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コノミ書店の裏仕事  作者: 花村 流花
7/13

虎之助、本格始動 1

 勤務3日目にして職場に泊まることになった虎之助は、なんだかもう随分と長い間

ここで働いているような心の軽さを感じていた。

前の職場と違って同僚がいない。たった一人であるという孤独感も近寄ってくる気配はない。

自分のペースで仕事をするのって、自分次第で良くもなれば悪くもなる。

時間に追われてルーティーンに仕事をさばいていくことは楽といえば楽だが、

ヘタすると頭が退化してしまう。石の上の次の三年はしっかりと頭を使おうと、

店の前をほうきで掃きながらコノミ書店の看板を愛おしそうに見上げた。

「柳君、コーヒー淹れたわよ」

店の中から掛けられる声は、家族のそれにも似ている。そう言えば弥生は52歳になるといっていたが、自分の母親とさほど変わらない歳であることに今更ながら驚いた。

・・やっぱ若いよな、美魔女は・・

ニヤニヤしながら店の中へ戻ると、コーヒーの香しさがキッチンへと急がせた。

キッチンのテーブルに用意されたマグカップは、先週使ったものとは違っていた。

「これ、柳君専用のマグカップだから、いつでも使ってちょうだいね」

ぽってりとした形の、黒に茶色の縁どりのような柄みたいなのがある。

益子焼よ、と教えられたそのカップは、虎之助専用の食器となった。

ますます、コノミ書店が自分の居場所として確立されていく。

嬉しさ反面、そしてこの先に待ち構えている探偵の仕事への緊張感も、このマグカップのように

どっしりと心の中に座りこんだ。



 午後、江戸川乱子を訪ねてきたのは先週末にやって来た、清張の本を買って帰ったあの女性だった。

土曜日に名刺を渡したばかりなのにもういつのまにか予約を取り付けていたなんて、よほど急いでいるというか切羽詰まっているのだろうかと、戸を閉めた後虎之助は耳をあてて中の様子を盗み聞こうとした。

木の引き戸に体重をかけて聞き耳を立ててみるが、中からは何も聞えない。

当然か、と思いながらも体をあずけたままでいると、突然背後から声がした。

「あの、すみません、いいですか?」

不意打ちを食らった虎之助の喉に息が引っかかり、普通に呼吸をしようと慌てたら

ゲホッと大きな咳が出た。引き戸にも体がぶつかりドンと音を立てたが、その音を誤魔化すかのように

いらっしゃいませと大きな声を張り上げた。幸い、中から乱子所長が出てくることはなく、

もたもたとしている店員を根気よく待ってくれている若い女の子2人は、

どうやら本を買う客ではなさそうだった。

「あのぉ、すみませんが・・お店の前で写真を撮りたいんですけど・・撮っていただけますか?」

「は?写真?は、はい、いいですよ」

いまだにバクバクと激しい鼓動を打つ心臓を押さえながら、一人が差し出したスマホを手に取り2人組と共に店の外に出る。看板もうまく背景に入れられる位置を探し出した虎之助は女子2人に立ち位置を指示すると、ハイチーズ、と写真を撮る。スマホのレンズにむけられた若くてかわいい女の子たちの笑顔を自分に向けられたと仮想して、照れた。

ありがとうございましたと何度も頭を下げて遠ざかっていく女子2人の後姿を見送って、

虎之助は店の中に戻った。

 

 まだ引き戸は閉まったまま。でも同じヘマを繰り返さぬよう、今度はカウンターの前にじっと座って

通りを眺めることにした。

通りがかって、店の中にチラリと目をやってそのまま行き過ぎる人もいれば、行きかけた足を止めて

入ってくる人もいる。入ってきても本棚を眺めて出ていく人もいれば、手に取ってペラペラとページを

めくって戻す人、そしてやっと、手にした本をレジへともって来る人が何人かに一人くらいはいる。

カバーはおかけしますか、という重要なセリフもすんなりと口をついて出てくるようになった。

ゴールドに茶色の文字の紙のブックカバーをかけると、本を差し出してきた時よりも顔がほころんでいるお客が多い。裏路地の、古民家造りの小さな本屋のセンスに、この神楽坂という町を訪れた証しが

きざまれているような気がする、と釣銭を渡す虎之助の顔も自然とほころぶ。観光地と化してしまって、昔から住む住民たちも思うところはあるだろうけど、穏やかな笑顔があふれているのだからきっと、この町に住んでいる事を誇らしく思っているに違いない。はりきって掃除した細い道をゆったりと行きかう人々を眺めながら、客が来るのをのんびりと待った。

