26:魔性の猫耳
シーナちゃんに侵入されてから早3ヶ月。
シーナちゃんは魔族にも偏見が無いらしく、割とすぐにこの家に慣れてくれた。
いまだにエティリィに対して怯えている感じはあるものの、家の中で自由気ままに過ごしている。
ちなみに空き部屋は無かったので、倉庫を一つ潰して使ってもらっている。本以外の日本部屋にあったものを、その他異世界部屋に移動したのだ。
アニメグッズは全て居間に移してあるから問題はない。
トールは相変わらず精霊語の勉強中。
時折休憩しながらシーナちゃんと遊んでいるけど、ルナさんと話したいという目標に変わりはないようで、めきめき上達している。まだ完全にではないけど、意思の疎通くらいならできるんじゃないかな。近々提案してみようと思う。
ルナさんと直接話せたらトール喜ぶだろうな。今から楽しみだ。
トールは勉強をして、エティリィは家事をして、僕はアニメと漫画を楽しむ。
一人増えたところで、今までとあまり変わらない日常を過ごしていた。いつまでもこのままのんびり過ごせたらいいなあ。
あ、でもトールにはそのうち本の収集をお願いしているんだった。そしたら寂しくなるな。まあ暫く先の事だろうし、今から考えても仕方がないか。トールがしっかりと強くなって、外の世界で冒険しても大丈夫になったときは笑って送り出してあげよう。トールは僕のために本を探しに行ってくれるのだから。
「ねえねえ、トールってさ、なんでいつも精霊語なんて勉強してんの? 何? もしかして精霊使いでも目指しちゃってんの? 無理無理諦めなって! あんなのなれっこないんだからさ!」
始まりはシーナちゃんの、何気ないそんな一言。
あ、トール固まってる。
そういえば、シーナちゃんの冒険者カードは見させてもらったけど、トールのは見せてなかったね。
「あ、ごめん。もしかして本気で目指してた? 冷やかすつもりではなかったんだけど……」
何も答えないトールが怒っていると思ったのか、シュンとして謝罪するシーナちゃん。
仕方ない。トールはまだ唖然としているし、助けてあげようか。
「シーナちゃん。トールはね、歴とした精霊使いなんだよ」
「またまたぁ。精霊使いがこんなところに引きこもってるわけないじゃん」
「この家の水とか照明も精霊さんの力なんだけど……」
「だから外の精霊使いに依頼して出して貰ったんでしょ?なんでかは知らないけどお金は一杯持ってそうだもん」
どうやら説明しても信じてくれそうにないな。
これはある意味、いい機会かもしれない。
「トール。この際だから見せてあげたら? もう大分話せるようになってるし、ルナさんを呼んでみようよ」
「へぁ!? あ……、そ、そうですね。シーナには俺のカード見せてなかったか。もう大丈夫ですかね。呼んでも大丈夫ですかね!?」
トールはこの3ヶ月、本当によく頑張ったと思う。
言葉を一つ覚えるなんてそう簡単にできる事じゃないのに、みるみる上達していった。
精霊さんに対する愛情もあるし、いい精霊使いになれるんじゃないかな。
「はいはい。呼べるもんなら呼んでみろっての。こんなとこに精霊使いがいるわけないじゃん。もし本当だったら耳触らせてあげたっていいよ」
ほれほれと、耳を見せてトールを挑発している。
ここまで言っているのに何で信じてもらえないんだろうか……。
「言ったな!? 吐いた唾飲まんとけよ! モッフモッフしてやるからな!」
「お、おうともさ! その代わり、嘘だったら上の部屋に置いてあるお宝、いくつか貰うからね!」
「へっへっへ。ルナに再会できる上にシーナの猫耳までモフれるなんて、今日はなんていい日なんだ。あとで日記に書いておかないと」
「それはいいから、早くルナさんを呼んでみようよ。今回は何をお願いする?」
「そうですね……。前回のはちょっとやりすぎだった感があるので、もっと簡単なのがいいんですが」
トールの言うとおり、あれはやりすぎだった。僕でも寒気がするほどの破壊力。精霊魔法は威力の高いものが多いけど、魔法耐性のある鎧を一撃で消滅させる魔法なんて聞いたことがなかった。
僕の結界でも防げそうにないし、トールが敵じゃなくて本当によかったよ。
「今回はお話しするのが目的なんだから、何でもいいんじゃないかな。目潰しとか隠蔽が得意って言ってたっけ」
「目潰しは怖いなあ。目隠しくらいにしてもらいましょうか。それなら怪我もしないでしょうしね」
「うん、それじゃ、また外で試そうか。何か事故がおきてテレビが壊れても困るもの」
「ね、ねえ。なんかマジっぽいんだけどさ。冗談だよね? 二人してレイズしまくって、あたしを降ろさせようって作戦なんでしょ?」
段々不安になってきたのか、騒ぎだしたシーナちゃんを放置して家の外へ。
この子はギャンブルに手を出さない方がいいだろうな。幸運っていう能力があってようやく普通の腕前になりそう。
「トール、呼び掛けかたはちゃんと覚えてる?」
「当然ですよ! 毎日ちゃんと復習してましたから。口に出すと呼び掛けちゃうから、頭のなかで、ですけど」
「ねえ、冗談なんでしょ? もういいから、わかったから。家に戻ろうよ。ねえってば!」
シーナちゃんがマントを引っ張ってくるけど無視。
ふふん。我々を甘く見た報いを受けるがいいさ!
