出会いは運命
お待たせしました第三話!
今回は説明会(?)ですがよろしければお付き合い下さい!
草原に出た俺たちは、ひとまず渡したシャツとレインコートのズボンを、幸には穿いて貰う。靴は仕方ないので、俺が彼女を背負い歩くことにした。爽やかな風が頬をなで、川の流れる音が心地良い。川幅は、森の中より少し広がっているように見える。立地としては、川の上流に向かい針葉樹の森。そして山脈に繋がっているようだ。山脈は東西に延びているようで、この草原は広大な盆地となっていた。
自然が美しく、文明の気配がまるでしない。暫く川原を歩き続けていた俺は、既に人間がいるのかどうかすら怪しんでいた。いざとなれば、何か食べられるものを自前で探すしかない。多少は食べられる植物、昆虫の知識はあるが、それは元いた某国での話だ。見知らぬ生物が散見するこの土地ではその知識に頼るのは危険性が伴う。ある程度、回避できるリスクは回避したい。
「失礼。どちらに行かれるのですか?」
声をかけられ、驚き振り返る。長身で、壮年な欧州系の老紳士が立っていた。着こなした執事服からその品の良さが見てとれる。しかし、彼がどこから現れたのか。それが俺にはまるで分からない。この妨げる物のない草原で、まるで虚空から突然現れたようなこの人物には、警戒心を抱かずにいられない。何より、その立ち姿には幾千の戦場を経験した兵士に通ずるものがある。
「……ま、町を探しています。」
「街…ですか?」
訝しげに首をかしげる老紳士。
何か、おかしな返答をしてしまったのだろうかと、俺は冷や汗をかく。もし、彼が文字通り『虚空』から現れたのだとしたら。幸と同じようにあの黒い穴から出てきたとしたら。
ゾクリと、穴の向こうに見た眼光を思い出す。もし、この人物が幸と同じ場所からやって来たのだとしたら、幸を連れ戻しに来た可能性が湧き出る。
どうする?このまま幸を背負って逃げ切れるか?隠れる場所のないこの草原では、逃走は絶望的と言う他ない。彼女を置いて逃げるという案など論外だ。確かに、俺は生き残れるだろうが、また誰かを助けられなかったという、辛さを、罪科を負うほどの器量は俺にはない。
しかし、何かしらの危害を加えるつもりならば、声など掛けないのではないか?俺の冷静な部分がそう諭す。確かに、背後にいたにも関わらず、何をするでもなく声をかけてきたのは不自然だ。今は、彼と会話し情報を聞き出すべきだろう。
いや、待て。会話?そうだ、無意識に答えてしまったが俺は日本語で答えてしまった。そして老紳士もまた、俺に日本語で話しかけていた。俺の外見的特徴で日本人と看破したからか?いや、それでもおかしい。地球に、手が四本もある猿がいるだろうか?緑色の肌をした小人がいるだろうか?ますます、ここが何処なのか分からずに俺が内心混乱していると、老紳士が口を開く。
「街となれば……既にここが街なのですが。」
少し、困ったような表情を彼は見せた。
街、ここが?俺は分からずに首を傾げる。
「私はてっきり、お連れ様がエルドリングをされているので、ご主人様に御用のある方かと思いましたが……。」
エルドリングとはなんなのか。聞き慣れない単語だが、何を指すのかは理解出来た。幸の兎の耳についた、金色のピアスか、手枷足枷であろう。つまり、それを見てとって、主人に用があるということは、こういった特徴のある、例えば『奴隷』に対して何かある者ということか?何か、というのは例えば、奴隷の登録を担当する機関の責任者。いや、それはない。そうであるならば、こんな格好をした不審人物に迎えを寄越したりはしないだろう。つまり、その逆。
「もしかして……保護活動とかされてらっしゃいます?」
「……そうですね、ご主人様は奴隷の人権保護、社会復帰の活動に尽力されています。」
思わぬ僥倖、暗闇に見付けた一筋の光、地獄の底で見た蜘蛛の糸である。利益、採算度外視と一見とれる活動をする富豪。どの国にもそう言った人物が一定数いる。そう言った者の大半は、魑魅魍魎の類いであることが大半だが、こういった慈善活動はその裏の顔を隠し、社会に貢献して見せる事でその地位を揺るがないものにしている。
今の俺の立場ならばそのような人物は願ったり叶ったりだ。この世界の社会を知らず、そして常識を知らない俺にとって、願ってもみない奇跡と言える。彼等は、情は薄いが採算が取れると見れば徹底的に投資する。そして俺達の立場は、それだけで老紳士の語る主人にとっては価値がある。住所不定の年若い男女を、社会復帰のために多大な援助。十分な美談だ。となれば話が早い。この流れ、乗らない理由はない。
「そうだったんですか……実は遠方から逃げてきたものですから。」
