第十話
ドラゴンという魔物を一言で例えるのなら、『王者』である。
飛竜、地竜など種別の違いはあれど、どの分野においても圧倒的な力を誇る。それがドラゴンという種族だ。
ランクは当然Sランク。固体によって力の差はあるが、どんなに弱くともAに落ちることは無い。それ程までに絶対的な力を持つ魔物である。
反面、個体数は少なく、知能も高いため人の多い場所には滅多に来ない。彼等は理解しているのだ、幾ら自分達が強くても、数の暴力には勝てないと。
だから、人の多い王都近郊にドラゴンが現れる事はありえないはずだった。
そう、だった。そのはずだったのだ。今正に目の前に居るという現実を除いては。
「はははははー! ドラゴンだよマサキくん、本物だぁぁぁ! まさかこんな所で出会えるなんて、いやー感激だなぁ!」
「喧しいぞミキシ! 良いから脚を動かせ、焼かれたいのかっ」
迫る炎から逃れながら、俺はミキシの首根っこを引っ掴む。
持ち上げ、跳んだ。足元を焼く炎に冷や汗を流しながら、ドラゴンの射程外へと距離を取る。
「世話を焼かせるなっ。術の準備が整っていない今、まだ殺される訳にはいかないだろうがっ」
「いやー、感謝感謝。君の助けがなければ、僕は今頃骨まで熔けていたかもねぇ」
この状況で暢気に笑えるとか、本当にイカレタ奴だ。
顔を顰めながら掴んでいた手を離す。べしゃりと地面に落ちるあいつを余所に、俺は剣を抜くと上空のドラゴンを睨み付ける。
「飛竜か。まずは攻撃の届く範囲まで降ろさないと話にならないな」
俺は長距離攻撃が得意では無い。ミキシも主戦場は中距離だ。
ドラゴンの頑強な鱗、或いは丈夫な翼を射抜いて地に落とすのは至難の業だった。このままじゃあ嬲り殺しだ。何か作戦を考えないと。
(だけど辺りには利用出来そうな地形も無いし……いっそでかいの一発、行っとくか?)
俺とて馬鹿では無い。空を飛ぶ敵を撃ち落す、そんな事が出来る技も持ってはいる。
だがこの距離では当たるかどうか。普通に撃ったんではかわされて終わりだろう。
「おいミキシ、手を貸せ。一緒にあいつを撃ち落して――」
同行者に協力を呼びかけようとしたその時。ドラゴンが一際大きく息を吸い、口先に巨大な火球を生み出した。
まるで小さな太陽だ。人間の三倍はあるその球を、ドラゴンは咆哮と共に撃ち放つ。
「ギギアアアァァァッ!!」
「まずい。跳べ、ミキシっ!」
「あいさ合点!」
ミキシと共にバックステップ。着弾予測地点から必死で離れる。
直後、小さな太陽が地に堕ちた。轟音と共に火球は弾け、爆風が俺達の身を叩く。
「頑張れー、マサキくん」
飛んで来た石礫を纏めて斬り捨てる。こっそり俺の後ろに陣取りやがったミキシの分も、ついでにだ。
ほんと、ちゃっかりしてやがる。そう、内心悪態を吐いた瞬間。
「は? ちょ、何――」
着弾地点を中心に、地面が大きく罅割れた。
あっという間に広がった皹は俺達の足元にまで及び、次いで地面が砕け落ちる。
「んな馬鹿な――!?」「あははははははは!」
何が楽しいのか嬌声を上げるミキシと共に。俺は、突然の落下に絶叫したのであった。
~~~~~~
「駄目だな。何処も塞がってる。鼠一匹抜ける隙間は無さそうだ」
周りを岩に囲まれ、密閉された空間の中、落胆の息を吐く。
崩落から三分。潰されなかったのは幸いだが、俺達は完全に地下に閉じ込められてしまっていた。
どうやら元からここら辺には空洞があったらしい。あのドラゴンの火球で、地面がそこに丸ごと落ちたという訳だ。
