第十四話
一通り屋敷の中を見て周った後、仕事の為に登城する侯爵を送った俺は、戻った屋敷で手持ち無沙汰に佇んでいた。
侯爵を迎えに行く夕方まで、特にするべき仕事は無い。一応護衛役として何時でも動けるようにしておく為、下手に街に遊びに出る事も出来ないのが現状だ。
侯爵が王城に居る間は邸内待機が基本。窮屈ではあるが、仕方の無い事でもあった。
「とりあえず、もう一度屋敷内をチェックしておくか」
一度見回っただけでは流石に記憶出来た自信は無い。
それに公爵に案内されていた手前、あまり一箇所一箇所をじっくりと見る事は出来なかった。緊急時の避難経路、戦闘に適した場所など、詳しく調べておきたい要素は幾つもある。
それらをチェックするついでに、『ニホンシンコク』に繋がる手掛かりがないか一応探しておくのも良いだろう。
(まあ、この程度で見つかるわけもないだろうが)
そんな簡単にいけば誰も苦労はしない。
此処までまるで全容が見えないニホンシンコクの情報が、そうほいほいと落ちているものか。
「落ちていたら、侯爵は相当な間抜けだな。或いは巧みな罠か」
侯爵は何十年と政治の世界で戦ってきた玄人である。
様々な相手と落とし合いをし、また国外の敵とも多数の駆け引きを行ってきたはずだ。そんな人物がちょいと屋敷の中を調べられただけで分かるような場所に重要情報を置いているのならば、今頃この国は大荒れしている事間違いなしだろう。
「此処の窓から出れば、塀の外に近いか。あそこの木を踏み台にすれば、一気に屋敷から抜け出す事も……」
屋敷の内外を窺いながら、赤絨毯の敷かれた廊下をのんびりと歩いて行く。
大きな窓から差し込む日差しは温かく、所々に設置された絵画や花瓶が控えめに屋敷を彩っていた。
気を抜いている訳ではないが、常に及び腰という訳にもいかない。むしろ怪しまれないよう堂々と、俺は屋敷を練り歩く。
途中擦れ違った巡回の兵士と軽く挨拶を交わしながら、二時間近い時間を掛けて俺は屋敷を巡り終えた。
結果として分かったのは此処が異常に広く、かつ良く手入れされた素晴らしい館である、という事実だけだ。羨ましいといえば羨ましいが、多分俺が主であったら広すぎて逆に落ち着かないだろう。
「貧乏性なのかねぇ。それとも単に、貴族の感性って奴が一般から離れているだけなのか」
どうでも良い事を呟きながら、一旦宛がわれた部屋へと戻る。
此処もまた、広く整った部屋だった。愛すべき我が家と同じ位のスペースがある上、調度品の類は素人目にも分かる高級品ばかり。普通に過ごすだけでも、無駄に気を使ってしまいそうだ。
(まるで異世界にでも迷い込んだ気分だよ。実際調べているのが異世界の国の手掛かりだってんだから、笑えない冗談だが)
もしかしたら突然この部屋が、ニホンシンコクと繋がったりするかもな――。
下らない妄想を、ベッドに飛び込み振り払う。柔らかく、心地よい。ダブルどころかキングサイズだ。
「さて、どうしたものか」
仰向けの体勢で目を瞑る。
疲れを吐き出しながら、俺は思考の海に沈んでいった。
(どうやって手掛かりを掴むか。まさか部屋を一つ一つ、丁寧に調べていく訳にもいかないだろう。何日あっても足りない上に、怪しすぎて危険大、だ)
ただでさえ伯爵の襲撃に備える、という事で警備が厳重になっているのだ。下手な行動は直ぐにばれる。
ならいっそのこと本丸――侯爵の執務室に突撃する、というのも手ではあるが。
「どう考えてもばれるよなぁ。色々魔法も仕掛けてあるだろうし。何よりそれでこの国の機密でも見てしまったら……下手すりゃ俺が国に裁かれるぞ」
忘れてはならないのは、『侯爵がニホンシンコクと関わりがある』というのが他の情報からの推測に過ぎないという点だ。
勘違いで国の機密に手を出したのがばれたら、幾らデッドオーバーの称号を持っていても無事では済まない。執務室に押し入るのは確証を得てからの最終手段にしておくべきだろう。
「情報収集が必要だな。ここで働いている人間に、聞き込みでもしてみるか」
護衛の為、最近侯爵の周りで不審な動きが無かったか調べている。
とでも言っておけば誤魔化しは効くはず。こういった地道な活動が核心に届く事もあるだろう。やっておいて損は無い。
「――よし。そうと決まれば、早速行動!」
ベッドから跳ね起き、両頬をパチンと叩く。
気合と共に、俺は部屋を出て行った。
