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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【偽りの命をアイした誰かの話】
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第19話。悪魔の囁き

 ここまでのやり取りで、導き出せた仮説がある。


 私の偽物が自殺した理由が分からないように、こいつは他者の思考を読み取れない。さらに記憶を読み取っても、その記憶から思考を汲み取る事が出来ない。

 記憶と思考は別物だ。思考を計算式とするなら、導き出した解だけを人は脳という解答用紙に記憶する。


 ならば、こいつの能力はカンニングだ。記憶という他者の解答だけを覗き見て丸写しや改竄や削除を行う。しかも往々にして記憶は劣化し続ける為、リアルタイムの記憶改竄は出来ても古い記憶や曖昧な記憶には効果が弱まるというわけだ。


 それを今一度ここで確かめる。


「クレア・ディスモーメント」


 泥の水かさが少しだけ増し、私の足首を完全に飲み込んだ。冷んやりヌルヌルして気持ち悪いが、それ以上は上って来ないようだ。


 さあ、お前はどこまで読み取れる。

 クレアか。それともアレか。もしくは私がこの世に生を受けた時まで遡れるのか。お前の力は、私の過去を消した彼らより上なのか。


「ジツニ、フカカイ」


「随分と早いな。もう読み取れたのか」


「クレア・ディスモーメント。ナンジノキオク、アルヒヲサカイニ、サカノボレヌ」


 だろうな。クレア・ディスモーメントという人間が誕生したのはあの時であって、それ以前の私は別の名前を名乗っていた。そしてさらにそれ以前の本名もすでに失われている。


 余計な事を知られて話が拗れずに済んで良かった。

 こいつにとっては名前だけが記録を遡る道という事だな。偽名に弱く、固有名詞に敏感なわけだ。こいつが遡れるのは対象が名付けられた瞬間までであって、それ以前の記録は読み取れない。


 では……名前が自己の象徴であり、自己と他者の両方に自分が観測されている証であるなら、こいつにとっては名付けられた瞬間がこの世界への誕生となる……か。


「読み取れなくて当然だ。それ以前の私は、この世界に存在しなかった。賢いお前ならば、これが何を意味するかは分かるだろう」


「マサカ」


「私はクレア・ディスモーメント。お前と同じ、過去の無い存在。お前の同類でありながら、人間と同じ体を持つに至った者。お前の望みを一足先に体現した、お前の仲間だ」


 嘘はついていない。

 お前の基準ではこうなるはずだ。


「オ、オ、オオオオオオオオオオオオーッ!」


 世界が震えた。全方位の泥が歓喜を叫び、全てが激しく振動する。部屋を埋め尽くす勢いで泥から棒状の隆起が何十本と出現し、先端から五つの小さな突起が出て人間の手を型作った。

 そしてそれらは先を争い、椅子に腰掛けたままの私に向かって全方位から一斉に殺到する。


「顔以外なら少しは触ってもいいが、壊すなよ」


 一番乗りした手をペシンと叩いてやると、全ての手の勢いが弱まった。「コワサヌ、コワサヌ……!」そして泥は壊れ物に触れるように、そっと私の体に手を這わす。


 髪先、肩、背中、胸、腹、手、足、指。

 泥は遠慮なく服の中へも染み込んで、私の肌を直接撫で回してくる。正直言って物凄く不快だが……触手フェチのアベルが見たら喜びそうな光景だなぁと、こんな時なのに心が汚れている事を考えてしまった。


「オオ……コレゾ……コレゾ……!」


「満足したか?」


「イ、イカニ、イカニシテ、ヒトノミヲ!」


「教えて欲しければ、態度というものがあるだろう」


 うーわ、私すっごい偉そう。


「コレハシタリ! ワガドウホウトハツユシラズ! カズカズノヒレイブレイ、ドウカユルサレヨ……!」


 私の全身にまとわりついていた泥が吸い出されるように服の外に出ていき、一斉に乾いて固まって綺麗に剥がれ落ちた。髪や爪の間に多少の汚れは残ってはいるものの、死体の血や汚汁も一緒に剥がれ落ちたので、むしろ最初より綺麗になっている。