落下した時間や体感距離から考えて、そこそこ深そうだ。ドラゴンの追撃が無いのはそのおかげだろうか。
「破れそうな場所は無いのかい?」
「出来なくはないだろうが。下手な場所を破れば、余計に周りが崩れるぞ」
座り込みゆらゆらと頭を揺らすミキシに忠告しておく。
面白がって勝手に行動されては堪らない。あいつだけではなく俺の命も懸かっているのだ、出来る限り慎重に解決したい。
というかだ。どうして閉じ込められるのがこいつとなんだ。こういう時は美女・美少女と一緒、ってのが定番じゃないのか。
半ば現実逃避しながら、俺は近くの岩に手を当て魔力を練り上げる。
「ん? 何の魔法だい?」
「探査魔法だ。これで安全に破れる場所を探す。得意じゃないんで時間は掛かるがな」
へー、とミキシが間抜けな声を出した。
こいつ、この山に来てから何の役にも立ってないんだが。此処から出たら死ぬほど働いて貰わないとな。文字通り。
探索魔法に意識を集中する。外れ、外れ、此処も外れ。次は……。
「あーあー。マサキくんが飛行魔法を使えたら、そもそも落下しなかったのになぁぁ」
「魔法剣一筋の俺がそんな高位の補助魔法を使えるか。というか話し掛けるな、集中が途切れる」
「良いだろ~。どうせ時間が掛かるんだ、世間話でもしながらゆっくりやろうじゃないか」
一理ある、と思った。不得意な俺の探索魔法など、集中してもしなくても実際大して変わらない。
黙って魔法を行使し続けるのも暇なので、俺は岩壁に手を着きながら、ミキシへと振り返る。
「で。そう言うからには面白い話題の一つや二つ、あるんだろうな」
「無いよ。そんなもの」
きょとんとした顔で言い放たれた。
「お前なぁ……」
「あ、でも気になる事ならあるよ。どうしてマサキくんはそんなにも魔法剣に拘るのか。前々から聞いてみたかったんだ」
うきうきした顔で問われ、つい渋面を作る。
ミキシが少しだけ表情を引き締めたのが分かった。
「聞いちゃまずかったかい?」
「いや。そうだな……お前とはもう三年の付き合いだが、話した事は無かったか」
積極的に広めるようなものでは無い。だが、一応は友人と言えるこいつになら、話してもまあ良いか。
後から気になる気になる、と付きまとわれても敵わないし。
「んん……。何から話したものか。俺が田舎の農村出身だ、ってのは知らないか」
「特に聞いた事はないね」
「はっきり言って、何も無い村だったよ。畑で取れた農作物と、近くの森で獲ってきた木の実や野草、野生動物。それで日々を過ごしている、百人に満たない小さな村だ」
平和な村だった。近くに大きな街があるおかげで、巡回の兵士が村近くにまでやってくる。だから野党や山賊、魔物の類もほとんど居ない。
村には一応自警団があったが、戦っている所など見た例がなかった。そんな何処にでもある、ありふれた村だ。
「切欠は、俺が十歳の時。属種を選択する為、他の子供達や保護者と一緒に神殿の存在する街へと向かっていた時の事だ」
人数は、俺を入れて子供四人保護者四人。村には馬車なんてものは無かったので全員徒歩だ。
子供の脚でも野宿する事無く辿り着ける。街は、その程度には近かった。
「うきうきと、心躍らせていたよ。メインは親父と同じ農耕士にすると決まっていたが、サブは自由に選んで良いと言われていたからな。大体は決めていたが、それでもギリギリまで悩もうと思っていた」
「それが魔法剣士?」
