りが出来るということです。指定の表情をし、定められた態度を取り、相応しい言動を行う事が可能です」
「ふむ……そういう事か……」
「ですがそれは、生物が自然に行う心の動きとは、本質的に大きく異なります。あくまでも人工的に心を再現しているだけの紛い物に過ぎません。そしてその模造品の心には、怒りや悲しみと同様に、愛も含まれます。『主人の幸福に全てを捧げよ』これが当機が受けた原初の命令であり、当機が価値を問う人工の愛です」
「なるほど前提は分かった。その上で、自分の内から生まれた自然な愛ではなく、愛せよと命令されて生まれた人工的な愛には価値が有るのか、という質問でいいか?」
「肯定します」
考えるまでもない。アイさんは価値が有ると答えてもらいたがっている。なら答えは決まっているが、難しいのはそれにどう説得力を持たせるかだな。
「そもそもだ。生物だって命令を受けている」
とりあえず、まずはここから切り込んでみよう。
「アイさんが『プログラム』による命令を受けているのと同様に、生物は『本能』による命令を受けているんだ。感情と呼ばれる心の動きも、合理的な理由に基づいて本能が命じている。例えば怒りや恐怖といった感情は、外部からの脅威に抵抗するためにある。襲ってくる敵へ反撃させたり、危機から逃げさせたりするために、本能が生物に出す命令が感情の源泉なんだ」
「では、愛もまた本能からの命令なのでしょうか」
「その通り。愛なんて本能の最たるものだ。愛と言えば聞こえはいいが、結局はより優れた子孫を残す為に本能が出している命令に過ぎない。恋愛も家族愛も、それを心地良く尊いものと感じる心も、本能が出している命令に従っているだけなんだ。だからアイさんの言う自然由来の愛と人工の愛に大きな違いは無い。ここまではいいか?」
「クレア以下略氏の発言を記録しました。また、当機はその内容を理解し、事実であると認識しました。心、および、愛に対する定義を、一部更新します」
よし、ここを納得してくれたのなら話が早い。
「それを踏まえた上で、愛の価値とは何かという話に移ろう。そもそも愛とは欲望を満たすツールだ。性欲、繁殖欲、支配欲、承認欲求、その他様々な欲望を満たすために、人と人は愛し合う」
「ではその欲望を満たす事ができたのなら、人工の愛にも価値は有ると判断してもよいでしょうか」
「その通りだ。さらに言えば、お互いの欲望を満たし合う事が愛の本質だと思う。逆説的だが、ストーカーが女を犯して殺すような一方通行の愛には何の価値も無い。その逆で互いに満たし合う事にこそ、愛の価値が有るんじゃないかな」
「互いに満たし合う事こそ愛の価値。情報を更新しました」
「だからアイさんとダグラスとの愛に価値が有るかどうかは……私からは分からない。お互いが相手を満たせてあげられているかどうかで判断したらどうだろう」
「相手を満たしてあげられるか否か……ですか……」
心なしか、これまで無表情を貫いていたアイさんの表情が、少しばかり曇った気がする。あっ、そういえばアイさんは家事が苦手って話だった。……ちょっと外したかな。
「これが、プログラムに作られた、作り物の愛だとしても」
アイさんは胸に手を当てた。
心を持たないロボットでも、人間と同じように胸が痛んだりするのだろうか。あるいは先述の通り、プログラムが命じる動作なのだろうか。
「当機は、ダグラス様が隣に居てくれるだけで、いえ、生きてくれているだけで、『満たされている』と感じます」
迷いの無い、力強い言葉だった。
「そして、ダグラス様が当機を満たしてくれているように、当機もまた、ダグラス様に満たされてほしいのです」
そう言い切ったアイさんの綺麗な眼を見て、私は思った。
この野郎! さては最初から答えは決まってやがったな!
自慢げに惚気話をしやがって! 第二ラウンドは私の勝ちだとでも言いたいのかチクショウ! 幸せそうで羨ましいなあもう!
…………しかし私は空気が読める女。
ここはそんな事を言っていい空気じゃないので、クールに笑って流しておこう。
「フッ。そ、それは良かった。こんなにも愛されて、あの男も幸せ者だな……ギギギ……!」
「クレア以下略氏の台詞と表情の不一致を確認。感情表現能力に何らかの不具合が発生している可能性があります。もっと当機を祝福するような表情をしてください」
「意外と厚かましいなアンタは!」
そういえば人狼の時は異種族間の恋愛なんて上級者向けだと思ったけど、アイさんとダグラスのように子孫を残せない相手とも愛を育めるって……なんか良いなぁ。
「うっ……!」
そうこうしているうちに、頭痛が始まった。
おそらく記憶消却の前兆だ。
「クレア以下略氏の体調の変化を確認」
「記憶消却が始まったようだ……。一発目から正解を引くとは私も運が良い……。悪いが横にならせてもらうぞ……」
腰を下ろし、体を横たえる。
まさかこの歳になってお花畑の真ん中でお昼寝する事になるとは思わなかった。……もう夕方だけど。
「では枕として、当機の膝をお使いください。ダグラス様からも、当機の膝枕は好評を頂いております」
ハンマーでブン殴られたような衝撃が私の後頭部を襲った。
「ほげぇー!?」
ちょっぴりメルヘンな気分は激痛に吹き飛ばされた。
ふざけんな殺す気か!? 目玉が飛び出るかと思ったぞ!
「チクショウこの野郎! やっぱり昔の事でまだ私を恨んでやがるな!? 今一度白黒付けるかオオン!?」
「その提案を拒否します。当機は当時のユーザー様の命令に従ったのみであり、当機を撃墜した貴方とリベンジマッチを行う意思はありません。また同時に、当機はダグラス様以外の人物には、いかなる感情をも持ち合わせていない事も、併せて通達します」
「隙あらばノロケ! これだからバカップルは嫌なんだ!」
文句を言いつつも、私はアイさんの膝に頭を乗せた。
……なんか……アイさんの膝、すっごく硬い……。ダグラスは毎日これで寝てるの? 本人にはご褒美なのかな……。愛は偉大だな……うん……。
「はぁ……それにしても、残念だな……」
「残念とは、何がでしょうか」
「せっかくこうして、話ができたのに……もうじき、全部忘れてしまう……」
昔の私を知っている相手に会えて、ミサキやハスキには話せない事も話せたかもしれなかったのに。気絶して目が覚めたら、アイさんと今話した事も全部忘れてしまう。
それが、どうしようもなく寂しかった。
「私からもまだまだ聞きたいことがあるんだ……。アイさんの生まれた時代の、話とか……。人類は昔、月まで行ったって……本当かな……?」
「事実です。しかし今話しても忘れてしまうでしょうから、作戦終了後に、当機の知る限りの情報をお伝えします」
頭痛がピークを迎える。
いよいよ意識が保てなくなってきた。
「なら、それを聞くまではお互いに死ぬわけにはいかないな……。今からもう……楽しみ……だ…………」
気を失う直前、アイさんは私の頭をそっと撫でた。硬く冷たい感触のはずなのに、それはとても優しくて暖かくて……私は、子供のように……安心して……身を……委ね…………。
「おやすみなさい、機械の愛の価値を認めてくれた優しい貴方。願わくば、どうか私と貴方の今この時が、これからも貴方が歩み続ける過酷な旅路における、ひと時の安らぎになれますように……」