トールも敢えて無視してるみたいだしね。
「では、はじめますね。ルナー。ルナー。今呼ぶからねー」
「ん。トール、呼んだ?」
「深き混沌、古の闇……あれ?」
トールが気合を入れて呼び掛けようとしたときには、ルナさんは既にその姿を現していた。
以前のような水玉パジャマではなく、露出の多い、黒革のベルトを編んだような服を着ている。眠そうな表情はそのままだったけども。
「あれ? ルナ?」
「?」
呼んだトールも、呼ばれたルナさんも現状がよくわかってないみたい。
「トール、ほら。無詠唱」
「あ……あぁー……。」
「よくわからない。呼ばれたから来ただけ」
無詠唱ってこんな感じなんだ。
トールとしては、まだ呼び掛けの準備をしている段階だった。しかし、呼び掛けようとする意思が存在すれば、それが言葉に乗ってルナさんに届くのだろう。
凄いなぁ。精霊さんを呼ぶと心の中で思ったならッ!その時スデに召喚は終わっているんだッ!ってやつかな。
「あれ、トール、お話できてる?」
「あぁ、勉強したんだよ。ルナと直接話したかったから」
「勉強……。ありがとう。話せるのは嬉しい……」
ほんのり顔を赤らめるルナさん。釣られてトールも赤くなってる。
「嘘……。嘘でしょ……。トールが精霊を……。しかも詠唱も無しになんて……。トリックだ、なにかのトリックが……」
現実を受け入れられないシーナちゃんは床に突っ伏してぶつぶつと呟いている。
だから散々言ってるのに……。僕も一緒に精霊さんを呼んだらどうなるのか見てみたかったけど、可哀想だからやめておこう。
「それで、今日は何をすればいい?」
「あ、そうだ。そこで現実逃避してる小娘に目隠しをしてやって。数分で切れるような簡単なのでいいから」
「ん。それじゃあまりご飯食べられないけど、しっかりやる」
ルナさんがシーナちゃんに手を向けると、シーナちゃんの目の前に黒い霧のようなものが現れた。
「うみゃーー! なにこれ見えない!何も見えないんだけどぉ! はっ! まさかあたしの眼を潰してイヤらしいことをするつもりっ!? 残念だったねトール! たとえ眼を潰されたとしても、あたしには心の目があるっ! さぁかかってきなさい! この変態っ!!」
「とりあえず五分は解けなくしておいた。トール、今がチャンス。やっちゃえ」
さすがトール、僕にできないことを平気でやってのける! そこに痺れる憧れる!
本当に何も見えていないのか、周囲に拳を突きだすシーナちゃん。シュッシュッと小気味のいい風切り音が聞こえてくるけど、シャドーボクシングをしているようにしか見えない。
「いや別に何をするってわけじゃないんだけど……。あとルナ、その手の形は卑猥だからやめなさい。女の子が摩るもんじゃありません」
「この目隠し、戦闘中にもらったらほぼ詰みだね。ルナさん強いなあ。で、この後どうするのトール」
「どうするって……。どうしましょう?」
「素振しすぎて息もあがってきてるし、ルナさんじゃないけど、何かするなら今がチャンスだと思うよ」
ワクワクする。いったいトールはどんなひどいことをするんだろうか。
まぁ、あんまりひどいようなら流石に止めないといけないけども。子供とはいえ、一応相手は女性だしね。
「うーん……。あ、じゃあ約束通り耳、モフらせてもらいますか!」
「うわあ……。それはさすがの僕でもちょっと引いちゃうよ。トールは鬼畜だね。ロリコンな上に鬼畜なんだね。ロリ畜だね」
「いやいやいやいや。だってほら、約束ですし!? シーナの方から言い出したことですし!?」
僕らの会話が聞こえていたのか、シャドーをやめてシーナちゃんが身構える!
「甘いよトール! まだあたしには他の感覚が残されているんだからね! 確かに目はやられたけど、匂いと音さえあればトールの位置くらい簡単にわかるんだから! ……ってあれ!? トールどこいったの!? あれ? あれぇ!?」
「ふふ。匂いと足音、消しといた」
余計なことをわざわざ言うから……。セリフの途中でルナさんがトールに追加の魔法をかけてしまった。
トールはそのままゆっくりとシーナちゃんに近付き、耳に手を伸ばす。その動きは完全に少女を襲う変質者の姿だった!
トールの手が耳に届くかどうかという時。
「そこだぁっ!!」
「ごぶうっ!」
空気の動きを掴み取ったか、はたまた第三の目が開眼したのか、シーナちゃんの拳がトールのお腹に突き刺さる。
手を伸ばした姿勢のまま前のめりに倒れこむトール。
当然、伸ばした手の先にはシーナちゃんの頭があるため……。
トールの指先が、シーナちゃんの耳の先端に触れた。
「み、みぎゃーーー! 変態変態変態! 最低っ! トールの変質者ーーーー!!」
「ぐはあっ!」
耳に触れた瞬間、シーナちゃんの華麗なサマーソルトが炸裂し、トールの顎にヒットする。
今度は仰向けに倒れるトール。シーナちゃんは着地と同時に、走り去っていった。目はまだ見えてないはずなのに器用なもんだなあ。
「トール、大丈夫? 生きてる?」
「ふふふ、ウィルさん……見ていてくれましたか……。俺、ついにやりました……よ……ガクッ」
意識を失うトール。その顔には、高い壁を乗り越えた男の、達成感溢れる笑顔が浮かんでいた。
「それじゃ、私は帰る。トールが起きたら伝えて。もっと頻繁に呼んでほしいって。お腹すくから」
「わかりました。その言葉、トールも喜ぶと思います。お疲れさまでした」
闇に溶けていくルナさん。
暫くしてシーナちゃんは帰ってきたけど、その日の間はトールの事を警戒しっぱなしだった。
まあ次の日には仲直りしてたけどね。