第五話
ぞるり、アパップが己の身体に付いた酒を指で掬い、舐め取る。
思わず俺は顔を強張らせた。豚で出汁を取った酒など、金を出されたって呑みたくなど無い。
だがアパップはそうではないようで、満足そうに高笑い。
「ははは! そうじゃなくちゃあ面白くねぇ。この酒を間抜けに被るような腑抜けなら、問答無用で張り倒してた所だぜ」
「そうかい。じゃあもう良いか? 俺は今日も依頼を受けたいんだ、お前に構っている暇はないんだよ」
「連れないこと言うなよ。それともあれか? 自分と同格の相手とは怖くて話も出来ないか?」
露骨な挑発だ。当然、流す事も出来た。
だが。次に放たれた言葉だけは、どうしても聞き逃す事は出来なかった。
「ま、所詮は魔法剣なんてガラクタ使ってる奴だ。それも当然かもなぁ!」
はっはっは、と豚がもう一度高笑いする。
この豚は今、何て言った……? ぶひーぶひーと、喚いたのか……?
「おい」
「あ? 何だ、反論でもあるのか――っ!」
豚が、見た目に反し機敏に上半身を大きく逸らす。
ちっ。仕留め損ねたか。無駄にすばしっこい野郎が。
「おいおい、いきなり剣を抜くとは。穏やかじゃないな?」
「黙れ。先に喧嘩をふっかけて来たのはお前だろうが。そして何より、お前は魔法剣を馬鹿にした!」
突き出した剣を戻し下段に構える。
全身に魔力を漲らせ、何時でも戦える体制を整えた。この手の人間相手に言葉での説得は無駄だ、結局は力で分からせる、それしかない。
そう。魔法剣こそが最強だということを!
「魔法剣は俺の魂だ。それを馬鹿にする奴は、誰であろうと許さねぇ!」
「言うねぇ、小僧。だが俺は自分の言葉を訂正する気はないぜ? なんたって事実だからな!」
更なる挑発に、俺の理性はぶち切れた。
魔力が渦を成す。魔法剣士の基本技能の一つ、身体活性によって大きく肉体を強化し、明確な敵意をもってアパップを睨み付ける。
奴が軽く口笛を鳴らした。
「ヒュー。デッドオーバーの称号は伊達じゃないってか? だったら俺も、少しばかり本気を出さなきゃならんなぁ!」
豚が一度上げた両腕を、勢い良く振り降ろす。
そうして腰の脇に付けた手甲を装着すると、拳打の構えを取る。
「メインは拳士か……」
「おうともよ。お前の小さな頭なんざ、一発で捻り飛ばしてやるぜ?」
不敵に笑うアパップは見た目に反し隙が無い。流石はSランク冒険者、といった所か。
図体の差を考慮しても、剣を持っている此方の方がリーチでは有利だが……それも所詮は一歩で消える程度の差だ。
気を引き締める。油断すれば、本当に負ける。こいつはそれだけの相手だ。
(だが。だからって、今更和解の道は有り得ない! ぶっ飛ばして床に頭を擦り付けて謝らせて、魔法剣こそ最強です。って宣言させてやる!)
内心、気合を入れる。
と、警戒し中々動かない此方に焦れたのか、アパップが右腕を振りかぶりながら突っ込んで来た。
「びびってんのか? ならこっちから行くぞぉ!」
「誰がびびってるんだ、この禿げ豚ぁ!」
俺も合わせるように飛び出し、勢い良く剣を振るう。
激しい金属音を鳴らし、剣と拳がぶつかり合う。しかし体格差もあってか、パワーで負ける俺の剣は呆気なく弾かれる。
「ははっ、脆弱脆弱ぅ!」
「舐めんな、手前の拳はスピードが足んねぇんだよ!」
素早く剣を引き戻し、再び振り下ろされたアパップの拳に叩きつける。
それは弾かれるが、同時に奴の拳を止める事にも成功した。
これで良い。単純に打ち合えばパワーの差で此方が負ける、だが見た目通り鈍重で大振りな奴の拳よりも、此方が振るう剣の方がスピードは上だ。
ならば手数で優れば良い。少しずつ押し込めて、最終的に奴の厚い脂肪を切り裂けば良いのだ。
「どうした! 手数が売りの拳士が、数で負けてるぞ!」
「喧しい。俺は一撃の重みに賭けるタイプなんだよっ」
反論したアパップの放った拳は、一層の力と共に俺の剣を叩いた。
数瞬、拮抗する。が、結局押し負け、俺は大きく組合の中を吹っ飛んだ。
「野郎……っ」
器用に空中で体制を整え、滑るように着地。
顔を上げれば、目の前に壁が迫ってきていた。
テーブルだ。一辺一メートルはある酒場のそれを、アパップは投げつけてきたのだ。
「ちっ、面倒な!」
縦に切り裂きテーブルをやり過ごす。
だが見えたアパップは既に、次の弾に手を掛けていた。
「おら、まだまだ行くぞっ」
次々と宙を飛ぶ茶色い弾丸。それを組合中を走り回り、回避する。
