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悠遠の御伽噺  作者: じゅるり
4/10

神懸かりの舞

 廃れた神の朝は早い。

 社に着いた悠夏はあの後ひどい眠気に襲われて寝てしまったため、特に何をするわけでもなく終わった昨日の次の日。

 隣で布団に横たわる悠夏の眠りを妨げてはいけないと、良心がわがままな神の行動を一つ一つを静かにさせる。しかし悠夏は目を覚ましていた。

「起こしちゃったかしら。もう少し寝ていていいのよ。」

「あんたと一緒に随分規則正しい生活してちゃあ嫌でも朝早く目をさますよ...」

 ここに来て...いや、連れ去られてと言った方が正しいだろう。ほぼほぼ決まった時間に決まった事をする伽夜のルーチンに悠夏も巻き込まれてしまっていて、花の女子高生の特許、夜更かしは一度もできていない。

 おかげさまで日が沈んだら眠り、日の出とともに起きる早寝早起きに体が慣れ始めてしまっていた。

 家を出るときに持ってきたリュックにつけている、少し時間のずれた腕時計は朝の3時半くらいをさしている。

 あくびをして目をこすって布団からもそもそと出て、悠夏は脱いでいた靴下を履いた。

「ねえ、昨日も一昨日もだけどさ。あんたっていつもこんな朝早くどこ行ってるの?」

「お散歩よ。日課なの。」

「ふうん。暇だし一緒に行ってもいい?」

「え、一緒?」

 その言葉に伽夜は戸惑う。

 大げさかも知れないが、一緒に何かしようと誘いを受けたことは伽夜の記憶の中でほとんどない。だから一緒という言葉は長年一人だった神にはとても特別な事で、たったこの一言で伽夜は照れてしまって口元を袖で隠した。

 一緒、一緒。いい響きね。

 生娘のように頬を染めるその様子に悠夏も戸惑う。

「嫌ならいいんだけど...」

「嫌じゃないわ、嫌じゃないわよ。うふふ。そうねえ、それじゃあ一緒に行きましょう。

 その前にそれ、変えたほうがいいんじゃないかしら。」

 未だ照れる伽夜に指をさされて、悠夏は手首の包帯から血が滴りそうになっていることに気づく。

 血が漏れてる感覚なんてほぼ無いに等しいから、もしかして気づかない間に服を汚してないか慌てて確認をする。その後でリュックから新しい包帯を取り出して、伽夜に見られないようわざわざ後ろを向いて取り替え始めた。

 数学だの英語だの、たくさん学校で学ばなければいけないことはあるけれど。特に数学なんかは塾にまで行ってようやく満足できる点数を取ってるのに。たった一時間の雑学程度に習った保体の方が今ここで役に立ってるなんて。

 少しばかし複雑な気持ちになる。

 悠夏が悶々しながら包帯を変えている時。その間に伽夜は、悠夏の靴を揃えて外で待つ。

 家に帰った時にローファーから履き替えた、淡い赤色のスニーカーの紐を、一度解いてそれから綺麗に結び直して...元どおり並べる。そして何事も無かったように雑草に混じって咲く花を愛でていた。

 悠夏は自分の靴の紐が結び直されたことに気づかずに急いで履いて、花を前に句を綴る伽夜の元へ行く。ただ、悠夏にはそのミミズ文字が綴られた紙面は何か不穏なものにしか見えなかった。

「何してるの?」

「遊んでるだけよ。暇な時はこうして文字で遊ぶのよ。

 ...さあ行きましょうか。」

 静かな顔の裏に喜びを隠した伽夜は、悠夏の寝起きでまだ暖かい手を取り歩き始める。


 手入れのされていない雑林の中の社と砂利道は、伽夜が一人でずっと守っていた。

 社をはじめこの道は昔、伽夜のために作られた場所でだから、例え周りが時と共に変わっていこうとも伽夜は自分の居場所を隠し守っていた。

 この散歩は言ってしまえば見回りのようなもの。自分の場所が何者にも侵されていないか、変化はないか、きちんと守れているかを確認するために毎日夜と早の狭間に歩いていた。

 怒鳴る声も無ければ笑い声も無い、風と心臓の音しか無い世界で、今日は足音が二つ。ただそれだけで新しい道を歩いてるような心地に伽夜は浸る。

「もうここだけよ。私が生きてた時と変わらないのは。」

 もう少しで現実との境目に来る頃、伽夜は一輪咲いていた花を摘み、悠夏の髪に飾る。小さな白い花は悠夏の黒髪によく映える。悠夏が花に気を取られている間に一度、伽夜は繋いでいた手を離して袖から札を2枚取り出した。

