第四話
次の日。俺はふかふかなベッドの上で目を覚ました。
切欠は声だ。太陽のように明るく、羽毛よりも柔らかで、聖人よりも優しい。そんな理想的な少女の声。
「朝ですよー、マサキさん」
軽い音を鳴らし、カーテンが開かれる。
窓から差し込んだ光に、俺は遂に観念してベッドから身を起こす。
――天使と目が合った。
黄金色の髪が朝日を受けて輝いてる。エプロンを着け微笑む姿からは偉大なる母性が感じられ、背負う後光が翼のように広がっていた。
控えめに言って、大天使だった。彼女の尊さに比べたら、どこぞのロリコン年増の美貌など排水溝にこびりついた汚泥程の価値も無い。
口元が緩む。自然漏れ出た笑みと共に、俺は驚く程穏やかな声で応えた。
「おはよう、ネア」
「はい。おはよう御座います、マサキさん」
今日は、良い一日になりそうだ。
~~~~~~
朝食を追え、ネアにいってらっしゃいと手を振られ家を出た俺は、とある知人の家を訊ねていた。
蔦の張った、レンガ造りの大きな家屋だ。
正面にある鉄扉を開ければ、陰気な空気が俺を出迎える。
「相変わらずだな。少しは陽を入れれば良いだろうに」
此処は何時もそうだ。家主の意向で閉め切られ、じめじめと薄暗い。
まあ、偶にしか来ないので強く注意する気もないのだが。家の事は家の人に任せるのが一番だろう。
「いらっしゃいませ、マサキ様」
と、中に入って数歩進んだ所で、声を掛けられる。
家主では無い。その従者である、若い女性だ。
フリルの付いた給仕服に身を包み、丁寧に礼をする彼女に、軽く手を上げ応える。
「お邪魔します、シャルさん。あいつは何処に?」
「主ならば、研究室に。おそらくまだ寝ているものかと」
またか。本当にあいつは夜型の人間だな。
「入って良いのか?」
「マサキ様であれば、構いません」
「そうか。なら、遠慮なく」
場所は分かっているのだが、一応案内してくれるのだろう。
歩き出すシャルさんの後ろをテクテクと付いて行く。目的の部屋へは直ぐに着いた。
扉を開けたシャルさんに促され、研究室へと踏み込む。
「おい、テトラリテイジー。聞きたい事があって来たぞ」
「う~ん……ん~う……」
雑多な室内を見渡す。あらゆる場所に本や研究器具が散らばっており、正に足の踏み場も無い。
だが声から判断するに、この塵溜めの中に目的の人物は居るようだ。寝息から察するに……。
「そこら辺か」
「あいたっ!? ……んんぅ? 誰だ誰だ~、私の眠りを妨げるのはぁ」
剣の鞘で適当な紙束の山を小突けば、確かな手応え。
ばさりと山が崩れ、この家の主が現れる。彼女は黄緑色の髪を気だるげに掻くと、眼鏡越しの瞳を此方に合わせ欠伸した。
「あれ? マサキ君じゃないかあ。なーにしてんの?」
「聞きたい事があってな。ちょっと立ち寄った」
そう言えば、彼女はふあぁと暢気にまた欠伸する。
彼女の名はノイエン・テトラリテイジー。数年前に素材採集の依頼を受けて以来、ちょくちょくと付き合いのある……知り合いだ。
本来ならば友人、と言ってもおかしくない関係なのだが、そう言うと調子に乗るので、俺は知人という態度を崩さない。多分見抜かれているので、あまり意味の無い抵抗だが。
