第二十一話
ゆっくりとまどろみから意識を引き上げて、俺は両目を解き放つ。
最初に見えたのは薄茶色の天井だった。何時もより狭い視界に、そういえば左目を失ったんだったな、と思い出す。
「というか、此処は何処だ……?」
ぼやける頭を疑問が叩く。
背中からは柔らかい感触を感じる。どうやらベッドで寝ていたらしい。
その温かさに名残惜しさを感じながらも身体を起こせば、見慣れた景色が広がっていて、俺はつい目を見開いた。
「俺の部屋? どうして……」
古びた本棚、真新しい木の机、壁にはこれまで使ってきた刀剣の類が飾られている。
間違いなく自分の部屋だった。いつの間に我が家に帰って来たのかと、眠気を払いながら思い出す。
(侯爵の屋敷でニホンシンコクの連中を蹴散らして、それから隣国のテレンバジアが攻め込まれたという情報を聞いて……それから……)
そこからの記憶がどうにも曖昧だ。
確か、続報を待ちながら治療を受けていたはず。それがどうして、我が家のベッドで快眠を貪る事に繋がるんだ?
理解出来ず首を傾げていれば、コンコンと控えめなノックがドアを打つ。
聞きなれた音だ。入って来たのは、やっぱり予想通りの人物で。
「失礼します、マサキさ、ん……」
ドアを開けた少女――ネアが、俺を見た途端硬直する。
久しぶりに見た家族の姿に、俺は頬を緩ませると疑問を一旦捨て置いて、軽く手を挙げ声を掛けた。
「おはよう、ネア。といってももう昼前か? とにかく一週間ぶり――」
「マサキさんっ!」
窓から高く昇った太陽を確認していた俺は、ぽすりと胸に響いた衝撃に目を瞬かせた。
首を動かせば、金色の髪が視界を埋める。そこで漸く、ネアが胸元に飛び込んできたのだと理解した。
「ネア? いや、俺も久しぶりに会えて嬉しいが、流石にこれは行き過ぎじゃあ」
「良かったです、ちゃんと目を覚まして。もう、目覚めなかったらどうしようかと……」
気付く。ネアの肩が小刻みに震えている。
声には湿り気が混じっていた。もしかしなくても、泣いている……?
「えっと。いまいち状況が分からないんだが。とりあえず、俺はどうして此処に?」
「ぐすっ。えっと……今朝、レノアさんが運んできてくださったんです。怪我を負って、気を失ったからって……」
「レノアの奴が?」
どう運んだのかは、聞かない方が良い気がした。何となく精神的にだ。
ともかく、どうやら俺は治療を受けた後、疲れのせいか気を失ってしまったらしい。無理も無いか、腹を刺されて片目を失い、更にその状態で戦闘まで行ったのだ。
そのまま屋敷で寝かせずわざわざ家まで運んだのは……気を使ってくれたのか、もしくは単なる気まぐれか。個人的には後者を押す、何せレノアだしな。
ともあれ、把握した。俺が此処に居る理由も、ネアがどうして泣いているのかも。
「悪い。心配掛けたな」
「……本当です。とっても心配したんですよ? お腹を刺された上に、左目まで失ったって聞いて……。治療が済んでいるとは言われましたけど、それでも本当に目覚めるのかと心配で、不安で」
「大丈夫。うん、もう大丈夫だよ。すっかり元気だ、ほらこの通り」
軽く身体を動かし、強がって見せる。
腹はもう大分良いようだが、正直左目はまだ痛んだ。けれどこの少女の顔を曇らせる位ならば、この程度の痛みは我慢出来る。
俺のやせ我慢に彼女は気付いているだろう。聡い子だ。付き合いも長い。
しかしだからこそ、彼女は微笑みで返してくれる。
「それなら、良かったです。おかえりなさい、マサキさん」
「ああ、ただいま。ネア」
穏やかな時間が、ゆるゆると流れる。
感じる体温が温かい。一週間の疲れを癒そうと、少女の柔らかな体を抱きしめる。
ネアが小さく声を漏らした。
「あぅ……マ、マサキさん……」
「あぁ。癒されるぅ……」
細やかな金糸のような髪に、顔を埋める。
そのまま大きく息を吸った。鼻腔一杯に広がるネアの匂いに、自然と心が安らいでいく。
