1:追放からはじまる物語
異世界というものは存在する。
自分で赴いたことはないが、その存在自体はかなり古くから確認されていた。
そう、いるのだ。異世界から呼び出された生き証人が。
決して数は多くないが、召喚術式によって呼び出された生物や物資がこの世界には存在している。
しかしながら、異世界からの召喚は誰にでも行えるものではない。
それなりの知識に設備、魔力を備えた者にのみ可能となる秘術である。
おそらく世界中を探しても召喚術を扱えるものは数える程度だろう。人間にのみ扱える技術とされ、魔族を倒すための切り札として主に使用されている。
異世界から喚ばれた人間は、何らかの特殊な能力に目覚めることが多いらしく、各地に伝説や逸話が残っていた。
僕は異世界が好きだ。
好きになった理由はわからない。
幼い頃に読んだ英雄の冒険譚に憧れたからか、異世界から持ち込まれた品々に好奇心を刺激されたせいか、それとも来訪者からもたらされた知識と技術に心踊らせたからか。
あるいはその全てなのかもしれない。
とにかく、ここではない世界を好きになるだけの環境が、僕には整えられていた。
ここは魔王城。ありとあらゆる財宝秘宝の集まる場所。
襲い来る冒険者を返り討ちにしては装備を剥ぎ取り、人間の国を襲っては財宝を奪い取り、なんてことをしているうちに城の宝物庫は溢れんばかりとなっていた。
必然、そのなかには異世界から持ち込まれた書物や装備、娯楽品なども含まれてくる。
それらの品々に僕は夢中となった。特に書物。中でも日本という国の漫画やラノベと呼ばれる書物は最高だね。
それまで極一般の平民だった男が勇者の力に目覚めて魔王と戦う話だったり、現世で死んだあと異世界に転生して面白おかしく暮らす話だったり、中には魔物に転生してしまうものまであった。
あれらの話は実体験を元に書かれたものなのだろう。召喚された英雄が帰郷した際に書き残したものに違いない。
ともあれ、僕は宝物庫の品々をある程度自由にできる立場にあった。なんせ魔王の息子だからね。魔界のプリンスってやつだよ。
……まあしがない三男坊ではあるけども。
いや、ある意味三男坊だからこそ自由に行動できている部分もある。
なんせ兄貴二人は軍勢を率いて人類との戦争に忙しいのだから。
僕も戦争に参加するよう言われたこともあるけれど、そんなものはお断りです。
父の指示に逆らうことは恐ろしかったけれど、人類と殺し合いをするほうがもっと恐ろしい。
何度か父との交渉を重ねた末、異世界技術の解明、研究といった役目を負うことができた。
それ以来、異世界の言語解析と言い張ってほとんどの時間を自室での読書に費やしている。
実はとうの昔に解析なんて終わって読めるようになってるんだけどね。
こうして、僕はいつまでも自堕落な生活をおくることに成功したのであった。
―Happy end―
とはならなかった。
いつものように宝物庫から部屋に運ぶための本を物色している最中に、父からの呼び出しを受けたのだ。
魔王様直々の呼び出しである。恐ろしいことこの上ない。
嫌な予感もする。ろくに働かず遊んでいたのがついにばれたかな?
確かに研究職となってからここ10年ほどなんの成果もあげていない。
魔族は人類と較べると長寿ではあるが流石にサボりすぎただろうか。
やばい。なんか変な汗が出てきた。
落ち着け。まだだ。まだあわてる時間じゃない。
まず、サボりがばれていると仮定しよう。その場合はどうなるか。
血も涙もない父のこと、最悪処刑まで有り得る? いや、流石にこの程度で実の息子を処刑するとは考えたくない。
となれば良くて説教。悪くて追放になるかも。
追放はまずいな。本が読めなくなる。
無論、サボりがばれておらず別件での呼び出しの可能性もあるが楽観視はしないほうがいいだろう。
なら、最悪の場合に備えて準備しておくべきだ。
不幸中の幸いというべきか、ここは宝物庫。魔剣やら魔道具やらが山のように積まれているし、役に立つ物もあるはず。この際だから色々持ち出してしまおう。
さて、取り出したるは手のひらサイズな一つの箱。
特に装飾がされているわけでもなく、ちょっと見ただけではただの木箱にしか見えないが、実はこの箱、空間魔法と重力魔法を応用して作られた魔法具なんです。
蓋を開けると別の空間に繋がっていて、箱の中に入れたものを保管して持ち歩くことができる優れものなのさ。
しかも重力魔法の効果で物質を圧縮するため、箱に入らないような大きさの物も収納することができる。
僕はこれらの魔法は専門外のため詳しい原理はわからないが、大変素晴らしいアイテムとなっております。
欠点としては、容量に制限があることと長い間放置すると収納した物が行方不明になることかな。異空間は安定してなくて、ある程度の周期で消滅と再生を繰り返しているのが原因らしいけど、専門外のため以下略。
