最終章 今をガンバレ!虎之助
待ちに待った正月休みを前に、今年最後のコノミ書店の営業を終えた弥生と虎之助は、
一年の労いを焼肉屋「太郎」で締めくくる。
いつもより2時間早く店を閉め、午後5時から「太郎」を貸切にして
盛大な忘年会をミヨちゃんと大将と共に楽しもうというのだ。
「今日は私がどーんと大盤振る舞いするから遠慮なく食べて飲んでよ。ついでにミヨちゃんと大将もね」
「ちょっとお、ついでとは何よ。この稼ぎ時の歳の暮れに貸し切りにしてやってんのよ?
もうちょっと感謝の言葉を述べなさいよ」
じゃれ合いだか言い争うだかわからない幼なじみの熟女の間に割って入る虎之助も、
すっかり慣れたものだ。
「まあまあ、子供時代はとっくの昔に終わったんですから、ここは大人のビジネスという事で、
弥生さんはたっぷり支払い女将さん達もしっかりご馳走になればいいんじゃないですか、ね?」
初めてこの店に連れてこられた時のオドオドさはすっかりなくなり、
減らず口を叩けるようになったと大将は手を叩いて虎之助を褒めた。
「それだけじゃないわよ、仕事でも大健闘してくれて。
本屋の店番が探偵の仕事も手伝えるような子だったら使おうか、くらいの気持ちだったのよ最初は。
だいたい、続くかどうかわからなかったし。でも大当たりだった。柳君を雇って大正解だったわ」
弥生に褒めちぎられて、気恥ずかしくなった虎之助はニヤケながら黙って肉を焼いた。
「そうそう、虎ちゃん警察から感謝状もらったんだって?」
ホテル・パラダイスでの活躍に対して、渋谷署から感謝状が虎之助に手渡された。
だがご褒美はそれだけじゃなかった。
「はい、おまけにコノミ探偵事務所からボーナスまでもらったんです」
へぇ!とミヨちゃんが体をのけぞらせて弥生に視線を送ると、今度は弥生が黙って肉を焼き始めた。
ご苦労様と筆で書かれた和紙の袋を渡されたのは、ここに来る直前。
店を閉めて戸締りを終えた時、弥生はあらためて虎之助を前に仕事納めの挨拶をした後手渡したのだ。
中には1万円札が5枚入っていた。
「まさかバイトがボーナス貰えるなんて思ってなかったからすごく嬉しかったです。
ほんと、ありがとうございました」
「まだうちに来て一年も経っていないのにこれだけの仕事してくれたんだからね、
良識ある雇い主ならこれくらい当然よ。でもよそじゃまず出さないでしょ、
もっと従業員の事を大事にしないとねって、どっかの会社に言ってやりたいわね」
カッカッカ!と甲高い笑い声が一つつんざくと、輪唱のようにもう一つが後を追う。
つられて虎之助も笑い声をあげる。店の中には4人しかいないのに、
いつもの満席のようなにぎやかさが広がった。
「それとね、これ」
笑いの渦と肉を焼く作業が落ち着くと、弥生がおもむろにバッグの中に手を入れて
なにかを取り出した。手のひらに包まれるくらいの大きさのそれを虎之助の前に置く。
手に取る前にまず、顔を近づけてみた。
ICカードくらいの大きさで立方体のプラスチックの箱。
一度ちらりと弥生の顔を見てから虎之助は手に取って蓋を開ける。
「あっ!これ!」
中に入っていたのは・・
「そう、名刺よ」
生まれて初めての、名刺。
学生時代は持つことはまずないが、卒業した後も会社に就職したことはないので
もちろん持ったことはない。フリーターには縁のないビジネスの小道具が、
今自分に与えられた驚きと嬉しさに、震える手で一枚を取り出した。
「コノミ探偵事務所 調査員 柳 虎之助」
その文字を何度も何度も口の中で繰り返した。
「この前みたいな事件に出くわすことは稀だろうけど、なにかあった時に自分の身分を
証明できるものがないと困るでしょ。でもね、これで柳君をうちに縛り付けようってことじゃ
ないからね。いつかは自分のやりたい事が見つかってうちを辞めていく時が来たら、
それはそれでいいのよ。だから、この名刺はここで働いている間に使うもの、
