36:新戦力
~ウィルナルド~
テュールの修行が始まった。転移魔法を覚えるための修行だ。
魔力の容量は十分に確保したはずだから、使い方さえわかれば修得はできるはず。
セティリアみたいに空間転移ができるようにならないと、諜報員としての仕事ができないからね。
他の魔法は諦めていいから、これだけはなんとか覚えてもらわないと。
セティリアが教師として適切かと言われると不安だけど、他に使える人もいないし仕方がない。目の前で何度も使ってもらって、実感として覚えてもらおう。
無事に覚えたら勇者探しの旅に出てもらうことにしよう。
ちなみに空間魔法は思っていた以上の魔力を消費するらしく、セティリアでは一日に一度発動させるのが限界らしい。まあ一月くらいで覚えてくれたら行幸ってところかなあ。
修行と特訓に明け暮れている二人を尻目に、ぼーっとしながらアニメを見ていたある日、新たな訪問者があった。
訪問者の名前はガンド・ランデリーフ。
かつて、父の近衛隊長を務めていた男だ。
父とは幼い頃からの友人だったそうで、父が魔王となる際にも多大な貢献をした人物である。
魔王と近衛隊長という肩書きの差はあれど、公務から離れれば親友として酒を酌み交わすような仲だったはずだ。
魔王の息子の僕に対しても善くしてくれて、気のいいおじさん、第二の父親といった印象がある。
僕よりも頭三つ分は身長が高く、がっちりとした体躯の持ち主だ。
長い白髪を三編みに纏め、歴戦の傷が刻まれた強面の顔にも同じような白髭をたくわえている。
冒険者たちとの戦闘から今まで、直す暇も無かったのだろう。実戦向きな黒い全身鎧はいたる所が傷付き、歪んでいる。
かつては魔王城の守護神として、数多の挑戦者を屠ってきた実力の持ち主だ。その傷から、いかに激しい戦いだったのかが伺い知れる。
そんな大人物が今、うちの玄関の前で僕に向かって跪き、頭を垂れていた。
はっきり言って、気まずい事この上無い。
「すまんっ!!」
ドアを開けたままの姿勢で固まっていた僕に、ガンドさんは辺りに響き渡る声で言い放った。
「儂がついていながら、奴を、ヴォルヴィエルグを守りきれなんだ!!」
腹の底まで響くその声に、家全体が震えた気がした。
「えっと、まずはお久しぶりです。ガンドさん。ご無事で何よりです」
流石に玄関先で話すのも嫌だし、頭を下げたままにさせるのもまずいので、居間まで案内した。
エティリィにお茶を用意してもらい、事情を伺う。
「すまぬ。ヴォルヴィエルグの奴を見殺しにした挙げ句、儂のみ、おめおめと生き残ってしまった」
二人掛けのソファーを1人で占領している老将軍は、そう言って再び頭を下げる。
魔族にしては長く尖った耳が、少し動いたような気がした。
「頭を上げてください。人間から攻められた話はセティリアから聞きました。ガンドさんや近衛の皆さんに非はありませんよ。寧ろ、よく生き残っていてくれました」
「かたじけない……此度の失態は儂の生涯で最も大きなものとなった。このような老骨の身ではあるが、儂に栄誉を取り戻す機会を与えてはもらえんだろうか」
降ってわいたような話だった。
ガンドさんは近衛隊長という身ながら、魔王である父よりも高い戦闘力の持ち主だ。
魔力はさほど高くないけど、純粋な力比べであれば、父相手でも遅れをとることはないだろう。
それだけの人物が協力してくれるというのは心強い。
心強くはあるのだが、いくつか疑問は残る。
「ガンドさんのその気持ちはありがたく思います。ですが、何故僕なのでしょう。ガンドさんほどの人物。無事であると知れば兄二人が放っておくはずがないと思うのですが」
「無論、二人からの誘いもあった。だが彼奴らはいかん。生前のヴォルヴィエルグも言っておったが、彼奴らは我が強すぎる。判断力に長けているのは良いが、上に立つものとしては、周りの意見を受け取る寛容さも併せ持たねばならん」
