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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【偽りの命をアイした誰かの話】
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第20話。生誕祭

 ホルローグが叫んでいた。


 地鳴りとも雷鳴ともつかぬ大咆哮が山々に轟く。

 縦横無尽に揺れる大地は天地の区分を人々から奪った。木々は荒波の如く猛々しくうねり、住民に混ざった複製人間は、自分でも理由の分からぬ歓喜の涙を滂沱の如く流し続けた。

 住民たちが恐慌状態に陥り、神へ助けを乞う祈りの声が臨界へと達した時、それはダグラス邸を内部から突き破って彼らの前に現れた。


 全長約40mの巨大聖母像である。


 女神像の全てが泥で作られていると言われて、誰が信じただろう。聖母像が纏うローブの質感も、その薄布の下に透けて見える肌の柔らかさも、風にそよぐ髪先の一本一本に至るまで、全てが緻密であまりにも繊細だった。


 聖母像は、祈りすら忘れて呆然とする住民たちに優しく微笑んだ。その腕には聖母像と同じく土状の巨大な赤ん坊が抱かれている。聖母像に比べれば赤子はやや不恰好な造形ではあったが、無垢なる微笑みを浮かべていた。


 ふと気付けば、ホルローグを揺るがしていた喧騒と混沌は霞のように消え去っていた。誰もが息を呑んで頭上の聖母像を見上げている。彼らの頭から恐怖はとうの昔に消え失せ、人知を超えた奇跡を目の当たりにした感動と高揚が、涙となって流れ始めてさえいた。


 人々が聖母像に気を取られている隙に、半壊したダグラス邸から酷く汚れた金髪の女性が飛び出してきた。彼女は神官の少女に何事かを告げると、すぐに木立に飛び込んで身を隠した。


 神官の少女が両手を広げて叫ぶ。


「エメス様! ホルローグの守護神、エメス様! どうか私たちをお救い下さい! 東より来たる悪しき者どもを打ち払い、どうか我らをお救い下さい!」


 聖母像に抱かれていた赤子の目がパチリと開いた。

 茶色く濁った眼球の奥にリング状の青い光が灯る。赤子の首がフクロウのように柔軟に捻れ、地上の小さき者たちを見下ろした。赤子の額には『真理』を意味する古代の文字が刻まれており、青く不気味に輝く双眸は神官の少女を捉えていた。左右非対称の唇が開く。そして人々は神の声を聞いた。


「コ、コ、ロ、エ、タ」


 赤子は笑った。

 その巨体と造形の歪さに到底相応しくない、どこまでも無邪気な笑顔だった。幼い笑い声が山々にこだまする。木陰の中で金髪の女性が人知れず呟いた。


「嬉しかろう、エメス。自分が他者から必要とされる事は、何事にも代え難い至上の喜びだ。ましてや弱き者から崇められ、悪しき敵に正義の暴力を振るえるという誘惑には……誰も抗えない」






 魔女狩り部隊、野営地。


 元の名を三番村。全ての住民が殺戮され、家々が灰と瓦礫の山と化したこの村は、現在では魔女狩り部隊の休息の場と成り代わっていた。

 野営地には多くの陣幕が敷かれ、そこかしこで焚き火の温かい光が夜闇に浮かぶ。見張りの兵士は、兜を脱いで焚き火の前で横になる仲間を遠巻きに眺め、自分の番はまだかと気を揉んでいた。


 そこに大地震が到来した。

 突如として訪れた未曾有の大揺れによって兵士たちは右に左に転がされ、陣幕は倒れて焚き火の炎が燃え移った。凄まじい轟音が響き渡り、鳥たちが一斉に飛び立ってこの地から逃げ出した。


「うろたえるな」


 揺れる大地に十字架が突き刺さった。十字架は接地部から地面に沿って広がる黄金の輝きを放ち、野営地一帯を足元から神々しく照らす光の円卓と化した。


「敵襲ーッ!」


 円卓から金色の粒子が立ち昇る中、燃える陣幕を内側から切り裂いて、純白の甲冑に身に包む兵士たちが立ち上がった。その数80名。

 彼らの足元はすでに揺れてはいない。黄金の円卓は兵士全員を乗せて地面から僅かに浮き上がり、天変地異の揺れを遮断していた。


「フゥーン!」


 地面に突き刺さった十字架を、身長3mを超える大男が引き抜いた。彼は魔女狩り部隊ディーン国支部の指揮官であり、七年間で九名の魔術師を捕らえ、その倍以上の魔術師を殺害した聖骸教会原理主義派の懐刀である。

 彼は宗教的な意向を凝らした特別性の鎧を常時身につけており、素顔はおろか素肌すら見たことのある部下は一人も居ない。

 彼の登場と同時に、居並ぶ兵士たちに緊張が走った。


「小癪よな」


 指揮官が十字架を掲げると、黄金円卓から蒸気のように立ち昇っていた金色の粒子が一斉に流動した。粒子は渦を巻いて兵士たちの頭上に密集していき、やがて一枚の巨大な黄金の円盾を形作る。


