表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【偽りの命をアイした誰かの話】
105/181

第22話。敗北

 勝敗は決した。


 緑豊かだったホルローグの山中に、燦々たる戦いの傷跡が生まれていた。地面は草木一本残らず掘り返され、折れた岩の巨剣や聖母像の頭、天を仰ぎ見る姿勢で息絶えたゴーレム、ピクリとも動かなくなった黄金の兵士などが土の上に散乱し、荒涼の限りを尽くしている。


 その中心で、黄金船は傷一つ無く優雅に佇んでいた。

 船首から指揮官が身を乗り出し、眼下を見下す。その先には地上から僅かに浮かぶ黄金の檻があった。


「貴様が弱すぎるせいで、うっかり殺してしまわぬように手加減するのは骨が折れたぞ。なにせ今回ばかりは必ず生捕りにせよとの勅命であったからな」


 檻の中には一人の醜い嬰児が居た。

 土と肉の入り乱れた体には紫色の血管が浮き出し、高さの揃っていない剥き出しの眼球は、ギョロギョロと落ち着きなく動き回っている。体毛は一本も生えておらず、額には真理を意味する彼の名前が刻まれていた。そしてその首と不自然に折れ曲がった手足には、黄金の枷が嵌められている。


 弱々しく呼吸し、時折血の混ざった咳を吐く奇形の嬰児は、紛れも無く土の神エメスの本体である。

 クレアとの通信を担っていた端末の姿もすでに無く、彼はただ一人敵陣に孤立していた。


「退屈な戦いではあったが、遥か格上の俺から逃げなかった勇気だけは認めてやろう」


 指揮官は尊大に告げると、黄金の靴をエメスの顔の前に作り出した。


「口づけし、俺に忠誠を誓え。さすれば貴様は研究対象ではなく俺の部下として生きられるように口聞きしてやる」


「グ……グググ、ケヒュッ、カハ、カハハハ……」


 その勧誘をエメスは一笑に付した。


「何がおかしい」


「チニクノ、イクサ、ナンタル、ユエツ。コノ、イタミ、コノ、クツウ、オノガチカラ、フルエル、ヨロコビ、コレスナワチ、セイノ、アカシ。イキトシ、イケルモノニノミ、ユルサレシ、キョウラク、タンノウセリ。オオ……! シカト、タンノウセリ……!」


「ふざけているのか? 俺が聞き取りやすいように話せ。醜い奇形児風情が」


 黄金の針がエメスの片目を貫いた。


「次はそのちっぽけな手足を一本切り落とす」


「ググ……クハ、ハハハッ」


 見える世界が半分になってなお、エメスは笑う。


「コチラコソ、クロウシタゾ、コゾウ。ゼンシンゼンレイデ、アナヲホリ、キヅカレヌヨウ、ダイチノユラギヲ、オサエルコトハナ」


「何?」


 指揮官が訝しんだ時、全ては手遅れだった。


「ワレガナゼ、コノバカラ、ウゴカヌノカ、カンガエルベキデアッタナ、コゾウ」


 地下3000kmのマントルよりエメスが汲み上げた灼熱の溶岩が、黄金船の直下から噴出した。


「うおおおおっ!?」


 赤々と燃え盛る炎の泥に黄金船が飲み込まれた。

 その温度、実に約1100度。如何なる鉄壁の鎧でも到底耐え切れるものではない。溶岩は必要以上に噴出することなく、握り拳のように形を変えて、内部の黄金船を逃さぬよう圧力を加え続けていた。


「……! ……!」


 黄金船が本物の金であったならば、逃げ出す猶予はあっただろうか。

 絶叫さえも焼き尽くされ、魔女狩り部隊と黄金船は灼熱に消えていく。甲冑風に加工されたパワードスーツも想定外の高温には耐え切れず、動力源に誘爆して次々と爆発四散した。

 それは指揮官も例外ではない。彼の爆発後、エメスを捕らえていた枷と檻は風に吹かれる塵のように霧散し始めた。倒れ伏した兵士たちも動くことなく、金のコーティングがサラサラと剥がれていく……。


「ム」


 しかし、その黄金兵の中身は半数以上が空だった。

 中に居た兵士たちは、あの嵐のような戦闘の最中で隙を見て密かに抜け出していたのである。忘却の魔女を狙う伏兵として。


「ゴヒュッ」


 エメスの腹が黄金の槍に貫かれた。血泥に塗れた穂先が背中から飛び出し、エメスの目が裏返る。コントロールを失った溶岩の巨腕は根本から折れるように倒れ、勢いよく潰れて灼熱の泥を撒き散らした。