これだよ、俺が求めていた癒しは。事態は多分切迫している、それは理解している。しかし俺も人間、この誘惑には逆らえないのだ。
そのままどれ位の時間が流れたのだろうか。多分十分は経っていない。
ふと視線を感じ、顔を上げた俺の瞳に映ったものは。
「じ~~~~~……」
「おい。人の家で何やってるんだ、ノールノ」
ドアの隙間から此方を凝視する、暗黒騎士の少女であった。
俺の言葉に、ふえっと声を漏らしたネアが慌てて振り向く。そうして此方を見詰める二つの目を認識した瞬間、肌を耳まで赤く染め、隠れるように俺の胸に顔を埋めた。
それら全てをニヤニヤ顔で見届けてから、ノールノ。
「いや~、お熱い事で。さっさと結婚しちゃえば良いんじゃないですか? ま、マサキさんにはそんな甲斐性は無いでしょうけどねっ」
呆れるほど見事なドヤ顔で、部屋の中へと入ってくる。
何を調子に乗っているんだ、こいつは。何時もの事といえば何時もの事だが。
「煩いぞ、茶化すなノールノ。俺はお前の不法侵入について問い質しているんだ」
「何が違法なものですか。この世界は全て我輩の遊び場、よってマサキさんの家に勝手に入っても問題なし!」
「そんな訳あるかこのボケっ」
即席の魔法弾をピシュリと飛ばす。
だが勿論当たる訳もなく、むしろ挑発的に身体をくねらせ避けられた。
その顔がまたイラつく程ドヤっていて、俺は額に青筋を浮かばせる。
「野郎……ぶった斬ってやる」
「お、落ち着いてくださいマサキさん!」
ベッドの横に立て掛けられていた剣を抜き放ち、魔力を昂ぶらせる俺を、慌てたネアが必死に制止する。
その様子にまた調子に乗るノールノ。何が楽しいのかタップダンスまでしだした彼女に、怒りを通り越して呆れを抱いた俺は、不承不承で剣を納めた。
「はぁ。とりあえず、不法侵入の件は今はもう良い。それより何か用か? まさかからかう為だけに来た訳じゃないだろう?」
「そうですね、ちょっと真面目な話しです。――ニホンシンコクがこの国……いえ、この王都に侵攻してきています。後、組合長さんが亡くなられました」
「――なんだと? 何処まで本当だ?」
「全部ですよ。幾ら我輩でも、こんな冗談言うほど頭陽気じゃないですし」
真剣な声音で問い詰めれば、不満そうに返される。
「……そうか、すまなかったな。ニホンシンコクの事はまだしも、組合長の死なんて、冗談でもお前が言うはずがないか」
「分かればいいです。マサキさんはちょっと知能が足りませんからね、間違いも犯すでしょうし」
その性格のせいで孤立していたノールノを組合長が気に掛けていた事は、俺も良く知っている。
ノールノが何だかんだ言いながら感謝していた事もだ。だから彼女の言葉は真実だろう。組合長は本当に、亡くなられたのだ。
「……何があった、一体。詳しい状況は?」
「ちゃんと説明しますよ。ただし、王宮に向かいながらですが」
「王宮に? 此処じゃ駄目なのか?」
「駄目じゃないですが、時間が勿体無いので。はっきり言って余裕は全く無いんですよ」
「――そんなに切羽詰った状況なのか?」
「ええ。なにせもう、ニホンシンコクによる攻撃は始まっていますから」
ノールノの言葉を聞いた途端、俺はベッドから立ち上がった。
外から戦闘音は聞こえないがどうやら相当に危険な状況らしい。となれば、悠長にしてはいられない。
「何で王宮かは知らないが、とにかく行こう。直ぐに準備する」
「じゃ~我輩は家の前で待っていますので。急いでくださいね~」
軽く言って部屋から出て行く少女を見送り、俺は自分の身体を見下ろす。
ネアが着替えさせてくれたのだろう。服は血まみれではなかったものの、寝間着のようなものであり、王宮に行くのには不適切だ。
攻撃は始まっているというし、此処は何時もの戦闘服に着替えるべきだろう。
クローゼットを漁り、予備の服を出す。
