33:いざ、冒険の旅へ
~トール~
掛け金は、互いの命。
場にカードは出揃った。これ以上のレイズはできず、勝負を降りることも叶わない。それは即ち、死を意味することなのだから。
手札が揃えば、あとは勝負する他に道はない。自分の手札が相手のそれよりも優れていることを祈りながら。
絶対に負けることの許されない戦いが、今始まろうとしている……。
それは、まさに一瞬の出来事だった。
旅に出ることを決意したその日、とりあえずいつもの村に行こうと移動を始めた直後。
俺たちの目の前に、そいつが飛び出してきた。
強靭な四肢は狙った獲物が逃げることを許さず。
短く逆立った毛並みに分厚い脂肪は半端な刃物は通さない。
口から飛び出す鋭い牙は、獲物の命を刈り取るに十分な切れ味と威力を備えている。
そして……まるっこいシルエットと、つぶらな瞳は俺のハートをキャッチして離さない。
うりぼう。猪の子供。
都市部ではあまり見かけないが、場所によっては馴染みの深い、そんな動物。
うりぼうの近くには必ず親猪がいる。そんなこと、都内で生まれ育った俺が知っているはずもなく。
思わず飛び付いてしまいました。だって可愛いんだもの。
「シーナシーナ! 見てこれすっげー可愛いんだけど!」
「ん? 何見つけたの……って、ゾーアの子供じゃん! やばいよそれ、親が絶対近くにいるよ!?」
ゾーア。聞き覚えのある名前だった。あぁ、よく店で食べてた肉か……あれ猪だったのか。ちょっと硬い豚肉だと思ってた。
やばいと言われても、すでにうりぼうは俺の手中にある。短い手足をばたつかせて、ピィピイ鳴いているのがまた可愛い。
「え、これ魔物なの? 愛玩動物じゃないの?」
「バカなこと言ってないで、すぐ逃がした方がいいよ。親が出てきたら危ないんだか……ら……」
シーナが言い終わるかどうかのタイミングで、俺の後ろからミシミシと、何かの軋む音が聞こえてくる。
振り返ると、太さで直径1メートルはあろうかという木が、こちらに向かって倒れてくる所だった。
視界から森が消え、代わりに倒れてくる木が大きくなっていく。
慌ててシーナを庇おうとするが、とっくに安全圏に避けていた。
俺も必死に転がって、危険範囲から脱する。
転がった弾みで、抱っこしていたゾーアの子供が逃げてしまうが仕方がない。
木の倒れてきた場所を見ると、親と思われるゾーアが俺の方を向いていた。
見た目は猪。前に写真やテレビで見た、日本の猪とさほど変わらない。
でもさ、決定的に違うんだよね。大きさが。
俺の知ってる猪は、大きくても牛くらいのイメージ。
目の前にいる親ゾーアは、象くらいでかい。なにこれ乙◯主? タ◯リ神?
さっきのうりぼうが近寄っていくあたり、やはり親なのだろう。あんなに可愛いのに、大人になったら化物になってまうん?
親ゾーアは俺を睨み付けながら後ろ足で地面を擦っている。完全に臨戦態勢だ。向かってこられたら逃げられる気がしない。
「シーナ、これってかなりやばくないか?」
「ああもうっ! だから言ったのに! ゾーアの子供を捕まえるなんて、トールってバカなの!? アホなのっ!?」
ひどい言われようだが、これは言い訳できない。
でも、まさか親が来るとか思わなかったし、しかもこんなでかいとか反則だろ。
「逃げられる気がしないな。やるしかないだろ」
「まあゾーアは元々、戦闘力600くらいあれば勝てる相手だけど……あたしは撹乱くらいしかできないから、期待しないでよね」
「600でいいなら楽勝だな。ついに俺の本気を見せるときが来たようだ」
ルナにお願いできることを試してるうちに、俺の戦闘力は2000を越えるほどに成長していた。
600でいい相手なら問題なく勝てるはずだ。でもウェルフは別。あいつに会ったら動けなくなる自信がある。
「よし、行くぞ。ルナー!」
まずはルナを呼ぶ。俺とシーナだけでこんな化物勝てる気がしないもの。
「ん。トール呼んだ?」
「ルナ先生、あいつをやっちゃってください」
親ゾーアを指差し、ルナに頼む。
精霊使い。精霊に力を借り、その能力を引き出す者。
とどのつまり、究極の他力本願職。
ルナに魔力を提供するだけの簡単なお仕事です。
暗黒空間にバラまいてやる!
