第26話。アイに殉ずる
記録映像再生。
《お前はガワだけ人間に似せたできそこないだ。もし俺が殺されていたとしても……お前は涙の一つも流さねえんだろうよ!》
アイはたった今、自らの手で殺したばかりの村人たちの血に濡れた短剣で、自分の左目を突き刺した。
だがこの時代の鋳造技術で作られた一般的な武器では、戦闘用にコーティングされたアイのレンズに傷一つ付けられない。
それでも何度も突き刺した。刃の先端が欠け、武器として役に立たなくなっても、ガツンガツンと何度も何度も彼女は自分の目を突き刺した。
涙を流す機能が欲しかった。
オイルでも冷却液でも何でもいい。
ただ目から液体を出したかった。
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《ハッ、お断りだ。俺みたいなブサイクがお前に触っていいわけねえだろ。それに、褒めてもらいたけりゃ少しは役に立つんだな》
アイは自分の顔面に短剣を突き立てた。人工皮膚に執拗に切れ目を入れて、力任せにバリバリと剥がす。人工皮膚の下に隠されていた外骨格が剥き出しになり、美しかったアイの顔半分は鉄の髑髏のような見た目になった。
あの人に触れてもらいたかった。
その苦悩を少しでも軽くしてあげたかった。
私が醜くなる事でそうなれるなら、そうすればよかった。
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《死者の魂が天国へ行けるように祈りながら、肉体を大地に還す……のが、正しい弔いだ。手順とか……祈りの言葉は……教会のを参考にしてるが……意味、意味か……》
アイは兵に命じて穴を掘らせ、殺した村人たちの遺体を埋めた。死者には女も子供も老人もいた。可能な限り苦痛を感じないように殺してあげたし、家族で天国へ行けるなら彼らは幸福だろう。そして彼女はかつてダグラスが死者に唱えていた文言を、一字一句違えることなく兵に唱和させた。
「貴方が懸命に生きた姿を、主はいつも見守られていました。貴方が悩む時。貴方が嘆く時。貴方が苦しむ時。主は必ず隣にいました。今日までの困難に耐えた貴方を、主は祝福し天の国への門を開くでしょう。願わくば、あなたの魂が永遠の安らぎに満たされますように。苦痛も争いも無い、優しさに包まれた世界にいざなわれますように」
あの人ともっと一緒に居たかった。
だから私も地獄へ行くために、たくさん人を殺そう。
あの場にはまだまだ多くの村人が残っていたはずだ。
ならば一人残らず殺さなくてはならない。
《弔いの、意味は…………それくらい、自分で考えろ》
ようやく理解しました。
弔いとは奉仕ですね。死者に何かをしてあげたいと願う心から生まれた儀式なのですね。
ではこれから犯す私の罪もまた、弔いに成り得るのでしょうか。
教えてください、ダグラス様。
私が間違っているのなら、また叱ってくれますか。
殺戮が始まる。
壊れた兵器の狂った理屈を正せる者はもう居ない。
もう誰も彼女を止められはしない。
これより彼女は、村人を一人残らず殺すだろう。
そしてこの山を降りて、さらに多くの人々を殺すのだ。
アイに感情は存在しない。
だからこれは怒りでも悲しみでも憎悪でもなく。
彼女の合理的なロジックに沿った行動である。
全てはユーザーの為に。
全てはダグラスの為に。
だが、本来ならば死者に尽くすなどプログラム上あり得ない行動である。規定に背いてダグラスの個人情報を消去しなかった彼女は、やはり壊れている。
しかし、彼女が壊れているにしても。
ダグラスの処刑に加担した村人へ報復の矛先を向ける行為は狂っていると、誰が言い切れるだろうか。
「…………ダグラス様の頭部の消失を確認」
アイが兵を引き連れてダグラス邸跡地まで戻ってきた時、ダグラスの頭部が元の場所から消えていた。同様に村人たちの姿もすでに無く、ほぼ燃え尽きたダグラス邸から立ち昇る煙が線香のようになびく静寂があるばかりだった。
「前方に痕跡を確認」
現場にはいくつもの足跡が残されていた。殆どは村人たちの足跡であったが、そのうちの一つがダグラスの頭部が置かれていたはずの場所に辿り着いていた。
そしてそこから点々と続く僅かな血痕が、ダグラスの頭部が何者かに持ち去られた事を示唆していた。
「追跡開始」
ならば取り返さなくてはならない。
そして私の弔いを見届けてもらうのだ。
あの人を誰にも渡しはしない。
「索敵開始」「周囲警戒続行」「先行偵察開始」
アイは自分を中心に陣形を作って進む。
追跡機能を用いるまでもない。山中には大勢の人間が通った痕跡があった。踏み荒らされた草の面積や折れた小枝の数を見るに、ダグラス邸に集められていた村人の大多数がここを移動したようだった。追跡はあまりにも容易だったが、アイはこのルートに覚えがあった。
