魔法
お待たせしました。第二話です。
誤字脱字ありましたら、ご報告いただけますと大変嬉しいです。
今回結構短めです。
彼女は、言葉を知らないようだった。コミュニケーションを取ろうと何度か会話を試みたものの、彼女の受け答えはなく、首をかしげたりするだけだった。口を開いても、『あ』か『う』しか音を出さない。喋るというよりも音が漏れるといった様子だ。言語が違うだとか、そんな話ではないのは一目瞭然だった。見たところ、年の頃は十四、五歳といったところだろう。普通に生活しているならば、何かしらの言語を覚えていてもおかしくないハズだ。
しかし兎の耳を持つ彼女に、人間の常識を当て嵌めて考えるのは、もしかして違うのだろうか?等とも考えたが、彼女も俺に気を許してくれているようなので、コミュニケーションのために言葉を教え始めた。
「水池雄輔。み、ず、ち、ゆ、う、す、け。」
自分を指差し、名前を名乗る。彼女は直ぐに理解したのか、俺を指差して復唱する。
「み、すち……ゆうすけ?」
少し舌ったらずではあるが、一発でこれだ。恐らく潜在的な知能はかなり高いのだろう。俺は彼女に首を縦に振って肯定し、頭を撫でながら褒める。
「そうそう。水池雄輔。これを『名前』って言うんだ。」
「な、まえ?」
首を少し傾げながら、彼女は名前という言葉を反芻する。やがて、自分を指差し「名前」と単語だけで問いかけてくる。彼女が何を訊ねているのか、理解するのはそう難しくはない。だが、彼女の名前はむしろ俺が知りたいくらいなのだ。しかし訊ねてくるということは、おそらく彼女には名前が無いのだろう。不憫に思いながらも頭を捻る。誰かに名前を付けるなんて経験は、俺にはまるで無かったため、さてどうしたものかと考え込んでしまう。
何かないか何かないかと、記憶を辿っていると、日本にいる妹との幼い頃の会話を思い出す。小学校の先生から聞いたのだと、その日は両親にも俺にも何度も何度も話していた。曰く、人の幸せは別の誰かを幸福にさせる力がある。貴女の幸せが、誰かの幸せになりえる。と教えて貰ったのだと自慢していた。
何故今、この話を思い出したのだろう。答えは、単純だった。あの時の妹の笑顔と、自分の名前を問い掛ける彼女の、ワクワクと輝く瞳が重なったのだ。もう、何年も前の記憶なのに、意外と覚えているものなんだなと、自嘲するが。幸せの漢字を読み替え、サチという名前が脳裏に浮かぶ。ガリガリに痩せこけた体。傷だらけの白い肌。少なくとも、辛く苦しい思いをして来たのだろうと、一目で分かる。ならば、これから少しでも多くの幸運と幸せが掴めるような名前にしよう。名は体を表すとも言うのだから、この名前が彼女には最適なのだと確信した。
「幸。君の名前は幸だ。」
答えを聞いた彼女は、自分の胸に触れさ、ち。さち。と繰り返す。即座に、幸が自分を差す言葉だと理解している。気に入ってくれたのか、心なしか彼女の表情は晴れやかに見えた。
日本語の言葉、話し方を理解していく幸は、正にスポンジのようだった。一時間もすれば片言で会話が出来るほどにまで成長した彼女は、質問の嵐を投げ掛けてくる。
「ユウスケ!これは?」
そういって彼女が手にしたのは、その辺に生えていた雑草だ。色、植物、茎、葉、根といった言葉をこの雑草を教材に散々彼女は質問してくる。今度は何が気になったのだろうか。彼女が指をさしたのは、雑草の葉っぱにも見えるがどうも少し違うようにも見える。恐らく、雑草の名前を聞いているのだと察するのに時間はいらなかった。
「うぅん……この雑草の名前かぁ。」
下手をすれば見知らぬ世界にいる可能性がある俺は、彼女の質問した雑草の名前など知るよしもない。いや、元いた場所だったとしても、雑草を含め植物の種類を俺は知らない。ここは、下手に教えてしまうよりは知らないと答えるべきなのだろう。
「ごめん。この雑草の名前は俺も分からないんだ。」
素直に謝罪を口にすれば、彼女は少しだけ残念そうな表情を見せた後に、引っこ抜いた雑草を元あった場所に植え直していた。その様子を見ていると、表情が綻んでしまうのを自覚していた。彼女のその振る舞いに、精神的な保養を覚えたからだろう。
冷静に思い返してみれば、こうして誰かと日本語で会話するなど何年ぶりだろうか。いや、あの油田基地からの長い逃亡生活の中で、こうして腰を落ち着けて他人と話すことも、ひどく懐かしく感じる。
「ねぇユウスケ。」
「ん?」
死んでしまった三人と、はぐれてしまった二人の仲間を思い返し、若干上の空になっていた俺に、幸が再び話かける。
「それはなぁに?」
