23:修行と授業
「いいか! いまだにママのおっぱいが無いと寝られない子猫ちゃんな貴様を、俺が歴戦の勇者に変えてやる! 俺の言葉に逆らうな! 貴様に許された言葉は、はいかイエスのみだ! 言葉の最初と最後にはサーをつけろ!」
「サー! 質問宜しいでしょうか、サー!」
「認めん! 貴様ができることは走ることと泣きながら小便を垂らすことだけだ! 貴様には夜な夜なベッドの中で『自主規制』を『自主規制』する体力すら残らんと思え! わかったか! わかったら足を止めるな! 走れ蛆虫!」
「サー! イエス、サー!」
「これから貴様が向かうのは戦場だ! 貴様のような蛆虫は戦場ではすぐに死ぬ! だが構わん! どうせ死ぬなら一人でも多くの敵を殺せ! さあ叫べ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「はいかイエス以外口にするな!!」
「サー! 理不尽です! サー!」
トールはひた走る。明日へ向かって。この廃れた世界で生き残るために。明日に希望を作るために。
あぁ、しかしそれはなんと悲しいことか。未来を切り開くための力は、結局、誰かを犠牲にしなければ生まれないということに、彼はまだ気付いていなかったのだ……!
「サー! いつまでやるんですかこれ! サー!」
「あ、満足したからもういいよ。付き合ってくれてありがとうね」
僕の言葉に、トールは走るのをやめる。
一回やってみたかったんだ、これ。付き合いのいいトールに感謝。
「なんとなくノリで走っちゃいましたけど、魔法使いに体力って必要なんですかね」
「トールは全力疾走したあとに難しい計算とかできる?」
「集中切らすなってことでしょうか」
「まあ、体力は鍛えておいて損しないよ。冒険者なんて体力勝負みたいなものなんだから。鍛えておけば確実にトールの力になるよ。そう、コーラを飲んだらゲップが出るくらい確実にね」
「それ言いたかっただけでしょう。コーラ飲んだことあるんですか?」
「残念ながらないんだよね。美味しいの、コーラって?」
「はあ。とりあえず体力をつける必要があるのはわかりました。でも先に魔法を覚えてみたいんですが」
ワガママを言うトール。
魔法なんて一朝一夕で覚えられるものじゃないんだけどなあ。
まあいいか。物は試しということで。
「よし、じゃあまずは魔導書を読むところからかな。人間の言葉で書いてあるやつなら読めるよね。専門用語でわからない部分は聞いてよ」
「おお! それっぽくなってきましたね! ちなみに魔導書ってどういうのがあるんですか?」
「うちにあるのは上級魔法だけかなあ。地割れ起こしたりとか、熱光線で相手を蜂の巣にするやつとか」
「この家には初心者向けのアイテムは存在しないんですか……。また村まで買いに行った方がいいですかね」
「そうだねえ。あ、じゃあ先に精霊魔法でも試してみる?呼び出し方さえ覚えれば、あとは僕かエティリィで通訳できるからさ。」
「精霊魔法! 前にウィルさんが使ってた、あの可愛いやつですね! 使ってみたいです。是非教えてください!」
物は試しというなら、いきなり難しいところからいってみよう。
トールの魔力なら呼び出すところまでは問題ないと思う。問題はその後。 精霊さんに仕事をしてもらえるだけの魔力が残るかどうか。そして、精霊さんに気に入ってもらえるかどうか、だ。
正直言って、無理だと思ってる。精霊さんの力を制御するのは結構大変だし、コツがいる。
さらに気に入ってもらえるか、ということになると、それこそ雲をつかむような次元の話になる。
とはいえ、呼び出しに成功すれば自信には繋がるだろうし、魔力の使い方も少しはわかるかもしれない。
試しに使う魔法としては、悪くないだろう。
「じゃあ、まずは精霊さんの概念と、呼び出し方からね。えーと……」
この世界にとって精霊さんがどういう存在か。精霊魔法とはどういうものか。呼び出し方から、呼び出した後の対応。また、うまくいかなくてもそれが当然だということ。失敗して魔力を使い果たしたときのデメリット。
