第21話。大地の魔神と黄金の魔人と普通の凡人
いつしか空には月が出ていた。
魔女狩り部隊は巨大聖母像を目視できる距離にまで接近していた。破壊された聖母像の頭はすでに再生が終わっており、その肩に乗っていた女性型の小さなゴーレムはすでに姿を隠している。
一方でエメスが広範囲に放った泥水が浸透した地面からは、ホルローグの山を埋め尽くす勢いで大量のゴーレムが発生していた。
「「オーーーーーーーー」」
顔の穴を震わせ亡者の如く手を伸ばし、常軌を逸した数のゴーレムが魔女狩り部隊に殺到する。雑兵では魔法使いに敵うべくもないが、彼らはその圧倒的な物量による足止めと監視の任を担っていた。
「総員、今すぐ伏せよ」
慌てて地に伏せた隊員の頭上を、巨大な黄金のハルバードが薙ぎ払った。ハルバードは生い茂る木々と数十体のゴーレム軍団を一網打尽に両断し、規格外のパワーを持って獲物を散り散りに吹き飛ばした。
避け損ねた隊員が一人巻き込まれて胸部を両断され死んだが、指揮官に抗議する者は一人も居ない。彼は尊い殉教者だから一足先に天国へ行けただろう。狂信者たちは全員がそう信じていた。
「まさか土を操る敵に対して伏せる奴が居るとはな」
その様子を、エメスの箱庭を通してクレアは見ていた。
「やれ」
ドポポポポポポォン……!
魔女狩り部隊の全員が一斉に地中へと姿を消した。泥飛沫が上がる。彼らが伏せた地面がクレアの合図を機に液状化し、泥沼と化して隊員たちを瞬時に飲み込んでいた。
「ゴフォッ……!?」
泥水が甲冑の隙間から流れ込み、隊員たちの呼吸を奪う。甲冑に耐水性能があっても中の人間はそうもいかない。状況が把握できないまま何とか溺死から逃れようともがく彼らであったが、泥沼の底から伸びてきた無数の腕が彼らの四肢を掴んでさらに深淵へと引きずり込む。
勝敗はこの一手で決していただろう。
敵に魔法使いさえ居なければ。
「何とも涙ぐましい抵抗よな、土使い」
泥沼から爆発的な水柱が上がった。
「神に選ばれた魔法使いに生まれておきながら、土使いなどというハズレの能力しか持てぬとは、同情を禁じ得ない」
黄金の帆船が、その船首で地表を貫いて地中から飛び出した。その船体に泥がこびり付くことはなく、月光を浴びて神々しく輝く。その甲板には豪華絢爛な玉座が設けられており、指揮官が腰掛けていた。
「古今東西、土使いは雑魚の代名詞よ。まして土くれが黄金に勝る道理無し」
黄金船が泥沼から網を引き上げると、中には溺れかけた隊員たちが所狭しと詰まっていた。彼らはろくに身動きが取れず、ヘルム内に残った泥水によってまだ苦しんでいた。
「あんな見えすいた挑発に乗るなよ。それよりも奴らを追撃しろ。敵の数は減らせる時に徹底的に減らせ。妙な武器を持ってるから、それを優先して回収しろ」
同様の光景が再現されたミニチュアサイズの網に、クレアが拳をコツンと打ち付ける。
「ショウチ」
すると泥沼から飛び出した巨大な岩の拳が、黄金船の網にかかった獲物を横合いからブン殴った。
「ッ……!」
隊員たちは悲鳴さえ出せなかった。巨岩は彼らごと黄金船の横腹に突き刺さり、船体をやや揺らした。巨岩が殴り付けた船体からは黄金の粒子が少しだけ飛び散って宙を舞った。
「哀れ。あまりにも哀れ。貴様は俺に勝てぬと知って、自分より弱い者を嬲ることで惨めなプライドを守るのだな。これでは辺境にネズミの如く隠れてコソコソ悪事を働くのも納得というもの」
黄金船の横腹から射出された無数の銛が、巨岩を容易く貫いた。銛は岩の内側でさらに無数の棘を伸ばし、巨岩をハリネズミへと変える。そこにアンカーが振り下ろされ、脆くなった巨岩は粉々に打ち砕かれた。その間に黄金船は網を引き上げる。