眠たげな目を擦りながら、テトラリテイジーが背伸びする。
「へぇ、聞きたい事。面白い事かい?」
「多分な。俺にとってはそうでもないが、お前にとっては興味深い事だ」
そう告げた途端、彼女の瞳に光が宿った。
どうやら眠気は覚めたらしい。そうでなければ此方が困る。
「お前がこの間俺に見せ付けてきた発明品。覚えているか?」
「ああ、『銃』の事? どしたの急に。あの時は君、特に興味なさそうな顔してたじゃん」
「そうだな。けど、少々事情が変わった」
テトラリテイジーは『錬金術士』だ。
そして同時に発明家でもある。それもこの世界有数の。
そんな彼女が先日自慢して来た発明品、『銃』。その未熟な武器よりも、数段どころでは無く洗練された兵器を見つけたと、俺は昨日の事をかいつまんで話してやった。
ぽかん。彼女の唇が間抜けに円を描く。
「いやいやいや。自分で言うのもなんだけど、私はすごーい発明家だよ? その私が画期的な発想と卓越した技術を以って造り上げた革命的な一品が、数世代は時代遅れ? そんな馬っ鹿なー」
「現実逃避している所悪いが、事実だ。あれはお前の創ったものよりも数段上の銃だった」
「いやいやいや。え、本当に?」
「本当に。間違い無くだ」
断言して漸く、彼女は虚空に向けていた視線を此方に戻す。
気持ちは分かるよ。俺だって、自分の魔法剣が型遅れの骨董品だと言われればそうもなる。
が、事実は事実だ。きちんと受け止めてくれ、でないと話が進まない。
「あー、うん、そうかぁ。本当かぁ……」
「まあ、何だ。後で食事でも奢るよ。それで元気出せ、な?」
露骨に落ち込む姿に、つい励ましを送っていた。
彼女が滅多に外に出ない、引きこもりだと知っての発言だ。要するにさらさら奢る気など無いのである。
「大丈夫、大丈夫。私は落ち着いているよ。で、聞きたい事っていうのは、君の見たその銃の事?」
「そうだ。……断言しておいて何だが、俺だってまだ信じられない位なんだ。あんなものが実用化されているなんてな。だから、俺の知る限り最も『銃』について詳しいであろうお前に意見を貰いに来たんだ」
「う~ん。意見、かあ……」
数秒俯き、腕を組んで考え込む。
が、直ぐに顔を上げたテトラリテイジーは、難しい顔で切り出した。
「君の話通りなら、それは確かに銃みたいだけど。でも、幾ら何でも高度過ぎる。速度、精密性、連射力。どれを取っても今のこの世界の技術じゃ不可能だよ」
「お前でもか?」
「う~ん。実物を時間を掛けて解析すれば、不可能じゃないかもしれないけど。でもそれにしたって、全く同じ品を造るのはちょっと厳しいかなぁ」
こいつでそれなのか。
となるとオリジナルを造り上げた人間は、どれほどの技術を持っているというんだ。
「実物は持ってないの? それを見ればもう少し分かるかもしれない。もしかしたら、意外な発想一つ加えるだけで出来上がる物なのかも」
「残念ながら、物はあの魔女に渡しちまったよ。あいつも馬鹿じゃない、多分今頃は国の研究機関に渡っているだろう」
「そうかー。なら直接、そっちに赴くしかないかなぁ」
俺は一瞬、自分の耳を疑った。
直接赴く? こいつが、重度の引きこもりのこいつが、外部の施設に?