ひとつひとつ、順を追って説明していく。
トールは真面目な表情で相槌をうちながら、説明の全てをしっかりと聞いてくれた。
「よし、じゃあ早速だけど呼んでみようか。トールはどんな精霊さんが好きかな?」
「はい先生! 俺は可愛い子が好きです!」
「正直で大変よろしい。どの精霊さんにも男女の区別はあるし、容姿だって様々だからね。精霊さんに来てもらった後に失礼な態度を取らないようにね」
「はい! ちなみにウィルさんが契約している精霊はどの属性なんですか?」
「僕が契約しているのは土、風、水、光の精霊さんだよ。他の精霊さんはなかなか相性が良くなかったみたい」
「となると、ウィルさんが契約できていない精霊のほうがいいですよね。用途も広がりますし」
トールはやっぱり頭がいい。思い付きの実験的な事でも、ちゃんと先の事を考えて行動できている。
以前フーセーさん相手に興奮していたから、迷わず風の精霊さんを呼ぶもんだと思ってたよ。
「そうだねえ、僕がどうやっても契約できなかったのは、闇の精霊さんかなあ」
「魔族なのになんで闇より光のほうが相性いいんですか……。じゃあ、まずは闇の精霊に挑戦してみますか」
トールの疑問はもっともだけど、そんなこと言われたって僕にもわからないよ。相性は相性としか答えられない。
「呼び出し方はさっき教えた通りね。頑張ってー」
「失敗して倒れたときは頼みます」
軽口を叩いてから構える。
教えた通りの精霊語で、闇の精霊に呼び掛けていく。
発音は問題ない。ちゃんと精霊さんに声は届いているはずだ。
さて、トールの魔力は無事に保つかな?
結果は成功だった。
呼び掛けが終わったとき、闇の精霊さんはトールの声に応えてくれた。
「んぅ……。眠い……。何の用……?」
トールの希望が反映されたのか、呼び出された闇の精霊さんは女の子の姿をしていた。
見た目だけで言えばトールよりも少し年上くらいに見える。といっても、大きさはフーセーさんやドセイさんと変わらない。
深い闇色の長髪で、金色の目はトロンとして今にも寝てしまいそうな感じ。
というよりも、まさに寝るところだったのだろう。水玉模様のパジャマなんか着ていた。
精霊さんってパジャマ着て寝るんだ……。知らなかった。
「お休みのところすいません。貴女をお呼びしたのは彼です。名前はトール」
「ん、名前は聞こえてた……。美味しそうなにおい……」
おや、どうやら好印象な様子?
しかし、トールの方は呼び出したときに魔力を吸われたのか、辛そうな顔をしている。
それでも自分の力で精霊さんを呼んだ事による興奮からか、その目は輝いていた。
「さてトール。呼び出し成功おめでとう。彼女に何かお願いしないと」
「あ、ありがとうございます。自分でびっくりしてます……。えっと、何をお願いすればいいんでしょう。というか何ができるんでしょうか」
そのまま伝えると怒られそうなので、オブラートに包んで通訳する。
「目潰し、隠蔽……。ふぁ……。あとはてきとう……。闇は無。無は闇……」
特に気分を害した感じもなく答えてくれる。
僕はただの通訳に徹することにしよう。
「得意なのは支援魔法って感じです? 戦闘にはあまり向かないんでしょうか」
「攻撃……。壊していいもの、ある……?」
トールが呼び出したはずなのに二人ともこっちを見て会話する。なんか不思議な感じだ。
壊していいものか。何かあるかな。
何でもいいか。
「エティリィー! 倉庫から何か的にできる物持ってきてー!」
家の中で家事をしているはずのエティリィに呼び掛ける。
すると、二階の窓が開いて、そこから全身鎧が飛んできた。
「マスター! それでいいでしょうか! 硬そうなのを選んだつもりなのですがー!」
「硬すぎるよこれ! 英雄の装備してた、魔法に抵抗持った鎧じゃないか!」
よりにもよって、とんでもないものをチョイスしてくれたもんだ。僕の防御結界と同じか、それ以上の強度がある鎧なのに。
「ん、大丈夫。それでいい……」
闇の精霊の反応はあっさりしたものだった。
え、大丈夫って何が。普通の鎧じゃないよこれ?