老紳士の信用を勝ち取るのだ。そして、主人の元へと案内してもらう。今俺達が生き残るための最善手を探して打つんだ。
意外なほどにすんなりと、俺達は老紳士、ナナクツ・ガーランド氏の信用を得ることができた。そして彼に案内されることでやって来たのは、イースウェン王国首都、大都市ククリである。驚くべきことに、その街は地下に建造されていた。さらに言えば近代都市である。魔法のようなものがあるから、てっきり中世のような文化レベルかと考えていたが、これはその比ではない。いや、むしろ俺が生きていた時代の地球よりも高度な文明ではないだろうか?自動車のような乗り物が走っているが、タイヤは存在していないのを見るに、空想で夢見た空飛ぶ車である。
しかし、高層ビルが立ち並び一角がある一方で、王城は古い煉瓦造りの西洋風の城のである。また住宅街の多くが、王城の造りと同じような時代に倣っている。まるで一つの街の中が、未来と過去で分割されているかのようだ。そして俺達がナナクツに案内されてやって来たのは、タイヤのない車で暫く走った住宅街の奥の奥。ククリの北の端にある、大きな屋敷が立ち並ぶ住宅街の中でも一際大きな土地を持つ巨大な屋敷だった。
ナナクツが主と称し、屋敷の主人であるヴァーグ・ルルドがにこやかに俺達を出迎えてくれた。そして、彼と会話するうちに、俺はつい一時間前の自分を全身全霊、渾身の力を込めてぶん殴りたくなった。
話を聞けば奴隷商は、イースウェン王国政府に保護されているのだ。曰く、イースウェン王国は五十年前まで、人類以外の文明を持つ種族と長い戦争を行っていた。しかし突然旅人が現れ、王族に科学を教えたのだという。魔法技術、身体能力で他種族に劣っていた人類は、魔法技術と旅人がもたらした科学を融合させて、他の種族との軍事力を並ばせ膠着状態に持ち込むことに成功した。そこから、疲弊していたイースウェン王国側から和平交渉を行うという形で、約二十年にも及んだ戦争に終止符が打たれた。だが、イースウェン王国に訪れたのは平和ではなかった。確かに戦争は終わりはしたが、この国を襲った危機は、国民の経済格差である。突然普及、成長した科学技術は多くの魔法職人の職を奪い、小売店にも大きな打撃を与えた。結果として国内の約四割の国民が職を失う事態になる。そこで登場したのが奴隷商である。彼等は職を失った人物を買い取り、労働力を求める企業、個人へと販売するのが生業である。彼等が経済を回すことで、イースウェン王国の財政は保たれていると言っても過言ではない。そのため、政府は奴隷商を遠回しに保護しているのだ。しかし、ここでルルド氏を始めとした活動家が問題視しているのは、奴隷が持つ人権の所在である。
「多くの奴隷商は、奴隷登録、取引の際に被害者の持つ権利を金銭に換金しているとしています。これは、被害者の人権を剥奪したということになるわけです。また、売買の際にもその人権は新たな雇い主が所有します。……極端な例ですが、雇い主は被害者の生殺与奪すら自由に行えるというわけです。」
恰幅の良い優しげな中年男性が語る。彼こそがヴァーグ・ルルド。ルルド商会という、イースウェン王国でも一二を争う大商会の元締めとのことだ。どこが魑魅魍魎か。この人物は驚くべきことに、善意百%だ。国が保護する奴隷商を相手に、徹底抗戦を構えるということは、政府と殴り会う覚悟なのだと雄弁に語っている。
「私のような反奴隷制活動家は、他にも何人かいますが、まぁ顔役は私です。私達は本気で奴隷という身分を根絶し、皆さんの社会復帰に真摯に貢献します。」
眩しい笑顔で言い切るルルドは、正に聖人君子も斯くありきと言える。こんな人物を差して魑魅魍魎と称した自分が恥ずかしいばかりだ。だが今度は逆に、別の不安が湧き出る。それは彼の立場の危うさだ。このイースウェン王国がどのようなお国柄なのか、どのような指導者のもと国家運営をしているのか。国家反逆罪で追われる身などは御免被りたいのが本音だ。避けられるリスクは避けたい。
そうは考えても実のところ俺も、本質は彼と同じなのだろう。雇い主は生殺与奪すら自由に行えるという彼の発言は、俺の胸に重くのし掛かっていた。生きたいと願い、懇願し嘆願し、救いを求めながらも死んでしまうような人々を幾人も見た。毒蛇に噛まれ、安楽死を選んだ仲間も本当は死にたくなど無かったハズだ。なのに、生きていけるハズの命が、理不尽に無意味に奪われるという話は、見過ごす事ができない。
「と、いうのが私達の活動ですね。社会人であれば私共の傘下の仕事に入っていただく所ですが、見たところお二人はまだ未成年だ。どうでしょう、学校に通ってみませんか?」
