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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【偽りの命をアイした誰かの話】
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第28話。アイに生きる

 清涼たる風吹く月夜の丘を、剣戟音とアイの叫びが掻き乱す。それは人工の愛を信じる声であり、敵の死を望む声であり、時には聞くに耐えない罵声でもあり、もう二度と戻らないあの日々の返還を望む声だった。


 そしてそれは、どれもこれもが聞く者の胸を痛みで満たす悲痛な叫びだった。もしも花が涙を流せれば、泣けぬ彼女の代わりに泣いていただろう。

 しかし鍔迫り合う一合ごとに悲嘆を叫ぶその声も、本当に聞いてほしい者にはもう届かない。


 彼女たちはどうしようもなく愚かだった。

 死んだ主人を忘れる事もできたのに。依頼を達成した時点で帰る事もできたのに。互いの不幸を許し合う事もできたのに。二人とも合理的で賢い選択肢を選べずに、結局こうして再び殺し合っている。


「いい加減にその耳障りな口を閉じろ!」


 幾合目とも知れぬ打ち合いの最中、クレアの剣は何度かアイの肌を斬り裂いたが、皮膚下の装甲までは貫けなかった。斬撃ではアイへの決定打にはなり得ない。

 よって彼女は剣を主に防御に使いつつ、体重を乗せやすい打撃によって内部機器へダメージを与える戦い方を選んだ。彼女の内蔵機器は外部装甲ほど頑丈ではなく、打撃が有効である事は九年前にすでに知っている。


「この壊れかけのポンコツが!」


 アイの顔面に鉄拳が叩き込まれた。副作用を恐れぬナノマシンの過剰投与による強化を受けたクレアの筋肉は、パワードスーツの頑強な装甲をもはや鈍器へと変えている。衝撃でアイのモニターにノイズが走る。衝撃吸収材は九年前に損耗し切っていた。


「ジジッ……カカ、カ、返せ……返せ!」


 アイのバランスを司るジャイロセンサーはすでに壊れている。アイが今にも倒れそうな足取りで反撃に振った剣は「フン!」あっさりとクレアの剣に弾かれた。


「お前は……いや、お前も死ね!」


 アイのこめかみに猛烈な右フックが打ち込まれた。一瞬だけアイのモニターがブラックアウトし、ノイズだらけになった画面が再び映る。


「お、オオ、お前の、せいデ」


 その時にはすでにクレアの蹴り足が迫っていた。


「ああそうだ! 全て私の作戦通りだ!」


 アゴを蹴り上げられ、アイの体が浮いた。

 クレアは執拗にアイの頭部ばかりを狙い続ける。


「この世に産まれたがっていた忘却のゴーレムも! どこかで見たような黄金のゴーレムも! 魔女狩り部隊の狂信者共も! この私が殺し合わせてやった! ダグラスも! ……生理的に受け付けなかったから殺してやった! 全部全部私のシナリオ通りだ!」


 対してアイの反撃は、いとも容易く空を切る。

 アイは元々壊れていた。壊されていた。近接戦闘プログラムはバグだらけで、力加減を微調整できず、センサーが捉えた距離感を動作に反映できない。

 だから掃除も洗濯もできず、よくダグラスに叱られていた。膝枕をしようとして彼の頭を蹴ってしまった夜のことを、よく覚えている。


「あとはお前だけだ! 鉄のゴーレム! しばらく見ないうちに人間に化ける方法を覚えやがって! 殺人ロボットの分際で所帯まで持つとは何の冗談だ!」


 またしてもアイの顔面に鉄拳が突き刺さる。首の関節が軋み、モニターに亀裂が走った。アイは姿勢を制御できず、もんどりうって背中から倒れた。倒れた拍子に白い花弁が舞い散る。花の名前はオキザリス。ダグラスはこの花が好きだった。


