名探偵誕生の瞬間 1
虎之助が一人張り込みの仕事を2つこなした頃、街は深い秋の色に染まっていた。
コノミ書店で働き始めた頃はそろそろ半袖のシャツでもいいかという気温だったが
今ではジャンパーを羽織るくらい、肌寒さを感じる日も増えた。
当然、陽も詰まり、夕方5時には暗くなって店先の丸い街灯がオレンジ色の光を放つ。
閉店時間の頃には裏路地には人の姿はすっかり消えて、オレンジの灯りだけが
ぽつんと存在を示すだけになっていた。
「早いわねぇ、柳君が来てからもう半年過ぎた?月日は流れてもいいけどさぁ、
歳だけは取りたくないわよねえ・・そんなの無理か!」
あっはっは、とおばさん笑いは今日も絶好調。
耳をつんざくその甲高い声にもすっかり慣れた虎之助は、適当に無視するテクニックも身につけるほど
コノミ書店と江戸川乱子こと田所弥生にも慣れ親しんでいた。
「すぐに年末とかになっちゃうんでしょうね。あ、そうだ、正月休みってもちろんありますよね?」
お盆には特別な連休はなかった。世の中の夏休み時期は稼ぎ時でもあるから仕方ないと
虎之助もわかっていた。だけど正月くらいは休みたい。三日でも四日でもいいから人並みに
家でゴロゴロしながら正月番組でも見たい。弥生は、虎之助の要望に応えるように大きく頷いた。
「さすがにね、お正月はいつも休んでるわ。
三十日から三が日までは店を閉めてるの。私が子供の頃はさ、年末年始はどこもお休み、
スーパーだってデパートだって、み~んな休み。それでよかったのよ。でも今時はさ、
大晦日はさすがに早めに店が閉まるけど元旦から開いてるお店もあるじゃない?
もうちょっと働く人の事を考えてもいいと思うのよねえ」
「はあ、そうですよね・・」
虎之助が生まれた時にはもう、24時間営業の店があり、年中無休なんていうのは
当たり前になっていた。コンビニには一晩中明かりが灯り人が出入りし、便利で当たり前とも思うけど、自分が夜中に働くかと問われれば答えはNOと言うだろう。
来店客は昼間に比べれば圧倒的に少ないだろうが、夜中になるといろんな危険度も増す。
コンビニ強盗、ひったくり・・あげたらきりがないし、かといって必ずしもというわけでもない。
そこにこだわるというよりも、やっぱり日の出とともに起きて仕事に行って、
夜が更けたら寝る、のが一番自然だと虎之助は思う。
加えて、盆暮れ正月、という言葉ももはや死語のようだとも思っている。
お盆には休みを取って先祖の墓参り、年の暮れには一年のほこりを落として、そして新しい年を迎える。年行事を大切にするばあちゃんが傍にいる虎之助だから、今時に流されないでいられるのかもしれない。
「年末年始休みの話なんてちょっと気が早かったですか?」
「そんなことないわよ、ほんと、あっという間に日が経っちゃうもの。さあ、もうお店閉めましょうか」
弥生は引き戸に鍵をかける。ガラスには室内の光の反射とともに弥生の顔が映る。
外はすっかり暗くなっていた。
*
今日は虎之助にとって三回目の一人張り込み。
社内不倫の現場を押さえるべく、ターゲットの勤め先で張り込みをした。
50歳、営業部の部長。部下の若い女子社員ではなく、同じく中間管理職の44歳キャリアウーマンが相手。ターゲット・ゴンスケは妻子持ち。そしてキャリアウーマンにも旦那がいる。
そう、ダブル不倫なのである。
