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第十六話

 目が覚めた時、俺は椅子に縛り付けられていた。


(何処だ、此処は。俺は確か……)


 判然としない頭で考える。

 そうだ。俺は侯爵家の地下でニホンシンコクの手掛かりを見つけて、その直後メモリーに魔具で刺されて。

 じくり、脇腹が痛んだ。霞む目で確認すれば、黒く変色した血の痕が見える。


(血が止まっている……最低限の手当ては、してくれたのか?)


 薄っすらと包帯の感触があった。まだ死なせる気は無い、ということなのだろうか。

 落ち着いた所で改めて現状を確認。場所は広く豪奢な部屋の中で、侯爵家の一室で間違い無いだろう。窓から見える空は薄暗く、既に夜である事が窺える。

 俺自身はといえば見覚えのある椅子に座らされ、後ろ手に腕を縛られている。脚は、椅子の脚に括り付けられていた。


(大した拘束じゃない、魔法を使えば……駄目か、上手く魔力が練れない。腕の拘束具から感じる奇妙な魔力に妨害される。これも高位の魔具か)


 ぎり、と音が鳴るほど歯噛みする。

 何とかこの腕の拘束具さえ取れれば。相手のミスか、それとも俺の運が良いのか、剣は近くの棚の上だ。どうとでも突破は出来る。

 両腕に力を入れる。だがやはりその程度では拘束具はびくともしない。


(糞、間抜けだな。幼い少女相手だからと油断するなんて。距離を詰めて情報を聞き出すつもりが、逆に罠に嵌められるとは)