あちらこちらから他の冒険者達の悲鳴が上がったが、知ったことか。今は構っている暇は無い。
「こんの……っ。なら、こっちだって!」
走りながら、近くにあった酒瓶を掴み取る。
そうしてそれを、アパップ目掛けて思いっきり投げつけた。
「ああ? なんだ、酒をくれるのか!? ははは、これはありがてえ!」
嘲笑する奴に向かって飛ぶ真っ赤な酒瓶。
その後ろに隠れるように、俺は魔力で造った小さな弾丸を追随させる。
攻撃の為では無い。こんな物が当たったところで、アパップには少しのダメージも入りはしないだろう。
これは、次に繋げる為の布石だ。
「我今、招来す。万象砕く、光の天使!」
剣に手を走らせる。刃が、白い光を纏った。
同時、酒瓶に追いついた魔力弾が瓶を粉々に打ち砕く。中身の酒がアパップの顔面へと降り注いだ。
「目くらましかっ。畜生がっ」
「魔法剣――ルニルクトロス!」
奴が顔に付いた酒を拭う一瞬の隙に、接敵。
軽く跳び上がると、輝く愛剣をアパップ目掛けて振り下ろす。
「これでも喰らえ、この糞デブゥゥ!」
「ぬぉおおっ!?」
咄嗟に防御した奴の手甲へと、俺の剣が激突する。
けたたましい音を鳴らし、火花が散った。じわり、アパップの脚が後退し、床に靴跡を残していく。
「ぬう!? お、押され……」
「これが俺の、魔法剣だ――!」
気合の雄叫びと共に、俺は剣を振り切った。
今度は豚が、組合の中を吹っ飛んでいく。どでかい砲弾は、人もテーブルも軒並みなぎ倒し、壁にぶつかる事で漸く停止した。
ずるり、潰れた蛙のように壁に張り付いていたアパップが床へと落ちる。
俺はその場で剣を奴に向け、はっきりと告げてやった。
「どうだ? 理解したか? これが本物の魔法剣だ。そこいらの連中が使っている拙いものじゃない、本物の。最強の、魔法剣だ!」
「いや、そこいらの連中は、そもそも魔法剣自体使わないけど……」
余計な口を挟んだ冒険者をぎらりと睨み付ける。
ひんっ、と悲鳴をあげ、男は即座に口をつぐんだ。魔法剣を馬鹿にするような事を言うんじゃない、このボケが。
そそくさと逃げ出していく冒険者に鼻息一つ。本命の相手へと向き直る。
「で? 謝る気にはなったか?」
「ぐふふ。まさか」
軽い調子で立ち上がるアパップ。
分かっていた事だ。派手に吹き飛びこそしたものの、大したダメージにはなっていない事は。
調子を確かめるように、アパップが幾度か首を回す。
「威力はあった。それは認めよう。だが、それは魔法剣が強いからじゃない。お前が強いからだ」
ぴくり。片眉を跳ね上げる。
「どんな弱い技能とて、強者が使えばそれなりのものにはなる。当たり前の事だ。結局、魔法剣が弱い、それ自体に変わりは無い」
「まだ言うか。ならその減らず口、二度と利けないようにしてやろう……っ!」
「無理だな。無理無理。お前自身は俺と同格だ。詰まり!」
そう言うとアパップは傍にあった酒瓶を掴み取り、その中身を一気に煽る。
更に、僅かに身を屈め、全身に力を籠めだした。
「俺が優れた技を使えば、お前の敗北は確定する、って事だ!」
筋肉が隆起する。
脂肪ばかりのはずの身体に血管が浮かび、身体が赤く染まって行く。
まるで茹蛸のようだ。出された所で食べる気にはなれないが。
「燃料投下。赤熱剛体化法―― 灼 銅 !」
遂には全身から蒸気まで立ち昇らせて。アパップの技は完成を迎えた。
(剛体化法……拳士や戦士が良く使う、身体硬化の技法か。あれはどうやら、それを奴独自に改良したものみたいだな)
冷静に分析しながら、俺は静かに剣を構えた。
どうやら此処からが奴の本気らしい。明らかに先程までとは気迫が違う。
「だが、それがどうした。勝つのは俺だ。魔法剣だっ!」
「ははは! そのちんけな魔法剣信奉、打ち砕いてやろう!」
アパップが拳を振りかぶる。
俺もまた、輝く剣を振りかぶった。
そうして二人、真正面からぶつかり合う。
――轟音が、組合中に響き渡った。
~~~~~~
「あああ……大変な騒ぎに、どうしましょうどうしましょう」
暴風吹き荒れる組合の隅っこで、女性職員は困ったように一人ごちていた。
一階の酒場は、激突する二人の余波によってボロボロだ。職員の彼女としては何とか止めたいが、あの渦中に飛び込む事は正に自殺行為に他ならない。
思わずおろおろと、その場を右往左往する。
と、そんな彼女の隣に誰かが並ぶ。
「へーえ。面白い事になってるじゃないか」
