第十五話
マスマン侯爵家に護衛に来てから、一週間が経過した。
その間も俺は地道な調査活動を続けている。成果でいえばほとんど零だが。
当たり前だが、出入り自由な部屋には手掛かりの類は存在しない。同様に、末端の兵士や従者からもニホンシンコクに関する情報は全く得られなかった。
本命である侯爵との会話の方も芳しくない。先日の夕食の件を切欠に此方からも会話を振ってみたのだが、全てのらりくらりとかわされたのだ。
実際に戦った事がある、という話には流石に食いついてきた侯爵だが、それも興味本位の域を抜け出さない。必要以上に踏み込んでくる事は決して無かった。
だが同時に俺は確信していた。侯爵はニホンシンコクと何らかの関わりがある、と。
(此方の巻いた情報に対し、踏み込みが甘過ぎる。始めは気付かなかったが五日も続けば流石に分かった。侯爵は意図的に、ニホンシンコクに繋がる話題の時だけ話の流れをコントロールしようとしている)
本来であれば、部署違いとはいえ国防に携わる立場の侯爵はもっと俺の話に喰い付いて来なければおかしいのだ。
それこそ根掘り葉掘り聞く、位の意識があって当然である。何せ表面状の情報だけでも、国家に影響を与えるような可能性を持つ大事なのだから。
かといって全く興味が無い訳でもない。付かず離れず、微妙な距離を維持している。そんな印象。
(俺が分かっているのなら、向こうも気付いているだろうな。俺が探っている事は。だが確信を抱いた以上もう引けない。こうなったら限界ギリギリまで行くだけだ)
猶予も無い。最近、屋敷が俄かに騒がしくなってきている。
侯爵曰く『伯爵の襲撃の兆候を感じ取った』との事だが、何処まで本当か。いい加減痺れを切らして、俺を殺しに来ているのかもしれない。
一応この一週間、隙は見せなかったつもりだ。寝ている間も警戒用の魔法を部屋に仕掛けておいた。これでも魔法剣士だからな、その程度は出来るのだ。
緩まない警戒に隙を突くことを諦めるには、七日は充分な時間だろう。屋敷の動きを考えれば敵にしろ味方にしろ、決戦の時は近いはず。
味方であるならば襲撃してくる敵――本当に伯爵の手の物か、或いはニホンシンコクの刺客か――を打ち倒して侯爵を守る。敵ならば襲い来る侯爵の部下、或いはニホンシンコクの兵器達を撃破、もしくは凌ぎ逃走する。
どちらにしても簡単な道では無い。しかしこの道の先にこの国の未来、延いては俺自身やネア、友人・知人の運命が懸かっているとなれば、頑張らない訳にもいくまいて。
と、そんな風に覚悟と気合を心臓の奥に打ち込んだ俺が今、何をしているのかというと。
「ちょっと、なに余所見しているのです!?」
「ああ御免御免メモリー。以後気を付けるよ」
小さなお偉いさんに付き合わされて、中庭で昼食を取っていたりします。
これはこの数日で上げられた、数少ない成果と言えるだろう。嫌われながらも諦めず彼女との接触を試みた俺は、徐々に徐々にその距離を詰める事に成功したのだ。
具体的には、最初は目も合わせて貰えずまともに会話も出来ず。
そこから何とか会話が成立する所まで漕ぎ着けて、冒険話なんかで興味を引いて。
今では『彼女の暇つぶし』という名目ではあるが、こうして共に行動するまでに至っている。
中々に苦労したよ。情報を得る為とはいえ子供の、それも生意気で無駄に聡くてしかも此方を敵視している女の子の相手など、難しいにも程がある。
これが普通の子供だったら食べ物なり好物なりで釣るのだが。メモリーはあの侯爵の血を継いでいる上に英才教育まで受けてきた、大貴族の子女だ。そんな軽い手に乗るほど単純ではなかった。
結局地道に地道に行くしか無かった、という訳である。誰か俺に癒しをくれ。たった一週間なのに、信じられない程ストレスが溜まってしまった。
(あぁ、ネア。早くお家に帰りたいよ)
今も我が家で待っているであろう最愛の少女を想い、心を慰める。
と、いけないいけない。直ぐに現実に戻らないと、またメモリーにどやされてしまう。
気を取り直し、テーブルの上の料理を口に運ぶ。内陸の王都では余り見られない海の魚を使った料理らしく、食事前にメモリーが慎ましい胸を張って自慢してきたのはまだ記憶に新しい。
身を軽くほぐし、一口。今まで感じたことのない独特の塩味が舌を突いた。
「凄く美味しいけど……なんだろう、不思議な味だな。塩、ではないのか?」
「ん? どうかしましたの?」
「ああ、この料理さ。一体何で味付けしているのかちょっと気になってな」
「味付け? ……スィーア、分かります?」
首をこてん、と傾げたメモリーが背後の女性へ問い掛ける。
ここ数日ですっかり見慣れた彼女御付のメイドさんは、「はいお嬢様」と頭を下げると、そのまま朗々と答えを返した。