「お前、あまりの衝撃に頭がいかれちまったのか?」
「酷いなっ。私の天才的頭脳は今も問題なくフル回転しているよっ」
じゃあ何で外に出るなんて言い出すんだ。普段は全てシャルさんに任せている、お前が。
「流石の私でも、国の研究機関に対し『研究対象を持って来いー』何て言えないからね。外に出るのは嫌だけど、ほんっとうに嫌だけど、それでも出るだけの価値があると君の話から判断した訳さ」
「引きこもり更生の手伝いが出来たと喜ぶべきか、面倒な人間を野に放っちまったと悲しむべきか。難しい所だな」
「失礼な。私はそれほど問題児じゃないよ」
それほど、ね。多少は自覚があるようで何より。
(でもこいつ、以前この家を出た時。十分で八回も事故を起こしたしなぁ)
転んで屋台に突っ込む、携帯している薬品が爆発する、蹴った小石があれよあれよと物をドミノ倒しして、遂には家屋が倒壊する。
小さいものから大きいものまで、こいつが外を出歩くだけでほぼ一分に一回のペースで何かしらの問題が起こるのだ。
死人や怪我人が全く出ない所は不可解な位に幸運だが、あの全てが偶然ということはまずあるまい。テトラリテイジーはもう、外を歩くだけで破壊を撒き散らす疫病神なのだ。
(引きこもっていた方が幸せだよなぁ。こいつの為にも、皆の為にも)
とはいえ、例のゴーレムについての情報が欲しいのもまた事実。
被害に遭う人達には、ご愁傷様と手を合わせておくしかないか。何より本人がやる気だし、言った所で聞かないだろう。
「それじゃあ、俺はもう行くよ。何か分かったら教えてくれ。不在だったら冒険者組合の組合長にでも良い」
「了ー解。その時は連絡を入れるよ」
ひらひらと手を振る彼女に軽く手を振り返して。俺は、この家を出るため歩き出し――
「遅くなりました。今、お茶を――きゃっ!?」
「しまっ――!?」
タイミングよく部屋に入って来たシャルさんとぶつかり、二人揃って床に倒れた。
「「…………」」
目が、合う。まるで俺がシャルさんを押し倒したような形で、息が掛かるほど近くで。
「……ぁ、あの」
と、じっと動かなかったシャルさんが、僅かに身じろぎ。
「その、退いて頂けると……」
「あ、ああ、すいません。直ぐに」
慌てて立ち上がり、倒れたままのシャルさんに手を差し出す。
そうして彼女を立たせると、何だか気恥ずかしくなって、直ぐに背を向け部屋を出る。
「それじゃあ、俺はこれで」
「ぇ、ぁ……」
シャルさんの小さな呟きが聴こえた気がしたが、今は無視。
俺は一度も振り返らずに、早足で家を出た。
「ふー。……気が緩んでいたのかなぁ。あんなミスをするなんて」
反省するように頭を掻く。
そして、同時に思った。
「しかし惜しいな。性格良し、器量良し。これで彼女が」
シャルさんが――
「ゴーレムじゃなければなぁ」
灰色のサボテンに黒い丸を三つ付けたような彼女の容姿を思い出し、俺は深く溜息を吐いたのであった。
~~~~~~
で。いつも通り依頼を受けようと、俺は冒険者組合に来た訳だが。
「妙に騒がしいな。今日は何かイベントでもあったか?」
「おーう、マサキ・コウノ。イベントと言えばイベントかもな。ほら」
見知った冒険者の男が指差す先に目を向ける。
そこには、沢山の冒険者に囲まれた半裸の大男が立っていた。
年は四十頃だろうか、でっぷりと脂が乗り、ぶっちゃけ太っている。顔もまるで凶悪な山賊のように厳つい有様だ。
最も、荒くれ者の多い冒険者の事。彼のような人間が居ても何もおかしくはないが……。
「あいつがどうかしたのか?」
「聞いて驚け。あの豚坊主、デッドオーバーに成ったんだと」
本気で驚き、俺は大男を二度見した。
見覚えの無い人物だ。デッドオーバーに成れる程の実力を持っているにも関わらず、これまでまるで目立ってこなかったというのは考え難いが。
「本当に倒したのか? 『デッドライン』を」