「僕もそこまでの器ではないですよ。ただの引きこもりですから」
「謙遜するでないよ。若は自信を低く評価しすぎておる。儂の目から見れば、若は十分仕えるに値する器よ」
ガンドさんはそこで一旦話を区切り、お茶をを啜る。
そこまで高く評価してもらえるのはありがたいけど、過大評価すぎやしないだろうか。
うまいこと魔王になったとしても、僕の目標は世界征服なんかじゃないよ? 引きこもりライフだよ? そんなのに仕えて後悔しても知らないからね。
「それにな……ヴォルヴィエルグの奴がよく漏らしておったのよ。『跡を継がせるならウィルナルドにしたい。あいつは魔力も俺より高いし、思考に柔軟性もあって頭も切れる。俺とは別の道を歩むことになるだろうが、俺に何かあったときはあいつの事を頼む』とな。正式な任務ではない、酒の席での話ではあるが、儂は親友の頼みを無下にはできん」
知らなかった。父には完全に見捨てられているものだとばかり……。
だからこそ好き勝手にやっていたというのに、そんな風に考えてくれていたなんて。
どうせなら生きているうちに話してほしかった。そうすればまだ親孝行だってできたかもしれないのに。今となっては何もできることがない。
精々が、父の期待に応えられるよう努力するくらいか。
「わかりました……そこまで言われては断ることもできません。ですが、僕の最終目標は人間との和解。相互理解にあります。そこを納得していただけるのであれば、将軍の力をお貸しください」
「相分かった。若の理想のため、友との約束のため、この身を賭すことを誓おう」
頼もしい味方ができた。僕の考えも理解してくれるし、信頼できる。
しかし、友との約束のためか。いいなあ。僕も一度言ってみたいセリフだ。トールと何か約束しておけばよかった。「僕が魔族を抑える。君は人間を纏めてほしい。お互いが役目を果たしたとき、種族の代表として手を結ぼう」とかいいなあ。マンガの主人公みたいだ。
まあ現実はそんな約束する暇を与えてくれなかったけども。
「さて……では最初の任務として、外にいたのを鍛え直してやるとしよう。そこの娘っ子。ついでだ、お主もついてきなさい」
「新参者が偉そうに! 私に指示できるのはマスターのみです!」
「うん。エティリィ行っておいで。あとガンドさんに何か得物を用意してあげて」
「了解しましたマスター! すぐに準備してきますね!」
一瞬険悪なムードになりかけてしまった。危ない危ない。ガンドさんを怒らせでもしたらこっちまでとばっちりが来てしまう。
エティリィには後でよく言い聞かせておかないといけないな。
「し、師匠! なぜここ!?」
外でテュールと特訓していたセティリアが、こちらを見つけて驚いた声をあげる。
そういえばそんなセティリアに武芸を教えたのはガンドさんだったか。すっかり忘れてたよ。
「儂は今日から若に仕えることとなった。先程から見ておったが、動きに無駄が多すぎる。改めて儂が鍛え直してやろう」
「あ、じゃあ俺はパスで。そっち方面は専門外だからな。荒事は先生達に任せるわ」
ガンドさんの突然の登場に、訳がわからないといった顔で固まるセティリア。そして一目散に逃げだしたテュール。
セティリアは予想外の事態に弱いなあ。奇襲とかされたらすぐやられちゃうじゃないか。
逆にテュールは危機回避能力が高そうで何より。
「し、師匠……鍛え直すというのは……」
「安心せい。お主らがしっかりと若をお守りできるように叩き上げてやる。今の男はどこかに行ってしまったが、家の中の娘っ子と二人、揃って相手してやろう」
「エティリィ殿にも会ったのですか!? ええと、あれはなんと言いますか……その……」
「マジカルパペットの一種だろう? 同じ顔、同じ姿。面白いではないか。様々な戦術が浮かんでくるわ」
この世の終わりみたいに落ち込むセティリア。