「ああ……そういえばダグラスは醜男だったな。人間の女に相手してもらえなかったから、ヒトモドキのお前に慰みを求めていたわけか」


 クレアは追撃をせず、倒れたアイをその場から冷たく見下ろしていた。


「思えばあの男も哀れだな。お前につけ込まれなければ、平凡で穏やかな一生を送れただろうに。誰からも愛されず、私に利用されるだけの人生で終わってしまった」


「り、利用、とは」


 アイが倒れたまま問う。


「フン、まだ気付かないのか。さっきも言っただろう? 全て私のシナリオ通りだと」


 クレアは鼻で笑った。


「お前がダグラスを隠れ蓑にして潜伏していたように、私もダグラスを利用したんだ。なにせエメス……土のゴーレム野郎だけでは不安だったからな。最初からダグラスを餌にして、お前を連中と戦わせてやるシナリオだった。上手くいって何よりだ」


 アイは倒れた姿勢からばね仕掛けを思わせる動きで跳ね上がり、純然たる殺意を込めてクレアに斬り掛かった。月光を背負い影に隠れるその表情の中、眼だけが爛々と赤く輝く。


「イノセントオオオオッ!」


 しかし怒りの一太刀も、動体視力と反射神経を強化されたクレアには届かない。クレアは身を捻って刃を避け、無防備に隙を晒すアイへと左拳を振りかざす。クレアはあの時アイに喪服を与えて着替えさせることで、その弱点を観察していた。


「だからお前も……!」


 クレアは自身の拳を、血が出るほどに握り締めた。


「……お前もさっさと死ね! 狂った鉄クズめ!」


 アイが押さえ続けている胸の亀裂をその手ごと貫くかのような、鉄杭の如き重く鋭い一撃が突き刺さった。亀裂がアイの喉元まで広がり、装甲が部分的にずれて内部に陥没する。

 これまでとは桁外れな一撃を受け、アイは数メートル以上も宙を舞った末に花を派手に散らして地面を滑り、何回転も転がった。


「あっ、ぐああっ……!」


 しかしクレアもまた全力を超えた反動で、拳の骨が割れ砕けて肉を食い破り皮膚から飛び出した。クレアの顔が苦痛に歪む。ただちにナノマシンによる治療が始まるが、これでクレアもしばらく片手が使えない。人体の限界を超えた筋力強化によって自分の肉体を壊してしまう欠点こそ、ナノマシンの最大の副作用だった。


 ガガッ……ガガガガガ……ジジッ、ジジジジッ……!


 自身のハードディスクから鳴る異音をアイは聞いた。

 記録と読み込みを担う自分の機能が壊れかけている。生物に例えるなら脳に該当する、自己そのものあると言っても過言ではない機能。それが今や全ての記録と共に死を迎えようとしている。


「ジジ、シシシッ、シ、し、し…………死ねない」


 電子の砂嵐が吹いていた。

 狂ったハードディスクが起こす不具合は、保存した記録を勝手にモニターへ映し出す。視界中に吹き荒れるノイズの中で、カメラから入る現在の映像と、再生された過去の記録映像が入り乱れ、アイにしか見えない電子の虚構と現実が共生する光景が生まれていた。


「わっ、わたしはっ、私は……私は、死ねない……」


 そこに過去のダグラスの姿があった。


 文句を言いながらアイの作った不味い飯を食べてくれている。優しい顔でジョーの頭を撫でている。怒りながらも掃除の仕方を教えてくれている。今日は珍しく大漁だったと笑顔を見せてくれている。今にも泣き出しそうな顔で、遺体を埋める穴を掘っている。


「私が死ねば、ダグラス様がこの世に存在した記録が消えてしまう……。だから、だから私は決して死ねない……死ぬわけにはいかない……!」


 基盤がショートし白煙が漏れ始めた体で、アイは上体を起こした。バランスを司る機能が壊れている。もう二度とまともには歩けない。背部格納アームの開閉機能も壊れた。これで正真正銘全ての武装が使えない。