「足元に注意を集めてからの頭上攻撃とは、何とも見えすいた手よ」


 その直後、破壊の豪雨が周囲一帯に降り注いだ。一粒一粒が拳大の大きさを持つ、数千発の石礫の雨である。木々は瞬く間に粉砕され、地形は抉れて爆煙が昇り、着弾の轟音は山々の彼方にまで響き渡った。土繰りの神エメスより山なりに射出された、広範囲砲撃である。


「諸君、どうやら魔女めらが本腰を上げてきたようだ」


 もうもうと立ち込める土煙の中。黄金に輝く盾の下で、魔女狩り部隊は現在であった。「フゥーン!」指揮官が十字架を一振りすると黄金の盾が解けて光の粒子へと変わり、渦を巻く。「フゥーン!」指揮官のもう一振りで、粒子は竜巻の如く猛烈な風を率いて上空へと立ち上った。土煙が切り裂かれ、視界が開ける。


「む」


 そうして確保した視界の中、指揮官は敵の第二射を頭上に捉えた。今度は石礫による散弾ではない。直径20mを超える複数の巨大岩石による質量弾である。岩には人間の上半身に似た弾道操作用のゴーレムが生えており、小刻みに岩の四方から土砂を噴出して魔女狩り部隊への軌道を修正していた。

 不気味な穴の空いたゴーレムの顔が地表に迫る。遠くから赤子の笑い声が聞こえた。


「あれは盾で防いでも押し潰されるな。総員散開、回避行動を取れ。しかる後にあの地点に集合せよ」


「了解!」「了解!」「了解!」


 着弾。着弾。着弾。反動で岩が割れた。ゴーレムは潰れて岩に張り付いた。一撃ごとに山が揺れ、土砂が王冠状に噴き上がり、先程とは比べ物にならない爆煙が荒れた山肌を駆け抜けた。


 その爆煙に紛れて、兵士たちが風のように駆けていた。

 砲撃による負傷者はゼロ。彼らは直前まで引きつけてから質量弾を回避し、土煙を煙幕代わりにすることでエメスの目を欺いていた。着弾の衝撃波も飛散した小石も、彼らの甲冑に傷一つ負わせることはなかった。


 集合地点には、すでに指揮官が誰よりも早く到着していた。「第二班、先行偵察せよ。山頂を挟んだ九番村方面へと回り込め」「了解!」最も早く指揮官の前に整列した四名構成の班が指揮官の指示を受け、後続の到着を待たずに再び駆ける。


 彼らは暗闇の山中を常人の倍以上の速度で走り、定期的に揺れる大地にも動ずることなく、生い茂る草木を掻き分けて進軍した。人並み外れた彼らの身体能力は甲冑の人工筋肉による補助だけでなく、甲冑内部から投与された人体強化ナノマシンによって成り立っている。多少の傷ならすぐ治り、疲れも痛みも感じにくくなる。

 鎧兜の奥に備え付けられた小型カメラの緑色の光が、夜闇に四匹の猟犬の軌跡を描く。彼らが目指すは赤子の笑い声。九番村方面である。


 やがて彼らは見つけた。

 三番村方面へと歩みを進める巨大聖母像を。その腕が抱く異形の赤子を。聖母像を囲むように大地から生えた六本の巨大な土の腕を。


 班長は無言で部下に停止の合図を出した。

 巨大聖母像が一歩足を踏み出す度に大地が揺れて木々が葉を落とす中、冷静に観察を続ける。


 聖母像を囲む六本の巨大な腕には、それぞれが親指の付け根から小指の付け根にかけて人間の形状に似た口があった。分厚い唇と歪に生え揃った歯が醜悪に笑う。


 偵察班の小型カメラが捉えた映像・音声は全ての仲間へ送信され、彼らのヘルムに内蔵された小型モニターへとリアルタイムで映し出される。彼らはこれが自国に流出した【古き叡智の国】の科学技術による遺産とは知らず、神の奇跡の賜物であり、敬虔な信徒である自分たちのみが扱える武具だと信じていた。

 実際は彼らの顧問魔術師がパワードスーツのセキュリティを解除しただけであって、音声ガイダンス操作で誰でも使えるようになっていたことなど知る由も無い。


 六本の巨腕はそれぞれ手の平を上空に向けると、その口から吐瀉音に似た音と共に大量の泥水を上空に吐き出した。濁った放水は放物線を描いて山頂を越え、三番村の方角へと降り注いでいく。


「攻撃せよ。ダメージ反射能力の有無を探れ」


 指揮官は降り注ぐ泥水に構うことなく命令を下した。


「了解! 第二班、『豪弓』準備!」


 班長が腕を上げると、三名の部下は一切の躊躇い無く弓を構えた。彼らにとって、攻撃を反射されて死ぬ可能性は戦わない理由にはならない。彼らは強固な信念を持っていた。


 神のために異端と戦い死んだ者は天国へ行ける。

 神の門徒によって殺された異端もまた天国へ行ける。


 彼らはあらゆる人間を等しく愛していた。罪人も異教徒も誰もが天国へ迎え入れられるべきだと強く信じていた。彼らは彼らの愛を持って三番村の住民を焼き殺していた。

 弓がしなる。弦が軋む。矢尻のピントが聖母像の顔に重なる。班長が腕を振り下ろした。


「発射!」


「diviega!」「diviega!」「diviega!」


 力ある言葉が響き、聖母像の頭に爆炎が咲いた。コンマ数秒遅れて爆発音が轟き、熱風と衝撃波が木々を煽る。「命中!」聖母像の首から上は木っ端微塵に爆発四散し、黒い煙が上がっていた。燃える土がボトボトと降り注ぎ、辺りに光源を作った。