俺まで未成年と言われるのは、妙にむず痒いが、今の俺は何故か若返っているのだから下手な反応はしないように努める。しかし学校か。正直、かなり好都合な話ではあった。この世界の常識を知らない俺には、学校という舞台は非常にやり易い。無視できない問題点である、読み書きを除けば直ぐにでも飛び付きたい話だ。一応、それとなく読み書きが不安だとルルドに告げると、彼は心配いらないと首を横に振る。
「お二人が読み書きを出来るまでは、このナナクツが勉学の基礎を教えてくれます。勿論、学校の諸経費も気にしないで下さい。存分に勉学に励み、若い力を将来、社会に還元してくれればそれで結構ですので。」
俺の本質がルルドと同じと言ったのは訂正する。この人は聖人過ぎて、全然俺とは違う。だんだん自分が恥ずかしくなってくる。
「さて、ではお話はこの辺にして、昼食にしましょう。ナナクツ、頼むよ。」
「はい、畏まりました。」
俺達は、応接室だと案内された部屋を後にし、ナナクツに誘導され長机のある食堂へとやって来た。いつから待機していたのか、三人ほどのメイドが恭しく俺達を出迎えてくれるが、その見慣れない光景に圧倒された。彼女達が俺達の座る椅子を引いてくれる。それくらい出来るのにとも思ったが口にはしない。むしろ日本人特有の直ぐ謝る癖が久々に発露し、メイドさんに向かって「あっ、すいません。」なんて頭を下げてしまった。根が小市民であるために、こういった雰囲気は萎縮してしまう。
「お待たせしました。では、始めましょうか。」
若干挙動不審気味に辺りをキョロキョロしていると、ルルドが遅れて食堂に入ってくる。それと同時にメイド達が食器を広げ始め、次々と料理を並べていく。幸はその様を、ワクワクした表情で見ていた。改めて見ていると、見知った物によく似た食材もちらほらある。むしろ、見知らぬ料理、食材はほとんどない。以外と食文化に関しては、同じような文化が発展したのかもしれない。
「では、我々の出会いを祝して。」
ルルドが右手で杯を構える。俺も慌ててそれに倣い、杯を手に取る。幸も真似するように杯を構えた。
「乾杯。」
ルルドの音頭を皮切りに、少し遅めの俺達の昼食が始まった。
メニューはパンとスープ。そして魚と蒸した野菜の盛り合わせに、他にも野菜やローストビーフなど沢山の品々が一人一人の前に並んでいた。試しにローストビーフを一口。ナイフで切る肉厚のローストビーフは、中はまだ赤いレアで焼き上げられていた。味の方も絶妙で、こんがりと焼かれた表面の香り。閉じ込められた肉汁の旨味。そして驚くほどの柔らかさ。久々に食べた肉の味は、俺の想像を遥かに越えて美味しかった。
食事をしながらも、ルルドと俺達が通う学校についての会話を続ける。なんでも、ルルド商会が経営するのはククリ一の規模を誇る学園であり、日本で言えば中高大一貫校のようなものであるらしい。しかし、俺が知る学校の施設と大きく違う点もあった。いわゆる一般教養としての学問を教える機関の側面を持ちながら、自衛のための魔法技術、戦闘技術を覚える場なのだとか。今朝襲われたゴブリンのような小人、正にゴブリンという名前の魔物を始め、人類の生存を脅かす脅威は尽きない。特にその魔物という存在は大きな脅威であり、魔物から身を守るための技術、すなわち魔法をを身に付けるのだとか。それから、正直意外にも思ったが、殺傷能力のある魔法を行使するには、免許が必要になるらしい。もし、免許を所持せずにその魔法を行使した事が発覚すれば罰金ないし、刑務所への収監が待っている。当然だが、人に向けてその魔法を行使することも違法である。他にも、魔法に関する法整備はかなり厳重なものだった。そこまで厳重に管理するとなれば、当然だがこの世界の人間に魔法が使えない人間がいないことになる。それは、ルルドも口頭で説明していた。故に、一度覚えてしまえば容易に人の命を奪える魔法に関する法律は、終戦後直ちに整備されたのだとか。
とは言っても、その魔法の免許も魔物狩りを生業にする狩人や、軍人階級への進路を希望するならば、学校に通いながらでも比較的楽に取得可能であるらしい。
「お二人は、学園でどのような進路を選ばれますか?」
「進路……ですか。」
この歳になって、もう一度そんな話をされるとは考えても見なかった。高校生の当時は、戦場カメラマンをしていた叔父の元で弟子入りすると既に決めていたから、迷いもしなかったが、今は違う。だが、俺の最終目標は元の場所に戻ることだ。しかし、幸はどうする?彼女を一人おいて、俺が元の場所に戻っても彼女は大丈夫なのだろうか。
隣でトマトスープを、幸せそうな顔で飲んでいる幸を眺めて考える。頭を過るのは、彼女に初めて出会った時。怯えきったあの表情が、頭にこびりついていた。
俺はルルドの問いに対して、明確な答えを用意できなかった。
※ナナクツは作者の好みを思い切り敷き詰めたキャラクターです。