 自分の愚かさを恨みながらも、脱出の手段を探し目を動かす。

 何とか魔具を壊さなければ。部屋から出られても、魔力が使えないのでは直ぐに捕まるだけだ。


「どうすれば――「あら、無駄な足掻きの算段ですの?」っ!」


 ギィ、と音を鳴らし、扉が開く。

 現れたのはこの屋敷の主と、その孫娘。


「マスマン侯爵……メモリー……!」

「気分はどうかね、マサキ君。座りっぱなしというのも、それはそれで疲れるものじゃろう?」

「……そうですね。だから早く解放して貰えるとありがたいんですが」


 部屋に入って来た彼等に言ってみるが、適当に流されるだけだった。

 二人が俺の傍に立つ。その顔は何処か、何時もより黒く邪悪に見えた。


「しかし君にも困ったものだ。護衛で呼んだというのに、探偵ごっことはのう」

「何の事です。俺はただ、気に入った調味料について調べていただけですよ」

「ほっほっほ。今更誤魔化しなどいらんよ。君が兵や使用人達に聞き込みを行っていた事、この屋敷の中を調べていた事。全て把握しておる」


 やはり気付かれていたか。

 その上で泳がせていた。この性悪狸め。


「……そこまで分かっているのなら。俺の狙いが何か、も分かっているのでしょう?」

「ふむ。君の狙いについてか……。そうじゃのう。幾つか候補は思い浮かぶが……例えば『ニホンシンコク』」

「っ!」

「ほほ、露骨に顔色が変わったの。甘いのうマサキ君、それじゃあ政治の世界ではやっていけんぞ?」

「ご心配なく、その予定は露ほども無いので。それより、やはり貴方は……!」

「まあまあ、その話は後じゃ。実は今夜は大切なお客様との会談があったのじゃがな。丁度君を捕まえる事が出来たので、少し予定を変える事にしたのじゃ」

「お客様……?」


 眉を顰める。そして気付いた。

 侯爵たちが入って来た扉の向こうから感じる、人の気配に。

 少ない。二人、いや三人? 誰だ。警護の兵士……いや、先程までの話からするとまさか。

 そこまで思考が至った所で、気配は部屋の中へと入って来た。その姿を見て、やはり予想は当たっていたのだと理解する。

 深緑色の堅苦しい服装。それは先日のアグメ火山で見た黒幕の姿と同じ。

 こいつらは――


「紹介しよう。この方達こそ、君が探していたニホンシンコク。その軍人さん達じゃよ」


 侯爵の促しに沿い俺の前に立った男達の胸元には、『日本神国軍』の文字。

 読めないが、文字の様式的にあのゴーレムやショーユの瓶に記載されていたものと同じ言語だろう。つまりこいつらは、本当にニホンシンコクの、軍人。


「彼が、例のデッドオーバーとやらの?」

「ええ。最強の魔法剣士とも言われている冒険者。マサキ・コウノです」


 軍人三人の中から一人、口元に髭を生やした男が歩み寄ってくる。

 男は乱暴に此方の顔を掴んだ後、品定めするように数秒眺め、また始めと同じ様に乱暴に離す。

 思わず睨み付けるが反応は無い。此方を見下す男の目は何処か熱が無く、冷たく乾いていた。


「……初めてまともに見たよ、ニホンシンコクの人間って奴を。こっちの言葉が話せるんだな?」


 にやりと挑発的に笑って言ってみるが、男はやはり此方を無視。

 侯爵たちも含め五人、部屋の一角にあるテーブルに着くと、俺には目もくれず話し始める。

 咄嗟に口を閉じ耳を澄ませた。魔具を壊す手段を探し続けながら。


「丁度良い、と言うべきか。こうして会談を行う直前にサンプルを確保出来るとは」

「ええ。無論これまでも機会は窺っていたのですがな。中々隙を見せてくれなんで」

「約束通り引き渡して貰うぞ。拘束は充分なんだろうな?」

「勿論です。彼の腕に付けられた手錠は、魔力の使用を妨害するとっておきの魔具でしてな。解錠も、登録者であるワシかメモリーにしか出来ませんのじゃ。あれがある限り彼はただの人間です」

「ならば良い。個人にも関わらず、一軍にも匹敵する程の強者。此方の世界の人間を研究するのにこれ以上の素材もあるまい」


 どうやら、先程の髭男が三人の代表であるらしい。

 そして話から察するに、俺は彼等の研究対象として侯爵から引き渡される、と。

 まるで人を実験材料みたいに。気に入らない連中だ。


「さて。では、おまけについての話は終わりにして。そろそろ本題に入ろうか」

「本題……この国を、ニホンシンコクに引き渡す算段ですな?」


 この国を、引き渡す……!?

 侯爵がニホンシンコクと通じている事は覚悟の上だったが、それでも実際に聞くとやはり衝撃だった。

 この国、オークニス王国の重鎮であるマスマン侯爵家が、他国――それも異世界にあるという国に祖国を売り渡すとは。何故、何故そんな事を。


「契約はきちんと守ってもらいますぞ。ニホンシンコクがこの国を制圧した暁には、ワシを新たな支配者に……」

「分かっている。きちんと此方に従い資源を寄越してくれるのなら、下らん玉座などくれてやる」

「ほほ、それは重畳。これでメモリーは、この国の姫に……!」


 喜色を露にし、わなわなと震える侯爵。

 月光に照らされるその顔は、狂気に染まっていた。愛する孫娘を最高の地位につけられる、喜びの狂気に。


(そんな、そんな事の為に、国を売り渡すのかっ)


 歯噛みする俺を余所に、彼等の会談は順調に進行していった。


 既にニホンシンコクの軍隊が此方の世界へやって来ていて、侵略の準備を整えている事。

 侯爵が上手く隙を作り、その軍隊をこの国内部へと手引きする事。

 この国、国民にどれだけ被害が出ようとも、重要な資源さえ無事ならば構わない事。

 そしてこの国を制圧した後はこの世界全てをも制圧し、此方の世界はニホンシンコクの発展の為に存在し続ける奴隷世界とする事。


 おぞましい内容が次々と語られていく。その中で、彼等の国――ニホンシンコクがどういう存在かについても、俺はおぼろげながら理解した。

 ソーマが言っていた通り、ニホンシンコクはこの世界の上の位相に存在する世界、『地球』の一国家らしい。

 そして彼等の世界には魔法や属種といった力がなく、代わりに科学が飛躍的に発展している。特にニホンシンコクは、地球の中でも技術に優れた国なのだそうだ。

 だが同時に、彼等の国は国土面積が小さく、資源に乏しい。故に此方の世界に目を付けた。

 足りない資源を採掘し、人間を家畜の如く働かせて労働力を得る。それが、彼等ニホンシンコクの狙いだったのだ。


「ふむ。では、これがこの国の内部資料なのだな?」

「ええ。軍事における重要事項の全てが纏められております。平時・及び緊急時の防衛体制や動き、対応もばっちりと。これがあればこの国の軍隊など、張りぼても同然ですじゃ」