着替えようとして――後ろから抱きつかれた。
「ネア?」
「マサキさん……。戦うんですか?」
不安に揺れる双眸が俺を見上げている。
伝えたい事は直ぐに分かった。彼女は心配しているのだ、こうして傷を負い、それでも大きな戦いに赴こうと言う俺を。
安心させようと、金色の頭を撫でる。
「そうだな。きっと、戦う事になると思う」
「どうして……!」
「どうしても何も。それが俺の役目だからな。デッドオーバーという、力ある俺の」
「役目だから、戦うんですか?」
少し、考えて。
「いや、それだけじゃない。守りたいと想うからだ。皆を、この国を、この世界を、そして……ネア。君を」
言った瞬間、ネアの顔に喜びと悲しみと苦しさと、色んなものが入り混じる。
涙が瞳の端に浮かんでいた。
「私は、私には守られる価値なんてありません。だって私は何も出来ない。マサキさんの傷を癒す事も、マサキさんの隣に立って戦う事も……」
「何だ。そんな事か」
「そんな事って……っ!」
彼女の唇を、人差し指でそっと塞ぐ。
「確かにネアは戦えない。戦うべきでもない。けど、もっと別の所で、ネアは俺を支えてくれているよ」
「別の、所?」
「ああ。それに誰かを大切に想ったり、守りたいと想う気持ちは。利用価値とか、そんなものでは決まらないんだ」
少なくとも俺にとってはそうだった。
だからネアが罪悪感を感じる必要はないのだ。俺は誰に強制されるでもなく、ただ守りたいから戦うだけ。
その想いが伝わったのか。じっと此方を見上げていたネアが涙を拭う。
現れた瞳には強い輝きが宿っていた。
「分かりました。なら、私も待っています。此処で、この家で、マサキさんが帰って来るのを」
「いや、それは……」
「避難しろ、何て言葉は聞きません。私もただ、待ちたいから待つんです」
そう返されては説得の言葉も無い。
互いに見詰め合う。やがてどちらからともなく微笑んで、俺たちはもう一度抱き締めあった。
~~~~~~
身支度を整え、家を出る。
見送りに出て来てくれたネアが、彼女らしくもなく大きく手を振った。
応え、此方も手を振り返す。そうして踵を返せば、近くの民家に寄りかかっていたノールノと目が合った。
「それじゃー行きましょうか」
歩き出す彼女の隣に並ぶ。
と、首だけで振り返ってまだ此方を見送っていたネアを見たノールノが、ぼそりと呟く。
「……ほんっと、お熱いですね。何時も何時も」
「どうした。妙に不満そうだな?」
「いーえ、何でもありませんよ。ほらトロトロ歩かないで下さい、遅いんですよこの短足男っ」
「いたっ」
げしり、脚を蹴り速度を上げるノールノに小走りで追いつく。
どう考えても小柄な彼女の方が足は短いし、トロトロ歩いていた訳でもないのだが、特に指摘はしないでおいた。触らぬ神になんとやら、だ。
「で。とりあえず現状について、出来る限りの情報をくれ。説明してくれるんだろう?」
「しょーがないですね。我輩のありがた~いお言葉を、よ~く耳をかっぽじって聞きなさい」
ふふん、と鼻を鳴らし、ノールノは語り出す。
「まずは、そうですね。組合長の事ですが。テレンバジアへの出張中に、丁度ニホンシンコクが攻めてきたみたいです。それで避難民と共に逃げようとした所、ニホンシンコクの兵士に襲われたので、皆を守る為に戦い命を落とした、と」
「人々を守る為に、か。あの人らしいな」
「依頼で偶々近くに居た我輩とアパップさんが駆けつけたのですが、間に合いませんでした。着いた時にはもう完全に手遅れで……我輩達に『皆の避難を手伝ってくれ』と依頼した後、息を引き取りました」
「引き受けたのか? って、聞くまでもないか」
「ええ、勿論受けましたとも。で、二人でニホンシンコクの軍隊を引っ掻き回して足止めして撤退。無事避難完了、という訳です」
「さっきから街に異常に人気が多いのはそれが原因か。それ以上に屋内に籠もっている人間も多いようだが」