「イイの実とキタンの根。それから、最近仕入れた『ショーユ』という調味料を使っているとか」
「ショーユ? 聞いた事のない調味料だな」
「興味が御有りで?」
「ええ、かなり俺好みの味でした。出来れば詳しく教えてもらえるとありがたいのですが」
「それならば料理長に直接聞くのがよろしいかと。或いは他の料理人でも、知っているとは思います」
メイドさんの言葉に「分かりました」と頷き、食事に戻る。
高ランク冒険者として生活に余裕のある俺にとって、食事は特に金を掛ける事の一つだ。多少値の張る調味料でも、入手したいという思いはある。
昼食が終わったら早速聞きに行ってみよう。そう考える俺を、メモリーが興味深げに見詰めていた。
~~~~~~
で。意気込み聞き込んだのは良かったのだが。
「なーんでメモリーと一緒に、屋敷の地下に潜ってるんだかなぁ」
「何か言いました?」
「いや、何でもない。何でもないよ」
ランタン片手に先を行くメモリーに続き、階段を降りて行く。
何故こうなったかと言うと。まず第一に料理長にショーユについて聞いても、その入手方法が分からなかった事が挙げられる。
曰く執事長――侯爵に何時も付いている、あの老執事さんだ――が持って来たもので、仕入れ自体には厨房の人間は関わっていないらしい。
しかもその執事さんは今侯爵に付き添って王城に出向いているのだから、困ったものだ。しょうがない、迎えに行った時に聞いて見るか、とその場は諦めようとしたのだが。
『ならば調べてみましょう!』
と、何故か付いてきていたメモリーが言い出した訳で。
丁度ショーユを使い切って容器を捨ててしまったという料理長の言葉もあり、地下の保管庫に在庫が無いかこうして調べに来た訳である。
(まあ容器を見れば原産地や販売している所が書いてあるかもしれないから、的外れでは無いんだろうけど)
大貴族の家におろされているものだ。そこら辺の記載がしっかりある可能性は高いだろう。
最も、後で執事さんに聞けば良いだけなので無駄足感は否めないが。
(この子と仲良くなる為、と考えれば無駄ではない、のか?)
此処まで距離を縮めておいてなんだが、正直メモリーから情報を引き出す事を俺は八割方諦めていたりする。
何せ時間が無い。この子が持っている(かもしれない)ニホンシンコクに関する情報の断片から真実を突き止めるには、もう日数が経ち過ぎたのだ。
多分、近日中にあるであろう襲撃を乗り越え、下手人から直接情報を引き出した方がよっぽど早く確実だ。その為にも無駄な体力は極力使いたくないのだが。
(どうせやる事もほとんど無いし。この位、付き合ってやるか)
何だかまだ若いのに子供が出来たような気分で、小さな背中を追いかけていく。
目的地へは程なく着いた。重い扉に苦労しているメモリーを手伝い、中へと踏み入る。
「これは……相当に広いな。此処から調味料一つ探すのか」
カンテラの灯だけでは心許ないので魔法で光球を作りだせば、照らされた室内は終わりが見えない程広大だった。
石造りの冷たい床に、無数の木棚が立ち並ぶ。保存の利く様々な食材や調味料、酒などが此処には置いてあるようだ。
「本当に探すのか? 下手すれば日が暮れるぞ」
「うっ……そ、そこは魔法で何とか成りませんの!? 貴方、魔法剣士なんでしょう!?」
「無茶言わんでくれ。補助魔法の類は苦手なんだ」
今更焦るメモリーに言い返せば、彼女はう~と唸り臍を曲げてしまう。
どうしたもんかな。こういう時だけは、一般的な魔法士たちが羨ましいよ。
一応悩んで見たものの、名案など浮かぶ訳も無く。結局俺と彼女は、地道に棚を一つ一つ見ていくはめになってしまった。
というか意地を張った彼女に、俺が強制的に付き合わされたと言った方が正しいか。
「子供らしいねぇ。ま、発端は俺だし。別にいいけどさ」
二手に別れ、俺達はショーユ探しを敢行した。
料理長から容器の特徴は聞いているので大丈夫だとは思うが、見逃さないかと訊かれれば正直自信は無い。
ま、暇つぶしみたいなもんだ。気楽にいくとしよう。
時折メモリーと合流しながら、歩くこと小一時間。通りがかった棚で、俺は特徴と合致する瓶を発見した。
「もしかしてこれか……? まさか本当に見つかるとはな」
期待は一切していなかったのだが。変な所で運が良いもんだ、俺も。
手と同じ位の大きさの円柱型の瓶を手に取り、しげしげと眺める。料理長の言っていた通り上部には綺麗な模様が彫られており、中は黒い液体で満たされている。
瓶の表面に貼り付けられたラベルを確認してみれば、正面(と、思われる)にでかでかと太い線で、『醤油』と書かれていた。
見た事も無い文字だ。そう、見た事も、無い……?