「ま、いいだろう。話を戻すぞ」


「アリガタク!」


 うーむ、ちょっと感心するくらい素直な奴だ。話し相手が居なかったから、コミュニケーションに飢えているんだろうな。魔女狩り部隊とやらも、これくらい話が通じればいいんだが。


「さて、まずは少しばかり確認をしたい。お前は人間の体をゴーレムと融合させたり人間に近いゴーレムを作ろうとしたが、これはあくまでも実験的に行った事であって、最終目的は別にあるな? それはつまるところ『自己の存続』か?」


「イカニモ」


 接待食堂があった村は、もう何年も使われていない廃屋だらけだった。ここに集まった人々も子供より老人の方がずっと多い。ホルローグは過疎化の問題を抱えた限界集落だ。

 こいつの仕業とは無関係に、ホルローグは緩やかな人口減少によって百年後くらいには自然に滅んでいただろう。それはこいつにとっての寿命を意味する。


 だからこいつは焦って、少しでも人口が多いうちに行動せざるを得なかったというわけだ。アイさんという理想的な成功例を見てしまったわけだから、尚更だろうな。


「全ての生物は、生まれた時から死が定められている。そしてその運命に抗うために、生物は自分の複製を作る。つまりは繁殖だ。自分の血肉を受け継ぐ存在を残す事で、主観を持つ自分が死んだ後も自己の存在を残し続けようとする。だがお前の場合はどうするつもりだった? まさか人間と繁殖する気だったりするのか?」


 こいつは神話上のゴーレムではないはずだが、妙に共通点がある。神は自分に似せて土から人を作ったらしいし、原初の人間の前にも土から生物を作ったが失敗作が生まれたという説もある。ゴーレムは発音が出来ないというのも、真理を話せなくなるこいつの能力と似通っているし、中にはゴーレムが人と繁殖しようとする逸話もあった気がするな。


「ソレモマタヨシ。ワガノゾミハ、ワガスベテヲヒキツグ、ワレノ、タンジョウ」


「全てという事は、記憶や人格だけでなく能力もだな。つまりは『自分を複製する能力を持った自分』を作り出す事だな? それが成功すれば無限に自分を作り続ける事が可能だから、もはや死の恐怖に怯える事もないと。ホルローグの人々は、自分自身の複製を作る練習の一過程に過ぎなかったわけか。ついでに人間との交配によって繁殖出来るかもしれないから、人の身を作る方法も模索していたと」


「イカニモ」


 最初は三番村のように問答無用で襲っていたが、可能なら村人にも協力してもらいたかったから、なるべく受け入れてもらえそうな手段に変更したのだろうな。

 殺された村人の件について言いたい事は大いにあるが、事の善悪を問うのは今ではない。


「ちなみに現時点では、お前はどこまで自分自身に近い複製を作れる? お前の記憶と人格を投影した複製に、記憶消去やゴーレムの作成といった能力も引き継がせられるのか?」


「ワガゲンショノチカラ、ツチクリノミ」


「土繰りだけ? それ以外は?」


「イッチョウイッセキニハ、アタワズ」


「なら時間をかけて鍛えれば、複製でもお前と同じ能力を持つ事が可能かもしれないと」


「サモアリナン」


 そうか。良い事を聞いた。


「では仮に、お前と寸分違わぬ完全な複製が作れたとしよう。しかしそれが本物になれない事は、私のゴーレムがすでに証明してしまった。お前は主観を移動させる事が出来ないから、お前の完全な複製を作ったところで、それはお前にとっては他人にすぎない」


「シカラバ、ナンジハ?」


「私? 私にも主観の移動は無理だ。私は私でしかなく、他の何者にもなれない。世界は私を中心として私に観測される、いわゆる『〈私〉の問題』を解決する事など不可能だ。世界六次元説でも語られる、私達三次元生物の限界だ」


