サーカス
はじめまして、kataribeと申します。
世界観を煮詰めて作った作品がこちら「竜杖の職人リトカ」です。
ファンタジーの世界をお楽しみいただけますと幸いです!
「ladies and gentlemen! 今宵お見せいたしますショーは、世にもおぞましく、恐ろしく、危険でなものです! 怖がりなご婦人はどうぞ気をつけて…驚きのあまり、石になってしまうかもしれません!」
暗く狭いテント小屋に、サーカス団長の口上がしゃがれ声とともに響き渡る。控え室という名の檻の中で、リトカはその声を聞いていた。今夜の仕事がはじまる。
手足に馬のような蹄がある女が四つん這いで歩き見せ、双頭の子どもがそれぞれの頭で別なパートを歌い、子どもと間違えるほどの小男が風刺のきいた演技を見せる。見世物となる生き物がちょっとした演目を行うのが、このサーカスとは名ばかりの見世物小屋だった。
「出番だ、行け!」
舞台裏、獣使いが檻を蹴るのを合図に少年リトカは立ち上がり、小走りでステージへ向かう。 ぼろきれのようなズボンはもらっているが、上半身はなにも身に着けていない。鞭で打たれてしまわないうちに、といつも急ぐのだ。降りた幕の裏側で止まると、少年のシルエットだけを見せた状態で団長がまた口上を述べるのがいつもの演出だ。
「次にお見せいたしますのは、暗い洞窟の奥で捕らえた生き物…湿った岩肌にひたり、ひたりと響く足音…気付けば頭上に這う大トカゲ! しかしそれは、ぎょろりとした目の生き物ではなく…トカゲと人から生まれた少年でした。 さあ、ご覧ください!」
声とともに幕が開き、それと同時に少年は天上まで届く鉄のポールに飛びついた。
薄汚れた場内。半円の小さなステージを囲むように設置された3列の客席を、紳士淑女とはいえない観客がまばらに埋めているのが見える。
元は傭兵だったという団長は体格がよく、老いてもなお彼が大きく動くたびに埃が舞い、蝋燭の火に照らされてきらめく。これがこのサーカス団に添えられた花吹雪だった。
リトカの手はひどくざらついており、滑ることなくポールをしっかりと掴んでいる。全体重を支えながら、名前どおりトカゲのようにするりするりと登っていった。
観客の息を呑む声が聞こえる。気持ちが悪い、と言いながら演目を愉しむ。一番上からその顔を見下ろして、今度はゆっくりと降りていく。
ふと一人の客と目が合った。旅人らしい服装だが長い黒髪をもち、女性らしい。その目が光ったような気がしたのだ。人の視線が恐ろしくなり、すぐに目を逸らす。気持ち悪がられるのが仕事だが、それが耐えられなくなる日もあるのだ。
ステージまで降りてしまえばまた団長の口上が始まり、リトカの体がいかにトカゲの特徴を持つかを語る。
一見すると人と変わらない手だが、比べてみれば大人よりも少し大きい。つまりまだ子供のリトカには大きすぎるほどだ。手の甲の皮膚は少し硬いもののつるりと滑らかだが、手のひらはざらざらしていて、掴んだ物を簡単には離さない。爪は鋭く、人の皮膚にも簡単に傷をつけてしまう。
体の他の部位に比べて、手の力だけは強かった。檻暮らしで衰えていく足に反して、手だけでポールを登れてしまう。
瞳孔はトカゲのように縦に細まっているが、絶望と諦めから暗い光を帯びていた。
そして首の左側に少しばかりの鱗がある。これがリトカの持つトカゲの要素。
こういった身体的特徴を、団長は大げさに、そして脚色を混ぜて説明していく。少年の右側だけ伸びた灰色の前髪を掴んで引っ張り上げては、首の鱗を観客に見せつける。
そして強い力を見せつけるために鉄の棒を折り曲げさせて、ポールに打ち付けて大きな音を響かせる。
観客の目が恐怖と侮蔑に満ちたところで、最後の演目に移る。
トカゲの餌は虫だという。
イモムシの入った桶を渡され、それに頭を突っ込むようにして口で捕まえる。そして観客から見えるように大きく噛んで見せ、咀嚼し、飲み込むのだ。イモムシが暴れようと、どんなに不味かろうと、表情に出してはいけない。トカゲは喜んでこれは食べなくてはいけない。
食事のどの工程でも観客からは悲鳴が上がり、気持ち悪いと泣く女性まで居る。
その声から逃げるように背を向けて、仕事を終えたリトカは幕の内側へと帰っていった。
◆◆◆
「う、お”ぇ…、ッ…げぇェっ、……」
「毎回汚ェな、トカゲならちゃんと食っとけ!」
ひどい吐き気のまま自分の檻の前まで駆け戻り、地面に両手をつけば堪えることもなく嘔吐する。
イモムシのぶにぶにとした皮。かじれば中がドロドロと溶けてねばつき、脂っぽいにおいが胃から口の中にねっとりと残り続けた。全て吐いてしまっても残る味とにおいに吐き気は止まず、蹲った背を獣使いに蹴られて檻に転がり込むのは毎度のことだった。
口の中が酸っぱく、鼻が痛くなり、涙が出てくるが口直しをするものなどこの檻には無い。檻の隅で背を丸くし、時折吐きながら時を過ごす。次の夜の、自分の出番まで。この日々がトカゲ少年の生活だ。
