6:英雄候補生 ~白鳥 翔矢~
刺激がほしい。
人生は退屈だ。刺激が足りない。
特定の部活には所属していない。練習に参加しろと時間を制約されるのが気に入らないし、他の部から応援を頼まれた時に動きづらくなるからだ。
各部活の大会のあるときにだけ助っ人として参加する。実力が伴わなければ問題だが、試合に勝てればそれでいいだろう。
変な意地でもって助っ人を依頼してこない部もあるが、そんなところは俺の知ったことではない。
好きにやって負けるなら、それもそいつらの自由だろう。
勉強もそこまで努力する気になれない。
むしろ、同級生が必死になって学習塾に通う意味がわからない。
多少自宅で予習をしておけば、あとは学校の授業で十分だろうに。
最低限やることさえこなしていれば、全国模試で10位以内なんていうのは当然の結果として付いてくるものだ。他の連中は最低限のことすらできていないのか。学習塾には何のために通っているのだろう。
恋愛にも興味がない。
顔も名前も知らない連中から毎日のように告白されて、俺にどうしろというのか。
告白してくる女子らには申し訳ないが、もう誰から何を言われたのかすら思い出すことができない。
毎度同じような事を言われ、同じ言葉を返さないといけない俺の身にもなってほしい。
全く、人生は退屈だ。
このまま軽く大学でも行って、医者にでもなるのだろうか。それとも政治家でも目指すか。
なんでもいい。どうせ熱くなれることなんてないのだから。
「おっはよー翔矢。今日も辛気臭い顔してるね! イケメンが台無しだよー?」
そんなことを考えながら登校していると、後ろから肩を叩かれた。
「うっせーよ奈津美。今日もどうせいつもと変わらない一日が始まると思えば溜息も出るっての」
こいつの名前は奈津美。俺の幼馴染で同級生だ。
家が近くて親同士の仲が良いせいか、物心つく頃には既に一緒にいた。
幼稚園から小学校の間は大体共に行動し、中学の時はちょっと距離を置いてた割に、同じ高校に入学してからは今みたいに気安く声を掛けてくるようになっていた。
奈津美は容姿はそれなり。運動神経は抜群。陸上部に所属している。
勉強は昔から苦手なようで、幼い頃はよく面倒を見てやっていた。
中学のときも成績は良くなかったはずだが、よく同じ高校に入れたものだ。
明るい性格で社交的なせいか、男子からの人気も高いらしく、奈津美に告白する前に俺に許可を取りに来る奴が多い。
何故俺に聞くのか理解できないから好きにしろと突っぱねているが、告白が成功したという話は聞いたことがない。
以前、奈津美本人に、誰かと付き合わないのか聞いたことがあるが、どうやら別に好きな男がいるらしい。なかなか振り向いて貰えず大変だとか。
逆に俺も同じ事を聞かれたが、興味がないと返しておいた。
誰かと付き合っている自分を想像できない。私生活で他人のペースに会わせるのは苦痛だし、俺と同じ基準に合わせられる人間がそうそういるとも思えない。
自分一人いれば大抵のことは問題なくこなせるのに、何故わざわざ他人に足を引っ張られないといけないのか。
我ながら歪んでいるのだとは思う。しかしこの性格を直そうとも思っていないため、恐らく生涯独身で過ごすことになるだろう。
特に波乱の無い、予定調和に満ちた人生をあと何年生きないといけないのか。先の事を考えると憂鬱になる。
刺激が欲しい。
何でも構わない。この退屈を吹き飛ばしてくれる刺激が欲しい。
「白鳥くん」
不意に背後から名前を呼ばれる。
振り返ると見知らぬ女生徒が立っていた。
「ん、ああおはよう」
「あ、さっちーおはよー」
正直名前も思い出せないが、向こうは俺を知っているようだし挨拶を返す。
奈津美の方は相手を知っているらしい。
さっちーとのことだが、やはり思い出せない。奈津美の後輩か何かだろうか。
さっちー女史はショートボブの似合う快活そうな娘で、俺の方を見て明るい笑顔を浮かべている。
俺達の会話に混ざりたいのか、小走り気味に近寄ってきた。
「朝から白鳥くんに会えるなんて嬉しいな。毎日登校時間変えてるのになかなか会えないんだもん」
追い付いたさっちー女史は奈津美を押し退けるように俺達の間に入り込み、何やら怖いことを言ってくる。
奈津美が珍しく渋い顔をしているがさっちー女史は奈津美のことが見えないかのように、完全に無視している。
「あ、その顔。もしかして白鳥くん、私のことわかってないでしょう。私はいつも白鳥くんのことを考えてるんだよ?昨日寝る前だってね、明日白鳥くんに会えたらなんの話をしようかなーって考えてたらね、もう朝になっちゃってたんだから。朝だって家を出る前に、ちゃあんと白鳥くんの写真に行ってきますのチューをしてきたんだからね?」
俺が返事に窮していると、更に爆弾が飛んできた。