「わかった。消すね?」
ルナがゾーアに向けて手を向けると、その動きに反応したのかゾーアがこちらに向かって突進してくる。
猪突猛進とはまさにこのこと。頭を低くし、障害物は全て薙ぎ倒すと言わんばかりの勢いで突き進む。
うわああ! めっちゃ怖ええ!
こんなのに踏まれたらひとたまりもない。戦闘力600とか絶対嘘だろ!
まあ俺にはルナがついているからして、不安は全くないが。
ルナが、ゾーアに向けた手を開く。すると、以前鎧相手に実験したように、ゾーアの全身が黒い霧に包まれた。
この時点ですでに突進の威力は殺されている。
そしてルナがその手を握ると、黒い霧は圧縮されていき、中の親ゾーアごと姿を消した。
「終わった。ごちそうさまでした。またね」
闇に消えていくルナを見送る。
かなりの魔力を持っていかれたため、気だるさが酷いがなんとか倒れずにすんだ。俺も成長したもんだ。
「いつ見ても怖い魔法だね……」
隣のシーナが体を抱きながら呟く。
確かに恐ろしい攻撃力だと思う。生き物相手に使ったのは初めてだが、中はいったいどうなってしまったのだうか。ルナは消滅させたとか言ってたが……。
しかも対象のサイズ関係無しか。俺の魔力がもっと増えれば、町ひとつ神隠しとかできるようになったりして。やらないけどさそんなこと。
「さて、当面の危機は去ったとして、あのうりぼうはどうしようか」
「肉にして売ってもいいけど、子供は基本的にリリースでいいんじゃない? 育った方がもっと肉取れるようになるし。ていうか今の魔法だと何も回収できないね」
「ああ確かに。ブラックホー◯クラスターは最終手段にしたほうがいいかもな。俺の疲労も半端ないことになるし」
俺がつけた技名に、なにそれ? みたいな顔をされる。ブラックホール技といえばクラスターだろうに。全く、ロマンのわからん娘ですよ。
ウィルさんならわかってくれたかなあ。あ、でもゲームネタは通じなかったか。
うりぼうもとりあえず逃がして大丈夫みたいだし一安心。正当防衛とはいえ、親を殺してしまった罪悪感はあるから、子供まで手にかけなくなかったのだ。元々はこっちが悪いわけだしな。すまんゾーア。
しかしここで緊急の問題が。
「シーナさんシーナさん?」
「なんですかトールさん?」
「助けてください。歩けそうにありません」
いやー、だめだ。倒れこそしなかったけど、とても歩けそうにない。
腰が抜けた訳じゃないからね。魔力切れだからね。
「はぁ、仕方ないね。ほら、肩貸したげるから」
「サーセン。お世話になります」
傍まで来て屈み込んでくれたシーナに遠慮なく掴まる。まさか女の子と肩を組める日が来るだなんて。しかも猫耳だぜひゃっほう! なんかいい匂いもするんだぜ!
「あ、先に言っとくけど、耳に触ったら捨てていくからね」
「お、おおう。安心しろよ。そんなことするわけないだろ?」
あぶない。置いていかれるところだった。
紳士。俺は紳士。紳士は我慢できる子。我慢できる子は耳触らない。
オレ、ミミ、サワラナイ。
「どうしよっか。洞窟近いし、戻って一旦休む?」
「いや、あそこはもう戻らない方がいいと思う。少しでも村に近付いて野営しようぜ」
「あいよー。それじゃもう少し頑張りますか」
旅に出ようと決心して飛び出したんだ。飛び出したその日のうちに戻るのは格好つかないし、置き手紙まで残したところに帰るのは恥ずかしい。
肩借りてる立場で悪いけど、シーナにはちょっと頑張ってもらおう。
今日はさっさと休むことした。
野宿もすっかり慣れたもので、焚き火の灯りで本を読む余裕すらある。
せっかく魔導書を買ったんだし、ちょいちょい読んでおかないと。
早く俺も魔法を覚えていかないと、ルナに頼りっきりの戦闘じゃまたシーナに迷惑をかけてしまうしな。
やっぱり頼れる兄貴としては、妹をおぶって歩くくらいの甲斐性を見せたいもんだ。おぶったところでシーナのスタイルだと楽しくないだろうけどね。
おっと睨まれてしまったぞ。心が読まれたか?
余計なことは考えないで本を読み進めよう。そんで落ち着いたら魔法の練習をしよう。