「では情けない井の中の蛙に、せめて古き良き戦いの作法を教えてやろう。忘却の魔法使いにも伝えるがよい」
黄金船から光の粒子が立ち上り、船よりも巨大な武具が次々と形成される。剣、斧、槍、弓、盾。空に浮かぶその全てには緻密な装飾が施されており、月下に悠然と輝くその威容その美しさは、大地の神でさえ思わず見惚れるほどだった。
「まずは自己紹介からだ」
指揮官が玉座から立ち上がり、仁王立ちで腕を組む。
「我が名は黄金のゴルバーグ」
彼が身に付けている純白の鎧が、足元から立ち昇る金色の粒子によって塗り替えられていく。
「我が力は黄金。我が力は神の剣、神の盾、神の寵愛。万物を断ち、万の矢を防ぎ、凡夫を一騎当千の英雄へと変えん」
甲板で伸びていた彼の部下たちの甲冑もまた、光の粒子を浴びて金色に染まった。そして一斉に背筋を伸ばして立ち上がったかと思うと、一糸乱れぬ動きで指揮官の背後に整列した。
「我が使命である万民の救済を成すため、悪逆非道の怨敵に今この場で勝負を挑まん! さあいざ尋常に名乗られい!」
指揮官は芝居がかかった口調で大袈裟に両腕を広げ、しばらく待った。……10秒……20秒……。エメスからの反応は無い。指揮官はため息と共に口を開いた。
「……どうした、貴様の番だぞ。貴様も名乗りを上げ、己の能力を披露するがよい。それとも騎士道精神を理解せぬ底無しの腰抜けか?」
その頃、クレアとエメスは揉めていた。
「オバウエドノ……」
「駄目だ。あんな見え透いた誘いに乗るな。今から殺し合う相手と名乗り合う必要がどこにある。相手に与える情報は少ない方がいい。騎士道精神など知ったことか」
「サレド、オバウエドノヨリ、タマワリシ、ナマエヲ……」
「……そんなに名乗りたいのか?」
「ドウカ」
「んん……」
クレアの懸念の理由は、エメスが余計な情報を与える事で魔女狩り部隊の手が自分にまで及ぶことだった。ましてやエメスという名は神話的知識に基づいている。魔女狩り部隊は必ず黒幕であるクレアの存在まで辿り着くだろう。
だがそのリスクを考慮した上で、クレアは答えた。
「……分かった。名乗るといい」
「アリガタキ、オコトバ!」
「ただし、絶対に私の事は話すなよ。それが条件だ」
これは時間稼ぎの為であって、甘やかしたわけではない。
無邪気に喜ぶエメスを前にして、クレアは自分にそう言い聞かせた。
「やれやれ、礼節も知らぬ山猿であったか」
指揮官はそう吐き捨てたが、自己紹介の間はエメスの攻撃が止んでいたことで、彼の時間稼ぎは達成されていた。
部下たちは黄金で無理やり動かされてはいたものの、先の巨岩の一撃で大半が骨折しており、甲冑のナノマシン投与による治療の時間が欲しかっただけである。
彼にあるのは信仰心と損得勘定だけである。部下の命はどうでも良かったが、自分の代わりにリスクを負う使い捨ての駒をここで失うわけにはいかない。
エメスの能力を自分の下位互換と断定した彼ではあったが、ある村に向かわせた偵察班を全滅させたダメージ反射能力だけには強い警戒心を抱いていた。
「ヨカロウ」
黄金船の手前の土が盛り上がり、巨大な人の形を成していく。大地が激しく揺れ、泥沼に波が立った。
「ワレハ、エメス」
土の巨人は何十体と出現し、黄金船を取り囲んだ。彼らは同時に話し、巨岩の剣や槍やハンマーなどの武器をそれぞれが手にしていた。まるで荘厳な黄金の船と武具に対抗心を燃やしたように。
「ダイチノケシン、コノチノ、カミ、ナリ」
「ほう。この俺の前で神を自称するとは、大きく出たな」
指揮官はその名乗りを鼻で笑った。