「で、ですね。一応撤退の際、遺体は回収してきました。最もこんな状況なので葬儀は後回しですが」
最後にはぁ、と息を吐いて、ノールノは少しだけ歩調を緩めた。
いや、緩んでしまったと言うべきか。多分自分でも無意識だろう。微妙に俯いている顔も合わせて。
「まあ、しょうがないだろうな。それで、ニホンシンコクの侵攻はどうなっているんだっ」
「へぁあ!? 我輩の宝石より美しい髪をぐしゃぐしゃにするんじゃないっ。 このっ、このっ!」
ぐりぐりと頭を撫で回せば、またも脚をげしげしと蹴られる。
微妙に顔を合わせようとせず、頬も赤みが混じっているというのに蹴りは普通に痛いあたり、相変わらず可愛くない奴だ。これでこそ、でもあるが。
「悪かったよ。だから蹴るのを止めて早く説明してくれ。もうそんなにしないで、王宮に着いちまうぞ」
「はー、しょうがないですねぇ。では緊急事態にも関わらず暢気にぐーすか寝さぼっていた情報遅れのお馬鹿さんに、我輩が特別に講義をしてあげましょう」
「……どうせ誰かが集めた情報を横聞きしただけだろ」
「文句がありますですかー!?」
「ないない。文句なんてありませんよ、ノールノさん」
そう言って肩を竦めれば、少女は仕方ないなとばかりに頷いた。
ちょろいな。さんづけするだけでこれか。もし、こいつの要求通りに様づけで呼んだらどうなるのだろうか。プライド的に冗談でも絶対にしないが。
ノールノが歩きながら、器用に薄い胸を張る。
「では、説明してあげましょうっ。テレンバジア首都・モンスを壊滅させたニホンシンコク軍はですね。どういう訳かそのまま国を制圧する訳でもなく、ほとんど素通りでこの王都を目指して進軍しました」
「素通り? わざわざ攻め込み、テレンバジアを壊滅させておいてか?」
「ええ。レノアさんの予想では、本命は此方で、テレンバジアは通り道として侵略しただけだという話でしたが」
「……この国を厄介なものと考え、電撃作戦で落とすつもりか。此方の体勢が整う前に。だがそれにしたって随分な自信というか、慢心だな」
「あくまで予想ですけどね。まあ、我輩もそんな所だろうと初めっから思っていましたが」
「本当かぁ?」
「あ、当ったり前でしょうが! 賢人たる我輩が何の予想も立てられず『ほへー』と間抜けな顔でレノアさんの推論を聞いていたなどと、そんな事はありえないのですともっ!」
その割りには随分動揺しているが。
「まあ、とにかく。ニホンシンコクの狙いは、恐らくレノアの予想と一致しているだろうな。あいつの事だ、状況からの推測だけでなく、何処かから入手した情報を元にして予測しているはずだ」
例えば、俺が捕獲したニホンシンコクの指揮官とか。
高位の呪術士である彼女なら、他者の脳から直接情報を引き出すことも可能なはず。
勿論、一般には推奨されない行為だが……緊急事態ならば侯爵も容認するだろう。
(テレンバジアは小国だが、それでも領地全てを制圧するとなれば時間が掛かる。そうなれば足場こそ確保出来るが、その間にこの国の戦力は集結し、他国と協力しての包囲網を敷くだろう。逆に一気に攻め寄せ、王都を落とせれば……雪崩のように、オークニス王国は落とせる。そしてこの世界でも一・二を争う大国があっという間に落とされたとなれば、ひよった小国が大人しく下ってくるかもしれない。そうなれば、この世界の軍力は半減だ。後はゆっくりと確実に、侵略・制圧していけばいい)
ニホンシンコクの狙いはそんな所か。
無茶苦茶で、強引な手だ。しかし有効ではある。圧倒的な戦力を持っているのなら、だが。
「そんな真似をして、補給線は持つのか? 兵士の体力は? 士気は? ……持つんだろうな。だから実行している」
「むむ、難しい顔のマサキさんっ。ちょい、我輩の分からない話をぶつぶつと呟くのは止めて下さい! 何か負けた気分です!」