「おのれ……! あのイノセントに比べれば赤子も同然と油断したわ……!」


 霧散したと思われた金粉が寄り集まり、人型の輪郭を作る。しかしそれは幽霊のように薄くおぼろげで、かろうじて人の形を保とうとしている影のように見えた。 


「許さんぞ……! もはや生捕りにする者は忘却の魔女だけで十分よ……!」


 しかしエメスからの反撃は無い。腹を黄金の槍に貫かれたまま地面に転がっている。


「地獄へ落ちろ! 卑劣なクズ虫めが!」


 金色の人影が手を伸ばすと、黄金の槍は分解されて金色の粒子へと変わった。さらに粒子は空中を滑るように流れて、人影の体の中へと吸い込まれていく。すると金色の影の濃度が少しだけ濃くなった。


「ああ……」


 そして影は己の手を見た。続いて自身の体を見下ろす。その顔には目も鼻も口も無く、彼がどんな表情をしているのかは分からない。


「ああ、ああああ……。もう、たったこれだけしか残っていないのか……?」


 金色の人影は、崩れ落ちるようにその場に膝を着いた。

 無い目をどれだけ凝らして溶岩の中を探しても、元の身体の一部すら見つけることは出来ない。


「俺の……俺の体……! 俺の骨……! 九年前まで俺が人間だったことの証……! ああ、ああああ……! 俺は、俺はもう、たったこれっぽっちになってしまった……!」


 魔女狩り部隊の指揮官だった彼に、先程までの尊大な態度は欠片ほども見られない。もし彼に人の体が残っていたならば、大いに咽び泣いていただろう。


「カハッ、カハハハ……ゴヒュッ、カハハ……」


 血の混じった咳を交えて、エメスの笑い声が聞こえた。

 指揮官の嗚咽がピタリと止まる。


「ズイブン、ツヨキ、ニンゲンダトハ、オモッタガ、マサカ、ドウルイデ、アッタトハナ……ハハ……」


「俺は人間だ。貴様と一緒にするな、醜い化け物めが」


 金色のナイフがエメスの額に突き刺さった。彼の額に書かれていた名前の頭文字を抉り、脳を貫通する。「死ね」続いて二本のナイフがエメスの胸に突き刺さり、小さな肺と心臓を貫いた。


「オ、オバウエドノヲ、マモレ……」


 その言葉を最後にエメスは息絶えた。

 いつからかホルローグに巣食い、古の神として祀られた忘却と土繰りの神の……その複製品の最期だった。


「おお……この屈辱……この絶望……! 貴様にも味わわせてやるぞ! 忘却の魔女よ!」


「うう……」


 近くから呻き声が聞こえた。

 指揮官が咄嗟に声の方向を見やると、そこには地面に這いつくばる彼の部下が居た。


「た、隊長ですか……? 戦況を……」


 彼は戦闘開始早々にエメスに叩きのめされたおかげで、幸運にも黄金船と共に溶岩に飲まれなかった新入りである。気絶した挙句に敵味方から存在を忘れられていたが、甲冑から注入されたナノマシンの生体修復機能によって、たった今意識を取り戻した。


