16:不安
「トール様がお戻りになりません」
エティリィのその言葉を聞いたのは夕食の準備を始める頃になる。
いつものようにアニメを見ていたら、いつの間にかそんな時間がたっていたのか。
トールは今日の朝方、散歩をしてくると言って出掛けていった。
それが、もうすぐ夕食といった時間になっても戻ってこない。
明るいうちは魔物の数も少なく、回復薬も持っているから比較的安全と思ったけど、暗くなってきたらそうもいかなくなってくる。
何よりも、もうすぐトールにかけておいた防御用の結界魔法が解けてしまう時間だ。
結界さえ残っていれば魔物は特に恐れる必要はない。なんせ魔王の拳にも耐えた実績がある。
このあたりの魔物がどんなものかは知らないけど、まさか父より強いということはないだろうし。
トールも、結界が切れたら危ないことは重々承知しているはずだし、危なくなる夕方前には帰ってくるものだと思っていたけど、何かあったのだろうか。
まず考えられるのは迷子になった可能性。
トールは外に出るのは二回目だし、あり得る。
でもあのトールに限ってそんなミスを犯すかな?トールはかなり頭が切れると思う。何も考えずに森のなかを歩き回ったりはしないだろう。
そうすると次に考えられるのはどこかで怪我をしている可能性。
森のなかに急な段差や崖が無いとは限らない。
気付かずに近付いて滑落するかもしれない。いくら結界を張っているとはいえ、腕や足が変な方向に曲がれば折れる。折れれば動けなくなる。
でもトールは回復薬を持っているはず。多少の怪我ならどうにでも治せるはずだ。
では魔物に襲われた?
可能性としては低いと。
怪我はすぐ治せるし、何よりトールの持っている剣はかなり強力な物だ。
トール本人はわかってないと思うけど、あの剣にかけられている呪いは並大抵のものではない。その辺の魔物であれば一発でも当てれば呪いの力で即昇天するくらいに。
結界による防御もあるし、魔物程度に遅れを取るとは考えられない。
最後の可能性。そして、最悪の可能性。
トール、どこか行っちゃった?
元々トールは人間だ。異世界人とはいえ、人間と共に生活するのが正しい道ではある。
僕は魔族だし、エティリィに至っては魔物だ。
今まで一緒にいたのがむしろ異常だったとも言える。
散歩の途中で誰かに会って、そのまま人間の街に行っちゃった? 元々そのために外に出た?
どんどん不安になってきた。
トールは初めてできた、同じ趣味の友達。
僕よりも漫画に詳しくて、色々教えてくれた。
僕の趣味の話に、嫌がらずに付き合ってくれた。
何より、持ち前の知識と技術でアニメを見られるようにしてくれた。
無事でいてくれるならそれでいい。それでいいんだけど……。
やっぱり嫌だな。黙っていなくなっちゃうのは嫌だ。
よし、追いかけよう。追いかけて話をしよう。短い間だったけど、楽しかった。ありがとうってちゃんとお礼を言おう。
そうと決まれば行動あるのみ。
まだ出ていったと決まったわけではない。
ひょっとしたら本当に怪我をしていて動けない可能性だってある。そうだ、転んだ拍子に回復薬が割れちゃうことだってあるかもしれない。
うん。そうだよ。僕が助けに行ってあげないとね!
「エティリィ、トールを探しに行くよ! すぐに準備して! 魔物もいるだろうから、一通り武器も揃えておくようにね!」
「了解ですマスター! さっさとトール様を見つけて、皆でご飯を食べましょう!」
言って倉庫部屋へ駆けていくエティリィ。
僕はどうしようかな。特に準備いらなかったな。
地上に出たらコーセーさんを呼んで探すのを手伝ってもらおう。
果たして、トールはすぐに見つかった。
探し始めてすぐにトールの悲鳴をエティリィが拾ってくれたからだ。
そこからのエティリィは早かった。
森のなかを飛ぶように駆け抜け、トールの元に向かう。
時折こちらを気にするように振り向くけど、僕のことはどうでもいい。悲鳴が聞こえたってことはトールに何か起きているということだ。
「こっちは後で追い付くから! 早くトールの所に向かって!」
「了解です! なるべく早く来てくださいねっ!」
更に速度を上げる。これは流石に追い付けそうにない。
とにかく急がないと!