これだけきつい性格なら一度会ったら忘れなさそうなものだが……。
「あっ、そうだ。白鳥くんに会えたら渡したいなって思って前から準備してた物があるんだ。あんまり自信はないんだけど、受け取ってくれると嬉しいな」
さっちー女史の背後にいる奈津美の表情がどんどん険しくなっていく。
待って欲しい。俺は悪くないはずだ。そんな顔をされても困る。
そんな俺の苦悩を知らずか、さっちー女史は鞄から何かを取り出した。
包丁だった。
それも、刃渡りの長い刺身包丁。
とっさに反応できなかったのは、予想外の出来事に思考が停止してしまったせいだろうか。
気が付いたときには、さっちー女史の握った包丁は俺の胸のなかにあった。
「は……?」
「私ね。いつも考えてたんだ。どうしたら白鳥くんが私のことを見てくれるのかなって。毎日毎日、一生懸命考えたんだ。でね、気付いたんだ。私が、白鳥くんの初めてになれたらいいんじゃないかって。でもね、初めてだけじゃ白鳥くんはいつか私のことを忘れちゃうかもしれないでしょ? だからね、初めてで、最後の相手になろうって思ったんだ。白鳥くんは、最後に私を見て、私のことだけを考えながら死んじゃえばいいって思ったんだ」
相変わらず意味のわからないことを告げられる。
なんだよこれ、肋骨仕事しろよ。
最初に浮かんだのはそんな下らないことだった。
奈津美の悲鳴が聞こえる。
次第に頭が状況を理解していき、それに伴って痛みが込み上げてきた。
激痛に耐えながら、あらん限りの力で目の前の女を殴り飛ばす。
思い切り顔を振り抜いたからか、かなり盛大に吹っ飛んでいった。
……その手に包丁を握ったまま。
包丁の抜ける衝撃で更に傷口が抉られる。
血が止まらない。体から力が抜けていく。
ゴホッと咳をすると、口の端から血が出てくるのがわかる。
もはや、立っていられるだけの力も残っていなかった。膝から地面に崩れ落ちてしまう。
「いやああああ! 翔矢! 翔矢ぁ!」
残った力でなんとか仰向けに転がると、奈津美が泣きながら駆け寄ってくるのが見えた。聞きなれた奈津美の声が、凄く遠くからに聞こえる。
「あははははははは! ねえ白鳥くん、私を見てよ! 私だけを見てよ! 私が白鳥くんの最初で最後の相手なんだよ!? 私のことだけを見つめてよ!! これで白鳥くんは私のものなんだから! ねぇそうでしょ白鳥くん、なんとか言ってよ翔矢!!」
包丁を握った手を俺の血に染めた女が、先程までと全く変わらない笑顔で叫んでいる。
なんとか言えと言われても、もう口を開いても血しか出てこない。
段々と痛みは麻痺していき、代わりに寒気が襲ってくる。
「翔矢! 翔矢やだよ、起きてよ! 誰……誰かっ! 救急車をっ! 翔矢っ! 翔矢目を開けてよ! ねえっ!」
傷口を必死に押さえながら奈津美が泣いている。
もういいよ奈津美。服が汚れるよ。
そう言ってやりたいが、相変わらず言葉は出てこなかった。
自分の命が終わることに恐怖を感じる一方で、この状況を他人事のように見ている俺がいた。
これで、この下らない人生も終わる。
親や兄弟、先輩後輩、同級生に教師連中。皆下らない。勉強や部活、恋愛も。この世界は下らないもので溢れすぎている。
どうせこの先も面白いことなんて在りはしないんだ。ここら辺で終わりにするのも悪くはない。
もう奈津美の声も聞こえなくなっていた。
……生まれ変わりとかが本当にあるとしたら、次はもっと凡庸な人生を歩んでみたいものだ。
最後まで下らないことを考えながら、意識は闇色に染まっていった。
不思議な空間に浮かんでいた。
空間が歪んでいるとでもいおうか、風景がなんだか揺れ動いている。
以前に映画で見たような、ワープ空間がこれに近いかもしれない。
夢を見ているのだろうか。
しかし、先程胸を刺された痛みははっきりと覚えている。奈津美のあんな泣き顔を見たのもいつ以来だったか。ともかく俺が死んだのは間違いないのだろう。
であればこれが死後の世界というやつか。
周りの風景が安定していないせいで分かり難いが、どこかに向かっている感覚はある。
目的地は天国か地獄か、どうせなら天国に行きたいものだが、生前の行いに自信はない、
何かしたという自覚が有るではないが、最後は他殺だったわけだし。どこで恨みを買っているかわかったものではない。
またどちらでもいいか。現世よりも楽しませてくれることを期待しよう。
それから数秒程で、その時は訪れた。
歪んだ空間が唐突に無くなったと思った瞬間、強い光に包まれて視界を失った。
手のひらから地面の感覚が伝わってくる。
ついに天国に着いたのだろうか。
目を開くと一人の男が目の前にいた。
「やあ、僕はウィルナルド。悪い魔族じゃないよ」
その男と目があった瞬間、俺の意識は再び闇に落ちた。