「ほう、生きておったか。体は動けるか?」


「申し訳ありません……足が折れているようで、動けるようになるには、まだしばらくかかるかと……」


「そうか。戦闘はどこまで見ていた?」


「それがお恥ずかしいことに、今の今まで気絶しておりまして……実は今もヘルム内に入った泥でよく見えないのです……」


 彼は声を頼りに指揮官の方向へ這い進む。

 指揮官は直立したまま滑るように地面を移動し、彼の前へ屈み込んだ。


「ならば一度脱いで顔の泥を拭うがよい」


「はい……そうします」


 彼がヘルムを脱いで目を拭った途端「えっ? バケモ」黄金の剣が彼の頭を貫通した。


「やむを得ん。他人の体など不快だが、今はこれで間に合わせるしかあるまい」


 指揮官の体が霧散し、部下の死体と甲冑を黄金で包み込んだ。金粉の洗礼を浴びた死体はおもむろに立ち上がると、ヘルムを拾って被り直した。そして通信を入れる。


「総員に告ぐ! 土使いの魔女はやむを得ず殺害した! かくなる上は忘却の魔女だけは必ず生捕りにせよ! 怪しき者は無闇に殺さず、手足を折ってでも全員捕獲しろ!」




 決着から数分後。

 溶岩の噴出を最後に静かになった戦場を、クレアの仲間たちは不安な面持ちで眺めていた。


「どうなったか見えるか、アイ」


「土の神の生命活動停止と、敵特殊個体の活動再開を確認しました」


「何?」


「また、傍受した通信によれば、現在魔女狩り部隊はクレア以下略氏の捜索を始めたようです」


「クレア様が……」


「おい、何か来るぞ!」


 ガサゴソと草木をかき分けて、一体のゴーレムが現れた。

 必死に山中を駆け回ったのだろう。その足は膝の上まで擦り減っており、崩れかけた体には木の枝が何本も刺さっている。

 ただならぬ様子のゴーレムは指が一本も残っていない手で、崖の上から一つの地点を指差した。


「アブナイ……オバウエドノ……アブナイ……」


 それを聞いた二人の判断は早かった。


「ハスキさん!」


「クソッ! 敵の匂いがしなかった……! オレは先に行くぞ! お前は後から来い!」


「はい!」


「ウォォォオーーーン!」


 ハスキは遠吠えと同時に高台から飛び降りた。ほぼ垂直に近い崖を手足で削るように勢いよく滑り降り、クレアへの最短ルートを進む。


「お二人は先に逃げてください!」


「おい、待て」


 崖を迂回してハスキの後を追おうとしたミサキの肩を、ダグラスが掴んだ。ミサキが振り返る。ダグラスは眉をひそめ、どこか遠慮がちに切り出した。


「……負けたんだろ? じゃあさっさと逃げろ。怪力のあの子はともかく、お前が行っても何もできねえだろうが」


「それは……ダグラスさんの言う通りかもしれません。私が行っても、かえってお荷物になってしまうかも……クレア様はハスキさんに任せた方がいいかも……とは、思います。でも……」


 ミサキはほんの僅かな沈黙の後、頼りないガッツポーズを作って微笑んだ。


「でも私だって、いつも助けられるばかりじゃないぞって、証明したいんです……!」


 そしてミサキはダグラスの手を振り払い「お二人は逃げてください!」ハスキが忘れて行った大きなリュックを持ち上げようとして「んーっ……!」その重さに敗北した。


「おい! そもそも夜の山も走れるのかよ! 助けになんて行けるわけねえだろ! 遭難するぞ!」


 しかしミサキはダグラスの罵声を気にもせず、必死でリュックを持ち上げようとする。


「ああ……ああああチクショウ! もう仕方ねえ!」


 ダグラスはミサキに駆け寄り、奪い取るようにリュックを背負った。


「クッソ重ぇな……! 何が入ってんだこれ……!」


「ダグラスさん……?」


 ダグラスはミサキの手を掴んだ。


「来い! 崖を降りるならこっちだ! ここは俺の山だ! 道案内くらいはしてやる!」


「でも」


「でもじゃねえ! ガキは黙って大人を頼っとけ! そもそもこれは俺の問題だろうが! 俺を助けようとしてくれたテメェらを見殺しにして逃げたら、それこそ俺は地獄行きだろうよ!」


「警告。撤退を推奨します」


 ミサキの手を掴んでいたダグラスの手を、アイがやや強めに叩いた。「痛ってぇ!?」だがダグラスはまだ手を離さない。


「もちろん逃げるに決まってんだろ! あのクソ生意気な女を連れて全員でな! あとはもう野盗でも何でもやって、好き放題楽しんだあとに地獄に落ちるとするかな! クソッタレが!」


「あ、でしたら野盗になんてならずに、冒険者とかどうですか? きっとクレア様が力になってくれますよ」


「ハッ! 冒険者になって、お前らみたいにあっちこっちの地獄に首を突っ込む生活をしろってか!? 最悪の勧誘ありがとよ! 生き延びれたらヨロシク頼むぜ先輩!」


「警告。ダグラス様は現在、冷静な判断力を欠いている可能性があります」


 アイがダグラスの手を強く叩いた。「だから痛えって!」そこでようやくダグラスはミサキから手を離す。


「感情に流されず、合理的思考に基づいて行動してください。彼女たちを囮にして、撤退するべきです」


「バカか? ガキを囮になんてできるわけねえだろ!」


 ダグラスはアイの忠告を一蹴し、今度はアイの手を掴んだ。


「だからお前も一緒に来い! そんでヤバくなったら助けてくれ! あとはもうお前だけが頼りだ!」


「了解いたしました」


 身も蓋も恥も外聞も無い他力本願のお願いだったが、アイは即答した。


「ただし、命令の再確認が必要です。特に後半部分を強調してください」


「はぁ!? 急がねえとヤバいのに何言ってんだ!?」


「任務遂行のために、後半部分を強調してください」


「お前だけが頼りだ?」


「不鮮明です。もっと大きな声で発言してください」


「ああ? ……お前だけが頼りだ!」


「了解いたしました」


「何だったんだ今のやり取りは!?」


「命令完遂に必要不可欠なプロセスです」


「本当だろうなオイ!?」


 相も変わらず無表情のアイであったが、ミサキの目には彼女がどこか嬉しそうに見えた。

 彼女が人間か否かなど、この場の誰にとっても瑣末な問題であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