66:実験
~トール~
それぞれの装備や道具を新調したあと、俺たちは宿に戻り、とある実験に着手しようとしていた。
目の前に並べられているのは市場で手に入れた多様な植物の種や苗。それからダンジョンで手に入れた、例の鉢植だ。
「色々集めてきたのはいいけどさ、これ育つのに一晩かかるって書いてあったよね?」
「そうだなー。旅しながら試してもいいんだが、やばそうなのだけ今日のうちにやっておくか」
そして俺たちが選んだのは何かの樹の苗。葉っぱからなんとなく甘酸っぱい香りがするから、多分柑橘系の植物なのだと思う。こんなのが一晩で成長したらどえらいことになるが、果たしてどうなるか。
土に関しては特に指定もないようなので宿の裏からこっそり拝借して使用してみることに。肥料とか一切無しの適当栽培だが、こんなので本当に育つのだろうか。
「ウォーターバレット」
水の量を調整しながら魔法を放つ。
「その魔法って本当に便利だよね。あたしも何か生活に便利な魔法覚えてみようかなあ」
「魔法の習得は大変だぞ。血の滲むような努力をしてようやく覚えるものだからな」
「いやいや、トールは結構簡単にやってたじゃない。それならあたしにもできるかなーって」
おっとどうやら魔法を甘く見ているぞ。
シーナはわかっていないようだが、魔法って実はかなり大変だったりする。俺がすぐに使えたのは妄想力が普段から鍛えられていたことと、水の魔法と相性が良かったからだと思う。実際、他の魔法を練習しても全然覚えられないしな。
最初に試したのが水魔法で良かった。他のを先に試していたら挫折してたかもしれない。
まあ、杖と魔導書なんかがあれば別なんだろうけどさ。
「魔法はいいよ、俺が担当するから。俺のアイデンティティを奪わないでくれよ頼むから」
「そう? んー、あたしももうちょっと役に立ちたいところなんだけどなあ……」
魔法までシーナに取られてしまったら俺の立つ瀬がない。そもそも今以上に仕事が増えたら負担が大きすぎるのではないだろうか。ありがたい申し出ではあるが、シーナは今のままでいてください。
そして翌朝。
ミシミシと何かが軋むような音がする。なんだよまだ眠いのに。
物取りとかだったらまずいし、気づいてしまった以上、放置するわけにもいかない。杞憂ならそれでいいが、とりあえず原因だけは突き止めておかないとな。
そして目を開いてみたら、一瞬で覚醒した。
「シーナ! シーナ起きて! やばい!」
慌ててシーナを起こそうとするが、どうも寝起きがよろしくない。ダンジョン内ではちょっとした物音にも反応していたというのに、この差は一体なんだというのか。
「んぅ……どうしたのー……?」
「どうしたよー? じゃねえよこれ見てくれよ!」
目を擦りながらようやく起きてくれたシーナの頭を掴んで、無理矢理植木鉢に向けさせる。
「痛っ! なにすんのさー……うにゃう!?」
「見えたか気づいたか? これが現実だ」
シーナがようやく目に入れてくれたそこには、樹が生えていた。
もうね、樹。そのまんま樹。宿の部屋の中で、植木鉢から樹が生えてんの。
それはもう立派に。天井を貫くドリルだとでも言わんばかりに成長していた。
「あっちゃー。どうしよっかこれ……」
「ここまで大きくなるとは思ってなかったなー。ばっちり実もなってるし、とりあえず食べてみるか?」
「食べるのもいいけど、先に伐っちゃわないと宿壊しちゃわない?」
「それは確かに。つってもどうすればいいんだこれ」
「ちょっと宿のおばちゃんからノコギリでも借りてくるよ。伐ったら道具袋にでも入れといて、外で処分しよっか。その間にトールは天辺のところへし折っといて。天井突き破ったら怒られちゃうよ」
なるほど。最初に食べるなんて選択肢が出てきた辺り、俺も少し混乱していたのかもしれないな。シーナがいてくれてよかった。
てきぱきと指示を出してくれるシーナに従いながら樹の始末を行う。勿論実の回収は忘れない。
