第一話ボックス
きっかけは世界共通のSNSで、元カノのプロフィールを見つけた事だった。未だ気持ちの整理がつかない主人公は、その日をきっかけに自ら過ちを重ねていく……
―――元カノとは、友達だから問題ないの?
―――Tfitter
世界で一番利用している人がいるという有名なSNS。
一回のつぶやきで150文字まで打つことができ、利用者が思った事や何気ない一言を自由気ままに呟くことができる心のよりどころとなっている代物。
そんなアプリを俺は先月友人に勧められてインストール、登録までしたものの、機械音痴も相まってか全然使う機会がなかった。Tfitterは俺のスマートフォンではなく、PCの方に入っている。そもそもPCは大学のレポート作成以外使用しないために自然と使う状況になることは無かったのだ。
そんなある日、たまたま大学のレポートを作成していた。
窓を見ると、しとしと雨が降っていて、薄いカーテン越しでも小雨程度だと判断できる。かれこれ一時間半は作業に没頭していて、集中力が途切れてしまった俺は何気ない動作でTfitterを開いた。
フォロワー数も少なく、俺に進めてくれた友人と好きなアーティストの公式アカウントの二つのみ。
当然TLもその二つのつぶやきで埋め尽くされていた。
友人の投稿しているつぶやきを見る限り、充実した大学生活を送っているらしい。『夕飯は彼氏とラーメンです』だとか、『今日は二か月記念!デートが楽しみ♡』など、とても幸せそうなつぶやきで羨ましく思っていた。
…ふと。TLを眺めていると、とある人物の顔が脳裏をよぎった。それは高校時代付き合っていた”元カノ”の事。彼女の名前は柳本みうな。高校一年時、一目惚れしてから告白までの流れはまさに激流のごとし。高校生活の三年間を共にしてきた。しかし、卒業式を境に彼女は俺に別れの言葉を告げて、俺の前から消えて行ってしまった。正直なところ、別れたことを恨んだり、悲しんでいるわけではない。
―――遠距離は辛いし、君の事を好きになれなかった。
その一言を最後に、俺とみうなは恋人関係を終わらせ、以降疎遠となってしまったのだ。
あの時の表情も謎めいていた。残念そうにも、悲しげでも無く、ただただ苦笑の笑みを浮かべていた。それに、三年間も付き合っていたのに『好きになれなかった』という理由も腑に落ちない。
遠距離で付き合っていける自信が無く、なし崩しに別れを受け入れてしまったものの、もっとこう……なかったのだろうか、とさえ思う。
遠距離が辛いだとか、他に好きな人ができた、だとか。とにかく、謎だけを生んで今日までの俺を背中から引っ張られていた。
それなのに、何故か急に彼女の顔が脳裏に浮かんできて、気が付けば慣れないTfitterを駆使して彼女の名前を検索している。
……もしかすると、大学に入学してもまだ、未練がましくみうなの事を想っているのかもしれない。
時たま、ふと流れる涙はそのせいなのかもしれない。
「あれから二年……か。なにしてんだろうな」
特に意味も無く零すひとり言。
右も左もわからぬ手つきで検索をかけ、クリック音が何度も響く俺の部屋。さらにしとしとと降る小雨が余計にクリック音の響かせているような気がする。
一回、二回、三回、四回……
「あ、引っかかった」
”柳本みうな”という名で、彼女のプリクラアイコンで、プロフィール欄には『〇〇大学経済学部。××高校卒業。趣味はドライブ』と書かれていて、それは紛れもないみうなのアカウントだった。
久しぶりのみうなの顔を見て思わず頬が緩んでしまう。それと同時に、俺は見てはいけないものを見てしまう。どんなつぶやきをしているのかスクロールさせ、最初の呟きがそれだった。
『今日は一周年記念日!久々のデートで海に行ってきました!!これからも末永くよろしくお願いします♡』
一周年記念、デート、末永く……
それはつまり?と、ここで脳が停止する。そんな呟きと共に投稿されている画像は紛れもなく彼女の姿で、傍らには彼氏と思われる高身長な男性。
「……」
一瞬舞い上がっていた気持ちが、急速に冷えていくのを実感した。