 魔女狩り部隊には、通常の矢の他にも『豪弓』『豪剣』『豪槌』『豪槍』といった顧問魔術師による特別性の高価な切り札が一人一本ずつ支給されていた。彼らはこれも司祭の信仰心が起こした奇跡と信じており、なぜ豪弓が命中した標的が内側から爆発するのかを疑問に思う者は居なかった。


「ユ、カ、イ」


 声は偵察班の足元から聞こえた。彼らは思わず顔を下げたが、生い茂る草以外は何も見えない。「ユカイ」「ユカイ」「ジツニユカイ」声は一箇所からではなく、偵察班を取り囲むように四方八方から何重にも重なって聞こえた。


「班長!」


 気付いた時には遅かった。何本もの土の腕が地面から生え、偵察班の足を次々と掴んでいた。


「タシャトノ、フレアイ、ナンタル、ココチヨサカ」


 偵察班の左右から巨大な土の壁がせり上がり、猛烈な速度で彼らを挟み込んだ。壁には岩製の歯が隙間なくビッシリと生えており、圧倒的な膂力を持って獲物に噛み付いた。


「シカシナガラ、ナントモ、カタキ、ヨロイ。イカニシテ、ヌガサン」


 偵察班を真下から飲み込んだのは聖母像の生首だった。穏やかな微笑みはそのままに、モグモグとアゴを動かして獲物を美味そうに咀嚼した。


「おい、殺すなと言っただろ。可能な限りは」


 首無しの聖母像の肩に乗る、子猫程度の大きさの女性型ゴーレムが巨大生首を叱責した。


「イサイショウチノウエ、オバウエドノ」


 生首が口を開き、半裸になった四名の兵士を吐き出した。岩の枷を手足と口に嵌められているものの、比較的丁寧にパワードスーツを脱がされたために、全員目立った外傷は無かった。




「よし、いい子だ」


 エメスと偵察班の交戦地点からやや離れた山中。クレアは土で作られた大きめのジオラマ模型と向き合っていた。ジオラマ模型はホルローグの山の傾斜や隆起、谷や川や崖、村の配置や生い茂る木々に至るまでホルローグの地形を大まかに再現している。


 そのジオラマ模型には人間大の首無し聖母像が佇んでおり、その周囲を囲む六つの腕と、土から生えた聖母像の生首と、男性を模した四体の小さなゴーレムもあった。さらに別の場所では魔女狩り部隊に似た甲冑を着た小さなゴーレムが動き回っており、土製の森を駆け抜けて聖母像へと近づきつつあった。


「アリガタキ、オコトバ」


 クレアの肩には、リスに似た小さなゴーレムがいた。エメスとの伝令役である。「ちゃんと言いつけを守れたな」クレアが軽く頭を撫でてやると、リス型ゴーレムは気持ち良さそうに目を細めた。


「だが油断するな、敵に魔法使いが混ざっている。こいつは手強いぞ」


 ここは司令部だった。

 エメスが得た情報を元に戦況を再現し、離れた場所からクレアがエメスに指示を飛ばす。魔女狩り部隊との交戦はこうして行われていた。


「マホウツカイ、トハ?」


「生まれつき異能の力を持つ突然変異者だ」


 それが人間なら魔法使い。人間以外なら怪物と呼ばれる。

 そう言いかけてクレアは止めた。


「十年くらい前までは各国の様々な組織で幅を利かせていたが、魔法少女戦争とその後の聖骸騎士の台頭によってすっかり見かけなくなった」


「オバウエドノハ、ハクシキデアラレル」


「覚えておけ。どれだけ強くても時代の変化に着いて行けなかった古き者は、必ず滅びる。これは歴史の必然だ」


「ナラバ、アラタシキヘンカヲエランダワレガ、フルキマホウツカイニ、マケルドウリナシト?」


「……ああ、その通りだ」


 クレアは僅かな沈黙の後、顔の古傷を掻きながらエメスの問いに答えた。


「そんなことより、敵の数は常に正確に把握し続けろ。伏兵による奇襲への警戒を怠るなよ。奪った装備は取り返されないように一箇所にまとめて隠しておけ。ついでに捕虜にも尋問をしておこう。私の代理は敵に見つからぬよう、聖母像の中に隠すんだ」


 クレアは敵の別働隊を警戒していた。

 今のところは盤上にそれらしき姿は見えないが、エメスの索敵能力も完璧ではない。自分が敵ならどう動くかを考えれば考えるほど、敵が『本体』を探してこの司令部に辿り着く可能性があった。






挿絵(By みてみん)





 そしてやはり、その懸念は的中するのである。

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