5月に入ったばかりの今は夜もそこまで冷え込まないため、檻の中に一枚だけ与えられている布きれを体に巻いて体を丸める。
他の檻の者とは口をきかない。見つかれば鞭で打たれ、1日に一度もらえる固くなったパン切れすら貰えなくなるからだ。唯一イモムシの味を紛らわすことができ、まともに腹を満たせるパンと引き換えに話したいことなど、リトカには何もなかった。
そのままどのくらい時間を過ごしただろうか。テントの中にふわりと風が吹く。
不思議なにおいに顔を上げれば、テントに来客があった。旅人の服装を見ればすぐに思い出す、演目の途中で目が合った女だ。不機嫌な獣使いの男が団長が居る所へ連れて行き、女と団長で話を始めた。
リトカは床に転がったままぼんやりとそれを見ていたが、ふと振り向いた女と目が合う。
「あれを売っておくれ」
「お前にはここが奴隷商に見えたのか? このテントの中にあるものは見世物であって売っちゃいねぇんだよ」
「そう、じゃから”売って欲しい”と頼んでおる」
「話の分からねぇ女だな、」
「これだけ払う」
女が置いた布袋から溢れた、高く硬い音が机の上に積み上がった。まばゆい金色が蝋燭の灯りで揺れる。
「金貨100枚。商品をもらうのじゃからこのくらいは払う」
「………チッ。おい、数えろ」
団長が獣使いに指示すると、金貨をいくつかに分けて積み上げていく。しばらくそうして、数え終わったらしい獣使いは眩しいほどの金色に戸惑っている様子だった。
「100枚、ありました…」
「手枷をはめて、くれてやれ」
その声に驚いた様子の獣使いも、金貨と団長の顔を見比べてすぐに動いた。鉄でできた手枷を持つと、少年の入った檻の前へと走る。錠前を外して中へ入れば、トカゲの腕にしっかりと枷をする。それに繋がる鎖を引きながら「立て!」と命令される。
リトカは抗わず立ち上がり、獣使いの後について女の所まで歩く。近くで見れば、旅人はやはり若い女だった。こちらを一度も見ないまま、女は枷の鎖を受け取る。自分はこの人に買われるのか。でも、きっと無駄だ。
「さっさとそいつを連れて出てってくれ、こちとら明日の準備があるんだ」
「夜遅くに邪魔したのう、感謝する」
女は鎖を引いて歩き出し、リトカはそれに従いついて歩く。テントを出る一歩前で、隣から鈍い音がした。獣使いが女の背中にナイフを刺している。血が溢れて地面に滴った。
前にも見世物を買おうとした人がこうして刺されたのを見たことがある。死体は身ぐるみを剥がされて川に捨てられるのだろう。
リトカが「檻に戻ろう」と思った時、視界の端で獣使いが倒れていくのが見えた。その音は地が揺れるほど重く、よくよく見てみれば彼はすっかり石になっていた。そして滴っていたはずの女の血は、もうどこにも見当たらなかった。
「何をした!! …あ!?くそ、どういう事だ!!」
団長の鋭い声が響く。見れば団長の腕も足も石になってる。重すぎるのか、立っていられずに地面に膝をついていた。
檻の獣達が次第にざわめき出す。どうやらいつもと違うことが起こっているらしいと、みんなが気付いている。
「何もしておらぬよ、それじゃあの」
「待て!!待ってくれ!!このままにするつもりか!!」
「…おや、腕と足が石になっておる。変わったお洒落じゃのう」
「お前、魔女だな!いいから元に戻せ、戻せるんだろう!!」
「ふむ、治すことはできるが…高くつく。金貨100枚といったところかのう」
「ふざけるな、人をこんなにしておいて金貨だと!?」
「ほう」
言葉を切った女が団長の方へ向き直る。ひどく冷たい視線が向けられて、団長は口を閉じる。脂汗を浮かせながら、女の言葉を待った。
「気のせいだと思うんじゃけれども…この転がっている者に、刺されたような気がするのう。もしそうであればこの者の主人に責任を取らせねばならぬ。…なあ、そうじゃろう?」
息を飲む音が聞こえた。金を惜しめば川の底に沈むのは団長と獣使いになるのだろう。勢いづいていた声はすっかり震えて、机の上の金貨を見てからまた女を見た。
「金貨100枚は持っていっていい、…だから頼む」
懇願の声に気を変えたらしい魔女は机まで戻ると、布袋に金貨100枚をしまってから戻ってくる。団長はその一挙手一投足を見逃すまいと目で追い続けている。女はリトカの鎖を改めて持ち直すと、パチンとひとつ指を鳴らした。それと同時に石化がゆっくり解けていくのだろう、獣使いの肌の色が戻り始める。
女がリトカの鎖を揺らした。
「逃げるぞ」
「え?」
意味がわからずに女を見上げた瞬間、走り出す。鎖が引かれる。転んでしまわないようにリトカは足を踏み出した。それと同時に背後から怒声が響く。
「魔女だ!!捕まえろ!!!誰か!!!」
魔女は狩りの対象だ。夜警が追ってくるだろう。
それでもリトカは「新しい主人」となった女に従うべく、路地を駆けていった。
お読みいただき、ありがとうございました!