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悠遠の御伽噺  作者: じゅるり
5/10

刹那の夢路

 小さな約束をした昨日から、多少伽夜の様子が変わったような気がする。

 前までは絶対に離さないといわんばかりに抱きかかえられ、うっとおしいの一言がずいぶん似合っていたのに。今日はすぐ近くにはいるけどトリモチのようにべったりとはくっついて来ない。

 ずっと伽夜の顔色をうかがっていた悠夏も、伽夜が悠夏のことにやたらそうであるように、隣にいる神の変化にはずいぶん敏感ではあった。

 しかしその真意は分かりはしない。他人の気持ちを簡単に知ることができたら世間もずいぶん簡単に渡って行けただろうに、残念ながらそんなに簡単でないのが現実である。世知辛いこの世界では、たとえ神でも自分以外のことなんて想像することでしか理解しえない。


「月日は百代の過客にして行かう年もまた旅人なり、ね。」

 お互いの足先に任せて、昼下がりの人のいない時刻に、目的もなく住宅街をあちらこち歩いている時。伽夜がそうつぶやいた。

 なんとなく聞いたことはあるその言葉に悠夏は頷くこともなくただ耳を傾ける。

 確か、時は絶えず過ぎ行く、みたいなそんな感じの意味だったような気がする。時、伽夜の時...

 彼女は一体、どんな"時"を過ごしたのだろう?

「ねえ。伽夜が知ってる時代と今の時代、比べてみて何か思う?やっぱり昔のほうが良かったとか思うものなの?」

「いいえ?今も昔と大して変わらないから何も思わないわ。」

「変わらないの?」

「ええ。ただ見える景色が変わっただけで、ずっとずっとこの場所には昔と同じように人が住んでいて。そうねえ、ただそれだけ。それにこの地にそんなに興味もないしねぇ。」

 この辺りを納めていた神だというのに、彼女は恐ろしいほどこの地に無関心だった。そんな神のいる場所で、今まで無事に過ごせてきたことが奇跡にも思える。

 悠夏はなんとも言えない微妙な顔をして、伽夜の顔を覗き込んだ。

「寂しくなかったの?」

「いいえ?とくに。慣れてるもの。」

 とくに遊び相手もいなかった、巫女という家系の長女で育った生前を思い出して、伽夜は頬に手を当てた。


 実は悠夏が平穏に暮らしていたこの町、この場所には伽夜が生まれるまで神様なんてものはいなかった。

 納める者がいないからひたすらに荒れ果ててしまっていた場所だけれど、そこで生きたい人がいて。随分と大きな、"人の子を神にする"なんていう行きすぎた期待を伽夜に寄せてしまった。

 修行と称された苦行に日々泣いていたのを伽夜は思い出す。

 神無の地の巫女といえど、所詮人だというのに。神に成り上がれるはずはないのに。


 我儘ないしいたって普通の欲求、自分がしたい事があってもさせてもらえない。

 悠夏を自分勝手にしたりちょっと優しくしてみたりと振り回すように、自分を上手く抑制できない伽夜があるのは、すべて管理されてきたせいで自分でどうにかする術を知らないからかもしれない。


 人が思う神の像といえば、清く全くの邪もない善の象徴だろう。今はそうでなくてもかつてはそうだと思い込んでいた人が、伽夜を汚さないためにわざわざ社を建てて、そこに伽夜を閉じ込めてしまった。

 その社こそが今伽夜が住まう場所でもあるけれど。

 何かの間違いで神力を与えられて神格化するまで伽夜は与えられた自分の居場所の周辺すら分からなかった。もちろん友達なんてものもいないから、思い出となってやがての心を温めてくれるような記憶を抱く場所もない。

 そういうわけで今手中にある悠夏が住む街に思い入れなんてものが全くない。

 関心なんて持てるはずがないのだ。


 しかしこんな事を言ってしまえばなんとなく自分の心が苦しくなってしまう。言い様のない痛みはどう対処していいかわからないし気分が悪い。

 だから伽夜は笑ってごまかした。

「一人遊びは得意なの。」

「ふうん。例えばどういうことしてたの?」

「そうねえ、字を書いたり花を愛でたりかしら。」

 果たしてそれは遊びに分類できるのか。普段、いつもしている事と大して、いや全く変わらないじゃないか。

 もしかしたら自分には理解できない楽しみがあるのかも知れないけれど、いろんな刺激が溢れる現代っ子の悠夏にとってそれはとてつもなくつまらなそうに見えて仕方なかった。

「飽きなかったの?」

「...本心を言えばね。だけどよそに行ける訳でもないし他にやる事なんて見つからないの。」

 溶けてしまいそうなほど暇ねと、伽夜は青色吐息をつく。

 長い間一人でここにいて、案外窮屈な暮らしをしている伽夜がなんとなく可哀想に思えてくる。加えて好きな人、自分の先祖にも裏切られたとなれば同情というわけではないけれども悠夏の心が少し傷んだ。


 ところが神妙な顔つきで、せっかく珍しく悠夏が伽夜のことを考えていたのに、伽夜といえばすでに全く別なことを考えていた。それは少しばかり生き物の禁忌に触れるようなこと。

 少しだろうか?いいやよくわからない。曖昧にすべき事かもしれない。

 ただ、ユウカの素肌に触れ、そして零を超えた距離になりたい。一度でいいから。

 そんなことを考えていた。

 それを強く思えば思うほど心臓が鼓動を強め、血液が身体を熱くさせていく。この気持ちの名前をつけたい。できるだけ優しくて、先日に食べたアイスのように儚く甘い、そんな名前を。