幸が指差したのは、俺の胸にぶら下がる仕事道具であり、大事な形見の黒い一眼レフカメラ。充電が難しい状況も想定したフィルム式の古いカメラである。いちおう、バックの中には最近買ったばかりのデジタル式のカメラと三脚が入っている。何故そんな重たい物をわざわざ首に掛けているのかといえば、決定的なシャッターチャンスに即座に対応するためというのもあるが、一番の理由はこうした方が落ち着くからだ。十年肌身離さず連れ添ったカメラであるために、むしろ身に付けていないと落ち着かない様になってしまった。これも一種の職業病か。
「これはカメラって言うんだ。シャッターを押すことで、景色を保存することが出来る。……そうだな、幸。こっちを向いててくれないか?」
小首を傾げながら、彼女は真っ直ぐ俺を見据える。俺も、カメラを構えてレンズを向ける。ファイダーの向こうでは、不思議そうな顔をした彼女が俺に向かい合っている。焚き火の光で十分明るいので、フラッシュはいらない。
パシャリ
時代と、歴史を経た味のあるシャッター音が鼓膜を揺らす。俺と五つ程度しか違わない歴戦のカメラだ。シャッター音一つを取っても味わい深い。今日も相棒の調子は良さそうだ。
カメラを顔から離して、肉眼で彼女と向き合うと、俺が何をしたのか分からないのだろう。キョトンとした顔で幸が俺を真っ直ぐ見ていた。
「これで写真が撮れた。まだフィルムもあるから現像はしないけど、写真ができたら改めて見せてあげるよ。」
そもそも、現像に必要な薬品を入手できるのか疑問はあるが、その時はデジタルの方で改めて撮影し、ディスプレイで画像を見せて上げれば良い。幸は、写真を見てどんな反応をしてくれるのか。今から少し楽しみだった。
翌朝。俺は日課の髭の手入れのために、荷物から髭反りを取り出す。ここ三週間、逃亡を余儀なくされ髭の手入れをする暇が無かったが、明らかに某国ではないここならば、反政府軍にも政府軍にも怯えずに髭を剃ることが出来ると俺は川原に向かう。きっと伸びきり、頬の部分に生えた乱雑な髭がみっともないことになっているのだろうと思い、顎に触る。
「ん?」
俺の顎の感触だ間違いない。慣れ親しみ、三十年近く共に過ごした頭蓋骨の形状。しかし、髭のザリザリ感がない。いつも残していた口髭と顎髭もだ。
「え?え?」
改めて顔をペタペタと触り、携帯を取り出してカメラを起動。自撮りモードにして自分の顔を確認する。そこには、十代の自分の顔があった。
「は?」
「どうしたの、ユウスケ?」
寝袋をクルクルと片付けていた幸が訊ねてくる。だが、この状況はどう口にするべきか。そもそも説明できるのか?
「な、なぁ幸。俺は昨日からこんな顔だったか?」
せめて確認だけでもしようと、彼女に訊ねる。すると一切の迷いなく彼女は「うん」と頷いて見せる。となればあの白い空間でか。しかし、若返るなんて事が有り得るのだろうか。そういえば、白い空間に入ってから、あんなに疲れていた体が、嘘のように軽くなっていた。もしかして、俺の体の時間が戻ったのだろうか。
疑問は尽きないが、まるで答えが分からない。分からないことを考えても仕方がないと切り替え、ひとまず他の人間を探さなければと自分のやるべき事を再度確認する。まずは髭剃りをしまって、朝食の用意からだ。
朝食は乾パンと砂糖を混ぜた白湯。幸には好評だったトマトスープを用意し、非常に簡素な形で済ませる。相変わらず、嬉しそうにトマトスープを食べてくれるので、用意しがいがあると言うものだ。短い朝食を済ませて、荷物をまとめると川沿いを下流に向かって歩き始めようとするが、ここで彼女の格好を改めて思い出す。服というには余りにお粗末なボロ衣。そして外を歩くには、あまり適していない裸足。このまま人里に行けば、俺は十中八九不審者の扱いを受けるだろう。確か、まだ着ていない着替えのシャツが一枚あったハズだと思い、再びまとめたばかりの荷物を開ける。バックの底から、黒い無地のシャツが一枚出てきた。そしてレインコートだが、緑色の上下一式。それらを彼女に手渡し靴ないし代わりになるようなものを探す。しかし、彼女の足を保護できるような替えの靴は見当たらない。流石に即席で靴を作れるような技術は持ってはいないため、どうしたものかと首を捻る。ネイティブアメリカンを祖父に持つ、同じ戦場カメラマンのブライアンは確か、簡単な靴だが即席でそれを作る方法を知っていた。共に立ち寄った難民キャンプで、子供達を相手に作り方を講義していたのを、遠目に眺めていたが俺もしっかり教えてもらうべきだったか。
「ケケケケケケケッ!」
笑い声?いや違う。俺は声のもとに顔を向ける。対岸の森の中からだ。幸も、急に聞こえた声に視線を向けていた。濃緑色の肌の身長一メートル程度の小人が、槍を持ってこちらを睨んでいる。