~~~~~~
一通り使用人や兵士に聞き込みを行った俺だが、然したる成果は上がらなかった。
出てくるとしてもそれは、伯爵に関する事ばかりだ。まあ仕方ない。末端の人間では大した情報は掴めないだろうし、中核に位置する者達は侯爵が直接口止めしているだろう。
「丁度中間に位置する従者達が館を離れているのが、かなり痛いな」
一番情報を得やすいその辺りの人間が、戦闘に巻き込まれる事を避ける為に侯爵に暇を出されているのだ。
戻って来るのは決着が付いた後。館を離れてその人達に会いに行く訳にもいかない。
「八方塞がり……いや、諦めるにはまだ早い。向こうからのアクションを待つだけじゃあジリ貧だ。こうなったら一部屋一部屋、こっそり調べていくしかないか?」
溜息を吐き。俺は侯爵を迎えに行く時間まで、秘密裏に屋敷内を探索し続けたのであった。
本館だけなのに、二十分の一も終わらなかったがな。
~~~~~~
すっかり陽が落ち暗くなった頃。俺は侯爵に招かれ、夕食の席に着いていた。
食堂の中央に置かれた、真っ白なクロスの掛けられた長~いテーブル。その上座に侯爵が着き、向かって右側には俺。左側には孫娘であるメモリーと、三角形を描いている。
二人の後ろにはそれぞれ、執事とメイドが一人ずつ待機していた。扉の両脇と部屋の四隅には兵士達も直立している。
落ち着かない、というのが第一感想だ。組合のような騒がしい空気ならばまだしも、今のようなシーンと静かで何処か張り詰めた空気はすこぶる居心地が悪い。
最も。そう感じているのは、俺だけなのかもしれないが。
(何時もこうなのかね、貴族の食事ってのは。これから毎日こうか……せっかく美味そうな料理なのに、胃が痛いよ)
目の前に並ぶ、種種様様な料理に目を向ける。
柔らかそうな白パンに具沢山のスープ、瑞々しい野菜を使ったサラダに……このステーキは牛だろうか? デザートを含め、他にも沢山。どれも一目で良い素材と料理人を使っていると分かる品ばかりだ。
ただ、思っていた『貴族の食卓』に比べて幾らか地味に見えるのは……多分、侯爵の嗜好の問題だろう。金を持っているからといって何事も派手に、とは考えない人なのだ、恐らく。
「さて。それでは、そろそろ頂こうかの」
「ええ、そうですね。冷めてしまっては勿体無いですし」
「……ふんっ」
相変わらずつんけんしたままの少女に苦笑し、食前の祈りを捧げる。
侯爵とメモリーがしっかりとしたものを行っているのに対し、俺はかなり略式だ。胸元を三角形に軽く叩き、その頂点から手を降ろす。たったこれだけ。
元々田舎の農村出身の俺には、神に祈りを捧げる習慣はあまり無い。何せ神殿も神官も居なかったからな。この儀式も、王都に出てきてから覚えたものだ。
「どうした。そんなに睨んで」
「……いえ、別に。何でもありませんっ」
祈りを終え、じっと此方を睨んで来るメモリーに訊ねてみれば、不服そうに目を逸らされる。
雑な祈りが気に入らなかったのだろう。だが同時に信仰は自由だとも知っているから、文句は言わなかった。そういう辺りは出来た子のようだ。
ちなみに、彼女には普通の子供と対するように接してくれ、と侯爵から告げられている。王城からの帰りの馬車の中で『子供相手に気を使うのは辛かろう』と配慮してくれたのだ。
嬉しいが、同時にそのせいで彼女からの視線が一層厳しくなった。プラスマイナスで言えば僅かにプラス、といった所か。
(何とか親しくなれれば、情報も得られるのだろうが)
子供であるが故の油断や甘さ。そして、ずっと屋敷に居て内情を知り易い、かつ知っても処分されない立場。
現状では彼女を切り崩すのが一番の近道に思えた。高山に続くような、険しい道だが。
機を窺いながら、食事を口へと運ぶ。時折二人と雑談を交えながらの夕食は、ゆっくりと穏やかに過ぎていった。
そんな緩やかな場に変化が起こったのは終盤。果物を摘まんでいる時のこと。
「おお、そういえばマサキ君。先日王城で聞いた話なのじゃが」
口元を拭った侯爵の、何気ない切り出し。改まった雰囲気も無い極々自然な、ふと思い出したという口調であった。
だが俺にとってそれは、背筋の伸びるような話題だったのだ。
「何でも最近、王都を中心とした国内一帯で奇妙な兵器が出没するようになったとか」
「……奇妙な兵器ですか。それはまた、物騒な話ですね」
震えは、していなかったと思う。
