天井
お待たせしました。
とりあえず、これで入学初日は終わりましたね。
なんか、色々詰め込みすぎたかなぁと思ったりしつつも、物語は進んでいくのです。
「飛雷閃ですか……。」
ナナクツが、顎に手を添え呟く。
今、俺は彼に時雨のヒントを元に考えた式を説明し、魔法を使うコツを聞き出そうとしていた。
「似たようなモノなら私も使えます……ニーナ。」
「はい。」
ニーナと呼ばれたメイドが、地面に手を添える。するとボコボコと中庭の一ヶ所が盛り上がり、土塊で出来た案山子が出現した。彼女は、一礼して再び下がっていく。
「まずその手の攻性魔法は、刀剣を触媒にする者ならば誰もが使うと言っても過言ではないでしょう。刀剣とは突く、もしくは斬るイメージですから、その攻撃を飛ばすのです。しかし、それはあくまでイメージであり、魔法を使い近い現象を発現しているに留まります。」
説明しながら、ナナクツの右手から白い霧が湧き立つ。
ぶん!
と風切り音が俺の耳に届いた時には、土塊の案山子が二つに分断されていた。
「……単純な式ですので、無詠唱で発現することも可能です。……しかし、貴方は絶望的なまでに魔力の操作が下手ですからねぇ。」
「うっ…!」
ドスリと、直球な言葉が胸に刺さる。
「単弾すら使えないのですから、私は攻性魔法は諦めるべきだと思いますよ。」
オブラートとはかけ離れた助言だが、的確に弱点を突かれてしまっているので反論も出来ない。まさに彼の云う通りなのだ。
「しかし、反復練習をすれば決して使えない魔ではない。先程も言いましたが式は単純なので体で覚えてしまいすれば、きっと雄輔様でも使えるはずです。」
「が、頑張ります。」
「では、我々も始めましょうか。」
ナナクツの宣言に頷き答える。我々もと言うのは、今遠くで幸がやっているように実戦形式での訓練だ。幸はナナクツとはまた別の執事の男性と模擬戦をしている。幸の魔法は大規模なものが多く、並みの相手では危険だと云うことで、執事長補佐の獣人族のラーマンが相手をしている。ラーマンという人物は、ルルド邸における警備長も兼ねており、イースウェン内でも有数の実力者として名高い。
だが、そのラーマンの上司であるナナクツは既に次元が違う。彼が扱う魔法は数知れず、そして無詠唱でそれを行える。何よりも、世界でも片手で数えるほどしか出来ない、転移魔法を扱える人物でもあるのだ。個人で行えるのは、世界広と云えどナナクツただ一人だろう。ハッキリ言ってしまえばこの人物は規格外である。
本来、転移魔法は座標の算出という極めて難しい計算が必要になる。相対座標、惑星の公転速度、自転速度。これらを正確に計算しなければ、あらぬ方向に転移したり、岩や地面の中、あるいは転移した瞬間体がバラバラになってしまうような危険な魔法なのだ。それをナナクツは、無詠唱かつ連続で行う。いくら魔法に長ける魔人族でも不可能な荒業を純人族で行うその能力は、常識外と云わざるを得ない。
そして何より、武術家としても達人の域と称されている。最初こそ何も持たず、執事服の老紳士に向けて刀を振り回すのには気が引けたが、今では何の迷いもない。全て読まれ、全て避けられ、無慈悲に反撃されるのだから。
「散々言っているでしょ?フェイクを挟むにしても露骨過ぎます。もっとバレないように工夫しなさい。」
加速で加速した体を急停止、左側面から一気に回り込んで斬り込もうとしても、なんの苦労もなく迎撃される。刀を振り下ろそうとする前に、ナナクツの鋭い足が腹に突き刺さるのだ。
「動きは良いんですが、単調です。もっと速度を上げるか、小刻みに加速を活用し、翻弄してください。」
言うはやすしだ。いや、彼ならそれを平然とやってのけるのだろう。なんともまぁ、絶望的なまでに力の差を痛感させられる。それでも、止まってはいられない。幸を守るためにも、そして彼を見返すためにも、今は少しでも多く彼から教えを受けとるのだ。
「まだ遅いですよ。」
しかし容赦なく、加速の最高速度を素面で迎撃するナナクツを前に、俺は本当に彼から技術を学びとれるのか若干の不安を抱いてしまうのであった。
「わぁー、またユウスケボコボコだねぇ。」
ラーマンと一緒に戻ってきた幸が、地面の上で伸びている俺の頬をつつきながら口にする。十五分の実戦訓練の最後に俺は、一本背負いの要領で投げ飛ばされたのだ。訓練用のジャージはいつも通りに土汚れでボロボロである。