「ダグラス様を、もう一度殺させはしない……!」


 それでも迫り来る死の遣いに抗うべく、握り締めた剣を地面に突き刺し、寄り掛かりながらも立ち上がる。


「…………お前はここで殺す」


 そして敵が来る。

 ノイズの嵐を纏い、電脳と現実の狭間を彷徨うダグラスの無数の幻影を通り抜けて、アイの死が悠然と歩み来る。

 その瞳が言っていた。今度こそ逃しはしない。九年前の不始末を、今ここで終わらせると。


「し、死ぬべきなのは……お前だ! イノセント!」


「その名前で私を呼ぶなぁあああっ!」


 死者を埋葬していたダグラスの幻影がスコップを置き、両手を合わせて祈り始めた。クレアには見えないアイだけの幻が、聖書の一節を悲しげに口ずさむ。


《貴方が懸命に生きた姿を、主はいつも見守られていました》


 憎悪の剣戟が再び始まった。斬り付け合い、打ち付け合い、鍔迫り合い、刃越しに睨み合って、二人は醜く愚かに殺し合う。クレアの左手は未だ使い物にならず、アイの剣も容易く防がれる。互いに決定打に欠けていた。


「お前のせいで……お前のせいで!」


「ああそうだ! それがどうした! 全て私のシナリオ通りだと言っているだろうが! たかが一人死んだくらいで女々しく泣き喚きやがって! 恨むなら私一人を恨むんだな!」


《貴方が悩む時。貴方が嘆く時。貴方が苦しむ時。主は必ず隣にいました》


 あるいはアイが人間であったなら、復讐など考えずに残りの人生を穏やかに歩む道を選んだだろうか。

 血塗られた復讐の道を歩む者と、全てを忘れて平穏な人生を選ぶ者とでは、どちらが人間として正しいのだろうか。人間ですらなく、人間の役に立つ為の道具として作られた彼女の正解は、彼女の救いは、どこにあったのだろうか。


《今日までの困難に耐えた貴方を》


 限界を迎えたのは互いの体よりも武器が先だった。

 鍔迫り合いの末、感情の赴くまま力を込め続けたアイの剣が、浴び続けた激情にも耐えかねたか半ばからバキンとへし折れる。


 だが同時にクレアの剣にも亀裂が走っていた。さらに鍔迫り合いに打ち勝った勢いで剣をアイの頑強な装甲部分に打ち付けてしまい、刃部分が大きく割れ欠ける。


 体勢を崩した二人は額をぶつけ合い、牙を剥いて超至近距離で睨み合った。


《主は祝福し、天の国への門を開くでしょう》


「絶対に許さない! お前も地獄に落ちろおおおっ!」


「今更誰に言われなくても、元よりそのつもりだ!」


 クレアは体を後ろに引いた。地面に軸足を突き刺して、ダグラスの花を踏み躙り、アイの胸を狙って槍のような蹴りを繰り出した。蹴り足が生む風圧に、舞い散る白い花弁が螺旋を描く。


「死ガガガガガッ……!」


 最大の衝撃がアイを襲った。

 胸の弱点を庇い続けてきたアイの手ごと胸部装甲が陥没し、胸の亀裂はその隙間が大きく開く裂傷へと変わった。アイの体が浮き、丘の麓まで蹴り飛ばされて花畑へと沈む。


「ぐううっ……!」


 しかし一方で反動により、クレアの膝は割れかけて骨に亀裂が入った。筋繊維が断裂し、血管が何本も破裂して内出血が多発する。クレアは人間の身体に許された筋力の範囲を逸脱した苦痛に顔を歪め、丘の中腹に背中から倒れた。