努めて平静を装い手を拭う。食事を終えた後の軽い腹ごなし。そんな流れを装って、侯爵の話題に乗って行く。
「そうじゃな、物騒な事じゃ。此処暫く大きな戦争もなく平和な時が続いていたというのに、全く以って嫌な話じゃのう」
「ですが、見逃す訳にはいかない話でもありますね。特に侯爵にとってはそうなのでは?」
「ほ? ワシがか?」
「ええ。国政に深く関わる侯爵にとっては、頭を悩ませる事態でしょう?」
「ほほ、確かにそうじゃのう。ワシは軍部とは余り関わっておらぬから、今の所は伝え聞く程度じゃが。もしその兵器とやらが本格的な脅威になりそうなら、ワシも含め賢老会の皆で話し合わなければなるまい。全く、普段の政務だけでも一杯一杯だというのにのう」
「ご冗談を。侯爵の手腕の素晴らしさは、私のような冒険者にまで届いていますよ」
「嬉しい事を言ってくれるの。じゃがワシも年でな、体力が持たんのじゃよ。その点マサキ君は良いのう、若くて体力が有り余っておる。聞いたぞ? ワシの護衛の為に、皆に話を聞いて周っていたとか」
「ええ、そうですね。侯爵のお傍にくっ付いているだけでは、いざという時守りきれるか自信が無かったもので。自分なりに動いてみようかと」
「結構結構。じゃがあまりはしゃいで動き過ぎて、肝心の時に傍に居ない……などというのは勘弁しておくれよ?」
「勿論です。そこは任せて下さい」
勘付かれている。何処まで? 分からない。
知られている? 何処まで? もう猶予は無いか?
いや。こうして会話に付き合ってくれているという事は、侯爵もまだ強硬手段に出る気はないはず。まだ探れる。まだ調べられる。
極力自然に愛想笑い。と、横合いからジト~と嫌な視線が突き刺さった。
「ん? 何か用かな、メモリーちゃん」
「……ふん。何でもありませんっ」
「これこれメモリー。すまんのうマサキ君、この子は嫉妬しておるのじゃよ」
「嫉妬?」「お、お爺様っ!」
「ほほほ、然様。ワシが君とばかり話している事が気に食わんのじゃろう。全く、もてる爺は辛いのう!」
ほっほっほ、と侯爵が高笑い。
対照的に、メモリーは恥ずかしそうに顔を朱に染めながらぷんぷんと怒っている。
微笑ましい光景に、同時に感謝した。危険な方向へと流れていた空気が、彼女のおかげで一新されたのだ。
勿論、ニホンシンコクの情報を得に来た俺としては、侯爵を探る会話は必要だ。だが急ぎすぎれば沼に嵌る。そういう意味で、先程の会話がこれ以上に過熱する事は此方にとって不利益でしかなかっただろう。
多分、あのまま会話を進めても攻められるのは俺だけだ。侯爵から満足に情報を引き出せる流れにない。鈍い俺でも何となく察せる。
(始めに侯爵から切り出されたのがまずかったな。会話のイニシアチブを完全に取られた。此方に余裕がなく、あちらが万全の状態では、地力の差で絶対に勝ち目は無い。探るのならば、此方の状態を整えた上で望まなければ)
最も有効なタイミングは恐らく、王城への送迎の時か。
馬車の中には俺と侯爵、それから執事の三人だけ。外に護衛の兵士は居るが、失敗してもリスクは少なく逃亡が容易だ。
そして三人だけ、しかも執事は基本控えているだけという関係上、俺と侯爵の間で自然に会話が発生する。そこで此方からニホンシンコクに繋がるような話題をそれとなく切り出す、というのが一番ではなかろうか。
(時間制限付きというのも良いしな。上手くいかず不味い流れになっても、目的地に到着すれば会話は一旦途絶える。今回のように誤魔化せるのだから)
可愛らしい文句を重ねるメモリーと、あしらうように笑う侯爵を見やる。
使用人への聞き込みを行っている中で判明した事だが、侯爵の娘――メモリーの母――は既に亡くなっているらしい。詳しい所までは聞けなかったが賊の襲撃によるもので、婿入りしてきた義息もまた、その際一緒に亡くなったのだとか。
メモリーがやけに俺に突っ掛かってきた理由の一つが此処にある。護衛として雇われていた冒険者が仕事をせず、逃げ出したというのだ。それ以来、彼女は冒険者を嫌っている。
侯爵は貴族としては珍しく、子が一人しか居ない。婦人も既に病気で亡くなっている。あの二人にとっては、互いが唯一の家族なのだ。絆の深さは当然と言えるだろう。
そんな二人を己が引き裂くかもしれない可能性に、少しばかり憂鬱になりながらも。無事、夕食の時間は終わりを告げたのであった。