30:使者
今日も今日とて、暇だった。
トールとシーナちゃんが人間の村に向かって三日目。
村までは大体一日半くらいの距離らしいから、特に問題が起きていなければとっくに辿り着いているだろう。
エティリィが同伴していないとはいえ、今回はさほど心配していない。トールは強くなったし、シーナちゃんもいるからね。
暫く一緒に暮らしてわかったけど、シーナちゃんは賢い子だった。生き残ることに貪欲で、状況判断を的確にできる子だ。
知識も豊富みたいだし、僕も人間の世界について色々教えてもらうことができた。
来たばかりの頃は僕らのことを警戒しているようだったけど、すぐに馴染んでくれたし、トールにもなついているみたい。まあエティリィを前にすると、少し怯えてる感じはするけど。
シーナちゃんの外出を認めたのも、その辺が理由。
よっぽどの事がなければ、僕らを裏切ったりしないと信じられるから。
それにしても退屈。エティリィも外に食料調達に行ってるし、一人でアニメ見てても面白くないしなあ。
大人しく部屋でマンガでも読むとしようか。
トールとシーナちゃん、早く帰ってこないかな。今回のお土産は何だろうか。
一人寂しく書庫でマンガを選んでいると、外に出ているエティリィの異変を感じた。
僕の魔力で動いているし、魂も多少繋がりがある。正確な情報はわからないけど、エティリィが負傷したのは間違いなさそうだ。
今まで一度も怪我をしたことのないエティリィが?
この森にそんな危険な魔物がいるのだろうか。
放っておけばトールやシーナちゃんが襲われるかもしれないし、人間の討伐隊が組まれたらこの家が見つかってしまうおそれもある。
ここは確認しておくべきだろう。外にはあまり出たくないけど、事情が事情だしね。
まあ退屈しのぎくらいにはなるかな?
エティリィの魔力を辿っていくと、すぐに見つけることができた。思った通り、戦闘中だね。
しかし戦っている相手は魔物ではなかった。全身に甲冑を身に付けた人の形をしたもの。顔は兜で見えないが、鎧の形状や体のラインから一目で女性とわかるその相手は、エティリィ相手に互角に戦っている。
お互いに余程集中しているのか、近付く僕に気付く様子はない。
相手の女が、森の中だというのに自身の身長よりも長い槍を振り回し、エティリィに襲いかかる。
エティリィは手にした剣で相手の槍を受け流し、反撃に転じようとするが、いかんせん射程に差がありすぎた。
剣が届く前に相手は体勢を整え直し、また距離を取ってしまう。
エティリィの剣は魔剣だが、防具はトールから買ってもらったという普通の軽装備だ。防御力は大して高くない。 受け流すことに何度か失敗したのか、その体のあちこちに傷を負っている。
対する相手は槍も鎧も高性能なのだろう。鎧に傷はあるものの、内部に到達しているものは無さそうだ。
エティリィは決して弱くない。そんじょそこらの冒険者程度では100人が同時にかかってもエティリィには勝てないだろう。そんなエティリィと互角に戦える存在となると……。
恐らくは、魔族。それもかなり高位の。
このまま傍観していては、恐らくエティリィが負けてしまうだろう。動きは同程度としても、防具のレベルが違いすぎた。
エティリィがやられてしまうと困るな。美味しいご飯が食べられなくなってしまう。戦闘は本意ではないけど、加勢に入ろう。
相手もかなりの実力者のようだけど、この程度なら僕の敵じゃあない。さっさと片付けて捕まえて背後関係を吐かせよう。そのあとはトールに任せたらいいや。こういうの好きそうだしね。
フーセーさんを呼び出し、二人に近付く。
そこでようやく僕の存在に気付いたのか、エティリィが声をあげた。
「マスター!? なぜここに!? この相手は危険です! お下がりください!」
視線を相手から離すような愚行はせず、声だけで僕を制しようとする。
そんなエティリィに対し、相手の女はこちらを見て完全に動きを止めていた。当然、その隙を見逃すエティリィではない。一気に距離を詰め、剣を相手の死角から切り上げる。
「くぁっ!」
相手も辛うじて後ろに下がり直撃は免れるが、剣が兜を掠めて切り飛ばした。
兜を失い、露になった相手の顔。
真っ赤な髪を流し、気の強そうな瞳でこちらを見ている。
その顔には見覚えがあった。なんせ、毎日見ている顔だ。そして、毎日見ていた顔でもある。
その女性は、エティリィと全く同じ顔をしていた。
「ウィルナルド殿下! ああ! ようやくお会いすることができました!!」
やはりエティリィと同じ声で叫び、僕に向かって飛び込んできた。
「で? わざわざこんなところまで何をしに来たのさ?」
襲撃者は現在、僕の前に正座している。
知り合いだったということがわかったため、双方武器を納め、今は家に戻って事情聴取の最中だ。
彼女の名前はセティリア・エルクード・グレナリア。
僕の幼馴染にして、魔王城にいた頃の御世話係。そして、エティリィを産み出す際のモデルとなった人物だ。
もう二度と会うことは無いと思ってたのに、まさかたったの一年足らずで再会することになるなんて……。
「はい、私はウィルナルド殿下をお迎えするために参上しました」
「うん。意味がわからないな。僕は魔王直々に追放された身だよ? それどころか、処刑宣告までされているんだからね」
「その件については追々説明させていただきます。まずはお迎えにあがった理由ですが……魔王様が人間の勇者に討たれました」
……え? 討たれた? 父が?