土の巨人も岩の武具も単に大きいだけで、その造形は非常に雑である。彼の黄金の煌びやかな装飾とは比べ物にならなかった。
「よかろう。身の程知らずの思い上がりを叩き直すも強者の務めよ。せいぜい工夫するがよい。石コロで黄金が砕けるものならばな」
魔神と魔人の戦いが再び始まった。
空から巨岩が次々と降り、黄金の槍衾が巨岩を木っ端微塵に粉砕し、石の雨が降り注ぎ、聖母像の背後から回り込むべく金色の伏兵が放たれ、土の巨人が黄金船に殺到し、金と岩の武具が打ち合い、泥沼から伸びた手が船上に残った兵士を数名攫い、黄金船の周囲を何百本もの黄金の剣が高速周回して近寄る全てを切り刻み、粘土の高い泥がその護りに浴びせられ、分厚い岩の鎧を着た巨人が動きの鈍った剣の嵐を突破し、迫り来る巨人の胴体に『豪槍』が大穴を開け、巨大な岩の壁が次々と隆起して複雑な迷宮を作り、その悉くを黄金の武具が砕き、巨大聖母像と瓜二つの複製が何十体と生まれ、群がる土の亡者を轢き潰して黄金船が往く。
その苛烈な戦闘の様子を、クレアの仲間たちは戦場を見下ろせる山頂付近の高台から見守っていた。いつでも逃げられる準備をするようにとクレアから指示されていたため、アイとダグラスも同行している。
「信じられねえ……悪魔と悪魔が戦ってやがる……。こんなもん、もうどうしようもねえだろ……」
ダグラスが諦めの言葉を吐き出した。
魔法少女イノセントの襲撃を知る彼にとって、魔法使いとは天災どころか天命であった。人間がいくら努力したところで生き残れるかどうかは神が決めることだと、彼は九年前に学んでいた。
「賛同します。魔女狩り部隊の一般兵には損害を与えていますが、敵の特殊個体に有効な攻撃方法が、見受けられません。速やかな撤退が推奨されます」
アイが冷淡に事実を述べた。
事実、エメスの攻撃は指揮官に何一つダメージを与えることができず、逆に指揮官の攻撃は増殖した聖母像を次々と粉砕していた。本物があの中に紛れているのならば、敗北は必至である。
「ずっと見てたけど、あの場から動いてない奴が本物だな。クレアの匂いは遠くのあの辺から動いてない。土の神もあいつも逃げる気は無いみたいだ」
ハスキが指差した通り、エメスの本体はその場を殆ど動かずに黄金船を迎え撃つ戦略を選んでいた。
「なあ、俺たちは絶対関わるなって言ってたけどよ、もしかして俺たちを逃がすために、あいつは黒幕の汚名を被って死ぬ気じゃねえよな……?」
「大丈夫です。それだけは絶対の絶対にあり得ません」
ダグラスの問いかけをミサキは力強く否定した。
彼女とダグラスは同じ光景を見ていたが、彼女の目は超常の戦いを繰り広げる怪物たちではなく、ただ一人だけを見ていた。
「クレア様は私たちを置いて、一人で自分勝手に死んだりなんてしません。クレア様が逃げていないのなら、必ず勝算があるはずです」
「でもよ、お前らには逃げていいって言ったんだろ?」
「はい。ですから、本当に危なくなったら逃げます」
ミサキはダグラスに向き直り、およそこの場に似つかわしくない満面の笑みを見せた。
「その時はクレア様も連れて、みんなで一目散にスタコラサッサです。今日までクレア様に散々鍛えられましたから、こう見えて逃げ足には結構自信があるんですよ、私」
少女の笑顔を見て、ダグラスはもうそれ以上は何も言えなくなった。
こんな笑顔を見たのは、いつ以来だろう。
子供の頃から今日までの記憶をどれだけ探っても、その答えは出てこなかった。
そしてダグラスは、この子は自分と違ってよほど恵まれた環境で育ったに違いないと考えて、仄かな嫉妬の念を抱いた。
また同時に、こうして醜い感情ばかりを募らせてしまう自分に、どうしようもなく嫌悪感を覚えるのであった。