「いや、違う。俺は最初は魔法士にしようかと思っていた。やっぱり魔法を使う、ってのは憧れだったからな。それが変わったのは、街道を半ばまで進んだ時の事だ」
狭い村だったから皆顔見知りで、楽しく話しながらの道程だった。
これから行く街について。最近の田畑の実りについて。先日あった結婚式について。何ということも無い、とりとめも無い話ばかりだ。
変化は、突然。
「魔物が襲って来たんだ。それも、その辺りでは高位の魔物だった」
「ドラゴンとか?」
茶化すように言われ、肩を竦める。
「まさか。今の俺なら、鼻歌歌いながら五秒で殺せる。その程度の魔物だよ。けど、当時の俺達にとってはドラゴンにも近しい脅威だった」
身体能力で劣る上、子供も居るのだ。逃げる事も出来ず、戦うしか道は無かった。
大人達が武器を手に前に立った。皆、真っ当な武器では無い。護身用のナイフとか、農具を改良した槍とか、それが限度だ。
「当然、勝てる訳が無かったよ。力も無い、経験も無い、碌な武器も無い。あっという間に俺達は半分にまで減らされた」
もう駄目だと思った。血を流し倒れる父を揺すりながら、死を覚悟した。
「そんな時だ。偶々通りがかった冒険者のチームが、俺達を助けてくれてな。魔物をぶっ倒してくれた」
「へぇ。じゃあ魔法剣はその時に?」
「ああ。その時負傷者の治療と、俺達子供の守りについてくれた修道士。その人のサブが魔法剣士だったんだ。……俺達を守る為、牽制用の短剣に纏わせた魔法剣。それが、俺が人生で初めて目にした魔法剣だった」
今でも目に焼きついている。あの、小さくも美しい輝きは。
「衝撃だったよ。当時美しいものなんて、青い空と森の花と、ピカピカの農具位しか知らなかった俺は、一発で心を撃ち抜かれた。殺された幼馴染や、倒れる親父さえ一瞬意識から消えてしまう程に」
「それは凄いねぇ。子供特有の憧れ、ってやつかな?」
「かもな。そこからもまあ色々あったが、結局俺は当初の予定を曲げて、魔法剣士になる道を選んだ。当然皆からは反対されたよ。神殿の神官まで『魔法剣士をメインにするのはやめた方が良い』と言ってきた位だ」
「だろうね。君には悪いが、僕だって自分の子供が魔法剣士になりたい、何て言い出したら止めるだろうさ」
ミキシの言い分に少しむっとしたが、言い返すのは止めておく。
実際、魔法剣士は楽な属種では無いからだ。それは俺が誰より良く知っている。
「それで? 反対された君はどうしたんだい?」
「メインだけじゃ駄目なら、サブも魔法剣士にすれば良いんだろ。って言って、両方魔法剣士にした」
「馬鹿だねぇ。幾ら子供とはいえ、擁護しようのない馬鹿だ」
「知ってるよ。……あの時の周りの大人達の顔は今思い出しても笑えるよ。皆揃って、ポカンと口を開けていた。信じられないってな」
それでも最後は此方の本気を認めてくれたのだろう。
親父は無言で頷いてくれた。村に帰ってから、母さんと大喧嘩していたが。
(いや、あれは喧嘩じゃなくて親父が一方的にやられていただけか)
思い出し、苦笑い。二人で必死に頭を下げて母に許しを請うたっけ。
懐かしさに浸り頬が緩む。そんな俺を見て、ミキシが軽く首を傾げていた。
「しかしなる程。それでマサキくんは魔法剣に拘る訳か」
「ああ。簡単な道では無かったよ。中々強くなれないし、周囲からは馬鹿にされるし。でも、後悔した事は一度も無い」
それだけは、はっきりと言える。
どんなに馬鹿にされても。どんなに苦労しても。自分の好きな、自分の道を歩いているのだ。後悔なんてする訳が無かった。
「……ふふっ」