 まあそれがすぐにできれば苦労はしない。それにそればかりを考えて、今ぼんやりしている悠夏の表情を見逃すなんてもったいないと、伽夜は新しい煩悩のために悠夏の手を取った。


 一週間も経ってないのに、あまりにも肌と肌が触れる時間が長すぎたせいだろうか。もはや手をつなぐことくらい2人の間では当たり前のようなそんなものになっていて、悠夏は突然片手の自由を奪われても何一つ動じない。伽夜は悠夏の手を頬に当てた。

「なに?」

「ユウちゃんの手は苦労を知らない小さな手ね。かわいい。」

「馬鹿にしてるのか褒めてるのか...」

「いいじゃない。綺麗に越したことはないのだから。自分にとって都合のいいことだけ受け取るのも大切よ。」

 そして軽く、手の甲に口付けをした。

「可愛い。」

「...そうかな。」

「私は神様よ?嘘は言わないわよ。」

「そっか。」

 悠夏は素直に照れる。

 わがままだし、何をしたいのかよく分からないし、やたらくっついてくるせいで、時々悠夏は伽夜が神であることを忘れてしまう。

 しかし神様なんていうものは伽夜にとってただの役職名のすぎない。だからどう思われてようと伽夜にとってはどうでもいい。


「ユウちゃんが思っている以上に私はユウちゃんの事知ってるんだから。だけどユウちゃんの口からユウちゃんの事を知りたいわ。」

「私のこと?話したら契約書くれるっていう約束、してくれるならいいよ。」

 少し強気な悠夏に思わず伽夜は表情を緩めた。

 悠夏"から"の約束事、それがどれだけ伽夜に意味を持つのかは誰にも知り得ない。

 頷いて、伽夜はその契約書を作るためにいつも通り胸元から半紙と筆を取り出す。いつもと違うのは、今回作るのは伽夜ではなく悠夏であることだった。

 慣れない筆に加え、手の平だなんていう不安定な場所で字を書く事が容易いことではないのは容易にわかる。そして不器用に四苦八苦する悠夏をいたずらな笑みで見守る伽夜の事も簡単に想像できる。

「下手ねぇ。」

 時間をかけてようやく出来上がった契約書への感想がその一言だけで、悠夏は恥ずかしさと悔しさに下唇を噛みしめる。しかしそれでも丁寧に朱印を押され、神の息吹をかけて、一つの契約書として取り扱ってくれたことが悠夏には嬉しかった。

 いつもの伽夜のミミズ文字よりもひどいその用紙を受け取り、そして一言『いただきます』を告げて悠夏は約束を一口頬張った。

 ただの紙なのに。墨は蜜のように甘く、半紙は砂糖のように唾液にとろけ、チョコレートのような芳醇な香りが鼻を通る。

 その味に虜になりつつある悠夏は、食事という無防備な姿を伽夜の前に晒してしまった。伽夜がその隙を逃すはずがない。

「んっ、」

 最後の一口を食べ終えて、伽夜は自分の唇と悠夏の唇を重ねる。上空では鴉が鳴いていた。

 もちろん悠夏は驚いて逃げようとするが、伽夜に頭を、体を抱かれて逃げようにも逃れられない。

 一体何が、何を、何と、何で。

 悠夏は今まで感じたことのない人の体温の感じ方をして、頭の中がはじけてしまっていた。

「うふふ。驚いた顔もかわいいわ。」

 長いような短いような時間を経て、ようやく伽夜は悠夏を解放する。悠夏は突然すぎて高まった拍動に合わせて呼吸を荒げ、呆然と、やたら瞬きの回数を増やし立ち尽くす。

「なな、な、に?」

「その約束はどんな味がするのかしらって思って。

 ...それだけよ?とーってみ美味しかったわよ。」

 その美味しいは自分か、それとも約束の味がか。

 きっと好きな人と初めてのキスをするんだろうとぼんやり夢見ていた悠夏は、突然に、しかも同性にキスをされて少なからずショックを受けていた。

「ぐるぐるしてるわねぇ、いじりがいがあって楽しいわ。」

 なんて言う伽夜も、表面はいつも通りに見えて内心は天にも登るような気持ちに浸っていた。

 好きな人と触れ合うこと。

 それが叶わなかった伽夜が、寂しくならないように自分で見えないように隠していた、心の底から本当に望んだこと。

 思い返せば、幸せだと思えたことがない人生だった。やりたいこともできず、初めて好きになった人には裏切られ、やがて人に忘れられ。

 愛おしい誰かと一緒の時を過ごして、自分の名前を呼んでもらい、そして触れる。たったこれだけを、伽夜は長すぎる星霜の中で何も言わず待ち続けていた。


 欲しかったものは手に入った。だからきっと、これ以上望もうものならきっとバチが当たるわ。

 実は臆病な伽夜は、足枷となって重りとなっていたものが無くなったような気がして、悠夏に見えないよう空に向かって笑う。

 悠夏は伽夜の事をほとんど知らない。だからもし自分の生い立ちを悠夏が知っていたら、何か変わるだろうか。

 しかし伽夜は自分の教えたくない事は言わないし、何も言わず自分で心の穴を埋めたがる。そういう日々が身に染み付いてしまっているのだ。

 臆病に加えて不器用な様は、もどかしさを感じる。

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