 ガラスの引き戸がレールの上をすべる音が静かに響く。最初に入ってきたのは一人の女性だったが、

その後からつられるようにして若いカップルやアラサ―らしき女性2人も入ってきた。一気ににぎやかになった店の中。数分するとレジの前に客が並んだ。虎之助にとって初めての経験である、客の待たせ。

ちょっとテンパりながらも、ゴールドのカバーを丁寧に本に着せた。


                 *


「どう?虎ちゃん、仕事には慣れた?っていうよりオバサンには慣れた?」

夕方の涼しげな風に軒先の風鈴がゆったりと踊る中、焼肉屋の女将さん・ミヨちゃんが

大きな買い物かごを提げてコノミ書店にやって来た。買い出しの帰りにのぞきに来たというミヨちゃんに麦茶を出してやると、

「まあ虎ちゃんは気が利くわねぇ!ますますうちで引き抜きたくなるわねぇ」

と猫なで声を出した。幸い、江戸川乱子として弥生は出かけている。

引き抜き、などという言葉を聞いたら静かな店内が一気に戦場へと変わるところだった、と

胸をなでおろす虎之助だった。

「はい、随分と慣れました。ここへきてもう3ヶ月目ですからね。

 仕事は本屋の店番と弥生さんに頼まれるパソコン仕事くらいだし」

書店員としてはもう不安なところはほとんどない。カバーをかけるのもすっかり慣れたし、観光客相手に道案内をしたり写真を頼まれれば余裕の笑みでシャッターを押す。そして弥生に頼まれるパソコンでの

仕事も虎之助にとっては簡単なものだ。

「そう、じゃあわりと楽してるってことか」

「いやまあ・・そうですね、体は疲れませんよ」

「だったらさ、ここ終わった後夜はウチで働かない?」

本気で勧誘してきてるのか、と虎之助がえ~?と声をあげながら体を引いたところへタイミングよく

江戸川乱子が帰ってきた。

「ただいま。あ~らミヨちゃん、なんか差し入れでも持ってきてくれたの?」

カウンターに置かれた麦茶のグラスを指差す弥生にむかってミヨちゃんは、あら忘れてたと

買い物かごから紙の包みを取り出した。

「そうよ、差し入れ持ってきたんだったよ、丸屋の水羊羹、虎ちゃんに食べさせようと思ってさ」

「あ~らうれしい!柳君、お茶にしましょう。もうお客も来ないだろうから」

ミヨちゃんと二人、休憩室へと上がる弥生の分とミヨちゃんの分と、それと自分の麦茶と3つのグラスをのせたお盆を持って虎之助も休憩室にあがりこんだ。

ちゃぶ台の上でうやうやしく紙の包みをあけと、木の葉っぱで包まれた水羊羹が現れた。

これは皿がいるな、と虎之助はキッチンへ行き、食器棚の中から水羊羹に似合うガラスの小皿と

小さなフォークを3つづつ取り出した。

虎之助が用意した皿を見て弥生は、わかってるじゃない、と満足げに頷いた。

「本屋の仕事はもうだいぶ慣れたようね。そろそろ柳君にこっちの仕事も教えてもよさそうだわね」

「え?いよいよ探偵デビューですか?」

水羊羹にフォークをさしたまま動きを止めた虎之助の背中をミヨちゃんがドンと叩いて大丈夫よと無責任に吐き捨てる。虎之助自身も不安を装いながらもなるようになると半分開き直っている。

探偵といったって浮気の現場を押さえることに特化している探偵事務所。身の危険は100%無い、とは言い切れないが、ここまで江戸川乱子が女性の身で一人でやってきたのだから、男である自分が役に立てないことはない。所長の期待に副える仕事を見せてやらないと、と陽炎程度だが

闘志がゆらめきだしていた。

「次の調査に一緒に連れて行こうと思ってたの。まずは私についてアシスタントをやってもらいながら

 勉強してちょうだい」

二つ目の水羊羹にフォークをさした弥生の手をミヨちゃんが叩く。これも虎ちゃんの分だよ、と虎之助の皿に無理やりのせた。

「はいはいわかりましたよ!そんなに柳君にサービスしたいならたまには焼肉ご招待とか

 してくれりゃいいのにねぇ、ね?柳君」

「えっ?あ、はい・・」

返事に詰まる虎之助をよそに、熟女2人は子供みたいに小競り合いを続ける。

その合間にかすかに人の声が聞こえた気がして、虎之助は暖簾の下から顔をのぞかせ店を見る。

すると女の子2人が本を手にこちらを覗き込むようにして見ていた。

慌てて立ち上がり、店に出ると客にペコペコと頭をさげる。虎之助と同じくらいの年頃の女の子2人は

若い男子を品定めするように斜めに見てから、顔を見合わせクスクスと笑った。




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