「? どうした、急に笑ったりして。俺の話はそんなにおかしかったか?」
「いやいや。素晴らしい話だったよ。それに……笑っているのは君もだろう?」
「俺も?」
言われ、頬に手を当てる。
少しだけ筋肉が上にあがっていた。口元も僅かに弧を描いている。
ああ、俺は笑っているんだな――自覚して、思わず鼻を鳴らす。
「さて、お喋りはこの位にしとこうか。そろそろドラゴン退治をしないとな」
「破れる場所が見つかったのかぁい?」
「ああ。流石に王都の近くに、あんな高位の魔物を放ってはおけないし……何よりやられっぱなしじゃ面子が立たない。って訳で、お前にもしっかり働いてもらうぞ。ミキシ」
「はいはい。分かりましたよー」
やれやれと首を振るミキシを余所に、俺は剣を抜く。
たっぷり休んで気力も十分。さあ――
「反撃開始だ」
~~~~~~
「むむむ、動きがないのう。もしやあのまま潰れて、息絶えたか?」
アグメ火山の一角、岩場の陰から身を出しながら、女は双眼鏡で遠方を窺う。
拡大された視界には、崩落した大地が映る。視線を上げれば、その上を飛ぶ巨大な飛竜の姿もはっきりと視認出来た。
「確認しに行ってはどうでしょうか、中佐!」
「馬鹿者! 今あそこに言ったら、僕ちんまで竜に食われてしまうだろうが!」
背後から提言してきた部下の頭をぽこりと叩く。
彼女も、その後ろに控える数名の部下達も、皆おかしな格好をしていた。少なくともこの世界基準では。
深緑色の、何処か堅苦しさを残した服装。所謂軍服と呼ばれるそれには、小さく『日本神国軍』と刺繍されている。
彼等は全員、此処とは違う世界――『地球』に存在する『日本神国』、その軍人なのだ。
小太り厚化粧の指揮官、山田美衣菜洲――階級は中佐――が再度双眼鏡を覗き込む。
「う~む。しかし本当に動きがないのう。この世界の最大個人戦力だというから、こうして僕ちんがわざわざ罠を用意してまで潰しに来てやったというのに。全然大した事ないじゃないか。せっかく現地協力者に言って、蜥蜴モドキまで用意させたというのにのう」
ぼやく女に、部下達が同意するように頷く。
崩れる大地と共に落ちて行った標的達は未だ動き一つ見せていない。
どんなに不思議な力を持っていたとしても所詮は一、人間。ぽっくりとあの世に行ってしまったのではないか。
そう考えた美衣菜洲が、今後の行動を悩み始めた時。
「ななな、何じゃあ!?」
突如爆音と共に、大地が巨大な飛沫をあげた。
地から伸びる光が天を貫く。慌てて双眼鏡を覗き込めば、崩落した大地の一角が軒並み吹き飛んでいるではないか。
「ど、どうなっておるっ。衛星砲でも撃ち込んだのか!?」
この世界にそんなものは無い。そう分かっていても、美衣菜洲は無意識に口に出していた。
振り向く彼女に、部下達が「分かりません」と揃って首を振る。
ええい使えん奴等め、と愚痴りながら、美衣菜洲は再度双眼鏡を覗き込む。
「むっ? 奴等め、生きておったのか」
レンズ越しに、二人の青年の姿が網膜に映る。
地下に落下して行ったはずの標的達だ。どうやら、何らかの手段で岩盤を吹き飛ばしたらしい。
「ええい、しぶとい奴等だ。この調子だと蜥蜴モドキも役に立つか怪しいものだの。総員! 狙撃体制を整えるのだ。蜥蜴で駄目な場合は、僕ちん達の手で奴等を討つ!」
「はっ! 了解しました、山田中佐!」
敬礼し、狙撃の準備を始めた部下達に満足気に頷き、彼女は再度双眼鏡を覗き込む。
その度肝が抜かれる事になるのは、このほんの数分後の事である――。