ダグラスと何度も来た、白い花の咲くあの丘に続く道だ。
「報告。路上に物品を発見」
しばらく進むと、先遣部隊から通信が入った。
アイはカメラ越しに確認する。木立を抜けて、垂直に近い斜面と深い谷に挟まれた細い崖道のすぐ先。地面に敷かれたボロ布の上に折り畳まれた黒い服と、重し代わりにか聖書が置かれていた。
それを見て、アイはおぼつかない足取りで走った。
トラップの可能性もあったが、彼女は自分が着くまでそれを誰にも触らせなかった。周囲を護衛で固めつつ数分をかけて木立を抜け、ようやく目的地に辿り着く。
「安全性を確認。トラップの痕跡無し。ダグラス様より支給された装備と同一の物品である事を確認」
それは魔女狩り部隊によってダグラス邸から持ち出されて投げ捨てられたはずの喪服と、ダグラスがミサキに貸し与えていた聖書であった。敷かれたボロ布は誰の物とも知れぬ着古したズボンであり、その手前の地面には文字が残されている。そこにはただ一言、『どうして村人を殺した』と書かれていた。
「ダグラス様を弔うためです」
周囲に敵の反応は無いと理解していながら、アイは誰かの質問に対して、届くはずのない答えを述べる。
「ダグラス様は、信じる教義に従い、異端として地獄へ落ちました。よって当機もまた、ダグラス様にお仕えするために、稼働限界まで一人でも多くの人間を殺して、地獄へと向かいます」
アイは背中側が大きく破れてしまった服を脱いだ。そして不器用に折り畳む。背中に格納していたアームを展開した際に破いてしまったが、これもダグラスから与えられた大切な服だ。簡単に捨てるわけにはいかない。
「弔いに相応しい装備に換装開始」
月光が彼女の裸体を闇夜に白く照らし出す。
顔は途切れ肌は破れて鉄の外装が剥き出しになり、胸に亀裂が走っていようとも……いや、人と機械の狭間を生きる不完全さがあるからこそ、彼女はおよそ人間では届き得ない美しさを持ち合わせていた。
アイはドレスにも似たシルクの喪服に体を通す。喪服が人工の肌を擦る音がどこか物悲しく聞こえた。さらに彼女はデータベースを検索し、この装いにあるべき髪型へと換装する。
「報告。センサーに」
突然入った兵からの警告は途切れた。
何かが急カーブを描く崖の向こうで一瞬輝き、轟音が響く。続いて崖崩れでも起きたかのような崩落音。
この位置からでは視認出来ないが、崖道を進ませていた先遣部隊の反応が四つ同時に消滅していた。原因は不明。カメラも敵の姿を捉える前に光に飲まれて破壊されていた。土煙がカーブの向こうから溢れる。
ガシャン。ガシャン。ガシャン。ガシャン。
金属が鳴らす足音を、音響センサーが捉える。
崖道の角の先に何かが居る。兵四名を瞬殺し、崖を破壊した何者かが居る。「総員警戒態勢」アイは隊列を組み替えた。しかし狭い崖道だ、一直線に並ぶしかない。兵を二列に並べてアイ自身は後方を位置取る。
そして土煙が燻る崖道の先から、それは姿を現した。
「魔女狩り部隊の残党を確認」
それはただ一人の騎士だった。
戦列ならぬ葬列の前に立ち塞がる騎士は、魔女狩り部隊の甲冑型パワードスーツを確かに身に付けていた。
だがその武装の数はどうしたことだ。
両手に円錐形の馬上槍を持ち。
剣を両腰に四本と背中に四本も差し。
弓と五本ずつ矢が入った矢筒を両肩に背負い。
手足には数えるのも馬鹿馬鹿しい程の短剣をベルトで大量に括り付けている。
それらは何処からかき集めたのか、全て魔女狩り部隊の装備ではあったが、もはや満足に身動きが取れるのか怪しいほどの過剰装備だった。
騎士のヘルムの奥に緑色の光が灯る。
アイのハッキングに騎士の反応は無い。オフラインだ。騎士は遠隔操作によるネクロウイルスの支配から逃れている。
死者の為に死者を増やす殺戮の葬列に立ち向かうただ一人の生者が、そこに居た。
「…………」
騎士は無言で両手の槍をドズンドズンと地面に突き刺し、矢筒から弓と矢を抜いた。矢をつがえた弦が引き絞られ、構えた弓がしなる。その照準がアイへと定められた。
しかしアイが見る限り極めて原始的な武器、ごく普通の弓矢だ。アイと兵の装甲が貫かれる心配は無い。
「防御陣形形成」
それでもアイは敵の射線が自分に通らないように兵を配置させた。武器は普通でもこの敵が普通ではない。先遣部隊を瞬殺した事実からも、この時代では魔法使いと呼ばれる特殊個体の可能性が高い。
「diviega」
騎士が矢を解き放ち、力ある言葉を告げた。
それは単体では何の効果も持たない言葉であるが、古代の言語で聖なる剣、偉大なる叡智を意味する。
そして、魔女狩り部隊の切り札の一つ『豪弓』を発動させるトリガーだった。