何者だろうか?と考える間もなく、小人は槍を構える。見たことのある構え、間違いなく槍投げの構えだ。それを、認識した瞬間、荷物を置き去りに幸を抱えて走り出した。彼女はキョトンとした顔で、渡しておいたシャツとレインコートを持って、俺にいわゆるお姫様抱っこをされる。次の瞬間には、小人の投げた槍が幸のいた場所を掠め取っていた。
「ウォッウォッケケケケ!!」
小人の声がまた響く。仲間でも呼んでいるのか?それとも狩りの合図か?合図なのだとしたら回り込まれている可能性が高い。
「カカカカカッ!」
最悪なことに、その予想は的中していた。下流沿いの川原に、俺の進行方向を塞ぐように剣と槍を手に持った二体の小人が現れた。
逃げるならどこに逃げる?然程広くはない川原で、足元にはゴロゴロした石で足元は危うい。しかし、森の中に逃げ込むことは避けたい。森はおそらく彼らのテリトリーであると考えたからだ。槍を投げてきた小人も、進路を塞ぐ小人も森から現れたのを見て、そう判断した。
足を止めて、上流に向けてUターンするか?いや駄目だ。槍を持つ小人がいる。背を向ければ投げ槍の危険に晒される。リスク、安全性、確実性。全てを天秤にかけ、最善策を模索する。リュックを持ってくるべきだった。あれを盾代わりに突っ込めば逃げ切れた可能性もあっただろうに。
「かっ、かっか!」
剣の小人が叫ぶ。と同時に進路を塞いでいた二体が飛び掛かってくる。想像以上の速さだった。避けきれないと自覚し、せめて幸だけでもと自分の背中を盾にしようと背を向ける。
「……ドゥヴァ ヴィ セロ」
幸が何か呟いていた様に聞こえた。だが俺は来るであろう痛みに耐えるために、全身に力を入れることで意識はいっぱいになっていたせいで、彼女が何を呟いたのかは分からない。
いつまで待っても痛みは来なかった。どうしたのだろうか?恐る恐る振り返るとソコには、グロテスクな彫刻が二体出来上がっていた。
ヒヤリとした冷気を纏って、地面から伸びた黒に染まった氷に、二体の小人は貫かれ更に内側からも枝分かれした氷に、体中風穴を開けられていた。思わず吐きたくなるような様だが、今はそれどころではないと頭を振り、幸を再び抱えて走り出す。一応、もしものために刃こぼれしてしまっている小人の使っていた剣を拝借して行く。助かったと思いながらも、突然出現した黒い氷に対する疑問は尽きないが、今は幸を連れて生き残ることが優先だと、まだ考えない様に努めた。
しばらくすると、森を抜けて草原に出た。こんなに早く森を脱することができたのは、不幸中の幸いだ。しかし、現実問題はかなり大きい。俺は装備の約九割を失ったことになる。今俺の手元にあるものは、フィルムの一眼レフカメラと、コンパス。ポケットに入っていた飴玉とメモ帳とボールペン、電池が残り一桁のスマートフォン、そして拝借したボロボロの剣だ。水は直ぐ側に清流があるから問題ないにしても、食料を全て失ってしまったのはかなり痛い。早急に人里を見付けなければ、俺はまだしばらく大丈夫だとしても、幸が栄養失調で危険な状態になってしまう。その前に食料を確保しなければならない。
「ウォォオオオオケケケケ!!」
ある程度距離を取った森からは、いまだに小人の声が響いてくる。森から出てこちらを追いかける様子は見てとれない。仲間の凄惨な死体を見て警戒したのか、それともただ単に自分達のテリトリーの外だから諦めたのかは分からないが、ひとまずは助かったのだろう。
落ち着けば、もしかしてあの小人はゲームなんかに出てくるゴブリンなのではないだろうかと思い返しながら考える。あの外見的特徴は、昔遊んだRPGゲームのゴブリンを、リアルにしたようだった。しかしゴブリン(仮)も謎だが、あの黒い氷の方が不思議だ。氷が張るほどの冷え込みは感じない。むしろ気候は暖かいくらいだ。そしてあの不自然な出現の仕方。ゴブリンの足元から生え、更に体内で枝分けれするその様は、明確な殺意を感じずにはいられない。更には黒という色。自然な色とは考え難い。少なくとも、俺は自分の生涯の中であんな色の氷は見たことがなかった。墨汁を凍らせれば、あんな色になるのだろうか?そして、氷が出現する直前に、俺は確かに聞いた。幸が良く分からない言葉を口にしていたのを。
「さっきの氷は、幸がやったのか?」
なるべく自然に振る舞うように意識しながら、幸に訊ねる。彼女はいつもと同じような表情で「うん。そうだよ」と言ってみせた。
魔法でも使ったというのだろうか。俺は軽い頭痛を覚える。何よりもちょっと前に俺がしていた仮説の、最悪な案が的中しかけていることに恐怖を覚え始めていた。
魔法、魔物、兎の耳を持つ少女、若返り。ここは、本当に地球ではないのかもしれない。
遅々として話進んでねぇじゃねぇかっ!!
と、自分で読み返しながら嘆息してしまうどうも私です。ご感想頂けますと、五体投地で感謝致します。
是非ぃ是非ぃ……