「ラーマン。幸様はどうですか?」
「いやぁ、凄いですよ。また魔法規模が拡大したのではないですか?もう下手な騎士では太刀打ち出来ないでしょうね。」
ナナクツと言葉を交わす、狼の顔と毛並みを持つ身長2m超えの彼がラーマンである。灰色の毛並みが美しいが、元はナナクツに退治された山賊だとか海賊だとか。正確なことは俺も分からない。メイドさん達の噂話では、元はそう言ったところ出身らしいが、そのわりには言葉使いは比較的丁寧だ。
「雄輔様はどうです?」
「まぁ筋は悪くないのですが、些か剣が正直すぎます。それに加速に頼りすぎな面も見てとれますね。要約すればまだまだです。」
横になりながらも聞こえてくる、容赦のないお言葉に、俺も思わず心の汗が目から溢れそうになる。
「おぉ、ナナクツさんがそんなに言うとは、将来有望ですね。」
ラーマンが笑って見せる。
そうなのだろうか?筋は悪くないとは言って貰ったが、彼の諸々の指摘が胸に突き刺さり、とてもそうとは思えなかった。
「そう言えばナナクツ。」
幸が不意に会話に参加する。彼は、「どうかしましたか?」と優しげな声をあげる。
「あのね、タグモって男の子のことなんだけど。」
幸が話すのは、今日の放課後にあった一悶着の話。ナナクツもラーマンも黙って幸の説明を聞いていた。俺も、同じ話題をナナクツに相談しようとしていたことを思い出し。適時補足で説明を挟む。
「奴隷商ですか……。」
「タグモって生徒は確か、雄輔様達の同期生では、有力騎士候補の一人ですね……。」
再び、顎に手を添える仕草を見せるナナクツと、そんな彼にタグモの説明をするラーマン。
「となれば、そこまで馬鹿ではないのでしょうね。……ふむ、雄輔様の予測は正しいかもしれません。では、その風紀委員が問題になりますか。生徒だけで問題を解決しようとすれば、想定外の事態に発展してしまう可能性もあります。最悪の場合は……云わずとも理解しているようですね。」
ナナクツの言葉に、俺は黙って頷く。
彼の懸念と俺の懸念は、正に同じものなのだ。マアースとタグモは、互いにかなりの使い手であった。最悪、どちらも怪我では済まない事態もあり得るし、二人とも奴隷商に売り払われるなんて事態も想定しうる。
「雄輔様、そのマアースという少年が暴走しないように助けて上げてください。お二人の説明から察するに、かなり正義感の高い少年のようです。使命感、責任感から安易な行動に移ってしまう可能性は十二分に考えられます。その危険性、雄輔様ならば理解出来ていますね?」
「はい。」
俺は頷いてみせる。
「私も!友達を助けるよ!」
手を挙げて、幸がナナクツ達に自己主張する。ナナクツはそれを微笑ましげな笑顔を浮かべて頷き、ラーマンは大きなその手で彼女の頭を優しく撫でる。
「そうだね。幸様も、学友を助けてあげてください。」
ラーマンの声音は、その顔立ちとは程遠く優しかった。ナナクツが、厳しいが正しく導いてくれる師匠や、祖父のような存在なのだとしたら、ラーマンは年齢的にも年の離れた兄のような人物である。
「さてラーマン、この事をルルド様にご報告して下さい。私はお二人の勉学を観ますので。」
「了解しました。では雄輔様、幸様、勉強も頑張って下さいね。」
ラーマンはそう言い残すと、一足先に屋敷に戻っていった。ルルドはこの時間、まだ会社にいるはずである。電話をするのか、はたまた会社まで出向くのかは分からない。一先ずは、俺達も勉強を始めるために屋敷に向かって歩き出した。
勉強は、魔法訓練に比べればずっと楽である。というのも、ナナクツの教え方が非常に上手く、勉強をするのが楽しく感じれるのだ。数学なんかは数十年前に勉強したのと同じ内容なのだが、彼が教えると理解の仕方がまるで違う。日本の学校では、数学に関する知識を覚える授業だったが、彼の教え方は解き方、考え方を理解出来るのだ。
かつて母国では、その勉強方針が一部の人々で問題視されたが、俺のような人間にはいまいち何が問題なのか理解できなかった。しかし、こうして異なる教育体型を実感すると、問題視しているのもなるほどと理解できる。だが、それが本当に間違いなのかと言われれば、些かの疑問を覚えてしまう。