数日くらいでどうにかなってしまうものではないので、この箱に使えそうなものを詰め込んでいくことにしよう。
まずは何が必要だろうか。
本だよね。まずは本が必要だよね。漫画、ラノベをなるべく持っておこう。
千冊ほどの本を入れたあたりで父の魔力の揺れを感じた。
まずい。非常にお怒りでいらっしゃる。父がいるはずの玉座の間からここまではそれなりに離れているのにそれでもわかってしまった。言葉ではなく、心で理解してしまった。
元来父は待つことが嫌いな人。呼び出しには即座に応じなければならない。
ええい、ままよ。
もう選んでいる時間なんて残っていない。とにかく手近にあるものを片っ端から箱に突っ込んでから上着のポケットに仕舞い、宝物庫を後にした。
実際はただの経過報告になるかもしれないしね。
嫌な予感が杞憂に終わることを神に祈ろう。僕魔族だけど。
魔王城最上階にある謁見の間に到着した。
最上階にこんな部屋を作るのはどうかと思うけど、父曰く、様式美というものらしい。転移用の魔方陣なんてものもあるし、移動に不便は無いんだとか。
門前の近衛兵に呼び出された旨を伝えると、扉を開けて案内してくれる。
中に入ると、父が玉座に掛けて待っていた。
右手で頬杖をついて、左手の指先で肘掛けを苛立たし気に叩いている。そして表情は険悪。大層御立腹な様子。
淀んだ魔力が目に見えそうなほど濃くなっていた。
嫌な予感が再び胸のなかに広がっていく。
僅か一代にして大陸一つを平定し、魔王と呼ばれるまでになった男、ヴォルヴィエルグ・ディアエレ・グレースウッドは不機嫌さを隠そうともせず、僕を待ち構えていた。
部屋の壁に沿うようにして父の親衛隊が立ち並び、圧迫感を高めている。
覚悟を決めて部屋の半ばまで進み、片膝をつく。
「ウィルナルド・フォン・グレースウッド。魔王陛下の召集に応じ、参上いたしました」
「うむ。面を上げよ」
「はっ。……して、此度の召集は如何な御用向きとなりましょうか」
「いやなに。お前を研究官として任命してから10年。そろそろ何かしらの成果が出てくる頃かと思ってな」
おっといきなり核心をつかれたぞ。
どうしよう。何もせず遊んでましたなんて言ってみたいけどえらいことになりそうだ。
「誠に遺憾ながら、順調とは言い難い状態です。何せ今までの常識が全く通用しない分野ですゆえに……また書物だけをとりましても、数多の世界から持ち込まれているため、選別するだけでも数年の時を要してしまいました」
とりあえず軽くジャブをいれてみる。
時間かかってるのは僕のせいじゃないとしつつも少しは進んでいるんですよアピールが大切だね。
「ほう。とはいえ、ある程度の目処はついておるのだろう?」
「はっ。一部の世界の言語に関してはあと1、2年ほど頂ければ習得が可能になると愚考いたします。しかしながらそこから兵器への転用となりますと、更なる時を必要とおも」
「たわけが! 貴様がとうに言語の解析を終えていること、研究もせずに自室に籠っていたこと。全て報告としてあがっておるわ!」
最期まで言わせてもらえなかった。
まずい。全部ばれてた。どうしよう、嫌な汗が止まらない。
どう誤魔化したものか頭を急速回転させていると。
「貴様は兄二人よりも高い力を持っていたゆえに見逃しておったが、戦に貢献せぬ穀潰しなど生かしておいても何の役にも立たぬわ! 即刻処刑としてくれよう!」
ゆっくりと立ち上がりこちらに向かって歩いてくる。
「ち、ちちちちち父上お待ち下さい! 確かに目立った成果は出ていませんが、あと数年! 数年頂ければ必ずや陛下のお気に召す兵器を開発してみせます!」
やばいやばいやばい!
許してもらえそうにない上、父の判断はこっちの最悪を越えていた!
もう体裁もなにもなく、必死に命乞いをするより他にない。
しかし父からの反応は期待とは全く逆のものだった。
「もうよい。もうよいのだ……生かしておけぬとはいえ、血を分けた我が息子。せめて最期は余の手によって送ってやろう」
僕の目の前で足を止めると、諦めたような、そしてどこか疲れたような声で呟き、その拳に魔力を込め始めた。
ほんの数瞬で魔力を溜め終えた父は拳を振り上げると、完全に動けなくなっていた僕の耳元に顔を寄せ、「腹を守れ」と小声で囁いてきた。
その一言に体は反応してくれた。
頭は相変わらず混乱したままだが、言われた通りとにかく腹を守るために結界を展開する。
大きさは必要ない。密度のみを重視したこの一瞬で可能な限りの防御をはる。
なんとか防御したのと同時に、僕の体は空を飛んでいた。
なにがどうなったのかわからないが、状況から察するに父に殴り飛ばされたのだろう。
考えなくてはいけないことが山ほどあるが、たしかこういうときに言わないといけない台詞があったはずだ。
えーと、なんだっけ。あぁそうだ。
「親父にもぶたれたことないのにいいいいいいい!!」
この日、僕は星になった。