「待てよ。本当にそうか?」
頭の奥で何かが引っ掛かる。
そうだ。俺は何処かで見た事がある。この文字、いや正確に言えばこの『油』という形を。
思い出せ。何処だ、俺は何処で見た……?
何故かそれが重要な事に思えて、俺は必死に頭を働かせた。出来のよく無い脳みその底に沈んでしまった記憶を懸命に呼び覚ます。
と。脳裏に閃光が走った。
「そうだ、あの時。洞窟で遭遇したゴーレムの胴体に刻まれていた文字、その一つ……!」
はっきりと記憶のそれと、目の前の瓶の文字が重なる。
間違い無い。あれとこれとは、同じ文字だ。
(だがどうして。あのゴーレムはニホンシンコクの物のはず。なら刻まれている文字も、当然あちらの国のもののはずだ。それと同じ文字が刻まれた物が、此処にあるという事は……)
繋がる。疑念が一直線に。
「間違い無い。侯爵が仕入れたんだ。何処から? 決まっている、ニホンシンコクから。侯爵ほどの大貴族が、それも命を狙われている状況下で、産地不明の食材など仕入れる訳が無い。知っているんだ侯爵は、これが安全な物だと。これが何処で作られたものかを。つまりっ」
答えは、一つだけ。
「侯爵はやはり、ニホンシンコクと繋がっていたっ……っ!?」
ずぶり。脇腹に、何かが刺さった感触がした。
次いで痛みが走る。事態が把握出来ず、ぎこちなく首を動かせば。
「……メモ、リー?」
「…………」
俯いた少女が、背中に寄りかかってきていた。
視線を下へ向ける。俺の脇腹に刺さったナイフを、彼女が両手で握り締めている。
「――っ!」
ようやっと事態を呑み込み、少女を振り払う。
じくり、脇腹が痛んだ。血が滲み、服が赤く染まっていく。
「何時の、間に……! いやそれより、まさかっ」
油断していた。そう、それはまごうことなき油断だったのだ。
彼女はまだ幼いから、侯爵の悪巧みには関与していないと思っていた。何も知らず、ただ愛でられ生活しているだけだと思っていた。
だが、だが本当は……!
「貴方が、悪いんですよ?」
「あ、ぐっ……?」
咄嗟に剣に手を伸ばし、よろりよろめく。
おかしい。確かにナイフは深めに刺さっている。だがそれにしても、この意識の混濁は。
「こそこそと嗅ぎ回って、お爺様の邪魔をしようとするから。だから、痛い目を見るんです」
「毒……いや、このナイフ、自体、が、魔具……」
傾く身体を何とか維持する。
だが意識の混濁は加速する一方で、魔力を身体中に回し抵抗力を強化するも効果は見られない。
(相当に、高位の、魔具、か。は、やく、抜かない、と)
ナイフに手を伸ばす。だがもう、掴むだけの力も無い。
視界が横向きに変わり、頬に冷たさを感じた。徐々に世界が暗くなっていく。
「お爺様はメモリーのたった一人の家族。その邪魔をするのなら……」
もう、少女の声も満足に聞こえない。
近づいて来るドレスの裾と、その下に見える細い脚を最後に、俺の意識は闇に落ちて行った――。