「なにそれ。」

「お札よ。こうして毎日ここの木に札を貼るの。」

「どうして?」

「結界を張るためよ。」

 ようやく神らしい単語が出てきて悠夏は目を輝かせる。直後に実際は思ったより壮大なものでもないことに多少はがっかりするのだけど。

 そもそも結界とは自分にとって害のあるものから身を守るためのもの。伽夜が何かから自身を守るために、日課として結界を張っている事を悠夏は知らない。

 伽夜は雨風に多少擦れた札の上から新しい札を貼り、印を結んで二言の言霊をそれぞれの札に与える。

 これといって何か変異が起こるわけではないが、これで伽夜の日課の一つが終わった。

 一息ついて伽夜と悠夏は社へ戻った。


 いつからずっと一人だったかはもう忘れてしまったが、日課の散歩が終われば社に篭って文字を綴るか、花を愛でるくらいしか伽夜にはすることがなかった。

 だから伽夜は今隣にいる彼女の存在が、今までただ繰り返された日々の中入り込んだ悠夏の存在が、とてつもない喜びだった。

 そんな彼女には、できるなら自分の思い通りになってもらいたいし数十年を慰めてくれる存在であってもらいたい。ぽっかりと空いた時間や心を埋めてくれるそんな人であってほしく思い、そして今は悠夏に昔愛した人と同等、それ以上の何かを抱いていた。

 伽夜の心は、穏やかにざわついていた。

「ねえあんたってさあ、いっつも私の顔じっと見てるけど、何考えてるの?」

「別に何も。ただあなたを見ていちゃだめかしら?」

「...へんなの。」

 それは伽夜にも知っている。自分が昔からおかしいことに。だから今おかしいことをしたって何も変ではない事も知っている。

 あくまでも自己中な彼女は、どうしても悠夏に思考を合わせようという考えには至らない。


 ふと時計を見ると、針は10時前後を指していた。

 散歩から帰ってきてから社の中で、流石にそろそろ飽きたのか悠夏を抱きかかえるのではなく、綺麗な硯を用意しはじめる。伽夜はしっかりとシワもなく綺麗に敷かれた半紙に向かってサラサラと文字を綴りはじめた。

 昨晩悠夏が食べたものと同じ程度の大きさの半紙。伽夜は時折隣で聞こえるお腹の音を聞いて、クスクス笑って筆を走らせる。

 この地一帯の木々に生い茂る葉の数よりもずっと多くの文字を書き続けてきた伽夜の筆には、迷いは一切ない。

「飽きるほど字ばかり眺めて書いてきたけど。今日はなんだか楽しいわ。」

 最後に朱印を押して、伽夜は出来上がった紙面に吐息をかける。たちまちにできてしまったその契約書に昨日の感無量な甘味を思い出して悠夏は目を奪われた。

 だけどその契約が、約束が悠夏にとって難しいものなら結ぶことができない。だから今すぐ食べたいのをこらえて、悠夏は伽夜に差し出された文字を見た。そして拍子抜けした顔をする。

「...たったこれだけなの?」

「ダメかしら。ユウちゃんったらいっつも私のことをあんたって呼ぶんだもの。だから、ね?」

 "伽夜と呼ぶこと"。それが約束の中身だった。

「まあ。あなたにとって私は厄災のようなものだし、嫌ならあなたのそのうるさい虫を黙らせるために別のを考えるわよ。」

 長い間自分の名前を呼ぶ者は誰もいなくて、そもそも伽夜を知ってるものは誰一人いない。

 きっと今の悠夏ならこの程度の小さな約束を今すぐ結んでくれるだろうとは思うけれど、恥ずかしさに別を用意するだなんて咄嗟に言ってしまったことを伽夜は少し後悔する。

 しかしいわゆる自爆をしてしょげる伽夜を横目に、悠夏は黙ったまままた昨日と同じように朱印を押し、伽夜の目の前でその紙切れを完成させた。

「これでいい?」

「ええ。

 でもユウちゃんったら変な人ね。誰も私の名前なんて呼びたがらないのに。約束しちゃったらちゃんと呼ばなきゃダメなのよ?」

「別にいいよ。今更だけど人のことあんたって言ったらダメって昔怒られたの思い出したし、それにお腹すいたし。」

「なんだ、そんな理由ね。ふふ。」

 また袖で口元を隠して伽夜は安堵する。

「ところでユウちゃんは私の名前覚えてるかしら。」

「伽夜、でしょ?」

「はい、御名答。さあ私との約束を召し上がれ。」

 餌を目の前に待ちわびた犬のように、その一言を待ってましたと言わんばかりに悠夏は目を輝かせる。いや、延々と餌を待ちわびてたのは伽夜の方かもしれない。

 お互いにやがては消える欲しいものを手に入れ、満たされて、至福の吐息を漏らしてえも言われぬ余韻に浸っていた。

 やっと、やっと自分を呼ばれて嬉しい伽夜は悠夏の全てが愛おしくてたまらなくなっていた。

 なるほど、悠夏が好きだ。

 食後に満足げな顔をする彼女にそっと体を寄せもたれる。思慕に染まる伽夜の頬は、少し赤く熱くなっていた。

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