 侯爵が紙の束を差し出す。

 それを受け取り軽く目を通した男は、ふん、と納得したように漏らすと、静かに椅子から立ち上がる。


「では、これで今回の会談は終了だ。しっかり働いてもらうぞ、侯爵」

「ええ、勿論です大尉殿。次に会うのは、国が堕ちる時でしょうかな」


 続いて部下達、そして侯爵とメモリーも立ち上がる。

 不味い、と焦燥する。まだ拘束具を解除する手段を見つけていない。このままではニホンシンコクに連れて行かれて実験材料にされてしまう。


(糞、今は諦めるしかないのか……? だがしかし、本格的に囚われればそれこそ脱出の機会は……っ)


 焦る俺を余所に、侯爵と大尉と呼ばれた男は握手なんぞ交わしている。

 その横顔を睨み付けるが効果は無い。駄目だ諦めるな、何か手段はあるはず……っ。


「ところで侯爵。君にプレゼントがあるのだが」

「ほ、プレゼントですか。一体何でしょう?」

「ああ、ベタで申し訳ないのだがね」


 その時、俺は見た。男が懐に入れた手、そこから抜き出される小さな鋼鉄の塊を。

 それを目にしたのは初めてだ。が、その形から用途の推測は容易く付いた。

 ガチャリ、男がその小さな鋼鉄――銃の先を侯爵に向ける。


 パーン、と乾いた音。


「ぬ、お……?」

「鉛玉のプレゼントだ。快く受け取ってくれ」


 侯爵が腹部を抑える。しわくちゃの手の隙間から、真っ赤な液体が漏れ出ていた。

 蹲り、呻きを上げる侯爵。何、だ、何が起こっている……!?


「お、お爺様っ!?」

「全く、面倒な役目だ。老人と子供の処分などな」


 溜息を吐く男。侯爵に走り寄るメモリー。

 まるで空気を変えた空間の中、俺は状況に頭が追いつかず困惑するばかりだ。

 侯爵が汗の滲んだ顔を上げる。


「な、何故……切り捨てるにしても、まだワシの力は、必要なはず……」

「何故? それは自分の胸に聞いて見るべきじゃないのか? なあ、マスマン侯爵。いや、間抜けなスパイ、と呼んだ方がいいか?」


 侯爵の目が僅かに見開く。

 つまらなさそうに鼻を鳴らし、男は続けた。


「ばれていないとでも思ったのか? 貴様が協力するふりをして、我々を探っていた事を。此方を騙し、罠に掛けようとしていた事を」

「な、何を……」

「とぼけるな、薄汚い狸が。この資料とて偽物だろう? 我々が調べた情報とは明らかに違う点が幾つも見て取れるぞ」


 ばさり、男が紙束を床に投げ捨てる。

 そうして再び、右手の銃を侯爵へと向けた。


「一体、何時から……」

「気付いていた、か? 最初からだよ。確かに貴様は優れた政治家だった。我々との交渉においても、一切隙やそれらしい素振りなど見せていなかったよ。だがな、それでも嘘を見抜ける。そういう技術が我々にはあるのだ」

「ば、馬鹿な。対策はきちんと」

「何だ、妨害用の魔法か何かでも掛けていたのか? まあ経験豊富な大貴族だ、それ位はしているだろうさ。だが忘れていないか。我々の世界には魔法も、呪術もありはしない。それらによる探りの対策を施した所で意味などないのだ」

「ま、魔法も呪術も無しに、見抜いたじゃと?」

「そうだ。貴様の脈拍、呼吸、体温、発汗、その他身体の各種揺れ動き。それらを私達は、秘密裏にモニターしていたのだよ。この稚拙な世界とは比べ物にならない、高度な科学によってな」


 かちゃり、男の指が撃鉄を上げる。


「それ等のデータを見れば、貴様が嘘をついている事は明白だった。後は簡単だ、貴様を一切信用せず、むしろ探りや交渉が上手くいっていると見せかけて此方の準備が整うまでの目くらましとする。おかげ様で事は楽に進んだよ、この国が貴様の情報を信用し動いている間に、我々は全く別の、無警戒の場所で好きに動く事が出来たのだからな」


 指が引き金に掛かった。


「だがそんな茶番も、もう終わりだ。準備は整った。貴様はもう必要ない。余計なものは処分するに限る」

「ワ、ワシの助力や手引きも無しに……この国を、落とせると思うておるのか」

「ああ、思っている。貴様が得た我々の軍事力に関する情報など、所詮は一部だ。真実我々の武力は、この国を圧倒する位置にある。手引きなど必要ない。正面から全てを破壊しつくし、制圧するのみ」