俺の持論で云えば適材適所なのだ。知識を覚える事が重要な科目である場合、日本の教育方法は正に適切であろう。例えば歴史、言語などのいわゆる文系である。あれらは要素を覚え、知識を蓄積させることで理解する学問だ。そこに考え方も応用もない。逆に理系とされる科学、化学、数学では考え方が重要になる。知識を蓄積しても、解き方を理解していなければ意味のない学問と云える。二つの教え方を要所要所で使い分ける、そんな器用な能力が教育者には求められているのかもしれない。
などと考えながらも、しっかりと予習復習をしていれば気付けば夕刻。まもなく夕食の時刻となっていた。
「さて、では今日はここまでとしまょう。」
パタリとナナクツが教科書を閉じる音に幸も俺も、背伸びをして勉強のスイッチを切る。幸も流石に疲れたのか、まるで猫がするような背伸びを机でして見せる。
「夕餉までは後十分程ですね。少し自室で休まれますか?」
「えぇ、そうさせて貰います。」
ナナクツの提案に俺が答え、幸もそれに賛成したので、彼に礼を告げてから俺達は、執事控え室兼俺達の勉強部屋を後にした。
「ねぇユウスケ。」
「ん?どうした?」
自室に向かう道中、幸が俺の顔を見上げながら、少し困ったような表情で声を投げ掛けてくる。
「私ね、初めて今日学校に行ってね、ユウスケ達皆が教えてくれた学校ってどんな場所なんだろうって、ワクワクしてたの。でも同じくらい怖くてドキドキもしてたの。」
何となく、そんな気はしていた。
人懐っこいが、同時に人見知りの気がある彼女は、俺やナナクツから学校がどういう場所なのかを何回も聞いていた。初めて関わった同じくらいの年の少年少女は、彼女の眼にどう映ったのだろうか。今日関わった彼等をどう感じたのだろうか。
「ヤクシャが、ユウスケに掴み掛かった時はどうすれば良いか分かんなくて、無我夢中で投げちゃった。……それからユウスケが、タグモと模擬戦している時も、私実は少し怖かったんだよ?……だから、学校って怖い場所なのかと思った……でも、時雨やマアースは優しくて、きっと友達なんだって思ったの。」
少ない言葉で、彼女は必死に俺に自分の思いを伝えようとしていた。それを黙って聞くが、彼女を不安にさせてしまった不甲斐なさに、胸がズキリと痛む。
「マアースが辛かったの判ったから、ヤクシャも怖かったのが判ったから………私なんとかしなきゃって考えたの。……私、あれで良かったのかな?」
真っ直ぐな瞳で、俺の眼を見て問い掛ける彼女を、無意識に愛しく感じる。彼女なりにも悩んだのだ。悩んで、それでもヤクシャを助け、マアースの心を守ってみせた。
幸の事を誇らしく感じた俺は、そっと彼女の頭を撫でる。
「良かったハズだ。少なくとも、あの場ではマアースとヤクシャを救ったのは、幸の行動と言葉があったからだ。だから、幸は間違ってない。」
俺自身の祈りなのかもしれない。
そんな思いが、今の言葉には乗っていた。間違いでいてくれるな、彼女の善意が裏目になどなってくれるなと、そんな願いが紡がれ音になっていた。
幸は俺の答えを聞くと、困ったような表情から一変、目映い笑顔を浮かべる。
「うん、うん、うん!なら良かった!」
心底安心した様に、彼女は何度も頷く。心の中で、痼となっていたのかもしれない。それがほぐれ、彼女はいつもの笑顔に戻っている。それが何とも嬉しくて、俺も頬の筋肉が弛んだのを感じた。
「明日また、私はマアースと時雨に会えるんだね。」
嫌われてしまうかと思ったのか。見当違いな懸念だが、それだけ物を知らないのだ。少しずつ同年代と触合い、分かり合い、そして笑い合えるようになれば、彼女はもっと多くの事を知っていくだろう。それを思えば無性に嬉しく思えた。きっと、父親というのはこんな感情なのだろう。
俺は、幸を見て遠い日本で、喧嘩別れしてしまった実の父を思い返してしまう。頑固な人だった。それでも、家族思いの良い父親だったと思う。俺が戦場カメラマンになると言った時、誰よりも強く反対したのはあの人だった。今も元気だろうか、写真屋の仕事は続けているのだろうか。
一度堰を切ってしまえば、次々と濁流のように父への思いが溢れてくる。
「……もう一度、……会えるかな。」
窓の外に見える、黒い天井を見上げながら小さく呟く。誰かに聞き取られることはないはずの、小さな小さな呟きは、幸の鼻唄にスッと掻き消されていた。