「死ねない……死ねない……」


 奈落から響くような声が聞こえる。クレアが首を起こして見てみれば、幽鬼を思わせる様子でアイが立ち上がっていた。


 しかしついに彼女も限界か、その視界は今や砂嵐に覆い尽くされていた。あれほど大勢いたダグラスの幻影も、ノイズに蝕まれて一人また一人と消えていく。


「ああ……あああ……」


 もはや言葉すらまともに出てこない。アイは消え行く最愛の幻にすがりつくように、右へ左へフラフラと揺れながらダグラスの幻影を追いかけた。


《願わくば、あなたの魂が永遠の安らぎに満たされますように》


 しかしアイがどれだけ手を伸ばそうとも、どれだけ幻影を追おうとも、ダグラスとの距離は決して縮まらない。彼女が一歩進めば彼の幻はその分だけ遠ざかり、ノイズの彼方へ消えていく。

 ダグラスは決して自分からアイに触れようとはしなかった。その記録に忠実に今も二人の距離は変わらない。


 その一方で、クレアにも異変が起きていた。

 肺が膨らまない。息を深く吸えない。発汗が止まらず、視野が狭まる。天地が歪む猛烈な眩暈がし、頭が割れるかと錯覚するほどの頭痛に襲われ、限界を超えて全身に血液を送り出し続けていた心臓は、今にも破裂しそうな痛みに支配されていた。


 ナノマシンの治療も続いてはいるが、蓄積した負傷と三度に渡るドーピングの反動は治癒能力の限界を上回る。借り物の力の代償を支払う時間が、ついに来てしまった。


「捕虜から聞いてた……より、キツいな……クソッ……」


 クレアは体が回復するまで、少しでもアイとの距離を稼ごうとした。壊れた剣を手放し、花を押し潰し土を掻き脂汗を垂れ流して、ナメクジのように惨めに這って必死に丘の頂上を目指す。


「死ねない……」


 しかしようやく頂上に辿り着いた時、その背に差す人影が月の明かりを遮った。クレアは体を捻って仰向けに振り返る。


《苦痛も争いも無い……》


 割れた胸からオイルの血を流す、機械仕掛けの壊れた復讐者がそこに居た。その右手に握る折れた剣先が、月の光に濡れ輝く。人魂のように赤い光の尾を引くその眼には、あの日の幼いイノセントの姿が映っていた。


「私は、死ぬわけにはいかない……」


 アイはクレアにのしかかり、その目を抉り出すべく壊れかけの左手を伸ばした。クレアはそれを右手で掴み阻止するも、これでもう彼女は両腕が使えない。


「だから」


 アイの視界は一面のノイズと、ありとあらゆる機能の異常を告げる警告で埋め尽くされていた。最後に残ったダグラスの幻もまた、ノイズに食い荒らされて壊れていく。


「だからお前が」


 アイは右手に握る刃を振り上げた。

 クレアはそれを睨みつけ歯を食いしばる。


《優しさに包まれた世界に、いざなわれますように……》


「お前が死ねえええっ! イノセントォオオオオッ!」


 クレアは悟った。


 駄目だ! 防げない! 右手も左手も使えない! ハスキは崖の下に落ちた! ミサキは村民の避難誘導をしている! 助からない……! 私を助けてくれる人はもう誰も居ない……! 私はここで死ぬ……死んでしまう……!


 もはや打開策はおろか、絶望する間も覚悟を決める猶予も無かった。クレアは逃れられない死を前にして、恐怖のままに身を強ばらせて目をつぶる事しかできなかった。


 そして死の刃が振り下ろされた。






 5秒経過…………。






 10秒経過…………。






 さらに20秒が経過しても、その瞬間は訪れなかった。


「………………?」


 いつまで経っても振り下ろされない死神の鎌を疑問に思い、クレアが恐る恐る目を開く。

 すると彼女の眼球の僅か数㎝手前で、その命を奪うはずだった刃が止まっている。それもピタリと静止しているわけではなく、わなわなと僅かに震えていた。アイの唇が開く。


「…………か」


 結論から言って、アイは決して自発的にクレアの殺害を思い直したわけではなかった。それは壊れた機械が引き起こす、ただの誤作動に過ぎなかった。


「感圧センサーが、反応……」


 アイは驚きに目を見開いて自分の腕を見つめていた。クレアが周囲に目を走らせるも、付近には彼女たち二人以外には誰も居ない。微かな花の匂いを乗せた風が吹き抜ける、無人の花畑があるだけだった。