「らしいぜ。称号の正式な授与は、もう少し後みたいだけどな」
『デッドライン』――特定の魔物にのみ与えられる、称号のようなものだ。
通常、魔物はその脅威度などから冒険者と同じく、S~Gの八段階でランク付けされる。
だが稀に居るのだ。そのランクに収まらない、絶対的な脅威という奴が。
打ち倒すには軍や討伐部隊を組織し、数千人規模で挑まなければならないとされている。正に人類にとっての最大の脅威だ。
だが同時に、此方側にも稀に現れる。その『デッドライン』をたった一人で倒してしまう人間というものが。
その者達はその偉業を称えられ、死を越えた者――即ち『デッドオーバー』と呼ばれるようになった。後に国もそれに乗り、称号として与えた事で、デッドオーバーは正式な呼び名となったのである。
勿論俺とて、そのデッドラインを倒している。が、勘違いされては困るのだが、イコール俺が一騎当千の実力を持っている、とは限らない。
デッドラインの討伐は実力だけで成せるものではないのだ。運や相性、その他諸々の要素全てがかっちりとかみ合って初めて成せる、正に偉業なのである。
「で。あの男がそんな死線を潜って、見事デッドオーバーの称号を得たと。……どうにも信じ難いな。そもそもあいつは何処から現れたんだ?」
「何だ、知らなかったのか? 数日前、隣の国から移ってきたんだぜ。その時から既にランクはSだったから、まあ素質は十分あったって事だな」
どうやら俺が情報に疎かっただけだらしい。
まあ、依頼が終わったら直ぐに、ネアの居る我が家に帰っていたからなぁ。たった数日じゃ耳に入らないのも仕方が無いか。
「ん? あいつ、こっちを見てないか?」
「お、本当だ。というかこっちに来るぞ」
見ていることに気付いたのか、例の大男が此方に寄ってくる。
でかい。目の前に立たれると良く分かる、多分二メートルは余裕で超えているだろう。
「よう。あんた、マサキ・コウノだろう?」
「ああ、そうだが。何か用か?」
「いや何、単なる自己紹介さ。俺の名前はアパップ・ペルミー。同じデッドオーバーとしてよろしく頼むよ、先輩」
そう言って、男――アパップはにやりと笑う。
その笑みに嫌なものを感じて、俺は咄嗟に魔力を練り上げた。
「で。こいつは――挨拶代わりだ!」
アパップが右手のジョッキを勢い良く振るう。
中身の酒が俺の全身へと降り注いだ。が、接触の直前、体から噴出させた魔力によってその全てを弾き飛ばす。
結果、俺ではなく、アパップの方が酒塗れになっていた。
「けっ。流石にこんなのは通じないか」
だがそれでも尚、不敵に笑うアパップ。
どうやら一悶着ありそうだ。
用語解説のコーナー
『ノイエン・テトラリテイジー』
女。二十二歳。
王都に居を持つ凄腕の錬金術士。マサキの友人……なのだが、彼はあくまでも知り合いだと主張する。
ぼさぼさの黄緑色の髪に、銀縁の丸メガネを掛け、何時もだらしなく気だるげでマイペースな発明家。
しかし腕は確かで、その実力たるや王国内でも一・二を争う。実際かなりの天才なのだが、性格もあって国に仕えるような真似はせず、気ままな研究ライフを送っている。
滅多に外に出ない引きこもり。同時にトラブルメーカーでもあり、彼女が外に出ると凄まじい頻度で事故・事件が連発する。だが死者や重症者は出ない。不思議である。
『シャル』
女性? 十歳。
ノイエン・テトラリテイジーに仕えるメイドさん。その正体は彼女が初めて造った自律型ゴーレム。
クールな性格で、特に主に厳しい。が、その主は何時になっても怠け者。その為よく陰で溜息を吐いているとか、いないとか。
追加改良を何度も行われている事もあり能力は高く、テトラリテイジーの護衛役も兼ねている。武闘派。
尚、容姿は灰色のサボテンに黒丸三つを付けたような、典型的ゴーレムスタイルである。マサキは密かに心の中で『綺麗なねーちゃん型の外装に変えてくんねーかなー』と思っている……らしい。