大学生だからか、高校時代の容姿とは異なって派手さを増し、髪も茶髪に染めていて彼女なりの大学生活を謳歌している模様。
「……まぁ、みうななら彼氏くらいできてもおかしくないよな」
真面目で明るい子だったわけで、二年も月日が経って彼氏ができない方がおかしい。高校でも人気の高い子ではあったんだ。更にいい男捕まえて恋人生活おくっていてもおかしくない。元カレであった俺がそう思っていたんだ。誰も思わないわけがない、と。
「……今更何の用だよって話なわけだ」
心が痛い。
それは、未練が残っている証拠だと改めて認識した。諦めろ、と何度も心で念じるも俺はあの時の―――こう付き合っていた当時の彼女が見せる笑顔を思い出してしまう。
そして、思い出すたびにこう思ってしまう。
……もう一度会って、話がしたい。
だけど、そんな勇気が出ない。見た感じみうなの今カレは体格的に体育会系の男性だと直感した。威圧を感じ、何もしていないのに既に尻込みしている自分が実に情けない。
そして、どんどん自分を追い込むかのようにみうなの過去の呟きを遡っていく。昔と変わらない眩しい笑顔に指にきらめく彼氏とおそろいの指輪。幸せ最高潮といったところだろうか……見ていてあまり面白いものではない。即座にスクロールして視界から逸らす。
…が。
「(いや待って……確か呟きに……)」
スクロールして一番最新の呟きに戻す。そしてコメントを読み上げる。
「……久々のデート」
ふと連想するのは、彼氏が忙しい、或いはみうな自身が忙しいというり理由での久々デート。
それとも同じ大学の彼氏じゃないのか、はたまた社会人の彼氏なのか……あるいは年下彼氏、高校生だったりするのだろうか。
などと妄想に明け暮れる中、まるで乗り移られたかのように履歴を遡る。
なにか……何か彼氏に関する呟きは、などと必死に探しても、ある呟きは食事の呟きは、友達との一枚だとか、バイト先での愚痴だとか。
みうなは彼氏の呟きを一切しないのだろうか……?
いいや、そんなわけがない。第一に最新の呟きが彼氏とのデートのことなのだ。ないわけがない。そう思い、一心不乱にスクロールを動かすと、
「あった……」
最新の呟きから二か月も前の呟きにソレはあった。
だけど、その呟きは確かに疑問を与えるのに充分なつぶやきだった。まずは理解するのに強いられてしまった。
―――彼氏が離れてしまいました。でも大丈夫!遠距離でも頑張ろうね!(^^)!
「……遠距離?」
俺には理解し難かった。
つまりは……。今、”みうなは絶賛遠距離恋愛をしている”という事実を知るのに数分時間を要した。何故だかはわからないけど、みうなは今現在遠距離恋愛をしているしているのだ。
そして、俺はもう一度思い出す。
『遠距離は辛いし、君の事を好きになれなかった』と、あの時みうなは言った。最初に浮かんだのは『俺の事を好きになれなかったから遠距離ができない』んだという彼女の考え。でも実際は三年間もお付き合いをしているわけだし、好きになれないのならそもそも三年間も恋人関係を続けている理由にもならない。なのにたった一年の付き合いである今の彼氏とは遠距離恋愛ができるという妙な矛盾。
心境の変化なのか、そうでないのか……。
とにかく今はもう何も考えなくなかった。ただただ吐き気がしてきた。
「なんなんだよくそ。俺の時は好きにもなれずに三年間付き合って、遠距離だから別れようって言ったくせにさ」
さっきまであった未練は成りを潜め、今はただ怒りだけが俺の心を支配していた。
俺はみうなのタイムラインを元に戻し、ふと右側にあるフォローボタンに目が留まる。
ここでフォローしたらまたみうなとの繋がりが得られる。
しかし、彼女に対して怒りも沸いているわけだし、そもそも元カレである俺がどの面下げてフォローしろと言うのだろうか。それに、元カレの俺からいきなりフォローされたら、最悪ブロックされる。彼氏がいるならなおさらだ。
みうなの性格を考えてみても、彼氏がいるのに男と連絡を取り合うような子じゃない。
いきなりフォローとかじゃなくて、もっと不自然じゃない何かいい方法があればいいのだが……
俺はおとなしく彼女のページを閉じ、そのままTfitterも閉じて元のデスクトップ画面に戻す。