 くっ、と侯爵が悔しそうに歯噛みする。

 男は冷たい目のまま、その頭部へと照準を合わせて。


「さよならだ侯爵。貴様は優れた人材だが、それ故に放置は出来んのだよ」


 男の指が引き金を引く。その瞬間。

 ガシャンと音を立て、真っ白なティーカップが男の顔を叩き、砕けた。

 紅茶に濡れた顔で、男は小さな少女へと目を向ける。

 カップを投げた体勢のまま、メモリーが男を睨み付けていた。その瞳の端には恐怖のせいだろうか、薄っすらと涙が滲んでいる。


「お、お爺様は殺させませんっ!」

「……お転婆な子供は身内だと可愛いものだが、他人だと煩わしいだけだな」


 男の狙いが変わる。侯爵からその孫娘へと。

 銃口を向けられたメモリーはひっ、と一瞬怯えた声を出したものの、直ぐに気丈な様子で再度男を睨み返した。

 撃鉄が上がる。メモリーは動かない。いや、動けない。脚は震え、立っているのもやっとの様子だ。


「メ、メモリー……」


 立ち上がろうとした侯爵が腹部を押さえ倒れるのを横目に、男が引き金を引き絞る。


「まずは君から処分してあげよう。安心しろ、これでも銃の腕には自信がある。きっちり一発、眉間を撃ち抜いて終わらせてやる」


 その全てを目にし、俺は全身に力を籠めた。

 前のめりに、椅子ごと倒れるように身体を揺らす。足が床に着いた瞬間、俺は無理矢理掻き集めた魔力を使い、全力で地を蹴った。


 パーン、と乾いた音。


「え……きゃっ!?」


 体当たりするようにメモリーを突き飛ばす。

 がたり、二人揃って床に倒れた。男がちっ、と舌打ちする。


「余計な事を。無駄な手間を増やすな――「メモリー!!」」


 何が起こったのか把握しきれず、硬直している少女に呼びかける。


「手錠を!」

「え……あ、はいっ!」


 反射的に俺に手を伸ばした彼女を見て、男が再度舌を打つ。


「させるか!」


 上がる撃鉄。絞られる引き金。

 弾丸が放たれるのと、小さな手が手錠に触れるのは、同時。


「――!」


 自由になった両手でメモリーを離しつつ、魔力を放出し両足の拘束を吹っ飛ばす。

 流線型の弾丸が、俺と少女の間を抜けていく。即座に床を叩き立ち上がり、駆け出して、棚の上の剣を抜き放つ。

 男が急いで銃を構えるが――遅いっ!