 それでも、アイには見えていた。


 荒れ狂う電脳の砂嵐の中。過去と現在が入り乱れる視界の中。怯えるイノセントに振り下ろした殺意の一撃を、横から掴んだ力強い腕があった。汚れていて、日に焼けていて、毛深く、生傷だらけの、働き者の手。


「この、手は……」


 嘘だ。こんな事が起こるはずがない。これはただのエラー、ただのバグ、ただの不具合に違いない。

 アイは信じられない思いで、その手の先を辿り見る。




 そこに、ダグラスの姿があった。

 今は亡き彼の幻が、アイの手を掴み止めていた。




「ダグラス、様……?」


 無論、アイはこれが幻だと理解している。狂ったハードディスクとモニターが映し出すバグだと理解している。

 だが壊れかけたデータベースをどれだけ探っても、ダグラスが過去にこのような動作をした記録は存在しない。


 ならば、これは?

 私の手を掴む、この暖かく優しい手は?

 彼が死者を弔う時に見せる、この悲しげな眼差しは……?


 驚き硬直するアイを見かねたように、幻のダグラスが口を開いた。彼に何かを言われたのか、アイは体をビクッと震わせて一瞬だけ目を閉じ、唇をキュッと結んだ。


「も、申し訳ありません、ダグラス様」


 そしてアイは彼の手に引かれるままに刃を置き、親に叱られる子供のような顔で、彼の顔色を一生懸命に伺う。


「ダグラス様の、仰る通り、です。わた、私、私は、ダグラス様が助けようとした彼女を殺害し、ダグラス様の、命を懸けた行いを、危うく無下に、するところでした。ど、どうしようもない、大馬鹿野郎、です」


 クレアにはダグラスの姿も見えず声も聞こえない。

 しかし観測不可能は存在の否定とイコールではない。視認できずとも幻であっても亡霊であっても、クレアはダグラスに再び命を救われた事を察した。


「ダグラス様……お、怒られて、います、よね……? あ、ああ、で、でも、また、ダグラス様から、お叱りを受けられるなんて……私……私は……」


 アイはその端麗な顔を、泣き出す寸前の幼子のように歪めた。悲しみではなく喜びのあまりに。二度と会えないと思っていた彼との再会に。鋼鉄の心が揺れ動く。


「アイ……さん……」


 クレアは自由になった手を動かして、アイが置いた刃を握った。そしてつい口に出しかけた言葉を、断腸の思いで飲み込む。


 もう殺し合いは終わりにしよう。


 その一言が言えたなら、どれだけ楽だっただろう。

 だが、それだけは決して言ってはならなかった。

 ダグラスとアイは、邪悪な黒幕に利用されて殺された哀れな被害者でなくてはならない。そうでなくては……二人で天国へ行けない。


 クレアは覚悟を決めるために数秒だけ目を閉じた。

 そして確かな決意を持って目を見開く。今から殺す相手の事を忘れてはならない。この心に刻み、この目に焼き付けなくてはならない。


「ああ……ダグラス様……」


 アイは自らの手で顔の皮を剥がした箇所に手を添えていた。その手は剥き出しの装甲から少しだけ浮いていて、まるで誰かが彼女の傷を撫でる手に、自分の手を重ねているように見えた。


 半分だけの顔で見せる彼女の笑顔は、あまりにも眩しかった。


「ダグラス様……!」


 忘れるものか。何があっても。

 私の命を救ってくれた、二人の恩人の事を。

 こんなにも輝くばかりの、アイさんの笑顔を。


 クレアはその手に誓いを握り締めて、アイの胸の裂傷に刃を深く、深く………………突き刺した。




 月の光が照らすは、見渡す限りに咲き誇る白い花の丘。


 アイとダグラスはこの花が好きだった。


 花の名前はオキザリス。


 花言葉は輝く心。


 そして、




 ――あなたを決して捨てない――。




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