・・お互い結婚してるっていうのに、まだ足りないのかね?・・
恋人のいない虎之助からしてみれば、一人いれば十分じゃないかと鼻を膨らます。
贅沢というか欲張りというか、そういうやつにはいつかバチが当たるんだ、と
立派なオフィスビルのエントランスを眺めながら、買ったばかりの肉まんを頬張った。
資料によると、11時前には2人して会社を抜け出し、昼を挟んで午後4時くらいに社に戻る。
9時5時の勤務なら、そのうちの5時間くらいを不倫に費やしている事になる。
なんとも権力を振りかざしているふうなのが癇に障る。
・・よおし!バッチリ証拠撮ってしっかり払わせてやっからなぁ!・・
時計を見ると10時55分。そろそろ出てくるかと急いで肉まんを口に突っ込んで、
口をもぐもぐさせたままリュックの中からカメラを取り出した。
5分後、エントランスからゴンスケ達が肩で風切るような堂々とした歩き方で出てきた。
キャリアウーマンはピンと背筋を伸ばし、カールした髪をなびかせ、いかにも仕事できますってな顔してゴンスケの一歩前を歩く。
あんな気取ってるくせに、仕事中に浮気だろ?何がキャリアウーマンだよ、とカメラを構えて連写する。すると、キャリアウーマンのヒールが何かを踏んだらしく、カクッとバランスを崩し
無様な格好を見せた。その瞬間も虎之助はバッチリと撮った。場面を確認してブッと吹き出して笑う。
デジカメは本当に便利だ。さらにズームアップして女の表情も確認する。
ナマズの様に広がった口がおもしろい。ざまあみろ!と笑っているうちにゴンスケ達との距離が
開いてしまった。慌てた虎之助が軽快に走りだす。
二人の後方10メートルを同じ速度を保って尾行した。
渋谷の道玄坂近くのデパ地下で贅沢そうな弁当を買いこみ、さらにコンビニで飲み物を買ってから
ゴンスケ達は、道玄坂を登り切った所にあるラブホテル街への路地を入っていく。
昼間だからか、人通りはわりとある。だから尾行している自分もただの通行人として
誰も気に留める人はいない。
ゴンスケ達は、数あるホテルを通り越して、少し離れたところにポツンとあるホテルの門を
くぐろうとしている。素早く後ろに回り込んで位置取りを決め、看板とターゲットが両方納まる
アングルを見つけてシャッターを切る。その連射音には快感さえ覚える。
「よっしゃ!バッチリ!」
ゴンスケとキャリアウーマン、そしてホテルの看板「ホテル・パラダイス」の写真。
構図、そして2人の横顔が見える後姿。これまで撮ってきた写真の中でもっとも芸術性が高い、と
虎之助は満足の笑みを浮かべた。
入っていった時間、11時58分。これから何時までこもっているのかわからないが、
先が長そうなことだけはわかる。デパ地下で買った弁当を食べる時間もあるわけだから、
1時間やそこらじゃ出て来やしない。さっそく虎之助も電柱の陰に座り込み、
コンビニで買ったロコモコ丼を広げた。
弁当はあっという間に虎之助の腹の中に納まり、デザート代わりのちょっとぬるくなった缶コーヒーを飲んでいると、妙に気になる2人連れが目に入った。その恰好、というか体勢が不自然なのだ。
女の背後にピッタリと体をつけていて、まるで運動会のムカデ競争でもやっているような歩き方。
いくらラブホを前にして気持ちが逸っているからとはいえ、あれはおかしくないか?