「あ……ノ、ノッブさん!」
暢気に呟いた青年の名は、ノッブ。女性も知る、有名なAランク冒険者だ。
実力者の登場に女性の顔は喜色に染まった。彼ならばあの常軌を逸した戦いにも介入出来るのではないか、と考えたからだ。
早速、思いをそのままぶつけ、ノッブへと縋りつく。
「お、お願いしますノッブさん! あのお二人を止めてください!」
「んん? 何で俺がそんな事を……」
「お願いします! 組合長も所用で出ていて、今頼れるのは貴方しかいないんです!」
女性がそう告げれば、ノッブは顎に手をやり、数秒考え込む。
そうして難しい顔で問い掛けた。
「戦ってる二人。あれって片方はマサキ・コウノだよな? 魔法剣の」
「は、はい」
「じゃあもう一人は誰だ? デッドオーバーと互角に戦っている、あの豚みたいな奴は」
「ぶ、豚……。ええと、あちらはアパップ・ペルミーさんです。Sランク冒険者で、正式な授与はまだですが、デッドオーバーの称号も得ています」
「何……? 本当か?」
鋭い目で問われ、女性はコクコクと何度も頷いた。
するとノッブは、面白そうにニヤリと笑みを浮かべる。
「気が変わった。止めてやろう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。ただし――二人共ぶちのめして、だ!」
ノッブの身を、気――彼曰く『オーラ』が包み込む。
「ぶ、ぶちのめす!? ど、どうして!?」
「どうして? 決まっている。俺が……俺こそが『最強』だと、証明する為だ!」
女性の知らない真実。
ノッブは、最強厨だった。
自分こそが最強だと信じ、それを皆に認めさせる為、彼は迷い無く参戦を表明する。
組合が荒れる事などどうでも良かった。彼にして見ればそんなもの、自身の最強を証明する事に比べれば塵にも等しい。
「チェンジ・ザ・ズトロンゲスト!」
ノッブが両腕を頭上に掲げ、交差させる。いつの間にか右手には、カードケースのような小さな金属塊が握られていた。
「ド ラ ゴ ン ド ラ イ ブ ! !」
言葉に合わせ両腕を幾度か動かした後、カードケースを腰横に付けたケース、その窪みに上から装填する。
途端。ノッブの纏っていたオーラが光を増し、彼の身体を覆い隠す。
やがて、光が弾けたその時には――
「装着、完了!」
ぴっちりとした全身タイツの上から金属の鎧を纏い、頭部には竜をモチーフにしたフルフェイスのメットを付けた、ノッブの姿があった。
「さあ、行くぞデッドオーバー共ッ。俺こそ最強! ドラゴンのノッブだぁあああああああああ!!」
叫んで走り出し、近くのテーブルを踏み台に急加速。
大きく飛び上がると、彼は未だ続く二人の戦いへと飛び込んでいってしまう。
「あああ、更に酷い事に……どうしましょう、どうしましょう」
その結果、女性職員は更におろおろしていた。
どうなる、冒険者組合!
用語解説のコーナー
『アパップ・ペルミー』
男。三十八歳。
最近王都にやって来た、Sランク冒険者。メイン属種は拳士。本編開始とほぼ時を同じくしてデッドラインを討伐しており、デッドオーバーの称号授与が決まっている実力者でもある。
でっぷりと太った身体に禿げ頭、顔も厳つく、その姿はまるで山賊のよう。実際性格も暴力的で大雑把だが、義心も確かに持っており、決して悪人という訳では無い。
戦闘スタイルは基本殴打。篭手を着けて物理で殴る。後は蹴ったり投げたり……見た目通りのパワータイプ。
賭け事に弱いという弱点がある。なのに賭け好き。その為収入の割りに、いつも懐は寂しいそうだ。
『ノッブ』
男。二十三歳。
名の知れたAランク冒険者。気を形にし鎧を作り出すという、稀有な能力を持っている。
自らを『ドラゴンのノッブ』と呼称し、最強を自負する男である。でも冒険者ランクはA。勿論デッドオーバーの称号も持っていない。
姿のイメージは某・仮面なライダー。性格は全然違うけど。
『魔法剣 ルニルクトロス』
マサキが生み出した魔法剣の一つ。光の魔法剣。
専用の光魔法を剣に纏わせる事によって、破壊力を強化する事が出来る。また、死霊や邪悪な存在に対する特攻効果もある。
最大出力にすれば、数百メートルを超える超特大ホームランが打てるらしい。ただし打った物体は粉々。
名前のルニルクトロスとは、この世界における大天使の名前である。ふんわりした翼にスケスケの格好がちょっとエロイ、優しい女の子。