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悠遠の御伽噺  作者: じゅるり
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狭小の古今

 神様というのは生真面目な者が多そうに見えるが、実は大してそうでもない。現に神話に出てくる神々は、自分の欲に忠実で神といえどひどく人間味を帯びて、なんとなく親近感さえ湧く。

 細い砂利道と手入れのなってない雑木林の中にある、廃墟といっても誰も否定しないような小さな社にいるこの神も、随分と自分の欲に忠実だった。

 黒く艶やかな髪、微睡んでしまいそうな柔らかな香りのする着物に身を包み、その神は制服を着た一人の少女を抱きかかえて頭を撫でる。

 少女は眠たそうな顔をしてはいるがいささか不機嫌そうな顔もしていた。

 神の名前は伽夜。うっとりと少女を眺めるその目は慈愛に満ちていて、この世の愛の極みさえ感じる眼差しだった。伽夜はこの時が永遠に続けばいいのにと時折ため息をつく。

 猫のように丸められて抱きかかえられている少女は名前を悠夏という。悠夏はそのため息をなんど浴びたことだろう。慣れたのか諦めたのか、目を閉じて多少眉をひそめるだけだった。


「ユウちゃんはどうしてそんなに可愛いのかしらね。」

 これも何度目だろう。可愛いと言われるのがこんなにもうんざりするものとは思わなかった。今度は悠夏が深くため息をついて、疲れた顔で伽夜を見上げる。

「帰りたいんだけど...」

「ダメよ。まだ物足りないんだもの。帰っちゃダメ。」

「でも...」

「だめ。ひっぱたくわよ。」

 このやり取りも何度目だろう。ずっと伽夜の膝の上に抱かれることを強いられ続けている悠夏は、またため息をついた。


 悠夏はつい最近までは勉強に明け暮れる日々を過ごしていた。

 7月の始まりの風が吹くこの頃、まだ高校二年生の彼女をとんでもない理不尽が襲ったのは、彼女が寄り道なんてしたからだ。

 塾帰りに初めて見る小道を見つけて、好奇心で彼女は雑草だらけの砂利道に足を向けてしまった。

 舗装され整備された道しか歩いた事のない現代っ子の悠夏は、ローファー越しに感じる慣れない砂利の質感と、踏むたびに響く石と石が擦れる音に童心に帰る。

 気にする周りの目が無いから、時々跳ねてみたりくるくると歩いていると、悠夏は夏の夕暮れの風とともに現れた伽夜と出会ってしまった。

「こんばんは。」

 それが二人の出会いの最初の言葉。そして呪いの言葉になった。その呪いは今も悠夏を縛り続ける。伽夜は悠夏を縛り続ける。


 呪いを具現するように、今伽夜に抱かれている悠夏の首と手首には、手枷や首輪のように包帯が巻かれている。別に怪我だとかそんな優しいものはしていない。

 17歳の多感な年頃、周りの目を気にした悠夏が伽夜に刻まれた、呪印と言う名のぽっかり空いた穴を隠すために付けていた。

 伽夜はその印を隠されることについては特になんとも思ってはいない。伽夜にとっての問題は、呪印が有るとか無いとかではなく、今ここに悠夏が居るか居ないかだったからだ。


「今日のお夕飯はどうしましょうか。」

 悠夏の腕を取り上げて、伽夜は血で少し赤黒く滲む包帯を解く。そして露わになった細い手首を白玉を見るようにうっとりと、眺める。

 一方で悠夏は汚いものを見るような目と恥じらう顔で見る。伽夜は悠夏のこの顔が好きだった。

「お魚なんていかがかしら。」

「魚は好きじゃない。」

 手首の穴から小さく滴る悠夏の血を、伽夜は細い指ですくって舐める。

 自分の血を他人に舐められるなんてどんな気持ちだろう。それも美味しそうな顔をされたら。

 こんな生活が始まってから3日ほど経つけれど、悠夏は伽夜がする行為は嫌悪感ばかりで少しも理解できないでいた。

「育ち盛りでしょ?ワガママしちゃダメよ。」

「ワガママじゃないし...そもそも食べられないじゃん。」

「あら、どうして?」

「とぼけないでよ。」

 棘のある声色で、悠夏は薄ら笑みを浮かべる伽夜から腕を取り戻す。そしてだいぶボロボロにへこたれてしまった包帯で手首を巻いて、呪印を隠した。

 腕の穴の中を見ようとすると少し黒い靄がかかったように見えにくくなってしまうこの呪印からは、常に血が漏れ出る。だから包帯は、血で周りを汚さないためにも悠夏にとって必要なものだった。

「あんたがこんな体にしたからでしょ!」

 伽夜が悠夏に叩きつけた呪いは、契約書しか口にすることのできない呪い。伽夜が悠夏と婚約の契りを交わすために"言葉の力を司る"神らしくその呪いをかけた。

 そういうわけでしばらくまともに食べることができていない悠夏は、例の呪印のせいも相まって貧血気味で、少し声を荒げただけでめまいを起こす。

 フラフラと重たい頭を抑える悠夏を伽夜は抱え直してそっと唇に指を置き、背中を優しく叩く。

「しーっ。怖い声出しちゃダメよ?」

 興奮した犬をなだめるように伽夜はそうする。

 頭を撫でられてなだめられてしまうのは、相手が嫌いではあっても少し心地がいいもので、伽夜の胸にもたれて悠夏は回る世界が止まるのを待った。


 私は伽夜に呪われるようなことなんて何もしていないのに。私は悪くないのに。なのにどうして私がこんな目にあっているのだろうか。

 ぐるぐると考え込んでしまう彼女は不憫で仕方がない。

「...ああ、ユウちゃん、その顔を見せて。なんだかその顔、とってもあの人に似てるの。よくあの人もその顔をしてたのよ。」

 伽夜は時々、"あの人"という言葉を口にする。悠夏の不憫は全て"あの人"にあるのだけど、あの人とは悠夏の祖先、伽夜が初めて恋して、そして裏切られた人のことだった。

 悠夏は伽夜が昔悠夏の先祖がしたことに対しての呪いを突然叩きつけられて、続くと思われた平穏をぶち壊されてしまったのだ。やはり不憫である。

「あの人もよくそうやって無関心とか恨みがグルグルに混ざったような目で私を見ていたわ。私ったら神様なのにね、ひどいわ。」

 少しずつめまいが治まってきた悠夏は、まさに伽夜が言ったような目で睨める。しかし伽夜はもうそんな眼差しには遠い昔の時に慣れてしまっている。

 今ではそんな目でさえも愛おしいものの一つで、その顔のために伽夜はきっと悠夏になんでもするだろう。別に悠夏に尽くすわけじゃない。

 きっと伽夜のことだから悠夏を弄…ぶのだろう。


 愛おしさと怨みとが混ざって、束縛され優しく愛でられる。

 これが今後も、しかもいつまで続くのか分からない不明瞭な未来に、悠夏はこの歳で死とはまた違うが途方も無い絶望を覚えてしまった。

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