中年、40歳から50歳くらいに見える男と、背中に男の体を張り付けられている女は・・
え?まだ二十歳くらいの若い女の子じゃないか。歳の差も気になるが、それ以上に虎之助が注目したのはそれぞれの表情だ。男の目つきは鋭くて、女の子は顔面蒼白とでもいったらいいか、
怯えた目で前を見すえている。
虎之助はカメラを構えて連写する。しながら、恐ろしい物を男が持っている事に気が付いた。
ナイフだ。女の子の脇腹のあたりにピタリと突きつけている。
あっと息を飲んで虎之助の動きが一瞬止まる。撮った写真を拡大してみると、
確かに銀色のナイフが男の手に握られ女の子の脇腹に添えられている。
・・だからか!・・あんな変な歩き方、そしてそれぞれの表情の差。
瞬時に納得した虎之助の脳裏では、女の子が脅されてホテルに連れ込まれる、と答えを導き出した。
「大変だ!早く助けなきゃ!」
声を震わせながらカメラを握りしめる虎之助。だがちょっと待て、と冷静な感覚が頭をフル回転させる。ここでやたら飛び出していったら、男が女の子に危害を加えて逃げるかもしれない。でもホテルの部屋に入られたら女の子が・・なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ!早く助けなきゃ!どーすんだよ!
なんか方法思いついてくれ!・・
その時、パラダイスの看板にチカチカと点滅を繰り返す箇所を見て、虎之助は突如ひらめいた。
「そうだ!停電!」
ホテル全部を停電させて、その間に警察を呼び、お客を外におびき出したところで捕まえる。これだ!
なぜこんなにパパッとストーリーが出来上がったか、それは以前に見た探偵もののドラマの場面を
思い出したからだ。犯人が部屋のドアを開けた瞬間にすべての電気が落ちる。
館内アナウンスで客をロビーに集め、そこで待っていた刑事に逮捕される。
その作戦をそのままパクらせてもらおう。
ホテル・パラダイスの入り口で女の子が立ち止る。きっと怖くて足がすくんでいるんだと、その様子も写真に撮る。そして男に押されて自動ドアが開くと、猛ダッシュで虎之助も自動ドアの手前に移動して
待機する。ほとんど足音を立てずにすばしっこく走るなんて、今まで一度もやったことはない。
なんだ、僕ってけっこう出来る子なんだ。自己満と正義感にアドレナリンは出っ放し。
息をするのさえおぼつかない虎之助は、一瞬たりとも2人から目を放さなかった。
開いたままの自動ドアからはポロンポロンと音楽が流れ続けたが、
男は部屋を選ぶことに夢中になっているのか全く後ろを振り向かない。
そのドア音でのっそりとフロントにでてきたおばさんは、2人の様子を特に気にするでもなく
部屋を選ぶのを待っている。中に身を隠す死角があるか確かめる前に中に滑り込むと、
自販機があるのが見えたので、その幅に体を合わせて息を凝らす。ようやく男と女の子が動いた。
ムカデ競争の体勢のままフロントの前に立つ2人。腰のナイフはおばさんからは見えない。
男が料金を払うとおばさんがルームキーを渡す。すぐ横のエレベーターの前でもピッタリと
女の子の背中に体を密着させる男を、おばさんはもそっとした顔で見ているだけ。
まだ気づいてはいないのだ。
2人が乗り込んだエレベーターの扉が閉まると同時に虎之助は、
フロントから離れようとしたおばさんに叫び声をあげた。
「すいません!今の2人、あれカップルじゃないです!女の子が刃物で脅されて!
早く警察呼んでください!」
捲くし立てる虎之助をポカンと口を開けて眺めているおばさんがもどかしい。
まったく状況を理解できていない目つきのおばさんに、虎之助は急いでデジカメの写真を見せてやる。
腰のナイフがアップで映し出されている写真を見て、おばさんの目玉はくるりと回って険しくなった。
警察に知らせなきゃ、と両手をばたつかせるおばさんに、虎之助は声を張る。
「ちょっと待って、今2人はどこにいます?」
虎之助の位置から防犯カメラの映像がいくつも見えた。
そうか、こういうところは部屋の中以外に防犯カメラがあちこちあるのか。
「おばさん、2人は?」
「あ、今エレベーター降りたとこだよ。5階の部屋なんだけど、あ、部屋の前に立った!
ちょっとお、どうすりゃいいんだい?」
おろおろするおばさんに、虎之助が落ち着いた息を吐いて指示をする。
「このホテル、停電させてください」
「は?なに?」