「トール様っ! ご無事ですか!? マスター! トール様が見つかりました! まだ生きていらっしゃいます!!」
遠くからエティリィの声が届く。
良かった。とりあえず無事みたい。
夢中で走って、なんとかトールの元にたどり着いた。
あたりには犬型の魔物の死体が数体転がっている。短剣が突き刺さっているのはエティリィが倒した分かな。
座り込んだトールの側には人間が二人倒れている。
それはいい。人間なんて別にどうなったって知ったことじゃない。それよりもトールだ。
「ああエティ、ウィルさん……。良かった……。たす、助かりました……。も、もう駄目だって……。ここで死ぬんだって……お、思っ……」
トールは泣きじゃくりながらエティリィにしがみついている。
エティリィはトールを安心させるように抱きしめ、その頭を優しく撫でていた。
「はい、トール様。大丈夫、もう大丈夫ですよ。安心してください。危ないことはもう無いですからね」
「そうさトール。僕らが来たからね。なにも心配しなくていいからね」
よっぽど恐ろしい目にあったのだろう。
嗚咽をあげるトールが落ち着くまで、このまま待つことにする。
事情を聞くのはその後でもいいと思う。
ていうかトール、腕無いんだけど。うわあ痛そう……。
こっそり結界魔法を唱えて止血する。本格的な治療は帰ってからかな。
ねえトール、一緒に帰ってくれるよね?
しばらくしてトールが落ち着くと、ようやく事情を聞くことができた。
早めに止血しといてよかったな。人間の血液量はわからないけど、下手したら失血死のおそれもあった。
「すいません、暗くなる前には帰ろうと思ってたんですが……。話し込んでるうちに遅くなっちゃって……。ウェルフに囲まれて、回復薬も使いきって……」
なあんだ、出ていこうとしていたわけじゃなかったんだ!
トールには悪いけど、ちょっと安心した。
「そっかそっか。怖かったね。よく頑張ったね。とにかく無事で良かった。一旦家に帰ろう?ゆっくり休んで治療しなきゃ。ねえトール、切れた腕はどこにあるかわかる?」
「あ……腕……は、さっきウェルフの一匹がくわえてどっか行っちゃって……」
「それはまずいな。エティリィ、ちょっと探してきてもらっていいかな。まだその辺にいると思うんだけど」
「あっ、待ってください。僕らがいなくなっちゃうとシャイヤン達が……。あの、一緒に連れて帰るのって駄目でしょうか」
倒れた人間の方を見ながら言う。
「うーん……。ごめんよトール。それは流石にできないや。僕の立場のせいなんだけど、人間や他の魔族に見つかるとちょっと不味いことになってしまうんだよ」
トールには悪いけど、これを譲るわけにはいかない。
魔王の息子どころか、魔族が近くに住んでいるってだけで問題が起きてしまうからだ。
ここで二人を連れて帰ったら、すぐにでも引っ越す必要が出てきてしまう。そんな危険は犯せない。
「そう……ですか……。すいませんでした。あの、せめて二人が目を覚ますまで側にいちゃ駄目ですか?さっきまでは無事だったと思うんですが、急に倒れちゃって……」
「あぁ。倒れてるのは多分僕のせいだと思うな。僕の魔力の影響じゃないかな。トールは結界魔法かけてあるから大丈夫なだけで」
「え、あのそれって……。もしかして死んじゃったんですか」
「大丈夫ですよトール様。お二人は気絶しているだけです。マスターがここまで近寄って生きているとは、なかなかの強者のようですね」
「ということでトール。二人のためには僕達は近くにいたら不味いんだよ。だから、ね?帰ろう?」
「わ、わかりました……。あの、ではエティだけでもなんとか! ここで二人が起きるまででいいから助けてあげてもらえませんか!?」
「でもトール、持っていかれた腕を探さないと……」
「腕なんてっ! 友達なんです! さっき会ったばかりだけど、友達になったんです! お願いします!!」
ここまで頼まれたら首を横に振るわけにもいかない。
エティリィに守らせないとトールも帰ってくれなさそうだし。
僕としては見ず知らずの人間よりもトールの腕の方が大事なんだけど……。
まあ仕方がない。トールに嫌われたくもないしね。
「ふう、わかったよトール。じゃあエティリィ、悪いけどここは任せていいかな。あ、姿は見られないようにね」
指示を出すと、「いいんですか?」とでも言いたげな視線を向けてくる。
いやよくないよ。よくないけど仕方がないじゃん。
目を合わせて、無言で頷いてやる。
するとエティリィはため息一つ。
「了解です。二人が目を覚ましたのを確認した後、トール様の失われた腕の捜索に向かいます」
「ありがとうエティ。ウィルさん、我儘言ってすいません……」
「いやいや、いいってことさ。それより早く帰ろうよ。止血したとはいえ、治った訳じゃないんだからね。歩けるかい?」
トールを支えて立たせる。
トール、多分君はわかってないよ。流石の回復薬でも、無から有を生み出すことはできないんだからね。