果実は蜜柑のような見た目をしていた。香りもよく、食欲をそそられる。
樹の始末を終えて、採集した果実を確認してみたら結構な量が採れていた。
しかし、これ食べても大丈夫なのだろうか。いくら魔道具とはいえ、たったの一晩で成長した植物がまともとは思えない。そもそも、これが食べていい果実なのかすら疑わしいのだ。
俺が未知の物に抵抗を感じていると、「どれどれ」なんて言いながらシーナが先に口に入れてしまった。
「お、なかなか美味しいじゃん。トールも食べてみなよ」
「食べて平気なのか? 後で腹壊したりしない?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。体調崩したら看病したげるから!」
全然大丈夫じゃない宣言をされてしまった。シーナは色んな物食べて鍛えているかもしれないが、俺のお腹はデリケートなのだよ。ちょっとしたことですぐに体調不良を訴えてくるのですよ。
とはいえ、目の前でシーナが美味しそうに食べていると本当に大丈夫そうな気もしてくる。いざとなれば面倒観てくれるみたいだし、俺も食べてみるとするか。駄目なら駄目で、イベントが進んだと考えよう。
俺は手近にあった果実を一つ手に取り、皮に爪を立てる。十分に熟しているのか、その実は少し柔らかくなっていたが、皮自体は簡単に剥くことができた。
中から現れたのは円陣を組むように重なった果肉。見た目は蜜柑そのものだ。
さて味の方はどうなのか……。
果肉を千切り、一つだけ口に運んでみる。
途端、口の中に広がる酸味と甘味。そして鼻腔へと抜ける爽やかな柑橘の香り。
口に入れた瞬間は多少の苦味を感じ、一口噛むと酸っぱさが溢れ、果汁が出てくると甘味がその全てを押し流していく。甘味自体も決してしつこくなく、自然な味で、いくら食べても飽きることはないだろう。
これ、売ったら相当人気出るんじゃないだろうか。少なくとも日本だったらブランドを付けて、高級品として売り出してもいけそうなほど美味い。
「うっま。なにこれうっま」
もう手が止まらなかった。最初に剥いた一つはすぐに食べ終え、次の実に手が伸びる。
意気揚々と皮を向こうとしたところで、シーナから手をペシリとはたかれてしまった。
「ストップストップ。朝御飯前なのにあんまり食べちゃ駄目だよ。食後の楽しみにしておきなよ」
「む。それもそうか。美味しさのあまりに我を見失っていたようだ。しかし美味いなこれ。こういう品種なのか?」
「いやー。前に似たようなの食べたことあるけど、もっと全然酸っぱかったよ。こんなに甘くなかった。ただ土に植えただけなのに凄いねえ」
「そりゃお前あれだよ。俺が愛情込めて水やりしたからな!」
「わー。さっきまで食べるのすら躊躇してたのに偉そうー!」
しかしこの魔道具、思っていた以上の高性能だったらしい。適当に植えただけなのに、本当に栽培できてしまうとは。しかもちゃんと食べられる。
分配のほとんどをサイードたちに回したとはいえ、これなら全然おつりが来そうだ。むしろあの二人に申し訳ないほどに。
植えるものはまだいくらでもあるし、この成長速度ならどんな植物も挿し木で増やせそうな気もする。
土が再利用できるのか、同時にいくつか育てられるのか、植えたままにするとどうなるのか、まだまだ試すべきことはあるが、一回目の実験は大成功といえるだろう。
これ一つあればもう一生飢えることはないんじゃないか。無論、パーティーの人数にもよるのだろうが。
また一般公開できないアイテムが増えちゃったかなあ。まあ今更か。
とにかく使えることはわかった。あとは朝食を取ってから、出発だ。
あ、ちなみに今回できた果実はお腹いっぱいになるまで食べたあと宿のおばちゃんに提供しました。
シーナの事といい、結構お世話になったしな。
目指すはネコミミ村、もといシーナの故郷。まだ全然遠いようだが、そこまでの行程も楽しみながら行くとしよう。