でもコノミ探偵事務所の一員だっていう事は肝に銘じて仕事をしてほしい、それだけのことよ」
あっさりとしているようでその実重みのある言葉に、
こみあげるものを感じた虎之助は言葉を発せず黙ったまま頭を垂れた。
ただのバイトのつもりでやってきたコノミ書店で、こんなにも奥の深い言葉をもらえたり
経験を積めるとは思わなかった。本屋の店番に加えて探偵まがいの張り込みなんて、
本当に自分にできるのだろうかと不安に駆られることもあったけど、
ここまでの結果としては自分にもやれるんだという事がはっきりした。
そして頼りにされているという事も。
それがこの名刺という形になって表れたのだと、虎之助の中の自信はさらに大きく膨らんだ。
「よかったね、虎ちゃん。これってアンタのことを信用できるっていう証しなんだからさ。
とりあえず石の上にも三年なら、あと二年はがんばれるわよ、ね?」
「あっ?どうしてそれを?」
ミヨちゃんの口から石の上にも・・が出るとは思わなかった。
ありふれた格言だけど、たぶん弥生がしゃべったのだろうと察した。
初めて他人を雇うことへの心配を、親友に吐露したのかもしれない。そう勝手な想像をしながらも、
なんでも話せる親友がいるって羨ましいと思う虎之助であった。
「あれ?だけど・・」
笑みが急に疑問の表情へと変わった虎之助。
「これ・・本名、ですよね・・弥生さんは念のためにって江戸川乱子の名前にしてるのに、
僕は本名なんですか?なんかあったらどーすんですか?」
そうだ。面接の時に江戸川乱子の名刺を渡され笑い飛ばしたが、その理由を聞いてなるほどと納得した。本名が知れるとまずいこともある、と。
だったら僕はどうなるんだ?と虎之助が疑問に思うのは当然である。
所長と調査員では危険度の格が違う、とでも言うのか。
「あら!よく気づいたわねぇ、さすがワトソン君。だからね・・」
言いながら弥生は再びバッグの中に手を突っ込んだ。出てきたのは今の名刺と同じ箱の物。
テーブルの真ん中の肉の皿をよけてスペースを作ると、その箱をドンと置いた。
虎之助だけでなくミヨちゃんも大将も顔を近づける。代表して当の虎之助が蓋を開けると・・
中身は同じく名刺である。しかも名前が・・
「はあ?明智五郎?」
「コノミ探偵事務所 調査員 明智五郎」となっている。
それを見て大将は怒鳴るような大きな笑い声をあげた。
「そう、明智小五郎ならぬ明智五郎よ、いいでしょ?この名前、普通にありそうじゃない?
江戸川乱子よりも恥ずかさはないでしょ?」
そりゃそーだけど・・と呟く虎之助。そんな虎之助を横目に、
江戸川乱子こと田所弥生は自分の抜け目なさを自画自賛しだした。
「柳君のことだから多分言うと思ったのよ、自分は本名かって。
だから使い分け用に明智五郎も用意したってわけ。私ってさすが探偵事務所の所長よねぇ」
得意満面の弥生の様子に、なにかを言える、いや言わせないぞというオーラがありありと見て取れた。
だがこれが田所弥生なのだと虎之助も十分承知している。
たった8ヶ月ほどだけど、ほぼ毎日一緒にいてこの人がどんな人なのかわかっているつもりである。
良い人、それだけじゃなく、独自のポリシーと自信を持った、たくましい女性。
虎之助の些細な抗議など簡単に跳ね返してしまう、元気な美魔女、それが江戸川乱子こと
田所弥生なのだ。
「まあとにかく、来年もよろしくってことで、さあ!じゃんじゃん食べて飲んでちょうだい。
帰れなくなったらまたウチに泊まればいいんだからさ」
「あら!ここだっていいのよ、太郎と三人で川の字になって寝ちゃうっていうの、どうかしら?
刺激的でいいんじゃないのぉ?」
美魔女たちの戯言に、虎之助はきっぱりと言い返す。
「明日はバアチャンちの大掃除をやらされるんで、今日は絶対帰ります!」
鼻を膨らませながら肉を頬張る虎之助を囲んだ明るいブーイングは、
神楽坂の静かな路地裏に焼肉の煙と共にキンキンと響き渡った。
おわり