討たれたというのは、殺されたということだろうか。あの父が人間に?
想像できなかった。理解できなかった。そりゃあそうだろう。実の父親が殺されただなんて、いきなり言われて、はいそうですか、なんてなる方がおかしい。
ましてや、父は大陸を統一した魔王だ。そう易々とやられるはずがない。よほどの相手だったのだろうか。
「魔王様が討たれたことにより、魔王軍は混乱の極みにあります。殿下の兄上である、ヴィアイン殿下とルグレスト殿下がそれぞれ軍をおさえていますが、崩壊するのも時間の問題でしょう。人間軍による残党狩りも行われていますし、このままでは魔王軍に未来はありません」
そこで、ウィルナルド殿下に立ち上がってほしい。とセティリアは続けた。
彼女が詳しく話してくれたところによると、二人の兄はそれぞれが次の魔王となるべく行動しているらしい。
すわ、血味泥の政権争いが始まるかと思われたが、人間から攻撃を受けている手前そうもいかず、父の仇である勇者を倒した者が次代の魔王となるように取り決めた。
これだけ聞くと、僕の出番など無いように思えたのだが。
「その……申し上げにくいことではあるのですが……。あのお二人では、勇者に挑んだところで返り討ちに合うのが関の山かと思われます。混乱を沈めるため、すぐにでも新たな魔王様を選ばなくてはならない今、あのお二人に迂闊な行動を取られてしまうと、それこそ命取りになってしまいます」
と、言うのだ。
「なるほど。それで、死んだことになっている僕に白羽の矢が立ったわけだ。勇者を少しでも弱らせておけってことかな?」
既に死人の身。先に勇者に挑んでやられても魔王軍にとって痛手はない。つまりは捨て駒にしようということか。あまり気分のいい話ではないな。
後ろに立っているエティリィも同様の考えに至ったか、セティリアに対して殺気を放っている。
「い、いえとんでもない!! 私としては純粋に、ウィルナルド殿下にお戻りいただき、魔王様のあとを継いでいただきたいと考えています!」
殺気に気付いたか、慌てて釈明する。
「先代魔王様に勝るとも劣らないそのお力で、何卒、魔王軍を改めて統治していただけないでしょうか」
姿勢を正し、頭を下げてくる。
どうにも気乗りがしない。
戻るということは、今の生活を捨てるということだ。
争い事とは無縁の、毎日をそれなりに楽しく過ごせるこの生活を。
そもそも僕は嫌戦派だし、魔王軍を率いて戦争するなんてまっぴら御免である。
「殿下が争い事を好まないことは重々承知しております……ですが、魔王軍のため、その家族の未来のため。何卒……何卒、お願いいたします……」
セティリアが頭を下げたまま繰り返す。
幼馴染である彼女からここまで頼まれると、正直断り難い。
それに、兄二人は人間に対して強い敵対心を抱いている。もし勇者を倒したとして、その後に大規模な戦争を起こすことは間違いないだろう。
そうなれば大勢の犠牲が出る。知らない人間が何人死のうが関係ないけど、世界規模の戦争を起こされたりしたらたまったものではない。
この際だ。兄を出し抜いて先に魔王として君臨し、人間と和睦の道を模索できないだろうか。
僕一人では無理かもしれないけど、トールは協力してくれると思う。
僕が魔族を抑えて、トールが人間との橋渡しをしてくれたら、不可能ではないだろう。
平和な世界ができればあとは今まで以上のグータラ生活が送れるようになるはずだ。世界中と交易を行い、マンガやアニメを仕入れる。それはとても素晴らしいことなのではないか。
僕なら……僕とトールでならそれが実現できる自信がある。
よし、腹は決まった。
「わかった。魔王軍に戻るよ」
「マスター!?」
「エティリィ、気持ちはわかるけど落ち着いて。僕は戦うために戻るんじゃない。戦いを無くすために戻ろうと思うんだ」
「戦いを無くすため……ですか?」
「うん。僕は別に人間の事が嫌いではないからね。戦争なんてしたくない。魔王になれば、平和への道も模索できると思うんだ」
僕が断ると思っていたのだろう。驚くエティリィに僕の考えを説明してやる。
「そういうわけでセティリア。魔王軍には戻るけど、勇者を倒すかどうかは、まだわからない。まずは話し合いができるかもしれないからね。それでもいいかい?」
「殿下のお優しさは存じております。私は、殿下の御心従うのみです」
今まで以上に頭を下げてくる。
そうと決まれば忙しくなるな。
「よし、じゃあ旅の準備をしようか。ここから魔王城ってどのくらいの距離があるの?」
「移動でしたらお任せください。徒歩ではそれこそ半年ほどはかかるでしょうが、私にかかれば一瞬です。この家にはどうやら魔王城から持ち出された財宝があるようですし、このまま移動しましょう。暫くの拠点としても利用可能だと思います」
ああそうか。セティリアは空間魔法が使えるんだ。
登録してある場所への片道通行だったはずだけど、まさか家ごと飛べるとは思っていなかった。
「そっか、じゃあ移動は任せようかな。あとは……」
「はい! では善は急げ。早速参りましょう!」
言うなり詠唱を始めるセティリア。
「え、ちょっ! 待っ!」
突然すぎて反応が間に合わない。
転移魔法はすぐに完成し、セティリアの足元から魔方陣が大きく広がる。
それは一瞬で家とその周辺へと伸びていき……。
小さな衝撃と共に、窓の外の景色が変化した。