「気にするな。お前は前線でぶんぶん大剣を振り回して、ばんばん暗黒魔法を撃っていればいい。強いんだからな」
「ん? 褒められてる? 何か違う気がしますけど、褒めているのなら良しとしましょう!」
上機嫌になったノールノに思わず頭を掻く。
こいつ、本当に大丈夫だろうか。ころっと調子の良い詐欺師に騙されたりしないだろうか。
(ま、流石にそこまで馬鹿じゃないか、こいつも)
心配を適当に吹き飛ばし、話を戻す。
今重要なのはニホンシンコク軍の侵攻状況についてだ。
「奴等は今どの位まで来ているんだ? もしかして、もう王都の直ぐ傍に……?」
「いえ、傍では無いです。距離にして約三十キロ、王都から離れた平原に待機しています」
「待機している? 急襲を掛ける気じゃなかったのか?」
「襲撃は掛けていますよ。三十キロ先からね」
「何?」
意味が分からない。そんな遠距離から、一体何をしているというんだ。
「彼等の兵器は、その距離からでも攻撃出来るんですよ。実際先程までは煩い位攻撃が飛んできていました。彼等お得意の長距離砲撃って奴です」
「砲撃? 三十キロ先から? ……それが本当だとして、どうやって防いだんだ?」
「そこはほら。この空を見上げれば分かります」
空? と疑問に思いながらも素直に見上げる。
ただの青空に見えたが、よく観察すると、薄っすらと膜のようなものが張っていた。
あれはまさか……。
「王都の特別防衛機構。『ラグラスの盾』か?」
「ご名答、その通りです。あれで降り注ぐ砲撃の雨を防いだんですよ」
此処、オークニス王国首都・パルニスには首都らしく、特殊な防衛機構が備え付けられている。
それが『ラグラスの盾』。都市地下に存在する巨大な魔力貯蔵庫に貯えられた魔力を使用し、王都をすっぽりと包み込む障壁を張る機能だ。
今正に上空に張られているのがその障壁であり、見た目の薄さとは裏腹に強度は圧倒的。ドラゴンのブレスさえ容易に防ぐと言われている。
確かにこれならば、ニホンシンコクによる砲撃さえ防げるだろう。だが、
「幾ら魔力を貯えてあるとは言っても、これだけのモノ。そう長くは持たないんじゃないか?」
「ええ、これは裏情報ですが。ラグラスの盾の稼働時間は半日が限界らしいです。魔力を注ぎ込む事で多少、伸ばす事は可能らしいですけど」
「半日? じゃあ……」
「ニホンシンコクの砲撃が始まった朝から張りっぱなしなので、既に残りは数時間ですね。今はあちらさんも無駄だと判断して砲撃を止めていますけど、何時再開されるか分からない以上障壁を消す訳にはいきません。このまま行けば数時間後には、王都は丸裸です」
「此方からの攻撃は?」
「障壁の外に出れば。ただし距離がありすぎるので、大半の人間には不可能です。唯一可能なレノアさんが休憩を挟みながら偶に、超長距離呪術をぶっ放してますけど……」
「戦果は芳しくない、と」
コクリと頷くノールノ。
この距離でも攻撃出来るレノアはたいしたものだが、流石の彼女も距離があり過ぎるのだろう。お得意の大規模超火力攻撃は出来ていないらしい。
相手の軍の規模を鑑みれば針を投げるようなものだ。どう考えても、致命打を負わせる前に此方の障壁が消えて砲撃の雨に晒される。
「そうだ、重要な事を聞き忘れていた。相手の具体的な数は?」
「今更訊きますぅ? ……歩兵は勿論、ゴーレム兵や戦車、その他特殊な兵器群なんかも含めて。全部でおよそ、二万だそうです」
「二万……。確か王都の兵は、全部掻き集めても五千程度だよな?」
「最近募兵してましたし、もうちょっと多いでしょうけどねー。一応近隣の町や村からも緊急で集めましたし、現状は一万ちょいってとこでしょうか」
「数の上では此方の劣勢か。王国全域から集められればまた違うんだろうが、見事に不意を突かれた形だな。相手の目論見通り、か」
こうなると、此処で踏ん張らなければ確固撃破されるはめになるだろう。
負けられない一戦という訳だ。分かっていた事だが、厳しい話である。