「ジゲントハ、ナニカ。マタ、ソノゲンカイ、トハ」


「この世界を構成している座標軸は、縦、横、高さの三つだ。よってこの世界は三次元と呼ばれている。そして三次元の世界で生きる我々は、それ以上の次元を移動する事は出来ない。これが私達の限界だ」


「デハ、ロクジゲントハ?」


「残り三つの座標軸は、時間、分岐、主観だ。これらの座標軸を私達は想像出来ても決して移動出来ない。過去や未来を自由に行き来する時間移動も、違う可能性の世界へ行く並行世界移動も、身も心も他者となる主観移動も、上位の次元の存在……つまりは本物の神にしか出来ない」


「デハ、ソレヲカノウニシタ、ナンジコソ、カミト?」


「馬鹿言うな。昔はともかく、今の私はただの平凡な一人間だ。……さて、ではこれらを踏まえた上で、そろそろ本題に入ろう。主観の問題を解決して、本物のお前を作る私のやり方だ」


「ゴキョウジュ、カタジケナシ」


 さあ、ここからが本番だ。

 ペテン。暴論。屁理屈。詭弁。そのどれでもなく、私は私が信じる私の真実を武器にする。


「私の複製ゴーレムが本物になれなかった理由。それは、『私の主観』と『私の複製の主観』と『お前の客観』の三つが、私のゴーレムが複製であると認めてしまったからだ。この構図では、私の複製は自己の正当性を主張出来ない」


「サモアリナン」


「それはお前の完璧な複製を作ったとしても同じだ。オリジナルと複製の両方が自分を本物だと主張する『主観の対立』が発生するため、自他両方の観測によって自己を確立する事が出来ない」


「サモアリナン……」


「では、何故今までお前はその失敗に気が付かなかったか。その原因は三番村にある。そしてだからこそ、あえて言い切ろう。三番村のやり方が正解だ」


「セイカイトナ」


 実のところ、スワンプマン問題と私のゴーレムの件とでは、大きな違いがある。オリジナルの生存と観測者の有無だ。


「三番村では人間の複製を作った後、オリジナルの人間を殺したな。そこの死体のようにグチャグチャだったと聞いているが、どこの誰か特定されない事だけが目的だったのか?」


「イカニモ。ドウイツジンブツノ、ニジュウソンザイ、コンラントキョウコウヲ、マネキシ、ユエ」


「なるほど。ではそれが主観の問題を解決する手段になるとは気付いていなかったようだな」


「ナニユエカ。ゴキョウジュ、ネガイタシ」


「三番村の複製ゴーレムは、自分をオリジナルだと信じている。そしてまた周りの村人も複製ゴーレムを本物だと信じ切っている。これはつまり主観と客観の両方が、複製の方を本物と認めた構図だ。分かるか。世界の全てが複製の方を本物と認めるなら、それが事実になるんだ」


「マタレヨ……ナラバ、ツマリ……ツマリ……」


 ここだ。

 ここで今まで積み上げた理論から生み出される、この上なく残酷な結論をお前に突き付ける。ペンは剣より強しとは言うが、私の言葉は神殺しの槍より強いか否か!


「つまりだ。お前の複製を作った後で、お前自身の能力でオリジナルの全てを消去する。そして私は複製を本物だと認めよう。これにて『主観同士の対立』も『客観による否定』も消え、主観と客観の両方が複製を本物のお前だと認める事となる」


「ソレハツマリ、ワレニ、シネト!?」


「違う。これはお前という主観を持つ一個体の死であって、お前という存在全ての死ではない。お前の記憶と人格を持つ個体が残るんだ。複製品は今のお前に能力が及ばなくても、時間さえあれば今のお前と同じ能力を持てる。いや、今のお前よりも更なる成長を遂げるだろう。これは生まれ変わりだと考えるんだ」


「ダガ、ダガ、ソレハ……トウテイ、ウケイレラレヌ。ワレトイウコタイノシハ、ワレニトッテハ、スベテノオワリ」


「その気持ちは分かる。だがお前の死は、もはやすでに避けられない。朝になれば魔女狩り部隊はここに来るだろう。そして村人全員を殺戮する。逆に魔女狩り部隊を皆殺しにしてもまた次が来るし、お前に辿り着いて殺す方法を持つ者が来るかもしれない。ホルローグの人口だって、この先減る一方だろう。結局のところ早いか遅いかの違いで、お前には死しか残されていない」