「ぎ、がぁああああああああ!?」


 銃を持っていた腕を切り飛ばされ、男が絶叫を上げた。

 慌てて部下二人も懐から銃を取り出すが、やはり遅いっ。


「ヒュウッ!」


 呼気一閃、三人纏めて剣で切り裂く。

 胴を真っ二つにされ、男達は断末魔の声さえ上げられず息絶えた。軽く剣を振り、血を払う。

 僅かな静寂が場を満たした。


「あ、あの……」


 おずおずと、少女の声。

 俺はゆらりと振り向き――少女の顔が驚愕に染まる。


「あ、貴方……その、目」

「心配いらない。魔力である程度威力は減衰出来た、眼球が潰れただけだ」


 メモリーを庇った最初の一撃。あの時放たれた弾丸は、俺の左目に吸い込まれるように当たっていた。

 跳んだ時と同様咄嗟に魔力を目に集めて防御したが、拘束具のせいで充分ではなく、防ぎきるには至らなかったらしい。

 激痛が目に走る。それを気合で我慢して、俺は魔法を使い突き刺さったままの弾丸を取り出した。

 治癒魔法で応急処置を施す。


「俺のことより、侯爵を」

「あっ、お、お爺様! しっかりして下さい!」

「う、うぅ……」


 苦しげな声を上げ、仰向けになる侯爵。

 顔色は白く、腹部から流れ出る鮮血は止まらない。急いで治癒魔法を掛けるが、俺の拙い治癒魔法では延命が精一杯だ。

 薄っすらと目を開けた侯爵と、目が合う。


「マ、マサキ君……」

「動かないで下さい。傷に障ります」

「す、すまなんだ。ワシは……」

「それ以上は後で。事情は粗方察しました。貴方は、今死ぬべき人じゃない」


 魔力を流し込み続ける。

 不味いな。このままじゃジリ貧だ――。

 と、ドタドタと騒がしい足音が廊下から響いてくる。

 警戒し身構えれば、扉を勢い良く開け放ち、鎧を着込んだ兵士達と何時もの執事さんが現れた。


「当主様! っ、これは……」

「丁度良い、侯爵が怪我を負った。急いで治癒士を呼んでくれ!」

「な、ならば私がっ!」


 兵士の一人が手を挙げ、歩み出る。

 彼は侯爵の傷に手を翳すと、治癒魔法を行使し始めた。

 徐々に流れ出る血が止まり、侯爵の顔に色が戻る。この分ならば何とか持ちそうだ。

 ほっと安堵した途端、左目の痛みが酷くなる。思わず押さえれば、メモリーが心配そうに寄って来る。


「だ、大丈夫ですの?」

「大丈夫かどうかで言えば、大丈夫じゃないな」


 左目はもう使い物にならないだろう。

 後で潰れた眼球を取り出しておかないと。腐って病気になってしまう。


「……御免なさい」

「メモリー?」


 俯き震え、謝罪の言葉を口にする少女に目を細める。

 服の裾を掴んだ彼女は、俯いたまま幾度も謝罪を繰り返した。


「御免なさい、御免なさい、御免なさい。メモリーのせいで……」

「謝る事は無い。メモリーちゃんが悪い訳じゃないさ」

「でもっ。貴方を刺して……その上、メモリーを庇って片目まで……っ」


 ぽたぽたと、雫が床に落ちていく。

 意外だな。と、痛みも一瞬忘れ思った。


「俺は、君にそこまで好かれていないと思っていたが」

「それはっ。だって……数少ない友人ですから……」


 一週間の努力のおかげか。どうやら彼女の中での俺の地位は、その程度には上がっていたらしい。

 思わず苦笑する。左目が痛んで、ちょっと頬が引きつった。


「此処に来た時点で覚悟はしていた。これでも冒険者だ、怪我だの命のやりとりだのには慣れている。まして友人を守っての負傷なら、誇らしい位だよ」


 左目を失ったという事実は、決して軽いものでは無い。

 俺自身、衝撃はある。悲しみ、苦しみもある。

 だからこそこういう時は『命が助かっただけましだ』と考えよう、と常々決めていた。先駆者達から教わった心構えだ。

 メモリーがはっとした様子で顔を上げる。やはりその双眸には大粒の涙が一杯に溜まっていて、


「でも、メモリーは貴方を騙していて……」

「別にいいよ。俺だって侯爵を疑って、探るために此処に来たんだ。お相子だろう」

「でも……」

「君に罪は無い。俺が保障する。だからいい加減謝るのは止めてくれ、こっちが困る」


 おどけるように肩を竦めれば、彼女の涙はより濃くなってしまう。

 トン、と寄りかかるように、メモリーが懐に飛び込んで来た。


「ぅ……っ……うぅ……」

(あー、どうしたもんかな。子供をあやした経験なんて録に無いんだが)


 嗚咽を漏らす少女をそっと抱きしめ、頭を撫でる。

 侯爵の容態を窺えば、一命は取り留めたものの気を失っているようだった。

 一安心した様子で治癒士が俺に寄ってくる。どうやら目の治療をしてくれるらしい。

 ありがたく治療されながら、俺は細く長い息を吐く。


(これで、一先ず乗り切ったか――)