(全てを懸けた戦いになるな)
思わず拳に力が入る。
命懸けという点では、これまでの冒険者生活でも常にそうだった。けれど今回は背負っているものの規模が違う。
(今までは自分の命、多くても近くの村や集落の人々。数十・数百人が良い所だった。それだって軽いものじゃなかったのに、今回はこの国そのもの……いや、下手をすればこの世界そのものだ。重いな)
余りに重くて、逆に笑ってしまいそうだ。
顔が歪む。口角が吊り上がりかけた所で、眉間をつん、と指が突いた。
「……何やってるんだ、ノールノ」
「隙だらけでしたので。緊急事態真っ只中だってのに、間抜けだなぁ!?」
此方と向かい合い、後ろ手に歩く少女がケタケタと笑う。
魔物みてぇな声だな、と思うと同時に、少しだけ救われた気分になった。
「そうだな。重いが、一人ではないんだよな」
「んん? 間抜けな自分への自戒の言葉か何かですかな?」
「いや。ただ、皆で背負えば良いだけだ、と思っただけさ」
「はいぃ? 変な意識の高さを拗らせでもしたんですか? それとも神のお告げでも受けて脳がやられました? どちらにしてもわーけわかんね」
「分からなくていい。それより、ぶつかるぞ」
「ぶつかる? って――おわぁっ!?」
ノールノは優れた戦闘者として気配には敏感だ。前を見なくとも、人にぶつかったりする事はない。
だが、当然無機物は別だった。道端に止めてあった馬車。その開かれた荷台に突っ掛かり、バランスを崩して転倒、彼女は頭から中に突っ込んでいく。
小柄な身体が敷き詰められていた干草に埋まる。鎧に包まれた二つの足だけが、ピンと反り立ち突き出していた。
ふっ、と馬鹿にするように苦笑する。
「俺も分からないな。お前には干草の中で昼寝する趣味でもあるのか? 気持ち良いのかもしれないが、せめて上で寝ろよ」
「ぷはぁ! べ、別にそんなの人の勝手じゃないですかっ。あー干草気持ち良いなぁ、そう、我輩は干草が好きでこうしているんですよ。間違っても馬車に気付かずコケしまった訳ではありませーん!」
(誤魔化しがわざとらし過ぎんだろ……)
呆れながら、今度は両足と頭だけ出したノールノの頭部を片手で掴む。
そのまま彼女を持ち上げ干草から引き出すと、俺は横へと向き直り、ぱっと手を放した。
「ほら、丁度王宮に着いたぞ。とっととその身体に付いた草を払え。そのまま中に入ったら迷惑だ」
「ぐぐぐぐ、何か屈辱です。負けた気分です。だが許しましょう、我輩は寛大ですから! あと、我輩は此処までです。後はマサキさん一人で行って下さい」
「一人で? どうして。というか俺は、結局なんで王宮に連れてこられたんだ?」
かねてよりの疑問をぶつければ、何故か溜息を吐かれる。
「そんな事も分からないんですか? これまでの話の流れから何となく予想出来るでしょう」
「いや、無茶言うなよ。現状を説明してもらってただけだぞ」
「だーかーら。その説明の結果生まれた肝心な所。『超長距離から一方的に攻撃してくる、自分達よりも戦力の大きな相手をどう倒すか』という問題を解決する手段が、此処にあるんですよ」
「王宮に?」
「ええ。そしてその手段には、マサキさんが必要らしいのです。なので大臣直々に頼まれて、我輩が迎えに行ったんですよ」
ふふん、とノールノが誇らしげに胸を張る。
成る程、どうやらこの戦争の鍵となる手段が王宮にあり、そして俺が必要だというのは本当の話らしい。そうでなければ大臣が直接頼む訳がないし、デッドオーバーであるノールノを伝言の為だけに走らせる事もしないはずだ。
「じゃ、頑張って下さい。我輩は城壁で皆さんと共に戦争に備えますので」
「ああ。説明、ありがとうな」
軽快に駆けて行く少女を見送り、王宮へと向き直る。
何故俺が必要なのか。一体どんな手段なのか。
疑問を抱きながらも、俺は気を引き締め、王宮へと踏み込んだのであった。