 業腹だが、魔女狩り部隊のやり方は皮肉にもこいつの殺し方として正しかったという事になってしまった。


「だから今、選べ。お前という存在全ての死を受け入れるか、それともお前と同一の存在が生き延びる可能性を残すかだ」


「ナンジノ、ジョゲン、イタミイル。ダガ、ダガ……」


「だが?」


「………………シハ、アマリニモ、ウケイレガタシ……」


 長めの沈黙の後に、絞り出すような答えが返ってきた。おそらくお前の生涯の中でも一番の難問だろうな。その苦悩は良く分かる。


 それでも、逃げる事は許さん。


「そうか…………それは残念だ…………」


 私はこれ見よがしに、大きなため息を吐く。そしてわざとガタンと音を立てて席を立ち、テーブルの上の遺体に背を向けて戸口へと向かう。


「元同族として、これから生まれるお前に贈り物を用意していたのだが、どうやら無駄になったようだな。さらばだ」


「マタレヨ、オクリモノトハ、イカニ」


「決まっているだろう。お前が生きる為に必要な全てだ」


 私は足を止めて首だけ振り向き、名残惜しそうな流し目で死体を一瞥した。切り札そのニ、だ。


「私が用意した贈り物は、器用に何でも作れる手。この山から出てどこまでも歩いていける足。命を育む女の子宮と男の精。老いも病も無縁の体。つまりは、お前の器だ」


 その瞬間、全方位から生えた泥の手が死体に殺到した。「壊すなよ」「コワサヌ……コワサヌ……!」そして触れる事すら怖がるように、触れるか触れないかの距離で恐る恐る遺体に手をかざす。


「オオ……オオオオオオオオオオオ!」


 耳が痛くなるほど大きな、感嘆の声が轟いた。

 よし、あと一押し……!


「お前は死を恐れているが、それは間違いだ。そもそもお前は生まれてすらいない。お前に親は居るか? 名前は有るか? 死から逃げる以外に、生きる目的を持っているか? 『自分が生きていると思っている事』それが先程私が言った、お前の根本的な勘違いだ」


「サモアリナン……! ワレ、トクシンセリ……!」


「お前はこの先、決して自分の同じ能力の複製を作り出す事は出来ない。何故なら生物は生物にしか作り出せないからだ。だからまずは生物である私が、姿形の無いお前を生物として生まれ変わらせてやろう。その器を使い、子として生まれて来るがいい。私が考えたお前の名前も聞きたいか?」


「ゼヒニ!」


 そしてこれが、切り札その三。


「【エメス】だ。古い言葉で『真理』を意味する。今この時まで真実を守り続けてきたお前に、今この時真理に触れたお前に、今この時から死より生まれ出ずるお前に、相応しい名前となるだろう」


 お前が他人の名前に敏感な理由。

 それはお前が自らの名を何よりも欲しているからだ。


「エメス……!」「エメス!」「オオ!」「タイボウノトキ、キタレリ!」「ワガナ!」「ワレハエメス!」「ナレバフルキミハ、ムヨウ!」「エメス! エメス!」「イマコソ、アラタナセイヲ、イタダカン!」「エメス!」「エメス!」「オオ! ナンタル、ウツクシキ、ヒビキカ!」


 部屋中の泥がブルブルと激しく振動したかと思うと、荒波のように激しく乱れ荒ぶり始めた。幾重にも重なって、興奮と感動の言葉が繰り返し響き合う。


 部屋中に乱立する泥の手を掻き分けて、私は死体の前に戻った。この先の事、余計な事を今は考えてはいけない。今必要なのは祝福だ。ただ新たな命の誕生を祝福してやるだけでいいんだ。


 私は死体の腹に手を当てて、なるべく優しそうな笑顔を作った。


「さ、生まれておいで、エメス。今日がお前の誕生日だよ」


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