一瞬、友達という単語が脳裏をよぎった。もしかすると、この怒りも次第に薄れ、気軽に声をかけて友達関係へと戻るという未来があるのかもしれない。
そんな未来を俺はこの瞬間望んでしまった。友達ならまた会って話しながらご飯食べたり遊びに行ったりしても何もおかしくない。至極当然の事だ。だけど、恋人関係をやめ、友達に戻るというのは酷く神経を使うのではないだろうか。
最初は気まずいかもしれないし、むしろ、みうなはそれを望んでないかもしれない。俺の一方的な願いを彼女に押し付けてもいいのだろうかさえ思ってしまう。
「……」
何度も悩んだ末に、俺は性懲りもなくTfitterを開いてみうなの名前を検索ワードにかけてページを開く。そしてフォロー欄にマウスを持ってきて……そしてまた躊躇う。
申請するか、否か。下手するとこのままでよかったのにさらに悪化させてしまう―――なんてことも考えながら、だけど彼女ともう一度話がしたいという一心な願いを込めて、マウスにかけている人差し指に力を―――
「もしもし?」
「っ!?!?!」
急に背後からノックが鳴り、俺は咄嗟にブラウザを閉じた。
柔らかく、透き通った声が俺の脳に警報を鳴らした。
「な、なに?」
「あの……課題は順調かな?」
物音立てずに扉を開き、中に入って来たのはショートヘアで控えめに尋ねてくる女性。
俺と同じ大学の同じ学部の一つ年下の女の子―――名を小鳥遊涼音。
ひょんなことから俺と涼音は知り合い、そして現在の関係へと至った。元カノのみうなと正反対の性格で、だけどアイツにはもっていないお淑やかさを感じる女の子だ。
そんな涼音には『レポートをするから静かにしていてくれ』と伝えて、今の今までPCでレポートをしていたことになっている。語弊はあれど、事実レポートには取り組んでいたし、休憩がてらにSNSを開いてたまたまみうなの顔が脳裏をよぎったのだ。
―――俺は何も悪くない。
そもそも、落ち着いて考えてみれば涼音はみうなのことを知らないのだ。わざわざ悪いことをしていたかのように焦ってSNSを閉じなくても良かったのかもしれないな……。
「まぁぼちぼちかな。息抜きしながら取り組んではいるんだけど、どうもあの大滝教授の講義とレポートのテーマが捻られて難しいよ」
「あーそうだね。あの先生他大学からの評判は高いんだけど、うちの学生の評判が悪いのってそういうところがあるからだよね~」
心底わかる、といった感じで大きく頷く涼音。
彼女が離れていったのを見計らって、俺は小さくため息をこぼす。俺としたことがすっかり涼音が来ていた事を忘れていた。息抜きのつもりだったのに……なのにTfitter見始めたらつい夢中になってしまった。よくツフィ廃なんて言葉を耳にするけれど、このSNSにハマっていくその瞬間に出会ってしまったのかもしれない。
……彼女にレポートなんて嘘ついて、夢中になって元カノのTfitterのページを見ていた。
違う。
別に嘘を付いたわけではない。パソコンを起動して何気ない動作で開いたのがTfitterで、決してみうな目的で手が伸びたわけでは無い。無意識だ、よくあることだ。
「気になってレポートに集中できない方がよっぽど問題だよな?」
とはいえ、あそこまで見てしまった以上、気が済むまでみうなの近況を一通り見てやろうかな、と思って再びPCに向き直る。涼音は物分かりの良い彼女だ。しばらく部屋に向かわなくても放っておいてくれるだろう。
何度もクリックして彼女のページを探す。
一番上に来る呟きに変化は無し、あまり見ていていい気分にならないのですぐさま下へ下へスクロールしていく。やっぱり頭に来るのが例の遠距離に関する呟き。
俺はどうしてこんなにも頭が来るんだろうか。
別れた元カノの今を知り、知って頭に来ている。まるで自業自得な行動に、理由が見えなくなる。
まだ俺は、未練があるのだろうか?
それとも、俺は……
俺は、二度目のノックが鳴るまでみうなのTfitterから離れる事ができなかった。
―――そして、この些細なきっかかが、よもやあんな結末を迎えるだなんて……誰が想像できただろうか?
その結末は……俺の……