ガンドさんが実際に戦っているところは見たことがないけど、この二人を同時に相手できるほどの実力者なのだろうか。二人とも戦闘力は高い部類だし、流石に甘く見すぎな気もする。
何か間違いが起きなければいいけど……。
と、まあ心配したのが馬鹿らしくなるくらい圧倒的だった。
エティリィとセティリアがまるで子供扱いだ。
セティリアはいつも通りの鎧姿で槍を振るい、息をつかせぬ勢いで攻勢を仕掛けている。
エティリィはトールから貰った軽装備と、手には何故かスネークソード。テュールを見ていたら使ってみたくなったららしいその武器で、あらゆる方角から攻撃を浴びせる。
対するガンドさんは体を覆う全身鎧はそのままに、兜は被らず、手にはエティリィが選んだ長柄のハルバート。
取り回しには習熟を必要とする武器であるにも関わらず、まるで自身の体の一部であるかのように軽く使いこなしていた。
「もうっ! 何なのですかこの人! 背中に目でも付いてるんですか!?」
ガンドさんが正面からセティリアの刺突を受けている隙を狙って、背後から剣を振るう。
解き放たれたスネークソードは、その名の通り蛇の如く地を這うように進み、足元からガンドさんに襲い掛かる。
エティリィに対して背を向けているガンドさんの視覚外からの攻撃。見えているはずのないその一撃を、ガンドさんは振り返ることもなく、柄の石突を使って弾く。
先端を弾かれたスネークソードはそのまま勢いを失い、エティリィの手元に戻っていった。
「ぬるいわ! その剣の本質は変幻自在な攻撃方法にある! 振り回せば相手を突き刺し、引き戻せば相手を切り裂き、絡めれば相手の動きを封じる! 一撃で仕留める威力はないのだ! 毒を仕込んでおくなどの工夫を凝らせい!」
エティリィは戦闘中の相手から説教され、悔しそうに顔を歪める。
こっそり練習したんじゃないかってくらい使いこなしているように見えたけど、ガンドさんから見ればまだまだのようだ。
「大体なんだその装備は! 先程までの服の方が高性能ではないか! なぜわざわざ着替える必要があった!」
「こ、この服はいいんです! 元の性能が低くたって、愛情補正で防御力が十倍なんです! 汚れたって傷付いたって破れたってへこんだって、絶対に直して一生使うんです!!」
トールから貰った装備については怒られても言い返す気力があるらしい。
普段から着てる割には綺麗だと思っていたけど、大事にしているんだね。トール本人の前で言ってあげたら喜んだろうに……。
「セティリア! お主もだ!」
突然話を振られてセティリアの槍先が僅かに鈍る。
その隙にハルバートを大きく薙ぎ払い、セティリアを吹き飛ばす。
ガンドさんは仁王立ちしながらセティリアを指差し。
「なっておらん! 全くなっておらん! 儂が以前に教えていた頃と何も変わっておらん!! 常に実戦に身を起き、技を鍛えよと申したであろうが!!」
なかなか無茶なことを言うガンドさん。
実戦っていっても、セティリアと対等に戦える相手が、そこらにいるとは思えない。この一年だって、魔物くらいとしか戦闘していないんじゃないだろうか。
そんなのと戦ったところで腕を磨けるわけがないよね。
それでもセティリアは反論せずに、再び槍を構えて向かっていった。
「全くもってけしからん! お主ら、二人揃ってなっとらん! そんな腕で若の警護が務まると思っているのか!? 今後は儂が稽古をつけてやる故、覚悟しておけ!!」
ひとしきり戦闘訓練を行ったあと、ガンドさんのお説教タイムが始まった。
足の運びが良くない。狙いが素直すぎる。連携ができていない。などなど。本人たちが気付いていないであろう弱点をアドバイスしていく。
「わかったか? ……では本日はここまでとする!」
「「あ、ありがとうございました……」」
説教を受けている間はなんとか立っていた二人だけど、ガンドさんが終わりの挨拶をした途端に緊張が解けたのか、糸が切れた人形のように揃ってその場に崩れ落ちた。