「じゃ、攻撃見せる……。ご飯、楽しみ……」
精霊さんは相変わらず眠そうな顔のままで、手をパーの形にして鎧に向ける。
眠そうなのに、その口元に涎が垂れていたのを僕の目は見逃していないよ。
トールもかなり汗を流しているけど、まだ持ちこたえていた。
「トール、ここからが本番だよ。気をしっかり持ってね」
「は、はい。攻撃ってどんなでしょうね。闇の槍ー、とかでしょうか」
「さぁ、こればっかりは見てみないとね。魔力かなり持っていかれるから覚悟してね」
トールが歯を食い縛るのを待っていてくれたのか、精霊さんは鎧に向けてその力を解放した。
ブォン! と低い音がして、鎧が黒い球体に包まれる。
精霊さんがその小さな手を閉じるのに合わせて、球体も小さくなっていく。
そして手が完全に握られたとき、球体は消滅し、鎧もその姿を消していた。その間、僅か一秒。
……え?
「ん……。おいし……」
思わず精霊さんを振り向くと、恍惚とした表情を浮かべている。
あの鎧を壊せるってことは、英雄相手に戦えるということ。いやむしろ、英雄クラスの相手を一撃で葬れるということだ。
恐ろしい威力だ。思わず嫌な汗が出る。
ちなみにトールはというと、地面とキスしていた。
「トール! トール大丈夫!? 意識ある!?」
「な、なんとか……。ぎりぎりって感じですが……」
よかった。無事だった。
あれだけの威力の魔法だと、下手したら気絶じゃ済まない可能性もあった。
トール、僕の思っていた以上にタフみたい。
トールの魔力を食べ尽くした精霊さんは、満足したように僕の方へ飛んでくると、耳元で囁くように言った。
「彼に伝えて……。ご馳走さま。名前をちょうだい、って……」
精霊さんに名前を与える。それは則ち契約の証。
これは驚いた。トールってば闇の精霊さんを虜にしてしまったみたい。僕にできなかったことを、あっさりとやってのけてしまった。
「トール起きて。もうちょっと頑張って。精霊さんがトールと契約したいって。トールが嫌じゃなければ、名前を付けてあげてよ」
「うぅ……、契約……? 名前……名前……。る、ルナ……。」
「ルルナ? ルルナでいいの?」
「ちが……。ルナ……」
ルナか。地球のどこかの言葉で月って意味だっけ。
闇の中に浮かぶ精霊さんの金眼は、確かに月に見えなくもない。
トールらしい、いい名前だと思った。
「トールからの伝言です。貴女の名前はルナ。貴女と契約を結びます、と」
闇の精霊さん、もといルナさんにそう伝える。
ルナさんは嬉しそうにトールの元へ飛んでいき。
「ありがとうトール……。これから、よろしく……」
トールの頬に口付けすると、闇に消えていった。
「トール、契約おめでとう。これでトールも立派な精霊使いだね!」
言う声はトールに届いたかどうか。
トールはわかってないだろうけど、精霊と契約するっていうことは、並大抵の事じゃないんだよ。
世界中に何人いるかっていう精霊使いとなった友人を、心から尊敬した。
でもトール、即死攻撃ばっかり増やして、君はどこに向かっていくんだい?