 そう安堵した瞬間。ドーン、と腹に響く重低音が、庭の方から響き渡った。

 即座に思考を戦闘体勢に引き戻す。困惑する治癒士に一時治療を中断してもらい、メモリーを預けると、俺は窓際に寄り外の様子を窺った。


「煙が上がっている。爆発? まさか、まだニホンシンコクの兵士が――」


 キラリ、闇夜を裂き飛来する弾丸を視認して、素早く身を隠す。

 窓ガラスが軽快な音と共に割れ、天井に銃弾が突き刺さった。急いで執事さん達に指示を出す。


「狙撃だっ! 死角に隠れて、早く!」


 優秀な皆は、即座に理解し身を動かした。

 窓から狙えない場所に身を潜める。勿論、気を失っている侯爵も一緒にだ。

 続いて二度、三度、庭から爆発音が響き渡った。更に断続的に人の叫び声や、何かが炸裂する音が鳴る。


「戦闘音。戦っているのは、侯爵の私兵か……?」


 警戒しながらも、再び窓から外を窺う。

 敵を確認しようと残った右目で注視すれば、深緑色の制服を着た兵士達が、銃を手に攻め込んできているのがはっきりと判った。

 予想通りといえば予想通りだが、同時に驚きだ。


「端とはいえ王都の中のこの場所で、派手に戦闘行為を起こすのか。もう、隠れている必要もないってか?」


 再びの狙撃を身を逸らしてかわしながら、どうしたものかと考える。

 ざっと見た感じ、侯爵の兵達は押されているようだった。仕方が無い、彼等にとって銃は未知の兵器だろう。満足な対応が取れないのは当然だ。

 しかし、このまま手をこまねいて観戦している訳にもいかない。何とか加勢したい所だが――


(侯爵やメモリーの守りを放棄する訳には……いや、それだったら――)

「お前に任せても良いか? レノア」


 窓から身を離しながら振り返る。

 えっ? と呆ける執事さん達を余所に、入り口の扉に身を預けるように美女が一人、立っていた。

 その特徴的な魔女姿は、薄闇の中でも見間違える事は無い。


「あら? 私の助力が必要なのぉ?」

「ああ。というか何時から居たんだ、お前?」

「ふふ、そこのお嬢さんが貴方に泣き付いた辺りからかしら」

「ふぇっ!?」


 ビクンと身を震わせたメモリーの顔が真っ赤に染まる。

 からかっている場合か。今は緊急事態だぞ。


「組合からの依頼か何かか?」

「ご名答。何かあった時の為に貴方のサポートに着くよう、依頼があってね~。ずっと屋敷の傍で待機してたの」

「その割りには連絡の一つもなかったみたいだが。後、俺が捕まった時点で助けに来いよ」

「幾重もの結界が張られているこの屋敷に、秘密裏に連絡を通すのは簡単じゃないのよぉ? それに下手に貴方に伝えたら、そこから私の存在がばれるかもしれないじゃない。貴方を助けなかったのは、信頼よ。貴方なら大丈夫だろう、っていうね」

「本音は?」

「そのまま連れて行かれれば、相手の本拠地を探る丁度良い餌になるかと思って」

「地獄に落ちろ、変態糞魔女ビッチ」


 睨んでみるが、レノアはふふふと楽しそうに笑うだけ。

 これ以上は無駄だな。というか、そんな事している場合じゃないんだって。


「レノア。加勢して、ニホンシンコクの連中を倒してもらえるか?」

「断るわ。だって今回の戦闘に私、向いてないもの」


 あっけらかんと言い放った魔女に眉を顰める。


「……このままじゃあ、一網打尽だぞ」

「そう言われてもね。もう乱戦になっちゃてるみたいだし、私の呪術でなんとかしようと思ったら、味方ごとなぎ払う事になっちゃうわよ?」

「じゃあ、どうしろというんだ」

「貴方が行けばいいじゃない。私が侯爵達を守っててあげるから」

「出来るのか? 火力馬鹿のお前に?」

「失礼ね。呪術士だからこそ、防衛手段は豊富に持っているのよ。この部屋を守る位わけないわぁ」


 余裕の表情で宣言する魔女に、嘘は無いと判断する。

 仕方が無いか。確かにああいう所に切り込んでいくのは俺の役目だ。

 と、そんな此方の様子を見て取ったメモリーが、慌てて口を挟む。


「ちょ、ちょっと待ってっ。だって、貴方は怪我をして……」

「無駄だよ。レノアは、その程度で意見を変える奴じゃない」

「で、でもっ」

「心配要らない。ニホンシンコクの連中に教えてやるさ。魔法剣の力ってやつをな」


 そこはデッドオーバーじゃないの~? という魔女からの突っ込みを無視し、窓を開け放つ。

 その縁に脚を掛けた所で、メモリーが叫んだ。


「か、必ず!」

「ん?」

「必ず、無事戻ってきなさい! 誇り高きマスマン侯爵の孫娘、メモリー・ラ・ジクー・マスマン直々の命令です!」

「――了解、お嬢様」


 軽く手を振り、ついでに飛来した弾丸を切り払って。

 俺は、闇夜の中に身を躍らせた。

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